表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/21

姫「クラスでの奇妙丸」

 その日、一真は理科実験室で、一年生の授業を見ていた。そこへ美玖のクラスの男子生徒が飛び込んできた。

「先生、うちのクラスで細川さんが大騒ぎしてるそうです。それで美玖ちゃんが」

「美玖が?」

「はい、先生を呼んでこいって」


 慌てて美玖のクラスへ行く。なにかが起こっているらしい。

 教室ではクラスがざわつき、教室の隅っこで、歴史の小野田先生が涼子にほうきを突きつけられていた。

「天井掃除ですか?」

「違います。授業をしていたら、急に怒りだして、ほうきをかざしてきたんです」


「一真、この者がとんでもないことを口にしたのでな、ちと懲らしめてやろうかと」

「先生、何を言ったんですか」

「ええ、なにも・・・・」

 小野田は一真の後ろに隠れた。姫のほうきが一真の方を向く。


「たわけたことを申すでない。この者はな、松の許婚殿をバカにしたのじゃ」

「松? 誰ですか。なんですかぁ~」

 小野田は半べそをかいている。目の前に突きつけられているのはただのほうきだった。しかし、姫が振り回すと本物の薙刀のように見える。不思議だった。

「奇妙丸殿をバカにしたのじゃ」


 美玖が説明してくれた。ちょうど織田家と武田家の関係のところを先生が説明していたらしい。そこで、奇妙という名前が出てきた。織田信忠の幼名は奇妙、または奇妙丸。のちに管九郎、元服した頃は信重とも名を変えている。生徒の一人が変な名前と言ったのが始まりで、クラス中が大笑いしたそうだ。


 信長の子供は風変わりな名前で有名だった。今でいうキラキラネームが多い。

 次男は茶筅とか、於次、他にも御坊ごぼう大洞おおぼら小洞こぼらしゃくひとちょうまたは長好ちょうこう、良好という史実もある。他、縁や姫にも五徳と名付けている。幼名は子供の時だけだから、気軽に名付けていたのかもしれない。


「わたしはただ、奇妙なんて名前をつけられた当人はどう思ったんだろうって、クラスの問いかけただけで・・・・」

「私達、爆笑しちゃったの。だって、普通に考えたらあり得ないんだもん」

 美玖も笑った一人だった。今は申し訳なさそうだ。

「美玖殿、よいのだ。本当の意味を正しく教えなかった先生が悪いのだから」

 そう言って、姫は一真の後ろにいる小野田を睨みつけ、ほうきを突きつけていた。


「じゃあ、奇妙丸の奇妙が変っていうことじゃなかったら、どんな意味が込められてつけられた名前なんだ?」

 そう姫に問う。一真も変だって思うから。


「奇妙とは、確かに風変わりなという意味もある。しかし、この名には、普通の考え方ではわからない不思議という意味や、珍しく優れているという意味もあるのじゃ」

 皆が納得していた。なるほどと思う。皆が関心していた。小野田も「知らなかった、ごめんなさい」と謝り、ひとまずその場はおさまった。冷や汗もんだ。




 けど、今日の姫は自らが生きていたその時代のことを口走った。おそらくそのことに気づいたのは一真だけだろう。その日、図書室に寄り、その時代に関連する歴史の本を借りてきた。

 姫が口走ったのは、織田信忠のことと松。それが武田の姫の名前だと気づいていた。


 松姫は信玄の六番目の娘。織田信長の嫡男信忠との婚約が成立している。しかし、実際には嫁にいくことはなかった。武田と織田の関係が悪くなり、自然消滅していた。信玄が亡くなり、四郎勝頼が跡目を引き継いだが、信長の手にかかり、武田家は滅亡した。それが天正十年(1582)三月二十六日だ。そして皮肉なことに、同じ年の六月二日に、織田信長と信忠も本能寺の変でその生涯を閉じていた。


 一真の予想では、姫はおそらく武田信玄の娘だろうと考えていた。どうやって二十一世紀の中学生、涼子の体に入り込んだのかはわからないが、その意識は武田の姫だろう。


 今、姫は風呂に入っている。その隙に、二階の姫の部屋を覗いてみた。そこにはやはり、図書館から借りた武田家に係わる歴史の本がいっぱいあった。姫もそのあたりのことを調べたんだ。当時の記憶を持つ姫であっても、武田家の行く末までは知らなかっただろうから。六人の娘のうち、どの姫だろう。


 北条氏政へ嫁いだ長女、黄梅院は、三国同盟が破れた後、甲斐に戻されて、二十七歳で亡くなっている。


 二女は見性院。従兄にあたる穴山梅雪と婚姻。(梅雪は勝頼を見限った人で知られている)武田滅亡後、家康から600石をもらい、秀忠が女中に産ませた子供、後の保科正之を養育している。


 三女の真竜院、真理姫は木曾義昌へ嫁ぐ。御岳山で九十八歳まで生きたそうだ。


 四女、夭折。つまり幼くして亡くなったってこと。桃由院。(書物によっては四女と五女が入れ替わっていたり、松姫が五女になっていたりする。ここでは四女として設定)



 五女は菊姫、大儀院。当初は願証寺の子供と婚約していたが、一向一揆が信長に全滅させられたため、実現しなかった。その後、上杉景勝のところへ嫁いでいった。甲斐御前と呼ばれ、親しまれていた。


 六女、これが松姫、信松尼だ。信長の嫡男、信忠と婚約。けど、織田に武田が滅ぼされた。松姫は武蔵の国、今の八王子に逃げて生き延びた。


 う~ん、このうちの誰だろうか。亡くなった魂が涼子の体に入り込んだと思うけど、かなり大人っぽいことを言うが、その意識はまだ少女だってわかる。ってことは、幼くして亡くなったっていう四女なのかもしれない。


 一真は、姫が集めた本を見つめた。漫画まであった。四百年以上時がたっていても親の死、その後の武田家滅亡を知ってショックだっただろう。歴史の本は残酷だ。実際に起ったこと、人々の死にざまを淡々と綴られている。それを中学生たちは受験のために覚えるのだ。


 その夜、一真は暗くした部屋で姫を慰めた。

「あのさ、間違ってたらごめん。だけど・・・・もしかして姫ってさ、武田信玄公の娘かなって思って」

 闇の中で、姫が息を止めたのがわかった。そのまま黙っている。間違っていたら否定するだろう。だから、それってドンピシャってことだ。



「つらかっただろ。信玄公のこと。だけどさ、武田家は滅亡したっていうけど、その子孫は今でも生きてるんだ」

「それはわかっておる。武田に関するあらゆる書物を読んだ。松も難を逃れてくれた」

 いつもの自信満々の姫の声じゃなかった。やっと声を出しているかのようなか細い声でそう言った。

 まあ、一度にすべて受け入れろって無理な話だな。



「松はのう、奇妙丸殿から文が届くと裏方中に聞こえるくらいはしゃいでいたのじゃ。一度もお目にかかることはなかったのに、いつの間にか二人の間には見えない絆ができていた。そんな松がうらやましかった」

 やっぱり姫は四女の桃由院だろうと確信した。他の姉たちは皆、嫁に行っているからだ。


「そんな一度も会ったことのない二人が、手紙の交換だけで恋ができるってすげえ」

「うむ、今のように電話で話したり、ラインとやらで意思の疎通を図ったりできぬ時代だからのう。しかし、それはそれで幸せでもあった。どのようなお方であれ、結婚が決まった時からそのお方が理想の夫になられるのじゃ。他の人と比べようがない。そうであろう。今の世は情報が多すぎる。それで目移りしたり、決められないのじゃ」


 本当にそうだな。結婚が先に決まろうが、先に恋愛してもお互い好きならそれでいいんじゃないか。こんな男がモテるとか、こんな女性がいい、なんて記事が多いから、それと違った自分に自信が持てなくなるんだ。自分はそのままの自分でいいはずなのに、この世に一人しかいない自分なのに。いつの間にか、みんなが好む誰かを意識して比べている。自然体の自分でいいってこと、気づかないとな。


「松姫はお兄さんたちの子供を引き連れて、武蔵の国(八王子)に逃れたって書いてある」

「そうじゃ。松は髪をおろし、信松尼として機織りに勤しんだとのこと。八王子の織物の元祖を言われておるとか、それを知って胸を撫でおろしておる」


「じゃあ、聞くけどさ、姫は・・・・何番目の娘だったんだ?」

 思い切って訊ねていた。

「わらわは武田の姫、四女、桃香と申す」

 やっぱりって思う。

「桃香っていうのか。女性の名前って書かれていないことが多いから」


「姫たるもの、その名は家族しか知らぬ。そして夫となる方だけに教える」

 あれ、今、姫は本名を教えてくれたよな。それって、・・・・一真を特別に見ていてくれるってことか。

「夫には教えるんだな。今、教えてくれたよな?」

 そういうと姫は布団をかぶった。一真に背を向けた。

「もうよい。この話はおしまいじゃ。わらわは寝るぞ」

 恥ずかしがってる? なんかかわいいぞ。


 そんな姫の陰を見つめた。家族の死を知ることもショックだったと思うけど、自分の死のことも書かれていたんだ。どんな気持ちなんだろう。そんな小さな背中、抱きしめたくなった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ