二十九章 ちょっとこちらへ来なさい
二十九章 ちょっとこちらへ来なさい
「ちょっとこちらへ来なさい。で、ここに座りなさい。」
こういう言い方をするときの祖母の用事は長くなることが多い上に、面倒事が多いと相場が決まっている。嫌々ながらもいうことを聞いておかねば、かなり長い間意味の少ないお小言を言い続けられる羽目になる。
さすがに祖母の長期間お小言は精神に堪える。
はいと返事をしつつちょこんと座る。
祖母は廊下のよく日の当たるところに小机を用意して待っていた。
珍しいこともあるものだと思いながら祖母の次の言葉を待つ。
なにやら脇に置いておいたものから選び出して、一枚の折り紙を小机の上に置いた。
「折ってみなさい。」
「??」
「何でもええから折ってみなさい。」
折り紙をするために呼ばれたにしては変な雰囲気だな、と思いつつとりあえず兜を折ってみる。
最近二つばかり折ったので難しくも無くおりあげた。
その折り様をみて祖母は一つ頷くと、「では鶴を折ってみなさい。」という。
置物にしかならない鶴を折ること自体を考えたことは無く、さすがに折ることはできない。
理由や気持ちをいうと、言い返しがすごいので単純に折り方を知りませんと返すと、折り紙の袋の裏に鶴の折り方の解説が載っているのを机におかれた。
言葉は無いが多分これを見て鶴を折れということだろう。
たどたどしく鶴を折ってゆく。
おりあげたと思ったらもう一羽折れという。
おりあげた兜と鶴二羽を交互に手に取って祖母は眺める。
この沈黙が何もといえない時間に感じる。
「折るのに次を考えずに折っておるから返りが出ておるんじゃ、折り返しの部分に少し余裕を持たせて折りあげるがええ。そこを考えてもう一度鶴を折れ。」
といいつつもう一枚、折り紙を取り出して前に置いた。
おそらく折り上げの時にきっちり折り目まで、折りあげてはならないという意味だろうと思って手心を加えて折っていった。
頃合いが判らず手心を加えすぎたようだ。
でもう一枚ということになる。
この次で何とか合格ということになるのだが、監督されながら作業するというのはかなりの気力を使うもので、すでに疲れを自覚できるようになっていた。
「昔は熨斗や水引は自分で折って結んで贈答品を包んだものじゃ。それが当たり前じゃったが近頃ではお店に行けば買うことができる。が、ちゃんとした相手には自分で折って結んだものを贈るのが礼儀だと思うておるのじゃ。」
納得する部分がありなるほどと思い、祖母の言葉でこの度ほど納得できた話は初めてで祖母もこのようなことを言うのかと感心した。
「なるほど、自分で折るものなんですね。」
しかし出す言葉は平坦にする、下手に褒め言葉をいって妙な受け止められ方をしたら、またまた当分間お小言の嵐が吹き荒れる。
「そうじゃ本来はそうするものじゃ。で、今日は熨斗折りを教える。」
先ほどの感心した言葉に平坦な言葉で返すことができたのも、熨斗という言葉は度々聞いていたがどうもピンときておらず曖昧な部分が多くあって平坦に返すことができたという案配でもある。
「熨斗を折る紙の大きさには決まりもあるが、包むものの大きさによっても変えなければならんのじゃからそこは臨機応変にすることじゃ。」
「なるほど。」
確かに包むものが変われば紙の大きさも変えないといけないよなぁ、と思いつつの返事。
「紙の大きさも大事じゃが、紙の質がさらに大事じゃ。が、今日は練習じゃから半紙を使うがええ。本当をいえば新聞紙を使こうて大きさを切り出すところからするのが良を覚えられるのじゃが初めてじゃしの。」
と言い終わったと思ったら半紙を一枚取り出してさらさらと折りあげてゆく。
日頃の不器用な祖母がどこに行ったのかという風だ。
「熨斗折りは単なる折り紙と思うてはならんのじゃ。折り、包み、たたみに心を乗せて特別な祝いの言葉を心で唱えながらおるのが伝わっておる。」
なんと熨斗折りにも口伝があったのかと驚いた。
が、伝授はまだまだ先のようだ。
一つ見本を折り上げたものを私の前に置いて、開きながら折り方を見て、自分で折れという。
祖母は手に取って教えてくれるということがとても少なく、完成品を見れば判るだろうという考え方であったため、祖母の熨斗折りを何度も途中まで開いては折り進めるという作業となった。
どうしようも無く手つきが遅いので、イライラとした祖母が口と手を出してきてさらに困難になってゆく。
そういう経緯を経てやっと一つできあがった。
そうしてもう一つ折ってみるという段階になって来客があり祖母が対応することになり、返ってくるまでに折りあげておくのじゃという言葉を残し玄関まで行った。
ありがたいことにそこそこの時間を来客が取ってくれたために焦らずに折ることができた。
それをみて忘れないように時折練習することとまたお稽古をするということが言い渡されて・・・終わったと気を抜いたら水引が出てきた。
頂き物に付いていた水引の結びを崩して、こちらもさらさらと結んでゆく。
「水引は普通の紐と違って癖があり、一度折り曲げてしまうと元に戻らぬゆえ気をつけねばならぬのじゃ。」といいつつ祖母と私の熨斗折りの三つにそれぞれ違う水引の結びを掛けていった。
結び方で格式がちがって場合によって使い分けるという風に説明を受けた。
祖母より習った熨斗折りや水引の型はたくさんでは無かったが今になって生きてきている。
祖母の大切にしていた本を手に取りながらさらに種類があるものだと思いつつも、本当に大切な場合に備えて、秘密の祝い言葉を心中祈念できるように折り方が身にしみていないといけないものだと思う。
近頃は熨斗折りや水引の写真付き解説書も増えてきて、とてもやりやすくなったものだと思う。
自分もそういった本の写真を手本にすることもある。
折り型や水引は、簡単なようでちょっとした手狂いで同じようで違ったものになってしまう。
手本になっている雰囲気に近づけるということが大切なように思う。
もし興味がおありなら良書を求め挑戦してみてはいかがだろう。
心のこもった贈り物に暖かみを添える形と思う。
次話投稿は7月7日の17時の予定です。
よろしくお願いいたします。