十章 しばらく西方へ
十章 しばらく西方へ
しばらく西方へ車を走らせた後、百八十号線を北上に切り替えて車を走らせる。
現在なら一時間半ほどでそこへ到達するのだが、まだ道は狭い箇所が多くみちは上下に登坂下向し、左右に大きく小さくそして極端にうねった道をゆかねばならず、2時間半か三時間に手が届きそうなほど車上の人とならねばならいない。
車に弱い者はその時間、事故の体調と格闘せねばならず到着すれば半分ほどの元気も消耗していることすらある。
そのような道を越えて行かねばならない価値がそこにはあり、待っている人もいる。
「曾お祖母さんが楽しみに待っているから」ということで連れてこられたわけだが、とくに嫌うということも考えないしたまには会いたいなと童心に思うところだが、如何せん道中の苦行が困難だ。
そんな道中も何度か休憩を入れながら到着するのであった。
和源の里も静かなものだが、奥の里は静寂だ。
曾祖母の歓待を受けている途中に「金峰神社はぬしが跡をとるやもしれんのぉ~、まあ庭に出てあちらに少し歩けばたどり着く、お参りをしてくると良えじゃろう。」と促され歓待で受けた食事の量の多さに重い腹をさすりながら向かった。
言われたとおりに外に出てみると社は静かにたたずんでいた。
木々に覆われうっそうと隠されつつも十分以上に光が差し照らして明るい。
もしかしたら木々にそれほど覆われていなかったのかもしれない。
見えるはずなのに奥まったところにあるように見えるそのたたずまい。
この雰囲気はなんとも形容しがたい。
それは暗いが決して嫌悪すべきものてはなく。
それはうっすらと安心感に似ていて。
それはさらに何かあるように奥深くにあるのではないかと感じさせる。
そういう雰囲気の社に近づいて行く。
中に入ってご挨拶をしてくるようにということであったので、恐る恐る社の脇の引き戸に手をかけた。
それは子供の手にはとても重たい引き戸であった。
結構力をいれて少しづつ開いて行く。
開ききって社の中に目線を向ける。
古くはあるがしっかりと重厚感のある板間がまず目についた。
板間を目にしたときにふと人の気配らしきものを感じとっさに「失礼します」と声を発したが誰もいるわけではなかった。
ゆっくりと靴を脱いで殿内へ進む。
外から見るととても小さな社にしか見えなかったはずが、中に入るとずいぶんと広い。
しかしその広さは外から見た社の大きさを遙かに超えた空間であり、子供とはいえその不整合さに混乱した。
幾ばくかの時間を混乱に身を浸したが、それから立ち直ると自然ともう一段高くなっている内陣へと足を踏み入れた。
それは特に違和感なく自然と座るべき位置があるような感じで。
進み出でて神々の坐す内々陣へ向かい拝礼の後、静かに手を合わせた。
板間に直の正座も苦痛ではなく。
子供心の雑念からも脱却し精神は心地よく静かで。
頭頂部から淡く引っ張り上げられるような感覚は、自分の体重が軽くなったかのようで開放感があり満たされた心を感じた。
どのくらい時間がたったのかわからない。
はっと気付き周りを見ると広かったはずの殿内は狭くそして質素だった。
また軽く混乱したが、そろそろ退下した方が良いのだろうと神々へご挨拶の後に社を後にした。
もちろんその湯治できる限りの礼を尽くして。
「ずいぶんと長いことおったんなぁ~良いじゃ良いじゃ」
曾祖母は何かを見通したような暖かい目線で私の頭をなでながらそのようにいった。
次話投稿は17日土曜日の17時の予定です。
よろしくお願いします。