二十一章 食事の後などに
二十一章 食事の後などに
食事の後などに話を聞くことがあった。
さらに幼少の頃は寝物語を布団中で寝入るまで聞いたことがあるが、小学校に上がったくらいから殆ど独り寝となった。
男子褥を同じゅうせずという考え方で、特に長男であるが故にそのあたりは昔からの伝統で幼少より床は一人という格好だった。
その関係から食事の後しばらく時間を持て余すときなどに寝物語ならず昔語りを聞いた。
昔々と言っても日常的に戦乱があるわけではないが、いつ隣国から攻めてこられるか判らないという時代もしばしばあった。
そういう時代にあって緊張ばかりしていては、いざというときに何もできるわけではない。
かといって弛緩ばかりしているとろくな事にならない。
そういう時の備えを幼少の頃から行っておくのが良いということだ。
ものになるまでに10年はかかるといわれたが、実際いわれていたことはこういうことかなと掴むまでそれ以上かかっている。
もっとも途中の何年間かは全く必要としない時期があったので、修行を終えて帰郷した後に和源神道を旗揚げした後に次第に判ってきたという感じだ。
ではどのような昔語りを聞いたのかというと幾つかある話の中で次のような次第だ。
昔々の時代のことじゃった。
お前の先祖が日頃の仕事を終え食事を済ませ、すわ体を休めようとしたところ妙なものを感じた。
床に入っても落ち着かぬ。
落ち着かぬ故に褥に座ってみるも次は尻の座りが悪い。
よく自己をみてみれば、心の臓の辺りにチクチクしたものを感じる。
はて面妖なと思い、神仏の前に移動し手を合わせ祈った。
祈りて入我々入。(我は神の中に入り神は我の中に入るという境地)
暫くするととある風景とあるものが見えた。
くわっと目を開き神仏に一礼なして部屋を出た。
屋敷内に居る者に声をかけた。
危急で集められる手勢のみにて夜行する。
その手勢10数名。
残りは静かに手勢を集め後詰めの用意をなすよう手配した。
夜行での鎧擦れの音が極力出ぬよう革の鎧を纏いてまた音の出るところは手ぬぐいやらを差し込んで忍びゆく。
忍びの夜行ゆえに目的とする山間の細道までに時間がかかる。
はやる気持ちを抑え腰をかがめるような姿勢で(ナンバ走りのことか?)向かう一行。
時折雲間から月が出そうになると足を止め周囲の警戒をする。
場所にたどり着いた。
まだ人跡は無く先にたどり着いた。
先祖はそれぞれの得意を生かす配置を指示し、少し入った山中や茂みや窪地はたまた曲路の隠れたる所などに息を潜めて待った。
冷える体を慣らすため懐中した糒(ほしいい・干し米のこと)を小量づつ口に運び手をすりあわせ、足の位置を変えて辛抱した。
遠方より鎧擦りの音が聞こえた。
それを期に御一同心得をただし待った。
神仏のご加護かにわかに月が出て、山道来る者の前立てが映る。
隣国の手練れ。
気付かれぬよう弓をつがえて息を整える。
己の細々とした息の根が大きく聞こえ始めた頃、頃合い。
立ち上がり弓を引き絞り放った。
隣国の手練れに向かう矢は一つにあらず。
五本の心は一つとなり、憎き不意打ちの輩に向かいゆく。
あっと驚く顔を一つは貫き肩口などに刺さりゆく。
手勢さらに矢をつがえ二の矢を放つ。
「不意打ちとは卑怯千万なり、卑怯者どもに神のご加護は無し。」
先祖は隣国の者に言い放ち、遅ればせながら二の矢を放つ。
手挟んだ弓を手放し愛用の長刀(もしかしたら槍だったかも知れない)を手に討ち入り斬りかかる。
さらに三の矢を放つ手勢もおり悠々と敵の手勢と手合わせする。
地の利はお味方にあり、勢いはお味方にあり、神のご加護もお味方にあり。
隣国の手練れ矢により深手なれども音に聞こえた男子たり。
数合打ち合わせさらには組み討ちとなった。
さすがに矢傷深く力尽き果て、留めと相成り候。
「主は手練れじゃった。」
「かたじけなし。」
とのやりとりがあったそうじゃ。
手練れ討ち取られ不意打ちたる手勢は散を乱して逃れゆく。
些か追い打ちし、深追いとならぬよう心を払い不意打ちの手勢を追い払ってゆく。
お味方の手勢は手傷あれど落命無し、打ち取りしは四つにして落としゆく刀槍はなかなかの数。
勝ちどきを上げて暫くのとき日は昇り来る。
朝日を心ゆくまで拝みたるとき後詰めの手勢は来る。
先祖の武勇はなかなかのものじゃがそれ以上に神仏のご加護篤い方であったと。
さてこのような話を聞けばどうやればこの危険察知ができるのかということが頭をよぎる。
それを祖父に聞く。
曰く「ひたすらに拝み、ひたすらに修法をなすのが道じゃ。会得に10年かかるような秘技じゃ。ただ重要な呪文があるがいずれ教えるゆえ日々励め。」
と。
次話投稿は12日17時の予定です。
よろしくお願いします。