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(第二部)六十五章 非現実的なほどに-解説

(第二部)六十五章 非現実的なほどに-解説


 前章の内容を解説しなければごく一部の研究者以外、何のことやら判らないファンタジーな体験はなしとなってしまう可能性が高いので簡単ですが解説します。


<自分の時間と、他者や自分以外の時間が切り離され、時間進度の違いのまま自分が動くことのできる特殊な状態>


 この体験を自分である程度納得できるまでに約10年かかり、武術的な再現は未だ難しいですが、神主として深い祈りの技を行うときに同じような状態になることがあります。

 同じような体験をしていると認識するまでに些かの時間を要することがありましたが、それは祈りの世界は物理的に動きの少ない世界であり、祈りと御神霊に集中していてその他に注意力を割かないために、比較的昔から頻度が高まってきていたのですが、集中力が高まって心身が統一したのだろうという程度の認識だったからです。


 神主の特殊な鍛錬(私のところでは修法(しゅうほう)と呼んでいます)は毎日数回行っているので、なんとなくできるようになったのでしょう。

 その感覚や調べたことを中心に書いてゆき解説とさせていただきます。


 類似の技術があったのか?ですが、あったようだという事ができます。

 ただし<自分の時間と、他者や自分以外の時間が切り離され、時間進度の違いのまま自分が動くことのできる特殊な状態>は他者と感覚共有することが普通には不可能で、できるとするならば同じ感覚や境地に到達したものでなければ何が起こっているのかもわかないと思われます。

 ですのでそういう類いの伝書の下手な解説を読むと、剣ではなくて心の作用と解説してあるなどして本義を押さえているとは思えないのが多いです。

 

 比較的に有名な剣術流派を例に挙げておきます。

 江戸時代初期の兵法家で無住心剣流剣術の開祖「針ヶ谷 夕雲」が<自分の時間と、他者や自分以外の時間が切り離され、時間進度の違いのまま自分が動くことのできる特殊な状態>を自在に操り剣術の奥伝となしたのではないかと思います。

 ※実際にあったことがないので伝書や言い伝えなどからの、あくまで予想という事としておきます。


 針ヶ谷夕雲は、兵法を離れて勝理は明らかに人性天理の自然に安坐するところに存する、といっていますが、この異時操作技を操るには多大な心の作用が必要だと自分の体験からもいう事ができます。

 もし剣術に応用して達人技として昇華するには、幾つかの問題を乗り越えてゆかねばならないと思います。

 もちろん私は剣術の本職ではないので、時間操作の秘伝に対する発動条件などの考察としでも受け取っていただければと思います。


 まず基本的なことから言えば、日頃の精神状態や思考が無駄に闘争的でないことが大事です。

 無駄な闘争本能は、心の作用を高速回転させ思考や視野をも狭めることがあります。

 心の作用を高速回転させれば、心や思考を行うための特別な気力を大幅に減退させることにつながり、時間作用に働きかけるに必要なエネルギーをためることができません。

 主としては必要エネルギーという事ですが、もちろんそれだけではなく様々な事象感知の感覚の鋭さを習得するには、無駄な闘争本能は邪魔なだけということもあげることができると思います。

 

 次に、答えがどこかにあると考えている内には、思考がそこに留まってありのままに観察することができにくいので、そういう類いの焦燥感を見つめてゆくことが大事になります。

 闘争心や焦燥感と対峙してゆくにはある程度の思考力や洞察力そしてある程度の知識が必要になります。

 ある程度の知識がなければ、感知したことや合点のいったことに言葉を合わせることができないので、感覚安定しません。

 感覚安定しなければせっかくの体験も忘れてしまうこととなります。


 次に、弱くなることを受け入れることといえば、些か言いすぎかもしれませんが、強弱にこだわる自分を見極める必要があると思います。

 たとえばどんなに技を磨いていったからといって、それが使える巡り合わせに出会えるとは限りませんし、不確定要素のせめぎ合いの中で臨機応変に対応できることの方がよほどに現実に即しているといえます。

 もちろん技を磨くことは本当に大事なことです。

 しかしその技を消したうえで、業を駆使する段階までに進むことが大事なのではないかと思います。

 表面的なこだわりよりも、根幹的な部分へのこだわりを持つことが大事かと愚考します。



 さて次に時間とは何かと考察してみなければならないと思います。

 さらには命とはなにかとも考えてゆく必要もあるのではないかと思います。


 時間は実は一定でない場合があるかもしれません。

 人によって感じ方が違ったり、年齢を重ねてゆくと時間の感覚も変わると言います。

 時間が一定ですべての人や物がそれに逆らえないという概念があれば、これすでに可能性がないものと考えてしまっているといっても過言ではないでしょう。

 人や物それぞれが一つの宇宙であり、それが地球という場所、この宇宙の中で幾重にも重なって干渉し合いながら同時に存在するそういう世界を体験していると考えれば様々な可能性が広がってきませんか?。

 私も感じることなのですが、たくさんの命の中に存在することを歓迎されていると。


 このあたりは考察してみると面白いかもしれません。


 命って何でしょう?。

 生命活動を停止したら死ぬというような事を考察したいわけではなくて、少し別のことを論じようとしています。

 

 たとえば「今この場所に存在する力の作用」であり「時間という流れを持つ」ということであり、「個体としての形を維持する作用」、そして「他の命に働きかける可能性を持つ作用」と考えることはできませんか?。

 

つまり時間とは命と切っても切り離せないものであると。



 もし武術で応用するとしたならばという意味で書くけれども「怖さを意識の埒外に置く」必要があるのではないだろうか。

 命や時間に働きかける念力に、心の揺れが混じっては恐らく上手く作用しなくなるのではないかと思います。

 このあたりは古伝書などに心得が書いてあるので、それを参考に自分を磨いてゆくことが大事なのではないかと思います。

 ただ問題は論理や思考にとらわれると別の世界である思考の海に落ちてしまうので注意が必要です。



 扱う土俵が土俵だけに、命の強さや命数そして運命の制限を受けることがあります。

 恐らくですが物理的要素より神霊的・心霊的な要素に近いと思われます。


 私の依頼された解呪の実施体験を通して述べさせていただきますと、ご本人の運勢が極端にない場合や、何らかの神罰を受けている場合、また多くの恨みを買っていそうな人の場合は、かなりの難しさを感じることが多々ありますし、なおも悪い場合はできないこともあります。

 これから類推するに加持祈祷の合戦になったときにも、呪いを封じたり回避したりする秘伝はあるにしても、程度によりますが運命的な要素が絡んでくるのではないかと思います。

 武術にしろ呪術にしろ勝負事ですから、命運や様々な要素、一瞬の気の緩みが明暗を分けることでしょう。

 機よりも兆しを感じ、応変してゆくことが通常の方法では大事です。


 さらにいえば根源意識により深く潜ることで異時操作技も深くなると感じます。

 深く潜るには勝敗も命の長短も、その他の心の動きもいったん置いて神々と自分の命運を信じること・・・いや、信じるという事すら邪魔になってくる深さがあるのではないかと思いますが、そういう深さが必要な事象もあるのではないかと思います。

 たぶんこのあたりになってくると何のことやら判らない場合があるのではないかと思いますがご寛恕くださりませ。


 どうやって体得するのかと聞かれそうなので簡単に書いておきますと、できる人とできない人がいるのがはっきり別れる類いのものと考えていただければと思いますが、それを前提にしてください。

 はっきりとした明確な会得手段はありません。

 それでも挑戦し続ける事のできる人格を有しているのが大事で、小さな変化に気づくことができるが、比較的おおらかな性格が必要かと思います。

 そのうえで日常と切り離した時間を持つこと、例えば神々に向かう時間を持つこととか自己を見つける時間とかそういう内面的・精神的な方面に労力を費やすこと。

 意識を集中させる鍛錬や、感覚で感じ取る練習など。

 

 まだほかにもありますがかけないことが多々ありますので失礼しますが、上記それらを丹念に行っていって、答えや成果に興味が薄れていった頃に何か進展があるかもしれません。


 そういう確証も保証も何もない世界の末に、神々と人の接点とするところに何かあると信じて淡々と歩み続けるこの姿勢が一番のコツかとおもいます。



 最後に異時操作技をある程度の回数を体験すると、それを操れる人物が判ることがあります。

 自分が会ったことがあるのは、修行の末に会得した人ではなく、天然でそれができてしまう人で、質問してみたら「喧嘩の時、そういう話相手が止まって見えることが多い」と。

 なんとなくだが空間に働きかける作用のような物をその人物から感じたが、判るときはわかるものだと思った。

次話投稿は6月6日17時の予定ですが、最近多忙な場合が多く投稿が遅れる可能性がありますので、楽しみに待っていただければ幸いです。

かならず話は続いてゆきますので・・・。

よろしくお願いします。

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