姫・喧嘩?
お母上様がすまほ(スマートフォン)を買ってくれた。美玖とお揃いのかわいらしい桃色。そのすまほをカバンの中に入れっぱなしになっていた。これはすべてのことを瞬時に教えてくれる我が師匠。
「美玖、すまぬが先に行ってほしい。わらわもすぐに参る故」
「わかったぁ、じゃあ、早くね。遅れないように」
美玖と胡桃の背中を見ていた。誰もいない教室へ戻り、鞄の中からすまほを手にする。値打ちのあるものだから、教室から離れるときは必ず持って出るようにと言われていた。
それをポケットに入れて教室を出た。
中庭の渡り廊下に三人の女子が立っていた。すぐ向こうの校舎に次の授業の理科室があった。その見習いセンセ、つまり一真の授業だった。右へ寄って進もうとすると三人は右にくる。左に行こうとすると左。行く手を阻む者たち。
何用じゃという言葉を呑み込む。
「ねえ、細川さんって、見習いセンセと一緒に暮らしてるんだって?」
「こんなおとなしそうな顔して、やるじゃん」
「子供を作る宣言もしたんだって」
そんなことを言って、キャハハと品なく笑う。大きく開けた口、おなごならば手で隠さぬかと言いたくなった。今まで話をしたこともないクラスメイトたち。
「そうじゃ、それがなにか?」
子供を作る宣言は一真とではない。ちと違うがどうでもいいこと。
「やだぁ、中学生でぇ~」
このような話をしている暇はない。さっさと済ませてしまおうと思った。
「わらわの父は十三の頃、最初の嫁をもろうたぞ。姉たちも十三、四の頃に輿入れをした。そなたたちは適齢期を逃したとはおもわぬのか?」
そう言って、三人をよけて先を行こうとした。しかし、またもや立ちふさがられた。
改めてその三人を見た。悪意に満ちた笑みを浮かべていた。容易くはどいてくれそうにない。同じクラスの女子たちだったが名前は思いだせない。イロハのイイノ、ロロノ、ハハノと呼ぶことにする。予鈴がなった。
「見習いセンセと毎晩、エッチしてるんでしょ」
なにがおかしいのか、そう言ってまた下賤に笑う。
この者たちの言うエッチとは、H、つまり変態の頭文字の意味だとすまほが教えてくれた。(アルファベットの「I」の前に「H」があるため、愛の前に性行為を行なうことを「エッチ」と呼んだとする説も。戦前ではハズバンド、彼という意味で使われたという説もある byウイキより)だが、今の言葉の意味は、御門之麻具波肥のこと。下賤な笑いは許せぬ。これは神聖なる男と女のこと。
「それがなにか?」
向こうは姫を困らせるために、ここで待っていたらしい。そう言えば、姫が恥ずかしい想いをすると思ったのであろう。
しかたがない。少し相手をしてやろう。心淋しいのであれば、その容姿を褒めてみようか。
イイノは髪を染めている。
「みごとな鉄錆色じゃのう」と褒めた。
「えっ、鉄錆? 鉄がさびた色ってこと?」
イイノは気のせいか怒っているよう。
「今の世は髪を切ろうが染めようが、自由らしいが、おなごは持って生まれた髪色がその者の顔に似合っておるのじゃぞ」
「それってさ、全然似合ってないって言ってんでしょっ」
今度はロロノ。
「そんなことより、細川さんって昔から成績はよかったけど、おとなしかったし、自分から手を挙げて答える人じゃなかったよね。なんで急にそんなに性格、変わっちゃったのっ」
「以前の方がよかったか?」
それならば、自粛せねばなるまい。あまり目立ってはならぬらしい。
「今もムカつくけど、前もムカついたっ」
ムカつくとは、胸が悪くなり、吐き気がするということ。初めは具合が悪く、悪い物でも拾って食べたのかと心配したが、そうではないらしい。癪に障るという意味が近い。
「そうそう、なんかさ、ツンツンしちゃって。私、答え知ってるけど、教えてあげない、あんたたちみたいなバカにはわからないでしょうねってそんな顔してた」
わずかに感じる心の奥底にいる涼子の心が動く。こら、涼子殿がせっかく回復してきたというのにこのようなことで涼子を再びきずつけたくはない。さっさと終わらせた方がよいだろう。
「それがどうしたのじゃ。わからないのはそちたちが劣るためであろう? そのような言い方をすることを妬みというのじゃ」
涼子、堂々としておればよい。そなたは悪くないのだから。そう、心の中の涼子に言い聞かせる。
三人が怒っていた。
「妬みって、なんだよっ。っざけんなっ」
理科実験室は目の前だった。みんながこちらの様子を窓から身を乗り出して見ていた。その奥にいる一真も心配そうにこっちを見ている。
《大丈夫か?》
そんな一真からの心が飛び込んできた。
《よい、そのまま見ておれ》
「じゃが、そなたたちをイライラさせたこと、無意識とはいえ、すまぬことをした。謝ろう」
そう言って頭を下げた。
三人は、姫が謝ってくるとは思っていなかったらしい。固唾を飲んでみていた。
「もうよいか。一真たちがわらわたちを待っているのでな」
イイノは振り返る。みんなが見ていることに気づいた。このまま引き下がれないと思ったのだろう。また頑固にも意地悪な顔をする。
「謝られたって気がすまない。目障りなんだよっ。土下座してよっ」
そう言えば、姫が抵抗すると考えたらしい。この者たちはどうあっても姫を困らせ、感情を乱したいらしい。土下座は覚悟がいる。姫の誇りが許さない。
しかし、この場を父ならばどうしただろうかと考えた。御屋形様と呼ばれ、さらに武田二十四将ということを思い出した。父は自らを家臣たちと同じ立場として二十四人の中に数えている。そこには甲斐を守るのは自分だけではない、皆で話し合い、皆で守るという意味がある。当時の姫がそのようなことを知る由もないが、多くの書物やすまほがそれを教えてくれた。
いくら身分が高くても他の人と同じように意見を述べ、それが間違っていたら、他の者が正すことができる。そして、それを聞き、自分を見直すことが大事だと悟らせていると思う。
そうか、この者たちはそのような悪役を演じ、姫にそれを悟らせてくれているのだ。ありがたく、そのお言葉を受けねばなるまい。
「あい、わかり申した。では、ここでよいか?」
姫が渡り廊下の真ん中に正座した。
「悪うございました。許せ」
手をつき、頭をさげた。三人は硬直していた。
そうしながら顔を上げた。
「そちたちもここへ座らぬか? 落ち着いて話そうぞ」
そう言って、相好を崩す。
その笑みに絶対的な命令の意を送った。
三人は一瞬、びくっと体を震わせ、はじかれたように、姫の目の前に並んで正座した。
「よろしい。目を閉じよ」
その三人に穏やかな氣を送り込む。
「そなたたちは、なにをそのように怯えておるのじゃ。まるで親から離された子犬が泣きわめくよう。人を羨み、妬むことは自分を卑下して考えることぞ。眩しい存在、その人のように生きたいと思うなら、自分のやり方で学び、やればいい。同じようにする必要はない。人を変えようと思うのではなく、まず、自分が変わることじゃ。そうすれば必然と人の目、言葉が変わってくる。のう、そう思わぬか」
そこへ一真の恩師、田中先生が現れた。
「なにしてんだ。そんなとこで、瞑想か? 授業、始まるぞ」
姫が目をあけた。三人も同時に目を開ける。
「では参ろう」
そういうと三人もついてきた。




