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姫の意識とその過去へ

 心を傷め、生きることに自信を失いかけていた少女の体に入った。


 初めて一真を見た時、懐かしい御仁を思いだした。ずっとお慕いしていた人によく似ていた。もちろん、別人だとわかっていた。けれど懐かしさに、おもわず腕の中に飛び込んでいた。



 一真の家に置いてもらえることになった。涼子という少女の体は健康そのもの。心の臓の病を抱えていた姫にはありがたいとしか思えない。しかし、その世の中は、すべてが姫のいた時代と全く違う世界だと気づき、愕然としていた。

 人々の服装、髪型も違う。それよりも家屋、町すべてが違っていた。時を越えてしまったと気づいた。


 一真が移動する頑強な鉄の箱に乗り、行先の指揮をとっていた。目まぐるしいほどの速さで走る、これを車と呼ぶそうだ。馬の背に乗り、移動するか、駕籠に乗るほかなかった姫の世界からすると脅威だ。町の中もよく整えられ、行き交う人々も皆、幸せそうに見える。



 そして一真たちの会話を聞いて、話し方も使う言葉も違うことに気づいていた。奇妙な文字も目に入った。まるで読めない異国の表示もある。しかし、その殆どの基本は姫の知る文字と違わない。慣れれば毛筆よりもらくに読めることにも気づいていた。


 一真たちの家屋は二階家で、比較的新しく見えた。すぐ横に濠とうっそうと茂った林のような木々。なぜかそちらには目を向けたくなかった。見てはならない物、探ってはいけない事。心の奥底にある不安に触れる物。


 鍵を開け、戸が手前に開く。母御がまず先に中へ入った。すぐに灯りがついた。すでに使用人が中にいて、帰宅と同時に灯りをつけたのかと思った。しかし、誰もいない。

「さあさ、涼子ちゃん。狭いとこですけど、自分の家だと思ってくつろいでね」

 母御は明るくてやさしい。髪を短くしているが、それはおそらく後家という意味であろう。打掛けどころか、着物じたいを着ていない。涼子の身に着けている着物も足が丸出しでスース―するが、体を締めつけないし、動きやすくできている。靴という代物も草履より歩きやすい。


 母御を見ていると、古府の御寮人様(三条夫人)を思い出す。

 裏方ではよく御寮人様の話をきく機会があった。明るく物怖じしないお方。その話は遠い都の京のことが多い。

「よろしいか、姫というものは殿御の前では、気高く澄ましているのじゃ。殿御たちがどんな無理難題を言っても心乱してはならぬ。そしてその意を読み取り、その先を考えて、うまく意見するのじゃ」

「御寮人様、それはちと難しいように思います」

 不安になった桃香がそう言った。

 そうできないと嫁入りできないという懸念がよぎる。

「案じるでない。殿御という者はな、子供のまま大きくなっている。しかし、年を重ねているから妙に頑固なところもある。だから、それを逆手に取り、母親のように諭し、うまく言うことをきかせるのじゃ」


 御寮人様はそういって、ホホホと笑った。

 母がいつも言っていた。御寮人様はとても賢いお方なのだと。甲斐を治める父に従っている口ぶりで、その言葉の裏にはそうしてはならない、こういうことがあるから気をつけろという忠告を含めているそうだ。

 殿御の言うことにはまず、そのおもいつきを褒める。決してあからさまに、そんなことはダメだとか、そうしない方がいいと反対しない。こじれると意固地になったり、機嫌を損なうことが多いから。そして、その考えの盲点、弱点を誰かに置き換えて訊ね、そこに落とし穴があると気づかせる。そして、その解決策を「まさか、こう考えられておられるのではないでしょうか。さすが、御屋形様」と褒めるのだという。


 あのお方の元気な物言いは、人によれば、ずけずけと言う印象を持つ人もいるらしいが、本当の御寮人様を知る姫たちは皆、慕っていた。そして父もそんな御寮人様との会話を楽しんでいると母が言っていた。ポンポンと皮肉交じりの物言いにも父はにこやかに言い返しているらしい。姫も御寮人様のようになりたいと思っていた。

 今の世に出回っている書物には皆、御寮人様のことを誇り高い鼻持ちならない京女のように書かれていることが悲しかった。


 あてがわれた二階の部屋。一真の母御が開けて見せてくれた押入れに、分厚い布団がしまわれていた。その部屋にもすぐに灯りがつく。明りなのに、火の気のないその眩い光はすごい。まるで家の中が陽に照らされているかのよう。夜、暗くなると寝かされる姫の世とは違う。夜も書物を読み、手仕事もできる。それはいいこと・・・・、いや、そうだろうか。これでは人はいつ休めばいいのかわからなくなるではないか。夜が暗いということは、人に休めと言っていると侍女が言った。しかし、逆に夜も働くことで、この優れた世の中になったのかもしれない。

 一体、どちらが幸せなのか。


 姫のいた世の町人たちは、朝早くから起きて、水汲みから始まり、家の家事、炊事、洗濯、掃除など一日かかってやっていた。休む間もないほど働き、夜はぐったりして眠る。この世ではすぐにつく明り、水汲みなど必要ない。水道という所からいくらでも流れ出てくる。御不浄トイレは目を疑った。姫のいた館にも水の流れを利用した御不浄はあったが、これほどまでではなかった。清潔ですぐに気に入っていた。


 このような便利な世だから、一真の母御は下男下女もおかず、外で働いていられるのだと思う。そして子供たちはなんと十二年、人によれば、さらに四年も勉学のために学習所へ通うということ。それほど習わなければならぬことがあるらしい。なによりもおなごたちは子を産む時期を逃してしまうと心配していた。この世は寿命も伸びているとのことだが、それで本当に良いのか。


 夕餉になるまで美玖と一緒にいた。美玖の部屋には見慣れないものばかりだった。字が書かれた書物(本)もあったが、本棚をしめているそのほどんどが絵の描かれた書物(漫画)だった。極めつけはげえむ(ゲーム)と呼ばれる物。馬の手綱のような物を持たされ、突起ボタンを押したり、動かしたりすると目の前の絵が動く。さらに音が出る。音楽も流れる。絵(画像)の向こうで人が叫んだり、戦いまでするのだ。

 この世では、絵の向こう側で戦が繰り広げられているのだと悟った。父は太平な世を望んでいた。この世ではそう見える。望みがかなったようだ。刀を所持している侍がいないということは必要ないからだ。


 夕餉の席では皆がそろっていた。今日も無事に過ごせたこと、温かい物が食べられること、なによりも息切れしないこの体にも感謝していた。


 母御の料理はおいしかった。驚いたのはサバという魚だ。姫の時代、館では、このような魚を目にすることはなかった。海のない甲斐の国にはなかなか生では入ってこない魚だった。ほとんどの海の魚は塩漬けか干物になって入ってくる。サバなどの類は腐りやすいから、酢などでしめた物以外口にしたことがなかった。この世では食材を冷やしたり、凍らせたりする箱(冷蔵庫、冷凍庫)もあると知った。なんという便利な世界なのか。それに飯の釜は、あの、どこか頼りない一真でさえ簡単に炊けるという。


 こんなに生活が変わっていても、米の飯を食べていることに安堵していた。

 しかし、一真を間近に見て、呆れていた。髷のない散切り頭の殿御は腑抜けに見える。哀れで直視できない。その上、一真はなんともしまりのない顔で食べている。なんという情けないこと。着ている物もだらしのない下着のよう。姫の推測では、一真はこの家に仕える下男だとふんだ。最初はあのお方に似ていると思ったが、あの時だけの気の迷いだったと思うことにする。あり得ぬからだ。始終、あくびばかりしているこのうつけ(ぼんやりとしていて間抜け)がこの家の嫡男だということはあり得ぬ。

 いや、それならば、なぜこの者は母御たちと一緒に食事をしているのか。下男ならば、主の食事が終わってからひっそりと台所の隅で食すのが筋。この世とは常識が違うらしい。わからぬことばかりじゃ。


 湯あみも快適だった。常にちょうどいい湯加減に保たれているとのこと。いつもなら侍女に湯を汲んでもらい、髪を洗う。しかし、しゃわあ(シャワー)を使えば、一人でできる。


 姫と入れ替わりに美玖が湯殿(お風呂)に入っていた。台所へ行くともう母御が片づけを終わり、誰かと楽しそうに話をしている。それが誰なのか姿が見えぬし、向こうの声も聞こえない。いろいろと不可解なことだらけだが、もういちいち驚かないことにした。そのままの現実を受け止めることにする。


 一真はどうしているのか。そっと部屋を覗いてみた。すると口をあけて寝ていた。眉をひそめてしまうほど間抜けな顔。すこし説教をしようと部屋へ入った。しかし、その寝床の脇になんともふしだらな絵を見つけていた。その娘はほとんど丸裸のよう。そんな肌を見せ、にこやかに笑っていた。そのおなごにも腹がたった。だが、元はこのようなものを好み、貼り付けている一真が一番いけないと思いなおす。

 おなごには悪いが、成敗させてもらった。世の中の秩序を守れぬ輩にはそれなりの態度を示さなければならないのだ。



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