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三十章 神無月をそろそろこえて

三十章 神無月をそろそろこえて


 神無月をそろそろこえて霜月の初め頃だったか、夜ともなれば御幣作りの日々となることもあった。

 祖父が近隣の神社総代も引き受けていたためで、御幣作りの役も時折巡ってきたということだ。

 御幣を作るのは男がするべき事であると古くはいっており(現在ではこのような考え方はなく女性も同じく関わってもらっています)、祖父もその伝統を受け継いでおり、それゆえに手伝いは祖母ではなく私に回ってくるということとなる。


 時折一服を入れる。

 お茶をおたあさんや祖母(ほとんど祖母はすることはなかった)が、用意しておいてくれた薬缶の番茶を湯飲みにそそぐ。

 この時期はお茶は番茶の自家製で、お茶の葉を刈り入れて焙烙(だったか)で軽く湯通しして茣蓙等の上に薄く広げ並べて乾燥させたように思う。

 番茶作りははっきりした記憶がないので間違いはご容赦願いたい。


 そうこうしてくるうちに少し眠気も襲ってくるが、こういうときこそ大抵神事関係のお稽古や教授があるので、眠気を振り払う努力をする。

村内の総代役の御幣作りを一旦手を止めるように話が来る。

「こういうときだから我が家の御幣のあり方を教える、半紙を一枚御幣作りの板に置きなさい。」

「はい。」と返事をして半紙を取り置く。こういうときには言葉を正しく返事した方が身にはいることがあるので返事くらいはちゃんとした方が良いと思っている。

「おお、おお~半紙の初めの置き方が違うぞ。」

「ではこうですか?。」

「そうじゃ、その置き方からはじめるのが正しい。そしてこれには歌がついておる。」

 というと簡単な説明が始まった。

 正しい歌には言霊を振るわせて魔を祓う力があり、口で歌うも心で歌うも同じ力を持つことがあり、とくに高い位の神々を祭るとき、墨のように汚れがはいることを嫌う。

 それゆえに御幣を制作するその折々に幾つかある歌を歌って紙料を折ってゆく。

「日月あり 白き紙 大地にとりて 御中折り 左に回し 天地と 地を天に嫁がせて 神の坐します 宿り串」


 用途によって紙質は変わるので半紙ばかりではない。

 現在でも門外不出としている御幣の制作には、御幣劔をするときの特別な歌もさらに付随する。

 また言霊を振るわせるための鍛錬方法もあるが、それはここでは割愛することとする。


 この我が家の御幣教授の一年ほど前から時折、竹串をを削っておくようにといい渡されることが度々あった。

 一年前から神社総代の御幣作りの役を引き受けており、その頃から我が家の御幣についても考えていたのではなかろうか。

 なぜなら竹串や竹とんぼなどを削り作るのが、御幣を裁ってゆくのに必要な基礎練習だったからだ。

 特に刃先と呼吸が一致しなければ、手狂いが生じ、手狂いに穢れがはいるといわれており、自分も実感としてそう感じる。

 神道のこういう部分を大切にする感性は、ものの本で読んで理解はできても感知できるものでは無いし、体感があって始めて成立するそういう部分を根幹として成り立っている。

 形の伝承の中で、形のみ認識してしまえばそれは形骸といわねばならないかも知れないし、かたちの中にそれを完成するための要素や、一致する様々なことをひとまとめに感じ取りそれを統合として伝承というかたちにしてしまえることが大事ではないかと思う。

 

 これは私見だが多くの霊能の方は感覚に頼り切っているのではないだろうか?。

 この感覚というのがくせ者で、性格や嗜好上の問題などが主となっていてあまりにも霊能者の方の経験のみに頼っていると見えるし、一定した帰着するべき感受性を持たないのではないかと感じてしまうことが多々ある。

 もちろんそういう部分を否定するつもりはさらさらないが、そればかりに重点を置いてしまっていては迷道となってしまう。

 こういう世界の問題はどれも正しくどれも間違いのように見えてしまうので注意が必要だと思う。


 地方の神道者としていえることは、続いてきた形をより深く正確に再現しつつ受け継ごうとして、長年の鍛錬があれば下手な悪霊や邪気を見抜く力が自然と備わってくる。

 そういう自然に培われた感覚が、どんなに悪霊や悪魔が霊界において、また祈祷中に邪な考えを起こさせようと惑わしてきても、十二分に嗅ぎ分けて分別できる力を与えてくれる。

 すごく地味で地道な事ばかりの神道の世界だが、こういうことを次世代に伝えていきたいと思うしそういう意欲もあるのだが、何分田舎の神主さんだけに私を訪ねてきてくれる人が殆ど居ないのはさみしい限りだ。

 華々しくわかりやすいものに人は目が行きやすいゆえの事だと思う。


 上に上げてきたように頃に最初の我が家の御幣の事について習うこととなった。

 が、復習する機会に恵まれずほとんど忘れていたという方に近かったが、再勉強の機会を持つことができたのは、祖父が亡くなる七ヶ月前のことだった。

 祖父は怪我亡くなったので、幽世に旅立つ数日前まで元気だったのが幸いだ。

 そうでなかったらかなり多くのことを再確認することなく失われたままとなってしまっただろう。

 これも天運と思って感謝している。



次話投稿は14日17時の予定です。

よろしくお願いします。

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