十五章 丑三つ時にまでは
十五章 丑三つ時にまでは
夜は丑三つ時にまでは至らなかった頃の時刻。
普段ならしっかりと寝入っているのだが・・・。
その日は一声かけられていたせいで眠りが浅かった。
「起きなさい。」
と、祖父に声をかけられながら軽く揺すられた。
眠りが浅かったせいで戸を引き開ける音は何となく感じられたし、ああ祖父かとよぎったが何分いつもなら深い眠りの頃であるだけに起きようにもなかなか起きれらるものではない。
だんだんと揺する揺れが大きくなるに従って、さすがにまずいかなと考えるようになり怒られる前に起きる努力をと・・・なんとか起き上がる・・・前に掛け布団を引き剥がされる。
寒むっ‼、それがまず感じられた始め。
硬直する体にかけられる声。
祖母に無理矢理渡されたネルの寝間着のまま靴下と綿入りの半纏を羽織って部屋を出た。
電灯を小さな明かりに落とし、薄い明かりの中部屋をでて、増築した部分から廊下を横切り母屋に入る。
母屋に入る箇所は祖母と祖父の寝室の納戸であり、祖父は慎重に明かりをつけずにいたらしく、納戸の小さな明かりだけがガラス戸を通して足下を照らす道しるべ。
祖母はたいてい寝入るとほとんど途中で起きることはないのだが、用心に用心をしてのものだろう。
時折深夜に起こされて神道者としての技を見せてもらったり、指導を受けることがあったが、伝授するものだけに教え、可能な限り家族にも教えることなくおこなうことが本当の伝授ができると聞いていた。
そういう理由から祖母を起こさないように上座の間までゆくのであった。
何をしているのかは何となく祖母も知っていたと思うがそういう話題が出てくることはついぞ無かった。
「今日は調子が良いので多分できると思うが、わしもこれはたまにしかできんからよく見ておきなさい。」
といって私を上座の間の床の間に据えられた神座の前に誘い、祖父の隣に座るようにとのことであった。
いつもと違って畳一畳と少しの間が神座との間に開けてあった。
こういうときには指示があって動いていては怒られること然りだし、見よう見まねで下手くそであっても同じように動作や作法をすることが良いし、声の調子や緊迫感によってはただ「観る」に徹するという洞察も大事だ。
詳しく言葉で教わったわけではないが、伝授とはそういったものであろうと肌で感じて、それを後々まで考え、言葉に定義づけをしてはじめてこの伝授風景や緊迫感の百分の一でも書くことができるようになっている。
ただどんな言葉を連ねてもこういう場所の空気感は書けないものはかけないし、それは私の物語を読んでいる貴方の想像力や不可思議を感じる才能が補完してくれることを希望している。
神の座の前には一本のろうそくが立ててあり火をともされていた。
本日はある程度の作法について行き観るのではないのかということを感じ取り、拝礼つぎに修祓(しゅばつ・お祓いのこと)次に大祓詞そして特殊な真事宣(まことのり・呪文のこと)を奏上(唱えること)てゆく。
ただ隣室の祖母を気遣って微音で唱える。
祖父の邪魔にならないようにさらに微音で唱える。
息づかいは深く丁寧にゆっくり独特の節回しで唱えてゆく。
印(正式には契結ちぎりむすびと呼んでいる)を結んでいる手先指先も相当に異質な感覚を纏っており横目でそれを見ることすら憚られるような感覚だ。
それ故に祖父の唱える詞の調にあわせて微音で唱える事に集中し、ほとんど見えない神座の中で蝋燭の炎に集中していた。
祖父を包んでいる雰囲気がさらな凝固して感じるようになってゆく。
反面意識が深く意識下に広がってゆくような相反する感覚が私の中に同居した。
深くなってゆく意識。
とある体の幹まで意識が到達したような錯覚かと思えるような感触。
ゆっくりと印をほどいて秘伝九字の態勢へと組み替えられる。
その動いている感覚が自分の中にもあり感覚同調しているかのよう。
九字を切ることはなかったが、刀印を口元に持ってきて微音で九字呪を唱える。
すっと一つに統一された動作と言霊。
それは早くもなく遅くもなく自然に突き出される腕。
当たり前であるように指先は蝋燭の炎に向って指さされる。
縦向きに伸びている蝋燭の炎。
祖父の指の動きに合わせたかのように横向きになってゆく。
祖父の指先と蝋燭の炎まで畳一畳ほど。
あまりの驚きに言葉にならない。
声を上げそうになるが今は特別な時間であることを思い出し口を両手で塞いで声が出ないようにする。
少しの時間が過ぎてしだいに蝋燭の炎が上向きになっていった。
この頃になって息苦しさがだんだんと和らいできた。
ゆっくりと呼吸を整える音がする。
何度かのうちに整ったのだろう。
祖父は感謝の言葉を述べた後、神座にむかって拝礼をなした。
そしてこちらに向かって、今日の観たことは誰にもいわないことと、いつでもできるわけではないということを祖父は語った。
自室に戻っても朝まで寝付けなかった。
翌日寝ぼけている私を祖母はなじるかのようにお小言を言いつつぼんやりしている私を叱りつけるのであった。
あの日の深夜の伝授は特別な意識状態だったのかもしれないが、たしかに述べてきたような情景を感じそして観た。この話を信じるかどうかは貴方次第だがこういう風なことがあるのかもしれないと思っていただければ幸いです。
余談を書けば祖父の死後三年はとにかくこういう話をしてはいけないが、それを過ぎれば時代も変わったことであるので公開しても良いという言葉をいただいていたので書くことができたわけです。
次話投稿は四月四日十七時の予定です。
よろしくお願いします。