三章 ある土曜日の午後のこと
三章 ある土曜日の午後のこと
ある土曜日の午後のこと。
いつも難しい顔をしている祖母が、いつにもまして難しい顔をしている。
そんな日はたいていしょうもない用事を言いつけられるか、一日拘束されるような言いつけが待っているかのどちらかだ。
上手に外に出る手段を考えなければならない。
こういう日は外に遊びに行ったらできるだけ戻ってきたくないような、戻ったらろくでもないことになりそうな予感がひしひしとしていた。
たとえそれが外が凍えるほどの寒さであっても躊躇しないほどだ。
外に出る算段を済ませるコソコソと。
外に出る勢いをつける。
「そんなところにたっておらんとこっちへ来なさい。」
と祖母はこちらの挙動をその先を読んで待ち構え、さらに振り切って出て行ったらどうなるか判っているんだろうね?とそういう念波と雰囲気を黒く漂わせていた。
はっきりいって子供心に怖い。
祖母はしまい込んでいる長い箸一組と茶碗二つを持ってくるように私へへいいつけ、調理のできるストーブのそばへと戻っていった。
祖母は薩摩芋を細切にしたものを油鍋のかけれるストーブで揚げている最中だ。
その脇へ座らされ、茶碗を二つ並べて祖母はその片方に丸大豆を30~40粒程度を入れた。
祖母はおもむろに私の持ってきた箸を取って、大豆を箸でつまみ空の茶碗のほうへ移していった。
見る見るうちに大豆はもう一方の茶碗へと移って行った。
それは鮮やかなものであった。
今にして思えば流れるかのようなとどめない動作であったと思う。
すべて移し終わると私に箸を渡して同じ事をやるようにいうのであった。
鮮やかな姿を見せられるとそれを真似したくなるのが子供心というもの。
長い箸先に集中して大豆をつかもうとするが、長い端と子供の手の相性は非常に悪くうまくいかない。
なんども箸先から逃げてゆく大豆。
いらつく感情。
投げ出したくなる幼児心。
さあもうダメだ逃げだそうとするその頃になると、
「背筋を伸ばして行え」やら「箸先でつかめ」などとなど、
揚げ足をとることにかけては祖母は天才かと思うこともある。
それにいちいちうるさい。
大豆と箸の作法練習は足がしびれてもその後も続いてゆく。
芋の揚げ物がすっかりできても続いてゆく。
もうふらふらです。
そうこうしているとやっと怒ったように「もういい休んでいなさい」と言い渡される。
しぶしぶ自室で休むことになるのだが、足がしびれてしばらく動くことはできない。
そういうときにかけられるのが「男の子なのにしっかりしなさい」という言葉だ。
回想がてらに思い出してみると祖母に褒められたことの記憶がない。
褒められてはないが作法を教えることが祖母の愛情だったのだろうかとも思う。
できることなら箸先一寸だけを使って食事するようにとも言われたが、未だ到達していない。とおもう。
次話投稿は2月28日水曜日予定です。
よろしくお願いいたします。