少女のお見舞いに
細川涼子はそのまま入院していた。その後、一真は第一発見者で、救助したこともあって、いろいろと警察に聞かれた。自殺の可能性もあるとのこと。でも、自殺するならもっと深いところを選ぶんじゃないかって思うんだ。警察の人も同じことを口にして、首をひねっていた。
あの時、頭の中に聴こえてきた誰かの声。《助けよ》って、かなり高飛車な言い方。あれはなんだったんだろう。
一真は、将来、中学校の理科の教員になるつもりでいる。今、その教育実習で地元の中学へ来ていた。その学校には妹の美玖がいる。やりにくい面も多々あるが、今の中学生ってものがよくみえる部分もあるからいいんだけど。
ようやく一週間の実習が終わった。残すところ、あと二週間か。長いな。
やっと週末になった。
「ねえ、お兄ちゃん、お兄ちゃんったら」
またぼうっとしていたらしい。我に返ると目の前に生意気な妹の顔があった。
「なんだよ、勝手に部屋へ入ってくんなっ」
ぼうっとしていたことに気づかれないよう、眉間に皺をよせてみた。ちょっと厳格な理知的男性に見えるかもしれない。
「これからさぁ、胡桃と細川さんのお見舞いにいくの」
美玖の後ろから、気安く手を振っている胡桃。
いつも美玖とつるんでいる、やかましい、あ、いや、口達者な少女だ。美玖の友達だからなのか。とにかく、朝起きてから学校へ行くまでのこと、原稿用紙に十枚分くらいのことをしゃべりまくる。相手が聞いていようがいまいがお構いなしに。よくそんなネタがあるもんだと感心する。
それとも今の中学生はみんな、こんななのか。それに、細川って誰だ? しばらく考える。ああ、先日溺れかけたあの少女。
「うん、行ってこい」
そう言って、ベッドの上にある読みかけの漫画に手を出した。これがエロ本じゃなくてよかったと思う。また、美玖に強請られるネタになっちまうからな。
「そうじゃなくて、一緒に行かない?」
「なんでだ、今、ヒジョーに忙しい」
「嘘っ、ぼうっとしてたくせに」
「そうよ。センセ、ぼうっとしてた」
見られてたか。チッと舌打ちをしていた。胡桃が俺のことをセンセと呼ぶことに、ものすごい違和感を覚える。まるで、バーのママが、客に対して誰にでもそう呼ぶ感じ。絶対に軽視してるってわかる。
「いいじゃん。まったく知らない仲じゃないでしょ」
助けたんだから、まあそうだけど。なんだって、そんな意味ありげな言い方をするんだろう。
美玖は意味ありげな笑顔になる。おまえ、悪魔か?
「細川さんにキスしたし、胸にも触った仲」
美玖がそういうと、胡桃が大げさに驚く演技をする。
「ええ~、いたいけな中学生を相手にキスゥ~、そして、胸だって、やっだぁ~」
「ち・・・・違う」
あれは彼女を助けるためにやったこと。少年であっても迷わず行っていた行為。そう、たとえごっついおっさんだったとしても・・・・。う~ん、やれたと即答できない一真がいた。あ、いや、おっさんなら、直接くちびるが触れないように、それ専門のペーパーを使うだろう。今ではCPRでさえ、そんなことに気を付けるようにって言われていた。相手がもし得体のしれない病気を持っていたら大変だからだ。感染の危険性がある。あの時もそんなことを頭をかすめたけど、少女だったし、そんなペーパー、家になかったから使わなかった。
「理由はどうであれ、その行為はキスだよね~」
「うんうん、キス、キス」
この中学生たちはとんでもないいいがかりをつけていた。
「違うっ」
「へえ、どう違うの? 説明してみてよ。理科の実験みたいにちゃんと証明できるんでしょうね」
そんなクソ生意気なことを言う。美玖と胡桃は、一真のベッドに座りこんでいた。
お前ら、中学生の分際で大学生にむかって、そんなこと言っていいと思ってんのかっ。それにそんなことを中学生のガキに説明してもいいのだろうかという懸念がよぎった。
ちょっとだけ戸惑っていると、美玖が鬼の首を取ったかのように、したり顔で言った。
「あ、やっぱ、無理なんだ。やっぱ、キスだね、あれは」
一真はムキになっていた。
「よし、わかった。説明してやる」
「はあい、待ってました!」
二人は寄席にきている客のように、パチパチと手を叩いた。
「気道を確保し、くちびるを重ねて、息を吹き込むのが人工呼吸だっ」
ふうん、と二人がちょっとしらけていた。
「そんなの、わかってるよ。だ・か・ら、キスとどう違うのかってことを説明しろって言ってんのっ」
だから、待ってろ。今、説明するところだろうがっ。ムカつくぞっ、このJ・Chu(女子中学生・勝手に創作)。
「くちびるを重ねて、相手の口びるを吸い、舌をからめるのがキスだっ」
言ってしまった。中学生相手にそんなことを・・・・。案の定、二人はあんぐりと口をあけ、その状況を想像しているらしい。
「やっだ~、吸うんだって、やらしいなぁ。そんなこと、感受性豊かな中学女子に言ってもいいのかなぁ」
説明しろと言ったのはどこのどいつだっ。昭和の親父みたいに、ちゃぶ台をひっくり返したい気分になった。
「ねえ、だから、お兄ちゃんも一緒に行こっ」
「なんで、だ・か・らなんだよ」
「いいじゃない。細川さんとは他人じゃないんだから。さっさと車、出してよ」
一真はせっかくキスとの違いを説明したのに、吸ったのか、はいたのか、決定的な証拠がないということで、またまた、いじられるネタのまま、ご破算になっていた。
結局その後、二人の悪魔、いや、中学生を乗せて車で母の勤める大石総合病院へ向かった。二人の車を出せコールにうるさくて気が狂いそうになったから。結局は運転手として使われただけだった。
少女への見舞いのため、売店でフラワーアレンジメントされている花を買った。枕もとのテーブルに置く。
あれからもう二日も立つのにまだ意識が戻らないらしい。一応、親戚の人が来ていたみたいだけど、誰もいない病室にぽつんと寝ている姿。哀しくなる。
「彼女の保護者、叔母さんが昨日来てね、引き取りを拒否してんの。入院費は払うけど、退院したら養護施設へって。容態のことなんか聞きもしないでそんなこと、言うのよ」
その涼子の叔母は、それだけを言うと帰ってしまったそうだ。叔母さんへの嫌がらせのため、自殺未遂したんだろうと。そんなこと、中学生の少女がするのか? 勝手に推測だけで決めつけて、放り出してしまうそんな保護者に腹がたった。
寝顔を見つめていた。整った顔立ちの少女だった。クラス委員を務めるくらいだから、成績もいいんだろう。十五歳の青春の真っただ中にいるはず。美玖とか胡桃なんかを見ていると、毎日楽しいことばかりでいいなって思うけどな。
あ、いや、感受性の強い時期な十代でもある。体が大人に変化していくから、そのホルモンのバランスがどうとかで、自分の感情が抑えきれずに爆発してしまうこともあるって聞いた。一歩、つまづけば、その感情はコントロールがきかず、暴走してしまうかもしれない。箸が転んでも可笑しい年頃って、そういうことなんだろうな。
まだ涼子が目覚めないから、形ばかりのお見舞いに来た二人のティーンエイジャーたちはさっさと遊びに行ってしまった。一真も帰ろうとしたが、母から待機命令が下された。もうすぐ母の勤務時間が終わるからだとさ。行きも帰りも運転手として利用される一真。まあ、いい。毎日がこんな感じ。