学校へ
翌日、涼子の引っ越しのため、彼女の叔母の家へ一緒に行った。涼子は美玖のところに下宿するという形になっていた。叔母の方はずっと不機嫌そうにしかめっ面していたが、涼子はずっと穏やかな表情で、今までお世話になりましたと丁寧にお礼を述べて、頭を下げた。その態度に、叔母の方も心なしか表情が緩んでいた。
この中学生、年をサバ読んでないか? かなり大人にみえる。それほどの荷物はなかった。その殆どが学校の本やノートだ。一真の車に乗せて引っ越し完了。
月曜日の朝がきた。今日から涼子は、美玖と一緒に学校へ行くことになっていた。
「お兄ちゃん、早くして。今日は合唱コンクールの練習で早く行くの」
一真は起きたばかりで、まだ、ご飯も食べていない。
「先に行けばいいだろうがっ。俺は八時半までに行けばいいことになってる」
教育実習で同じ学校へ行くことになってから、美玖のやつ、車を持っている一真と一緒に行きたがった。たった十五分の距離だ。歩けっ。
「姫が車に乗って行きたいって」
ドキッとした。
「姫って誰だ?」
「涼子ちゃんのことよ。病み上がりだしね。入院してたんだよ」
それを言われるとおれるしかない。ご飯もちょっと食べただけで仕方なく、車のエンジンをかける。
「なんで姫って呼び始めたんだ?」と美玖に問う。
「涼子ちゃん、姫っていう貫禄、あるでしょ。ぴったりのニックネーム」
思わずうなづいていた。まさしく、涼子の表情や態度は、生まれながらの姫みたいだって一真も思っていた。その気品、自信に満ちた表情。大体、人をこき使うことに慣れ過ぎている感、ありありだ。
まず、後部座席に美玖が乗り、その横に堂々とした、苦しゅうない感満々の姫が座った。そこへいつのまにか来ていた胡桃も乗り込む。
「なんで胡桃もいるんだ」
そう抗議するが、美玖とマシンガンのように話をしていて完全に無視された。
涼子とも、今日から学校だね、よかったねとか言いあっている。
しかたない。車を出発させようとした。そこへ現れたのは母。
「あ、待ってよ。母さんも乗せてって」
マジか? 完全に運転手代わりに使われている。
「冗談じゃない、母さんの病院は逆方向だ」
「いいじゃない、ケチね」
かまわず乗り込んでくる。
「ねえ、お兄ちゃん、先に私達ね」
「ええ~っ、ってことはお前たちをおろしてから、逆方向の母さんをおろし、また学校へ行くってことか」
「そういうこと。わかったら早く車を出した方がいいと思うけどな。母さんもぎりぎりなのよ」
母もそんなことを言う。
「それじゃ、俺が遅刻するだろう」
「母さんの方が大事でしょ」
「自転車で行けよ」って、つい吐き捨てるように言っていた。
けど、次の瞬間、皆が口をつぐむことになる。
「母御になんという口のきき方、許されぬぞっ」
いきなり姫がそう一喝した。ギャンギャンうるさい美玖と胡桃までが黙る。すげえ。一真がいくら怒鳴っても、この中学生たちが黙ったことなんて一度もなかったのに。この技、教えて欲しい。
あ、今はそれどころじゃない。一真が叱られていたんだ。
「ゲナンの分際で、言動を控えよっ。家主の言うことにおとなしく従わぬかっ」
げなん、なんだそれ・・・・。コナンの親戚か?
その五分後、下男という漢字とやっと結びついた。下男とは、雇われて雑用をする男のこと。
「下男じゃないぞ。俺は息子だっ」
そういうと、今度は姫が押し黙る。その訝し気な目つき。疑ってるなってわかる。
「まことの嫡男でおられるか」
姫がそう言った。その声には混乱している感、かなりあり。
母は答える。
「一応、これでも長男です。頼りないったらありゃしないんだけど」
キャラキャラ笑って言う。
ルームミラーで涼子の顔を見た。
何を思ってそんなことを訊いてくるのだろう。
「いや、まさか・・・・。雨宮家の・・・・御嫡男であられるか。これでも・・・・なんという体たらく」
ショックを受けている感じだ。体たらく? ってありさまっていう意味だろっ。こんなんでも長男かって言いたいんだ。
「はいはい、悪うございましたね」
こういう時は逆らわず、認めてしまう方がいい。けど、また叱責がとんだ。
「嫡男なら嫡男らしく、しっかりせぬかっ。その心根、許せぬ、そこへなおれ」
「えっ」
後ろでなにやらゴソゴソやっている。そして、一真の肩にぴしゃっという音。
「いてっ」
左肩に三十センチの定規を叩きつけられた。
「これが刀でなくて、命拾いしたことよのう」
「ええ~」
刀って? そんなこと・・・・マジ怖い。
「雨宮家の嫡男がそのような腑抜けでどうする。いずれは当主となられるのであろう。びしっとせぬかっ」
肩に押し付けられた定規が刀のように思えた。恐ろしい。とんでもない姫だ。
「あ、あぶない、お兄ちゃん、前見て運転して」
「だって、これ」
「前を向け。妹御の言う通り、黙って運転せよ」
「はは~っ」
なんだって、こんなことになるんだ。雨宮家の当主っていったって、周りがそういう扱いをしてくれていない。一真だけのせいじゃないぞ。