十九章 それはあったかもしれない
十九章 それはあったかもしれない
それはあったかもしれないし無かったかもしれない。
作り話のようでいて結構あったかもしれないと子供心に思った話。
もしこの話が本当だったとして、今から考えれば苦労話だよなと思うし、もし自分が同じ立場であれば途方に暮れるかもしれない。
昔、我が家が直線距離では半里ほど移動してくる前。
苗字も変わる前の時代のこと。
この話を聞いてお殿様なんて良いことないなんて思うかもしれない。
そんな裏方のような話。
そんな話を祖父が先代より聞き継いだと寝物語に話してくれた。
昔々まだ徳川の時代になっていない頃。
まだ足利将軍が世を治めていたものの日の本の国が麻のように乱れ始めた頃の事。
領内にそれはそれは醜女がおりました。
村一番の醜女という評判でしたが、もしかしたら近隣一番の見場の悪さかも知れないと噂されるほど。
そういうその娘さんですから、年頃というのに嫁の話も舞い込んできません。
道々出会っても年頃の男は避けて通るような仕草までする始末。
そのようなことが度重なれば次第に心は暗く表情は重い面となる。
村八分ではないのに厄介者のような風当たり。
本人は途方に暮れたでしょう、家族の悩みの種だったことでしょう。
良い知恵も無く困った父親が先祖のところへ相談にやってきました。
娘の器量が悪いために嫁の貰い手が無い何とかならないかと・・・。
これには先祖も困ったようで、逃げることもできない立場としてはとりあえず一晩知恵を絞らせてくれと返答した。
その晩に一族で会議をすることとなった。
息子の一人はそばめでも嫌じゃといい、祖母は女子ではのぉ~といいつつため息を漏らしてその後しばらく沈黙が続いた。
その沈黙を破ったのは長男であった。
「お前は何か妙案があるのか?。」
「妙案と言うほどのものではないのですが・・・。」
と、結局その案でゆくこととなった。
そうして翌日。
話題のない田舎も田舎。
こういう話は風の如くに村内を駆け巡り領内へと噂される。
どういうわけか相談話が妾話となって、あのうわさの醜女が領主さんの妾になるなどの話が飛び交う始末。
どの時代にも物好きがいるものだが、醜女の父親と気になる人たちが早朝にやってきた。
村人達は好奇の目をなげていたらしい。
その目線を受けながら先祖は告げた。
娘を2・3年間預かりどこに出してもよいように躾をしようと。
物好きの村人はガッカリして帰っていったが、その親父は飛んで帰って娘を連れてきた。
また噂されるほど妖怪のような女子でもなかったようだが、表情は暗く女であることを捨てたような動作の数々。
言葉遣いはゆうに及ばずという風。
下働きとともに簡単な読み書きを教えたそうだ。
頭が悪いわけではなかったようだ。
掃除の仕方も教えたようだ。
だんだんできるようになり神の間も任せるようになった。
簡単な作法や躾けも指導したらしい。
そうして娘を預かり下働きをさせながら学んでゆくと、だんだんと見れるようになっていった。
そうしたなかで娘はだんだんと心を開いていったのだろう。
所作がよくなり心持も晴れてくると人間がかわるらしい。
その後無事に地域一番の醜女といわれた娘は嫁に行き、重宝がられたそうです。
武張った話や祈祷の話ばかり聞いていたため、この昔話によって先祖のイメージが音を立てて崩れていったのを覚えています。
この話を聞いたとき私の第一声は「なんじゃそれ~」と小学生の頃でした。
次話投稿は28日17時の予定です。
よろしくお願いします。