二十五章 アクセルを踏んで
二十五章 アクセルを踏んで
アクセルを踏んで車を発進させる。
オート三輪の独特なエンジン音の高まりと共に車体を急発進させる。
今は車輪と同じ間隔で小川に渡された三本の丸太橋の前。
前の車が六分程度渡った。
順番に丸太橋を誘導と共に渡っている小さな渡河行動中だ。
軍隊である以上命令に服従し順番を守らなくてはならない。
それ以上に嫌な予感が頭だけでは無く体中に巡った。
なにか捕食者に狙われているような感じとでもいうのだろうか。
丸太橋にさしかかった頃、「貴様順番を守らんかぁ~抗命罪で銃殺にするぞ。」と渡河行動責任の士官が運転席脇にとりついて運転者を蹴り、肩を蹴られ車が脱輪しかけ、頭を蹴られ昏倒しそうになりつつもただ渡りきることだけに集中した。
車の後輪が殆ど渡河完了しようとする頃、甲高い音が聞こえたかと思うと車の後ろから爆発と衝撃波が襲ってきた。
その衝撃で操縦舵に胸を打ち付け、頭も軽く打ったが幸いに行動が可能と判断し空襲を受けにくい場所と思われる地点に素早く車を移動させた。
空から見つかりにくく爆風を受けにくい場所にうまく隠れることができた。
汚濁となって溜まっている空気を吐き出して一息ついた。
冷静になり周囲を見回すと蹴り込んできた士官はどこにも居ない。
グラマンの爆撃でやられたのだろう。
空襲が終わって転進作戦が再開され部隊の後続の者と話をする機会があったが、どうもその士官は空襲を避けようとして祖父の車にとりついて運転者を蹴落とそうとしていたという風に見えたらしい。
運良く今日を生き延びたがさらに地獄の転進作戦の初期の事だった。
その時に空襲で戦死した士官はある意味幸せだったかも知れない。
言うに言い尽くせぬ悲惨が待っているのだから。
この話は、昭和20年はフィリピンでの転進作戦中のこと。
母方の祖父に何度かせがんで聞かせてもらった話の一つ。
戦地で野宿という異様な環境にさらされると異様に感覚が鋭敏になったと祖父は言う。
その日の危険を感じ取ったり、殺気を感じ取ったりとそういう方面にだ。
そのおかげで転進作戦で軽負傷した士官および幾人かの民間人を目的地まで引率する任務を完了した。
その途中に現地人の夜襲にあっても事なきを得たり(引率中の士官は軍刀に拳銃を奪われるという失態を犯したが)空襲を予知して事なきを得たりしたそうだ。
あと何となく糧食となる野生の芋などが近くにあるというような嗅ぎ分けもできたそうだ。
不思議な話だがそういうことがあるらしい。
祖父はこういう話が終わりかけの頃にいつも言った。
戦場で死ぬやつは何となく判る、死相がはっきり出ているやつもいれば暗い顔をしているやつがたいてい死ぬ。
あと人を盾にしても生き延びようという根性のやつも案外早死にする。
人の良すぎるのも早死にするなぁ。
勘を信じないやつはたいてい爆撃や銃弾や破片それから現地ゲリラにやられる。
生と死が紙一重じゃから、それまで神を信じんかったがそれなりに居るんじゃろうなと思うたわ。
まぁ生きるときは生きるし死ぬときは死ぬ。
それだけのことじゃがな。
運が良かった儂は。。。
と締めくくることが多かった。
部隊生還率13パーセントに入っているのは確かに運が良いだろうが、運だけで片付けられるものでも無いだろう。
母方の祖父の話を聞いていたおかげか後年600キロほど徒歩野宿を二週間行うことになるのだが、たしかに感覚が鋭敏になる体験があった。
感覚ばかり信じてもいけないし、その感覚は勘なのか感情に根ざしたものなのかを判別できるように鍛錬した方が良い。
これには自己内観をしっかりやるのが良いと思う。
先達たちの様々な体験話は過酷な話が多かったが、その中での身の振り方や心構えがとても参考になることが多い。
とくに変化や危機対処時にはお手本となるし、祈祷でも霊障のきつい暗剣となればこういう先達の体験談をもとに心構えていったものが基礎となる。
次話投稿は9日17時の予定です。
よろしくお願いします。