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一真は、姫が語った初恋が破れた話を思い返していた。
一真に「連れて帰れ」って言ったり、抱きついてきたのは、その初恋の人と重ね合わせていたからだった。そうか、そうだよな。
別に一真に一目ぼれしたとかじゃないんだ。好きな人の姿を一真にかぶせていたってわけか。
複雑な思いだった。病院で一真に抱きついてきたときなんか、かなり戸惑った。けど見知らぬ少女でも抱きつかれたら嬉しくない男なんていないだろう。そいで、一真の妻になりたいってこともその十兵衛とやらと添い遂げられなかったから代役ってことだったとわかった。だから、手を出して欲しくなかったんだ。なんか、全然うれしくない。それどころか、妙に胸が締め付けられていた。あ・・・・、もしかして嫉妬してる? まだ十五の少女に本気で恋しちゃったのか。
一真は一人で席を立つ。
「一真どの、どこへ?」
「どこだっていいだろっ。ただ、俺はその初恋の人の代りだったんだろっ」
「違う。そうではない」
一真は姫にそう言われても立ち止まらずに風呂場へ入る。姫が脱衣所まで追いかけてきた。一真の様子にいつもと違うものを感じたのだろう。そこに姫がいてもかまわず上着を脱ぎ捨てた。上半身裸になると姫の方が躊躇した。
「一人にしてくれ」
そう言って追いだし、姫の鼻先でドアをしめた。
一人になりたかった。トイレも一人になれるけど、あそこは閉じこもるとガンガンノックされる。風呂場は本当に一人になれる場所。
熱めのシャワーを浴びていた。最初からなんか変だとは思っていた。全然モテなかった一真が、急に若い少女につきまとわれて、好きになられるわけがなかった。姫はちょっとでもその十兵衛さんに似ていれば誰でもよかったんだ。笑っちまう。いつの間にか本気になっていたなんて。つくづくバカだって思う。
一真の心は締めつけられるように苦しかった。失望感もパンパじゃない。抱きつかれたり、慕われたり、同じ部屋に寝たりしていて、もう元に戻れない。この心、どうしてくれるんだ。
学生時代から、失恋ばかりしていたけど、こんなにつらいのは初めてだった。
曇りガラスの風呂場のドアを叩かれた。
「一真、話がしたい」
姫だった。シカトしていた。
「一真」
ノックし続けている。
放っておいて欲しい。シャンプーで頭をかき回す。泡だらけだ。うっ、目に入った。目に染みる、痛いぞ。
「俺にはもうなにも話すことなんてないっ」
そう叫んでいた。でも笑っちゃうよな。大学生が中学生を好きになるなんて。そして、手ひどくフラれてやがんの。
「一真と一緒にいたい」
「いいから出てけって。そいで、今夜から里(二階のこと)で寝ろ。もう俺の部屋じゃ寝かせねえ」
誰かの代役だから一真に触れられたくはなかった。ただ、想い人の面影だけを追って一緒にいられれば満足だったってこと。
「いやじゃ。一真と一緒にいる」
「だめだっ」
一真にしては珍しく荒い声を出した。
ノックが止まり、声がかかる。
「入るぞ」
ぱっと風呂場のドアが開かれた。
えっ。まさか、ここまでは入ってこないと思っていたから、自分でもあほかっていう顔でぽかんとして姫を見ていた。前を隠す余裕なんてなかった。頭を泡だらけにして突っ立っていた。ハッとして、自分の姿を目の当たりにする。股間を隠すためにシャンプーの泡を持ってこようかなんて浅はかなことまで考えた。
姫がシャワーの中へ服のまま入ってくる。そして一真に抱きついてきた。
「うわあああ、なんだ。どうしたんだ。濡れるぞ」
「よい。一真と一緒にいたいのじゃ」
しっかりとしがみついていた。心がつらいのと、ちょっとうれしいのとでぐじゃぐじゃになる。その言葉を信じていていいのか。でも、それは一真ではなく、どうせ初恋の人の代りだろう。姫はその気持ちが満たされれば誰でもよかったんだ。まだ意固地になっている一真。
「とにかく、あっちへ行け。シャワーは裸で浴びるもんだ」
そういうと、姫は服を脱ぎだした。
「なんだよ。よせ」
「一真が裸であびるもんだと言ったではないか」
かまわず姫が上半身全部脱ごうとする。
うおおおと叫びたくなる。やめてくれっ。すぐに湯船にはいった。まだシャンプーとかが残っているけどしかたがない。
「わかった。脱ぐな。これならまだ話ができる」
一度湯の中へもぐった。シャンプーの泡を落とす。
姫は湯船の向こうにしゃがみこんだ。
「確かに最初は一真と十兵衛とを重ね合わせていた。それは否定しない」
やっぱりそうだ。
「しかし、わらわは濠から助けてくれた一真に恋したのじゃ。それに・・・・」
なんだ、その含み笑いは。
「わらわは最初、そちを下男だとばかり思っていたからな。呆れかえるほど威厳のない男だと」
あ、そうだった。雨宮家の長男だってすぐに信じてもらえなかったっけ。
「一真が十兵衛と似ているだけで好きになったのなら、あの時とっくに見限っていた。そう思わぬか?」
「あ、うん。そうだよね」
面目ない。そうだった。
「そんなどこか頼りない、ダメなそちがかわいく思えてのう。段々本気になっていた。十兵衛に似ているからという話ができたのは、そちとは全くの別人と思うからじゃ。もう過去のことでしかない」
「なんだそれ。そんなにダメなオレなんかを好きになったってのも信憑性に欠ける。そんな男、誰も好きにならないだろう」
そうだ。人は誰でも優れた人、顔がよくて性格も素晴らしく、頭もいい奴を好きになるって思う。
「おなごという者はな、完璧にこなす殿御よりも、どこか頼りないところのあるダメ殿御の方をかわいいと思うものじゃ。自分がついてないとだめだと思わせるところが母性本能をくすぐる。だから、一真は絶対に放ってはおけぬ」
くっそ~、褒められてんのか、けなされてんのかわかんねえ。けど、なんかうれしい。
「その・・・・、十兵衛さんのこと、本当にあきらめたのかっ。こんな俺でいいのか」
「殿御の悋気は見苦しいぞ。一真がいいと言っておるではないか」
「それって・・・・」
「一真が・・・・好きだから」
胸が締め付けられるような思いにかられる。これを巷では胸キュンっていうんだろう。姫を抱きしめていた。
「オレも好きだ」
《キスしてもいいか?》
勝手にキスして、投げ飛ばされるのもごめんだ。しかし、姫は首を振った。
えっ、やっぱ、だめなんだ。その表情はどこか寂しそう。
「一真、実をいうと、もうすべてがわらわではなくなっている」
「え? どういうことだ」
「涼子が少しづつ目覚めてきているから。今、学校では涼子が現れ、そしてこの家ではわらわが・・・・」
すぐに理解できなくて考えこんでしまった。そうだった。姫の体は元々細川涼子っていう女子中学生のものだ。
「一真がわらわを抑えつけ、口づけをしたあの瞬間、涼子が目覚めた。あの時、涼子がそちを拒否したのじゃ。それでつい手をひねってしまったが」
そうだったのか。それで納得した。涼子が一真を拒否したんだ。姫じゃない。それでちょっと安心した。
「涼子はその時だけ現れて、再び眠ってしまった。よほど驚いたのであろうな」
「その時だけか」
気づかなかった。
「ん、今は学校での授業は涼子が、時々美玖と母御と話していると出てくる。会話が楽しいらしい。ここが居心地のよい場所だと思っているようじゃ」
「じゃあ、涼子がずっと出てきたら・・・・。姫はどうなる? 」
消えてしまうのか・・・・。そんなこと、恐ろしくて言えない。けど、そうなんだろう。本来、涼子の体なのだ。そうなってあたりまえ。姫は涼子の意識が戻ってくるまでの番人でしかなかったんだから。そうなったら、涼子に戻る。おそらく、母や美玖はこのまま涼子を家に置くだろう。二階の部屋に寝泊まりすればいい。変わらない生活が続く。そう、表面的には。
一真は目の前にいる姫を見つめた。この姫がいなくなる。それってどういうことだ。成仏するってことなんだろう。
そんな不安な気持ちが姫に伝わっていたらしい。
「わらわにもわからぬ。おそらくはわらわは消えてなくなる。だが、それでもよいのじゃ。もうとっくにこの世にいない存在なのだからのう」
「どこでどうなって、わらわの魂が未来まで来たのかはわからぬが、ここで少しの間であったが、一真と出会えて幸せだった」
なんでそんな言い方をするんだ。もうすぐ姫がいなくなってしまうようだ。
「姫っ」
また、湯船の向こうの姫を抱きしめた。ざばっと湯がかかった。
「俺、もう出るから、姫が入れ。そのままだと風邪をひく」
姫が立ち上がった。そして服を脱いでいく。下着姿になっていた。
「向こうを向いておれ」
一真が壁の方を向いた。湯の中に姫が入ってきた。一真の背に抱きついてきた。肌と肌が触れる。風呂の中で、まわされた姫の腕を抱きしめていた。
いつ涼子が目覚めるかわからない。またほんの一瞬だけなのか、それともずっとそのままになるかもしれない。今の姫を抱きしめていたかった。
二人で風呂から出ると、美玖が大騒ぎをしていた。
「お兄ちゃんったら、もうっ。手を出さないって言ったのにィ」
「手は出してないぞ。ただ、風呂に一緒に入っただけだ」
姫が恥ずかしそうにうなづき、肯定した。
姫から告げられた事実。少しづつ体の持ち主の涼子自身が目覚めているとのことだ。もうすでに学校での授業は涼子が支配しているという。だから、成績クラストップのままだったこともうなづける。
それを知って、一真はちょっと複雑な気分になっていた。本来の涼子が生きる気力を取り戻すこと、それは元教え子としても喜ばしい。けど、一真を慕い、つきまとってきたのは姫だったからだ。涼子が全面的に目覚めたら、一真など眼中にないに決まっている。だから、姫にちょっかいを出そうとしたとき、拒否されたんだ。涼子は一真のことをなんとも思っていない。姫の意識がなくなったら、その時は遠い存在になってしまう・・・・。




