十話 鉄壁のガンニバル
中庭に出ると辺りは既に闇で覆われていた。だが庭に並んだ灯りと、アヴァラス兵の持つ松明によって視界は明るい。
予想通り屋敷からは兵士の集団が追ってきているが、こっちは奴らが護衛していたフィアールカを抱えている。弓は撃ってこれないはずだ。
このまま中庭を突っ切って森の中に姿を隠せるかとも思ったが、俺たちは庭の中央付近で立ち往生することになった。
正面にアヴァラス兵の一団が待ち構えていたからだ。
一団の先頭には先ほど雪崩で捕まった時に見た初老の将兵が立っている。
眼尻や口元など、顔に深く刻まれた皺は数々の死線をくぐって来たことを伺わせる。
背中には体を覆うほどの大きな盾を、右手には鉄の槍を構えている。
……やはりこの将兵、どこかで見た気がする。
「お前達を通すわけには行かない」
将兵は低い声で威嚇する。
「その少女を引き渡せ。今引き渡せばお前達2人の命だけは助けてやろう」
「やだ怖ぁい」
フィアールカはこれ見よがしに俺の腕に抱き付いてくる。
この場からどうやって逃げるかを必死に考えている俺に感触を堪能している余裕は無かった。
「おっと、その小娘を人質に取ろうなんて思うな。賊に取られるくらいなら、最悪それは殺しても構わないとの命令だ」
ハッタリかもしれないが確かめている暇はない。既に後ろから迫っていたアヴァラス兵たちによって俺たちはぐるりと取り囲まれている。
ここは戦って突破するしかない。
「カッペー。後ろの雑魚は頼んだぞ」
俺が刀に手を掛けたところで今までにない冷静なボニーの声を聞いた。
ちょっと待て。
「雪国の鉄兵」の異名を持つ屈強なアヴァラス兵を雑魚扱い……?
「私の名前はボニート・マクナイト。とある騎士の娘とだけ言っておこう。そこを通らせてもらうぞ」
ボニーはモーニングスターを後ろに垂らすように持ったまま将兵に近づいていく。
「いい度胸だ、マクナイトとやら。では私も名乗らせてもらおう。我が名はオルゲルト・ガンニバル! アヴァラス帝国聖12騎士の一人なり!」
その名を聞いた瞬間、俺はその将兵の正体を思い出すのと同時に鳥肌が立つのを感じた。
ガンニバル……鉄壁のガンニバルか!?
世界中の戦史を調べていた時に、その男の名前を見たことがある。
ガンニバルとは三十年前の『コドン戦役』で、蛮族の侵略を少数の兵で退けたと言われる伝説的英雄の一人。まぎれもなく世界の反対側までその名を轟かせるほどの大戦士だった。
しかしどうしてそんな大物がこんなところに……?
「お前らはまだ手を出すなよ」
ガンニバルが指示を出すと周りの兵士たちもピタリと動きを止める。
「待てボニー! その男は危険だ!!」
俺の言葉など聞こえていないかのように
ボニーはガンニバルに向けて武器を構えたまま止まる。
まるで時が止まったかのように両者はピタリと止まったままだ。
静寂の中に
張り詰めた空気。
漂う両者の白い息。
満ちる殺気。
白い月明かり。
ボニーが動く。
その踏み込みは肉食獣のように獰猛だった。
凶悪な星球は空を切り裂きガンニバルの盾に襲いかかる。
瞬間、なんの比喩でも例えでもなく、白い火花が辺りに照った。
ひどく暴力的な金属音が辺りに反響する。
その一瞬を切り取っただけで、どれだけの衝撃であるかは容易に想像できた。
ボニーの一撃を受けたガンニバルの表情から余裕が消え去り、周りの兵士達からも動揺と驚きの声が上がる。
ボニーはまるで棒切れを振り回しているかのように、休むことなく巨大な武器をガンニバル目がけて叩きつけ続ける。
飛び散る火花はまるで真昼のように辺りを照らす。
一切容赦のないボニーの気迫は信じられないことだが、鉄壁のガンニバルを後退させ始めた。
ガンニバルにも衰えがあるだろう。
しかし戦記上の英雄を押し込めると女がいるなど俺は考えたこともなかった。
どうしてボニーがこの任務に選ばれたのか、理由を聞いても納得できなかったが今合点がいった。
ボニーは全てを覆す程の突破力と破壊力を備えた、屈強な戦士なのだ。
こうしてはいられない。
ボニーがガンニバルを抑えてくれているうちに次の一手だ。
俺は革袋から三号(直径約9センチ)の花火玉を取り出し、素早く火を付けた。
「仲間を呼ぶつもりだ! とらえろ!」
兵士たちに向かって叫ぶガンニバル。
もう遅えよ!
俺は渾身の力で花火を真上に放り投げる。
ややあって、けたたましい炸裂音と共に闇夜に赤く散りばめられた光の群れが滴った。
俺の方へ兵士たちが走り寄ってくる。
ここまできて捕まるわけにいくか!
俺は出来るだけ唾を散らしながら声を張った。
「動くなお前らぁ! それ以上近づいたら、さっき雪崩を起こした爆弾で自爆するぞコラぁ!」
俺は懐から赤い球体を取り出す。ボニーに渡し損ねた爆弾と同じものだ。
その場に静止するアヴァラス兵たちに、俺はさらに畳み掛ける。
「これはさっき屋敷の外で爆発させた爆弾だ! グラフの娘を誘拐して身代金を要求するつもりだったが顔が割れちゃ仕方ねえ! これでお前らもろとも道連れだ!」
もちろんこの爆弾に殺傷能力自体は皆無だが、ハッタリの効果は抜群だった。
互いに顔を見合わせどよめくアヴァラス兵たち。奴らは先ほどの轟音、そして雪崩はこの爆弾の「爆発力」によるものだと勘違いしている。今がチャンスだ。
「ハッタリだ! 早く捕らえろ!」
ボニーに押されながらもガンニバルが叫ぶ。奴にはバレているらしいが関係ない。
「どうかなあ! ここで試してみるか!?」
俺は導火線を指でなぞりながらやっぱり唾を散らす。
動揺するアヴァラス兵たち。
ここで更に俺が自爆しかねないくらい狂っていることを示さなければ。
「俺はイかれてるんだぜ!? 血に飢えてるんだ! 俺はお前らのもがき苦しむ姿を見るためならこの場で下半身をさらけ出すこともできるんだ!」
俺は白目を剥いてつばを散らしながら踊ってみた。
我ながら意味がわからない。
その時、どこからか馬のいななく声が聞こえた。
「来てくれたか……!」
俺は空に目を向ける。
最初、月夜に米粒ほどの大きさで空に浮かんでいたそれは徐々に近づいてくる。
やがてその姿を見せ始めたそれに対して俺は精いっぱい叫んだ。
「ゾリグ! こっちだ!」
そう。それは俺をこの国まで運んでくれた、天馬乗りのゾリグだった。
ゾリグは鬨の声を上げながら俺たちのいる場所に向かって降下してくる。
よく見ると天馬は馬車ではなくソリを引いていた。あれなら走りながら乗り込んで逃げられる。
気が利くじゃないか。
「ボニー!! 合図したら俺の方に向かって走れ!」
「分かった!!」
ボニーはガンニバルに星球を打ち込み続けながら声を発した。
ゾリグは庭を二分するように、屋敷の横(西)から迫ってくる。
いくら庭が広いといえど壁に囲まれたこの屋敷で、天馬が走りながら地上に降りられるのは一瞬だ。
ボニーとゾリグが作り出してくれたその一瞬を、絶対に逃すわけにはいかない。
その重圧が俺の集中力を高めた。
天馬が屋敷の西壁を通過する。
「今だ! ボニーついて来い!!」
俺はフィアールカを抱きかかえ、一見ゾリグから逃げるような形で東に向けて走り出した。
休むことなく星球を叩きつけていたボニーは身を翻して俺を追う。
「やはり逃げる気だ! 早く捕らえろ!」
ガンニバルの叫び声は怒声を帯びている。ガンニバルは追ってくるが、装備が重いのか俺たちからはどんどん引き離されていく。
ガンニバルにけしかけられて走り寄ってくるアヴァラス兵たち。
それを俺たちから遮るように滑空してくるゾリグと天馬。
天馬が地上に降りた一瞬、俺たちは天馬と並走していた。
「今だ乗れ!」
ゾリグの叫びを合図に、フィアールカを抱えた俺とボニーはソリに飛び乗る。
天馬の走る速度が大幅に落ちるが、天馬乗りの声は冷静だった。
「一気に上昇する! しっかり掴まっていろ!」
ゾリグは手綱を巧みに操り体勢を立て直す。
俺はフィアールカをしっかり右手に抱え、左手でがっしりソリを掴む。
次の瞬間、姿勢を動かせないほどの重力が俺たちを襲う。
俺は一層フィアールカを強く抱えた。
フィアールカも俺の腰に手をまわして強く力を込めている。
しばらくその状態が続いていたが、やがて重力が和らいだ。
どうやら地面と平行に飛びはじめたらしい。
ごうごうと冷気が吹き付けてくる中、ソリから顔を出して下を覗いてみると、既に屋敷は光の点でしか認識できないほど遠のいていた。
――よかった……。
俺は全身から力が抜けるのを感じてへたり込んだ。
どうにか、どうにか全員で無事逃げ切れた。
「やったなカッペー!!」
ボニーは俺を見て満面の笑みだ。
その屈託のない笑顔の少女が、先ほどまで鉄壁のガンニバルを押し込んでいたと言ったら信じる者はいるだろうか。
俺は力なく微笑み返した。
「ねえ、寒いわサルワタリ。私を温めて!」
突然抱きついてくるフィアールカに視界を遮られる。
「ま、待って下さいフィアールカ様! 今上着をお貸しいたしますから!」
空の上で下手に動けない俺の手は、戸惑いながら不審な動きをする。
「あっ! ずるいぞカッペー! 私には上着を貸してくれなかったじゃないか!」
「お前には上着買ってやっただろ! っていうか後で絶対金返せよ!」
ふくれるボニーは一転、明るい表情に変わる。
「そうだカッペー! フィアールカに上着を貸したらお前が寒いだろう! 代わりに私が温めてやるぞ!」
ボニーはフィアールカの上からさらに覆いかぶさってくる。
「うわっ! 重い! 重い! 潰れる!」
「重いらしいぞフィアールカ!」
「重いのは貴女よ、ボニー」
3人がジタバタ動くことで不安定にソリが揺れる。
「息苦しい! 窒息する!」
そうしてゾリグから
「危ないからじっとしていろ!」
とキレられるまで、俺たちは無邪気にはしゃいでいるのだった。
お読みいただきありがとうございました!