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(第二部)四十七章 補足説明「1」呼吸法についての考察

四十六章の補足説明およびその周辺の考察回です。


(第二部)四十七章 補足説明「1」呼吸法についての考察


 呼吸法のやり方自体は四十六章で和源法を紹介したが、実践していく上で勘違いや混同する部分などを補足説明したい。

 注意していただきたいのは他流派やその道の大家の先生達とは違う部分が必ずあるという事で、どちらが正しいとかそれを論じないようにしていただきたいという事。

 あくまで和源にて用いている方法とご記憶いただきたい。


 呼吸法の実践上初期で良く起こる勘違い。

 その道の本を読んでいてなるほどと思いながら、これは勘違いが起こるのではないかという部分。

 呼吸法を行う上で自分の気に入った楽な姿勢で行ってよく、椅子に座っても良く、仰向けに寝転んで行っても良いという内容の記述がある場合。

 たしかに一理ある。

 呼吸の仕方を体になじませて、あまり意識しなくてもある程度自然に呼吸法の手順が間違わないように行える段階までは、この方法で良いのではないか。

 しかしその段階を過ぎて仰向けに寝転んでや、布団の中で行うべきでは無いと思う。

 呼吸の手順が体に身についてきたら次の段階の意識との並列処理を追加することになる。

 この段階以降は「正座」や「安座」または「神道行法安座(正しい名称がある)」などをとりながら行う事をおすすめする。

 なぜならば楽な姿勢にしすぎると、呼吸法のつもりが安眠に突入してゆく場合が多い。

 これは呼吸法を「たんなる呼吸の仕方だ」という狭義的な勘違いをしているために起こる間違いで次に説明する意味を内包しているから。


 和源(かずみな)には呼吸法という行法自体は無い、もしくは無かった。

 もちろん呼吸法という単語や幾つかの流派の方法は理解している。

 和源では、呼吸法は「天津御手振」もしくは「真柱の御息」または「一霊四魂観相行」などに付随する方法で、呼吸法と瞑想法と動作作法が一致統合した方法を実践している。

 少なくとも呼吸法は、俗にいう瞑想法と直結しているのであって、呼吸の手順だけを呼吸法というならそれは健康体操の一部と言って差し支えないと思う。

 もっとも健康増進を目指す人は、呼吸を深く整えつつ睡眠に入るのも良いと思われるので、目指す方向性によって行っていただければと思う。


 次に真柱の御息をはじめて呼吸法や瞑想を行うのかを意識的な基盤部分の考察を簡単にしたいと思う。

 人間の能力は使われていない部分も多いが、かといって限界もあるのは必然。

 限界値ギリギリまで能力を使用すると身体や精神構造に歪みを生じ負担がかかりすぎる。

 そこで生存本能自体が使用能力を押さえているわけだが、その押さえられている範囲でもめいいっぱい使用しているとは言いがたい。

 人は無意識下においても生命維持の信号を発しているわけで、色々なことを考えまた雑念などがあればその体内信号数は増大し、人の脳や体の処理数の多くは空きが少ないという事になる。

 つまり未来をイメージしようにも、空いている処理能力が少ないので、洞察力や想像力に振ることの出来る処理係数は少ないという事になる。

 人は社会生活によって知らないうちに雑念を行う事が当たり前になっていて習慣化してしまっていると観察することが出来る。

 つまり体内や雑念思考から発される信号数は、自己の最大処理数近くになっていることがあり、その余裕が無い処理数で未来をイメージしたぐり寄せようとしてもお粗末な想像力しか働かない場合があるのではないか。

 そういった悪習慣を行法によって顧みて省いてゆくことが良いのではないかとおもう。

 それらの行法は、内観法や内視法が付随する。


 ※内観法とは自己の感情や思考方法を観察し最適化していく手法。

 ※内視法とは体内に意識を向けて、体内の感触や違和感を感知してゆく方法で、それは気を巡らせたり体内で気を感じたりするための意識使用法の一つを表す。

 ※内観法や内視法の内容は昔からあるが、それを分類整理しやすくしたのは最近のことであるとおことわりしておく。


 つまり雑念などによる無駄な体内信号を減少させ、意識的に使用可能な処理数増大を目指すという最適化を行う事が本来の目的であり、さらにこれらの行法の奥に祭祀者として神仙の道としての行法がある。


「気と和漢方の因果関係の考察」

 気と各種薬草は関係はあるものの、処方してもらったり調合した薬草を用いることで直接「気」の増大と思っていらっしゃる方が多いのでは無いかと思う。

 または元気系ドリンクや生薬配合ドリンクなどを飲めば体内の気が直結的な因果関係で増大すると考えておられるのでは無いかと聞こえてくる。

 たしかに強い生薬配合のドリンクを服用した場合、体が急に熱く精力が増したような気分を感じることがある。

 しかし内観法や内視法を用いて観察してみれば、とくに気が強くなっているわけでは無いとみることが出来た。

 つまり一種の短期的な興奮作用が含まれていると体験し、一時的なものであるとおもう。

 一時的なものを永続的な付与と勘違いしない方が良い。


 薬草はあくまでも臓器の作用を助け、不活性な体内を助ける作用がある。

 その不活性な臓器や体内を整えることによって、体内の生命活動によって発生する気が増大することは十分にある。

 体内の各種臓器やそれを統合した「命」というものより体内の気は生じている。

 体内の気を増大安定するには、養生法的な考え方が必要という事になる。

 

「気の作用の一つ」

 武道などを嗜んでおられる方は理解が早いと思うのだが、組み手などで相手が打ってくるまたは狙っている箇所が何となく感じることがある、という体験を持つ方がいらっしゃるのではないだろうか。

 こういった事例をつぶさに観察することによって「意識」と「気」と「肉体」の関係を見ることが出来る。


 これを分解して観察すると狙うまたは打とうとする意思が発生し、気を伸ばして相手の体に付着し、気を伸ばした道筋を通って拳が進んでゆく。


 作用の一つとして肉体が動く前、意識的であれ無意識であれ動くという意思を元として肉体の先に「気の体または部分」が動く範囲に展開し、肉体が動作する。

 意識・気・肉体の密接不可分な関係があるといえるのではないか。


 気を用いた気功療法という分野があるが、この一つの仮説を応用手しみた場合、必要を満たしていない肉体の部分に気を補給し、肉体の先導展開する性質の気を必要分展開させることによって、不活性な臓器や部分を一時的な稼働状態に転じてやることによって、回復の蘇生力の橋頭堡を確保することの意味が大きいのではないか。


 また気を照射し補給をなすと同時に意識をかけ、気と肉体物理部分の関係の意味で、不活性で悪い習慣がついている部分や臓器に必要な動作範囲を補助してやることによって、正常な動作を思い出させてやるという意味もあるのではないだろうか。


 もちろんこれらは一面的な見方でしかないので、見方をすれば違った解釈が生まれることは想像に難くない。

 それゆえに呼吸法や瞑想また気という分野において修練してゆくことを志す人たちの一助となれば幸いだ。

次話投稿は12日か19日の17時の予定です。

よろしくお願いします。

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