十三話 フードファイター猿
リザードテイル市街に入った俺たちは港の方に向かって歩いていた。
周りの建物を見れば旧時代から残る石造りの建物と、明るい色で新しく作られたレンガ造りの建物が共存していて、何とも不思議な雰囲気を醸し出している。
軒先では屋根から張り出された色とりどりテントの下で瑞々しい色の野菜や、まだ鮮やかな色の魚たちが並べられおり、店主たちが客引きのために声を張り上げている。
この街は完全に他民族の寄せ集めであるため、出会う人々は皆見たことの無い種族ばかりだ。肌の色の白いもの、黒いもの、獣の耳が生えているもの。
目に映る景色全てが俺には新鮮であり、ついつい動きが挙動不審になってしまいそうである。
……隣を歩いているのが狐塚総隊長でなければ、だが。
「この店にしよう」
総隊長がとスイングドアを開けて入って行ったのは、港の近くにある木造の建物だった。
俺は一歩遅れて入った時に総隊長は既に注文を始めていた。慣れた様子で聞き慣れない名の料理をあれやこれやと注文していく。
店内には魚や肉の焦げる香ばしい匂いが漂っており、10ほどあるテーブル席にはまばらに人々が座っていた。
「猿渡君はお腹が空いてるんだよね?」
総隊長は頬杖をついて、先ほどと同じことを聞いてくる。さっき腹減ってないって答えただろうが、このヘッポコピー。
「いえ。先ほど軽めの食事を済ませましたので……」
「お腹空いてるんだよね?」
「あ、はい。もう餓死寸前です」
はいそうです。俺に拒否権なんてございません。そんな俺の様子を見て総隊長は非常に愉快そうである。
「だよねー。まあ全部僕のおごりだから気にせず食べてよ」
ちょうどその時注文の品が運ばれてきた。大盛に積まれたパン、肉、魚。もはやテーブルが一つの皿と化しているかのようだ。
残念なことに初めて見るものばかりで料理の名前が分からないのだが、ただ一つだけ言えるのは二人で食べるには量が多すぎるということだ。
「あの、これは……」
「ああそれフランクフルトって言うんだよ」
総隊長は串の付いた肉料理を摘まみ上げながら言った。
違う。そうじゃない。
「じゃあ急ぐから10分以内に食べてね」
無茶言うな!
一人でこれを消化しきるには少なく見積もっても半日はかかるぞ! っていうか急いでるんなら何でこんなに頼んだんだよ!
俺が戸惑っていると総隊長はフランクフルトを俺の鼻先に向けた。
「何? 僕のフランクフルトが食べられないっていうのかい?」
駄目だ。食べなければ今度は俺が肉料理にされかねん。
「いえ! 喜んで食べさせていただきます!」
俺は半ばヤケクソで両手で料理を掴み、次々と口の中に放り込んでいった。
口の中で肉汁のじゅわっと弾ける感覚や柔らかくてモチモチしたパンの食感などは、全て口の中に無理矢理押し込まねばらない苦しみに上書きされていく。
「ねえ猿渡君、おいしい?」
総隊長は机の上の料理を一口も食べることなく、頬杖をついたまま俺に尋ねてくる。
「ほ、ほいひぃれふ」
「え? 何? よく聞こえない」
「お、おいしいれふ!」
「あはは。食べながら喋るなんて猿渡君はお行儀が悪いなあ」
どうすりゃいいんだよ。
「ほらほら。早く食べないと10分経っちゃうよ?」
そうは言っても俺は食べるのが職業の人ではない。いやそれ以前に絶対人間の体内に入り切る量じゃないだろ!
三分の一ほど腹の中に押し込んだところで猛烈に吐き気を催してきた。
駄目だ、これは絶対に吐くわけにはいかない。窒息してでも飲み込まなければ……。
ギィっというスイングドアの軋む音と共に誰かが入ってきた。かと思うと俺の隣の席を引き、ドカリと腰を下ろす。
二本角の生えた鉄の兜からのぞく艶のある金色の髪の主はボニーだった。ふと彼女のいつもは優しそうな垂れ目が、今は眉毛と同じく吊り上がっていることに気付く。
「カッペー! 一人だけこんなに食べてずるいぞ!」
いや食わされてるんだよ! と喉まで出掛かったがどうにか堪える。
「おやおやボニーちゃん、フィアールカちゃんは一緒じゃないのかい?」
「フィアールカは先に酒場へ送って来たんだ」
そう言うとボニーは無言で机の上の料理を平らげ始めた。
がっしりとした手は料理を掴んでは口へ、掴んでは口へと一切止まることなく運んでいく。
あまりの食べっぷりに店内がざわつき始めた。
「本当にあの娘はよく食べるなあ」
「俺この前あいつが十人前を平らげるのを見たぞ」
「あれを嫁にしたら苦労するだろうよ」
どうやらボニーは有名人のようだ。
総隊長はというと、相変わらず笑顔で頬杖をついたままボニーの食べっぷりを眺めているだけだった。
この店に来てからずっとあの態勢だ。
「ご馳走様!」
ボニーが来てから五分足らずで目の前の料理の山が無くなってしまった。
「いやあボニーちゃんはよく食べるねえ」
狐塚総隊長は拍手をしながら言った。
「これくらいの量、朝飯前だ!」
「え? 朝ごはんの前にこんなに食べるのかい?」
「朝ごはんの前は晩ごはんだからな!」
堂々とボニーが言い切ったところで総隊長が豪快に笑い始めた。
総隊長はいつも張り付けたような笑顔を浮かべているが、多分これは素で笑っている気がする。
「はー、ボニーちゃんは面白いねえ」
笑い過ぎたのか目じりの涙を拭いている。
「それほどでもないさ!」
「ぐふっ。……僕はちょっと厠に行ってくるから待っててね。ボニーちゃんは先に酒場へ行ってても良いよ」
総隊長は席を立ち、厠の方へ歩いて行った。その総隊長の姿が見えなくなると同時にボニーが真剣な面持ちで俺の方を向く。
「カッペー。嫌なら嫌と言え」
「え?」
俺は最初ボニーが何のことを言っているのかよく分からなかった。ボニーは続ける。
「食べられないなら食べられないと言え」
「いや、別に食べられないわけじゃ、俺は、腹が減ってたんだよ」
ヘラヘラと笑いながら言ってみたが、さぞ俺の目は泳いでいた事だろう。
その俺の様子を見て、ボニーは眉間にしわを寄せて俺の両肩を掴んだ。
「吐きそうだったじゃないか! なんで食べられないものを無理矢理食べさせられないといけないんだ。お前はあの男の操り人形じゃないんだぞ」
俺は思わず真顔になってしまった。そしてバツが悪くなってボニーから目を逸らす。
「仕方ないだろ。誰だってお前みたいに奔放に生きられるわけじゃない。俺には俺の背負ってるものがあるんだよ」
そうだ。俺には忍びとして優秀で在り続ける義務があるのだ。猿渡の家のため、育ててくれた親のため、俺を慕う部下のためにも。
ボニーは俺の肩から手を下ろした。
「私はそうは思わない。それに、私はお前の苦しんでいる姿を見たくない」
ボニーは先ほどより幾分か落ち着いた声で言った。
そうか、ボニーは俺の事を心配して、ここまで様子を見に来てくれたのか。だから俺の代わりに料理を平らげてくれたんだ。口調は男みたいだけど、本当に優しい女だ。
ふとボニーの方を見ると、口から垂れるヨダレを拭きながら厠の方を見つめていた。
「いやぁ、しかしウインナーもパンも旨かったなあ。コヅカ、あと十本くらい奢ってくれないだろうか」
うん。気のせいだったわ。
つづく
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