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三十三章 科学的に考える

三十三章 科学的に考える


「科学的に考えるのが大事。」

 とある学年のときの教師の口癖だった。

 時折白いしなりのある細い棒を持つことがあった。

 前の学年のときに荒れていた同級生も暴れはするが、その先生のおかげですぐに鎮圧することが出来、さらには表面的だがおとなしくなっていったので良い面も多い。

 日頃の授業のときその多くは些か緊張感がある場合が多かった。

 態度が悪い児童は言葉と共にしつけを正されるからだ。

 同級生は悪し様に言うことが多かったが、私の場合は特に割る問思うことは少なく、かえって筋の通った教師だと思った。

 多少怖いと思ったことがあるにはあったが。。。


「科学的に考える。」が口癖だったがたんにこの言葉だけが一人歩きしていたわけではなく、ある程度の方法論があって、それを教わることがあった。

 さらにいえばいつの間にか国語や算数の時間が「科学的に考える。」という授業に変るという不思議な先生だ。

 授業を進めてほしい殊勝な同級生はかなりのブーイングだったし、その親からのクレームもあったようだが、その先生はそういったものを意にかえさずいつも自分のペースで「科学的に考える。」という授業を進めていた。

 その「科学的に考える。」という授業だが二~三枚のプリントがあるだけで後は先生の思いつくままに進められることが多かった。


 その内容の柱の一つは、計画立案をしてゆくのに適している思考順序の展開が重点だった。

 目的を立てて事例を集め、仮説を立てて、仮の計画立案をし、もしということを考えて弱点を洗い出してゆく。

 そういった思考の繰り返しをして精度を上げていくというもの。

 目的を遂行する手順を考え、遂行中に出てくる問題点を挙げることもあるだろうし、問題点を挙げていけば目的としたところ自体が困難ということが見えてくるかも知れない。

 そうなってくると当初立てていた目標や目的自体が一つの案程度にして、新たに練り直してゆくこと等など、一つ一つの授業での話は覚えていないが後々記憶をたどってまとめていくとこのような話であったと思う。

 授業での話は事例を挙げての話が多かったので、児童には意味のわからない話であったと思うが、私はこういう話が好ましく思い判らないながらもとにかく聞くという姿勢を取った。

 同級生は「あのセンコウの話はさっぱり理解できんわぁ~はよう教師を辞めりゃあええのに。」

と、いっていたが、後々に役に立ちそうな話をしてくれる人は居るものでは無い、と私は心の中でそのように思いながら同級生には曖昧な返事をしていた。


 今から考えれば直感のような確信であったのでもちろん説明することなど出来るものでは無かった。

が、同級生たちは「科学的に考える」授業のあとには必ず幾つかのグルーブで授業の悪口を言っていて、私の席の近くでそういう愚痴会があるときには時折話を振られることがあった。

「今日の話は意味がわからんかったけど、あの話はわかったか?。」

等と聞いてきたときには、

「全部は判らないけれども、勢いだけで物事を進めると初めは良いけれど後でうまく以下なるっていう話でないかな?」と真面目に答えることもあったが、「大人になったらわかる話なんじゃないかな?」と大抵は答えていたが、まぁ同級生たちにとっては面白くない答えだったのだろう、いい顔をしないのはまぁお約束だろう。


 今から考えればとてもありがたい話ばかりだったし、理解できる話なのだが、果たしてこういう種類の話を必要とする人はどのくらいの割合でいたのかは疑問だ。

 何しろ自分で考えるということを習慣づけるという部分が大きいので、定型処理の仕事に就いた同級生たちには、全く意味のない授業となったのではあるまいか?。

 考えているようで考えていないことが多いと感じるのは多々ある。

 たとえば損得勘定はある程度は誰でも出来るし、自然としていることだが、短期的なものや体験で判る程度のことは範疇としてあるだろうが、それを超えて予想してゆくことや想定してゆくことになると途端に出来ることが少なくなる場合がある。

 また計画には自分勝手な計画となっている場合があって、そこに関わる人や取引先の心理まで洞察したり考慮したりという計画幅がない場合が多い。

 いろいろな目標を進めてゆくのにどうしても人の力を必要とすることがあるし、協力してもらわなければならないことが多い。

 多いというよりもそれが核心部分になる場合があるし、損得だけで動かない人も居れば、状況によって賛同してくれない場合もあるだろう。


 そういう局面に立ったとき思考するという習慣づけをしていると、話が通ることもあって「ああ、多面的に考える」のが良かったかなと感じるときもある。


 神主といってもある程度話を聞かないとお祓いの要点も判らないし、どういうお祈りをするのか見当が付かない場合が多い。

 また多面的に考えたり可能性を考えたりするような、あの先生曰く「科学的に考える」という思考のワンクッションを置かないと、すべてが霊感だよりになってしまうし、霊のせいだとの話ばかりとなりかねない。


 私の所に来る人の中には、町中を歩いてストレスを感じる人が多い。

 そういう感受性の高い人は、霊のために重く感じることもあるだろう。

 お祓いや継続してのお祓いなどの自己修練は大切なのでおすすめすることがあるが、それとともに体調も整えていただけれる様におすすめすることがある。

 不思議な顔をしてこういう種類の話を聞かれる方があるが、おそらく霊の話ばかりすると勘違いしてお越しになられたのではないだろうか?。

 状況改善を進めてゆくのに多面的に進める方が合理的だと思うのだが。


 科学的に考えるという話を聞いたのが手始めとなり、祖父から兵学書を渡される後年の読書中に、なぜかもう一度なぞっていると感じることがあったのは、このときに聞いたことが土台となっていたのではあるまいか。

 

 わからない話もとりあえず聞いておくという忍耐力が後々に役立つこともあるようだ。

次話投稿は8月4日の17時の予定でしたが、多忙と電子筆が進まず予定通りに進んでおりません。

ですので8月11日の17時の予定とさせていただければと思います。

調子が戻れば早めに投稿したいと思います。

よろしくお願いします。


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