閑話:お姫様の賃貸契約
「駄目よ」
俺から見て、テーブルの左側に座るフィアールカは満面の笑みで言った。
「何故だ」
テーブルを挟んだ右側では腕組みをしたレイラが対面を睨みつけている。二人の視線の交錯する場所で火花が散っているのが分かる。これは不味いな。リザードテイルが火の海になるかもしれん。
事の発端はレイラがリザードテイルに亡命してきた日にさかのぼる。
この場所に住むにあたって、彼女の住処を決めようということになった。いろいろな物件をギルドマスターから紹介してもらったはいいが、そこは一国のお姫様である。まあ注文の多い事多い事。
部屋が三つしかないから駄目だ。
狭すぎる。
こんなフヴァズボ小屋に私を押し込むつもりか。→(フヴァズボとは彼女の国で飼育されている家畜だそうだ)
庭に生えている木が少ない。あと1000本生やせ。
屋根の形が気に入らない。
お前のスケベな表情が癪に障る。
などなど言いたい放題である。最後に至っては家に何の関係も無ければ、俺に何の落ち度もない。
そうやって馬車に乗りながら様々な物件を見て回っていたわけだが、ある一つの物件でレイラが声を上げた。
「あの屋敷が良い。私はアレが気に入った」
そう。そこはフィアールカと俺が住んでいる屋敷だったのだ。
しかし考えてみれば都合がいい。もしフィアールカとレイラが同じ場所に住んでくれるのなら防犯、防衛上都合がいい。何しろ護衛対象が一か所に固まってくれるのだ。
それに俺はあの屋敷に空き部屋がたくさんあることを知っていた。フィアールカは他の女が屋敷に住むことを快くは思わないだろうが、ちゃんと頼み込めば許してくれるだろう、と希望的観測に基づき考えていた。
「駄目よ」
はい、振り出しに戻る。
「どうして駄目なんだよ。レイラ様は適正な家賃もしっかり払うと仰られているぞ」
フィアールカは口を手で覆い、優しい笑みを浮かべている。拒絶を示している。俺は直感的にそう感じた。一緒に生活するようになって、いつも笑顔の牙城を崩さない彼女の感情が少しづつ読み取れるようになってきた気がする。
こうして機嫌の悪い時は半径10000m以内に近づかないようしたいのだが。
「だって、私はレイラの事が信用ならないんだもの」
フィアールカは優しい微笑みのまま言った。多分こいつは笑顔のまま人を刺せる人間なんじゃないかと思う。
「私が信用ならない、だと? ミーア王の娘であるこの私を?」
レイラの声はいたって冷静だが、表情の冷たさは逆にいつ爆発してもおかしくないと感じさせるすごみがあった。
「まあまあ、レイラ様。フィアールカはこう見えて臆病な少女です(大嘘)。出会って間もない人間を信用するには、もう少し時間を要するかと」
「ふふっ。私はあと100年たってもレイラの事を信用していないかもしれないわよ?」
おい! 俺がせっかくフォローしようとしたのに秒で台無しにしやがって!
「フィアールカとやら。何故私が信用できないと申すか」
「私のカッペーを誘惑されたら困るもの。貴女のような魅力的な女性に迫られたら、女性経験の少ない私の護衛はホイホイ盛ってしまってまうわ」
バカにしやがって。女性経験が少ないって何だよ。皆無だぞ。
急にレイラが声を上げて笑った。
「なるほど。貴様は私がその男と夜な夜なスイカ割りに興じると思っているのだな」
もう暗喩がアクティブ過ぎて純文学みたいになってるんだが。
「しかし残念ながら私はこの男にこれっぽっちも興味を抱いていない。それこそフヴァズボの出すヴォフッフよりも興味が無い」
なぜ未知の生物の謎の物体と比較されたうえで負けているんだ俺は。
「だから私がこの屋敷に住んでも疚しい事は何もない。私もこの屋敷に住まわせてくれ」
レイラは胸を張って言った。多分その高慢な態度が一番問題なんだと思います。
「そうかしら」
ねっとりとした声を出すフィアールカの姿勢は、先ほどからほとんど動いていない。
不意に彼女の瞳に鋭いものが宿った。
「でも貴女、カッペーとキス、したんでしょう」
暫くの間、部屋に沈黙がおりた。
「な、ななななな!」
破ったのは動揺したレイラの声だった。彼女は顔を紅潮させ、わなわなと怒りと羞恥に震えている。
先ほどまでの冷たい表情は馬車に乗ってどこかに行ってしまったらしい。多分フヴァズボ小屋でも見に行ったんだろう。
「あ、あれはその、仕方なかったのだ! 国を出るために仕方なく!」
「ふふっ。つまり貴女は国を出るためなら誰とでも口づけを交わす、という認識でよろしいのかしら」
何ていやらしい追い詰め方をする女なんだろう。
「違う! 私はそんなフヴァズボ女ではない! その男がどうしてもパーツが必要だと言うから……!」
フヴァズボ女って何だよ。尻軽女、みたいな意味合いだろうか。語呂が良いな。
「それはつまり頼まれていたら誰とでもキスをするという事かしら?」
フィアールカの連撃が止まらない。レイラが涙目になってきたので流石に可哀そうに思えてきた。
「違う! 誰に頼まれたとしてするものか!」
「あらぁ。つまりカッペーだったからキスをしたのね?」
わたわたと身体が揺れるレイラと対照的にフィアールカは身体も表情も動かさない。その容姿も相まって人形から言葉が発せられているような不気味さがある。
「違う! 私は……その、その男が」
レイラは言葉に詰まった。恐らくフィアールカは初対面で彼女と話した際、レイラがこういう話題に弱い事に気付いていたのだろう。
「なあフィアールカ、住まわせてあげるくらいいいだろう? レイラ様がパーツを分けてくれたから、こうしてミーア国から引き揚げてこれたわけだし」
フィアールカはぐるりと首を回して俺を見た。恐ろしいほどに整った顔立ち。目を細め、一見何かを慈しむような笑顔。怖いです。
「そうね」
フィアールカの口から出たのは予想外の言葉だった。
「住ませてあげてもいいわ」
おや? やけに素直だな。もっと俺がレイラと口づけを交わした状況についてネチネチ詰問されるのかと思ったが。
「本当か?」
フィアールカの態度が軟化したことでレイラは顔を輝かせる。もう完全に二人の立場が逆転している。もしかするとフィアールカは最初からレイラを拒絶するつもりはなかったのではないだろうか。この屋敷での序列をはっきりさせるため、わざとレイラを揺するような事を言ったのかもしれない。
いや、そっちの方が怖いけども。
「けれど条件が二つあるわ」
フィアールカは指を三本立てて言った。どっちなんだよ。
「一つ、カッペーの部屋から一番遠い部屋に住むこと」
「構わない」
レイラは頷く。
「一つ、私のメイドたちには貴女の世話をさせない。彼女たちはあくまで私のメイドだから」
「構わない。私もこの街で新しくメイドを雇うことにする」
「一つ、カッペー」
「え、俺?」
急に名前を呼ばれてびっくりした。
「一発ギャグをやりなさい」
「何で!?」
「私、今回の事で貴方に言いたい事が山ほどあるけれど我慢しているの。一つくらい私のお願いを聞いてくれても良いんじゃないかしら」
フィアールカは溢れんばかりの笑みを浮かべてこちらを見ている。駄目だ、これは絶対に断れないやつだ。
「えっと、今?」
「そうよ」
「私もカッペーの一発ギャグとやらを見せてもらいたい」
レイラも期待に満ちた目で俺を見る。
……ふっ、いいだろう。酒場で死ぬほど滑った俺は雪辱に燃えた。必ずこいつらを爆笑させる一発ギャグを完成させてやると日々鍛錬に明け暮れてきた。
そこまで言うなら見せてやる。行くぜ、俺の渾身の一発ギャグ!!
「はい! 一発ギャグやります! 一本釣りされたマグロ!」
俺は背筋をピンと正し、床に寝そべってピチピチのたうち回り始めた。二人の生暖かい、それでいて凍てつくような視線が突き刺さる。
世界を静寂が覆っていた。いつまでも、いつまでも。
おわり




