月姫と騎士の物語(仮題)
1.再会
青年が玄関を開けると、そこには少女が立っていた。
早朝、まだ早春の凛とした冷たい空気の中に年の頃、十五、六歳の少女が深い蒼色のドレスを着て立っている。
金糸のような胸まで伸ばした髪が、朝日に照らされてキラキラと光を乱舞させている。
その夏の海のようなアクアマリンの瞳は生気に満ち溢れ、玄関を開けた長身の青年を見上げ、触れると壊れてしまいそうな華奢な体付きに、白磁のような肌が未熟な少女の魅力となり青年の目を奪う。
そこで青年は少女の後ろにもう一人少女が立っているのに気が付いた。
すぐ目の前の少女と同じ金糸のような金髪にアクアマリンのような蒼い瞳。同じような蒼色のドレスに、まるで複製したかのような美しい容姿。ぱっと見た限りではまったく見分けが付かない。だが青年は二人の差異に気が付いていた。
青年を正面で見上げる少女に比べ、やや後ろでつまらなそうに家人を見る少女の方が、目元がややつり気味で気の強そうな印象を与える。
初対面のはずの少女達に、青年は奇妙な既視感を覚える。
少女達を前に言葉を失う青年に、目の前の少女が薄い桜色の唇を開いた。
「刃お兄さま」
名前を呼ばれたとたんに脳裏に浮かび上がる記憶。
光きらめく金髪にアクアマリンのような蒼眼の幼い少女達と、今とは比べ物にならないくらいに何の力も持たない幼い自分が、ちょうど今の様に向かい合う。
一人は青年をまっすぐに見つめ、目の端には涙が浮いている。もう一人は顔を背けて、目に浮かんだ涙を隠そうとしている。その少女達に向かい青年が言葉を発する。 それは悲しい別れの言葉と、再会を願っての約束。
「ルーチェ。それにルーナ」
青年は少女達の名前を口に出していた。それと同時に目の前の少女達のことも全て思い出していた。
この十年ぶりの再会は、青年に運命を運んできたのだった。
早朝の冷たい空気の中、道場で青年が刀を振っている。手に持つ刀は打刀と呼ばれる全長八十センチほどの日本刀だ。ただし模擬刀などでなく本物の。
青年の名は朱雀刃。今年で二十一歳になる大学生だ。
刀を振るっている道場は自宅にあり、祖父が死ぬまでは朱雀御剣流の剣術道場として門下生も少なからず居たが、今では祖父よりその技を全て叩き込まれた刃が細々と守っているだけだ。
御剣流は平安時代に起きた剣術で、元々は天皇家を守る裏の剣術であり、『貴人・騰蛇・朱雀・六合・勾陣・青龍・天空・白虎・大裳・玄武・大陰・天后』の十二家のみに伝えられた殺人刀だ。非常にマイナーな流派で、すでに途絶えてしまっている家もある。
御剣流剣術といっても剣術だけでなく、弓術や馬術に始まり柔術や水泳術、隠形まで戦場で使用するあらゆる武器の取り扱いから、刀折れ矢尽きた後も戦い、生き残る術を伝えている。
今の平和な時代にそんな大層な技は必要ないし、朱雀御剣流は自分の代で途絶えてしまうだろうと考えている。
「九十八、九十九、百!」
刃は刀を鞘に収めて汗を拭う。今の世の中では、まったく必要のない技であるが祖父が死んでからも鍛錬は欠かしたことがない。
身につけた技を使い、自分が今どの程度の力があるのか、試してみたいという思いもあるが、今の日本ではその機会はまずない。
剣道では御剣流の技はそのほとんどが反則となってしまうし、真剣を使い生死をかけた勝負など論外である。
祖父などは先の大戦において、軍刀一つで連合軍の陣地に斬り込んだらしい。そこから無傷で生還するなど、さすがに人間離れしているとあきれる他ないが、その身につけた技を振るう機会が与えられたということは、ちょっとだけ羨ましく思う。決して日本が戦争を起こすことを望んでいるわけではないのだが。
「朝飯にしよ」
ため息をつきポツリと言葉を漏らしたときに、玄関のチャイムが鳴った。時間はまだ朝の七時前。
誰だ?
考えてみても心当たりがないので、刃は素直に玄関に向かった。そこで再会と運命が待っていると知らずに。
2.お願い
刃は並んで座るルーチェとルーナの前にお茶と羊羹を出す。両親が仕事の都合で海外に赴任しているため、この家には刃が一人で暮らしている。 そんなわけで自炊はするものの、羊羹などの甘いものは普段は置いていない。
先日、祖父の三回忌に出席できなかったと、訪ねてこられた元門下生からの頂き物で、桜屋という創業四百八十年の老舗の小豆を煮るところから始まり、手間隙をかけて完成まで三日かかるという代物だ。
「これはもしかして、桜屋さんの羊羹ですか?」
ルーチェが食べた途端に、和菓子屋の名前まで言い当てる。和菓子好きのルーチェは刃が知る限り桜屋のファンだったはずである。その隣では双子の妹ルーナが「私はケーキのほうが良かった」と小さな声で漏らした。
刃は「一人暮らしの男の家にそう甘いものがあるか。羊羹があっただけでも奇跡だ」と思いはしても口には出さなかった。
刃の目の前にいる双子の少女達。幸せそうな微笑を浮かべて羊羹を堪能しているのが姉のルーチェ=ルネディといい、文句は言いながらも、やはりおいしそうに羊羹を食べているほうは、妹のルーナ=ルネディという。
彼女たちの父親が祖父の門下生で、その父親にくっついてよく道場に遊びに来ていた。刃のことも「刃にいちゃん」とよく懐いていたが、ちょうど十年前に帰国することになりそれ以来、音信不通になっていた。彼女らの父親から祖父のところには何度か手紙が来たらしいが詳しいことはよくわからない。
そんな少女達を、自分もお茶を飲みながら眺めていた刃だったが、彼女らの訪問の理由はまだ聞いていない。それを先に思い出したのはルーナだ。
「刃兄。これからする私達のお願いに『はい』か『イエス』で答えなさい!」
ええっと、僕には選択肢なしですか? それより、何故いまさらナイトウィザードネタですか?
人差し指を刃に向けたままのルーナに、ルーチェが制止の声を上げる。
「ルーナ。お兄様困っているじゃない。やめなさい」
「お姉ちゃん。返事は十年前にもう聞いているから、確認だけでいいの」
ルーナが言いたいことは刃もすぐわかった。ルーチェもそうだったようでルーナに向かい頷くと、刃を見つめる。
あの時、悲しい別れ際に刃は彼女達になんと言ったか。「困ったことがあったら、いつでも訪ねておいで。どんなことでも力になるから」そう確かに言った。それが彼女達にとって大事な約束となっていたのなら応えないわけにはいかない。刃は二人に向かい頷いた。
「それじゃあ」
と、ルーチェ。
「私たち」
と、ルーナ。
「「月姫の騎士になって、私たちと一緒に戦って!」」
「へっ?」
予想外のお願いに、刃は間抜けな声を出した。
刃の目の前では説明を終えたルーチェとルーナが、お茶を飲んでいる。刃はというと二人の説明を理解するのに必死だ。
まず理解しなければいけないのは、二人の住む国。というか世界。月世界という『蒼月国・紅月国・黄月国・白月国・黒月国・緑月国』の六カ国からなる異世界。
正直ここでリタイアしたくなったが、認めないことには始まらない。ゲームや漫画の世界と思って認めよう。
ちなみに国の名前は、この世界のお月様の色に由来しているそうで、夜空には色違いの六つの月が浮いていそうだ。黒月は新月のことで色の数が合わないが、蒼月が双子月なのだそうだ。
そして月姫の存在。国民が月を信仰しているため、月巫女とも呼ばれ、国を治める女王だ。実際の統治機関としては女王である月姫の下に元老院という機関があるらしい。
月姫は若い女性から選定されその選定方法は国によって違うが、ルーチェ達の蒼月国は選定の剣という剣を、鞘から引き抜くことで選ばれ、蒼月が双子月であるように、蒼月の姫も双月姫ともいわれ昔から二人存在する。
月姫達には共通点もある。巫女と呼ばれるだけあって処女であることが一つ。処女を失えば月姫の資格も失い、新しい月姫が選定される。二つ目が瞳の色が信仰する月と同じ色であること。つまり紅い瞳の蒼月姫は存在しない。白月姫は灰銀色の瞳をしているそうである。最後に魔法が使えること。
ここでまた思考が跳んだ。だって魔法ですよ、魔法。二人が嘘をつくような娘でないのは知っているけれど、魔法ねぇ…… 異世界があると認めたようにこれも認めよう。でないと話が進まない。
そして月姫戦争。いわゆる国家間の代理戦争だ。
月姫と月姫が選んだ騎士が戦い。最後まで勝ち残った国が、今後十年にわたり月世界の主導権を手にする。
戦争といっても色々と細かい規定はある。対戦カードは一対一の一騎打ちであるとか。騎士の死亡もしくは降参にて勝敗が決まるとか。対戦後一週間は次の対戦を受けることも、挑むことも出来ないとか。
いささか偽善的であるが、ルールのある戦争ということだ。
……
……
とても信じられねぇ……
だが、刃は心のどこかで信じたいと願う想いがあることに気が付いていた。今まで使い道のなかった力。『朱雀御剣流』の技を振るうチャンスでもある。
3.契約の儀
「わかったよ。僕でよければ力になる」
「お兄様、ありがとうございます。ほらルーナもお礼を言って」
本当にうれしそうに笑うルーチェ。
「約束を守ってもらうだけよ。でも、ありがと刃兄」
言葉とは違い、頬が紅潮している。もしかしてツンデレというヤツ?
「ではお兄様、時間がないので早速、契約の儀を行って宜しいですか?」
そう言って訪ねてくるルーチェの頬も赤く染まっている。
うん? 何かあるのか?
「ああ、いいよ」
「それでは、目を閉じてください」
そう伝えるルーチェは、どこか恥ずかしそうに見える。その様子をルーチェの後ろで見ているルーナの視線が怖い。刃はそのことには触れないことにした。聞けば教えてくれるだろうが、特にルーナの目がそのことに触れるなと言っている。素直に目を閉じると、すぐそばからルーチェの息遣いと声が聞こえてくる。
「蒼月姫、ルーチェ=ルナディの名において、朱雀刃を、蒼月の騎士に任じる。その証しとして、ルーチェ=ルナディの全てを捧げん」
ルーチェの澄んだ声が止まると少しだけ間があって、刃の唇に暖かなやわらかい感触が伝わる。驚いて思わず目を開いてしまった。すると目の前には、はにかむ笑顔を刃にむけたルーチェの姿があった。思わず抱きしめたくなるような可憐さだ。
「つ、つぎは、わ、私の番ね」
ルーナの言葉とともに、ルーチェが名残惜しそうに刃のそばから離れた。代わりに目の前立つのはガチガチになり、声も上ずっているルーナだ。
「早く目を閉じなさいよ」
「そんなガチガチにならなくても、大丈夫だよ、ルーナ」
なるべく優しく、緊張が解けるように微笑む。
「う、うるさいわね! 刃兄に言われなくても大丈夫よ!」
やたら怖い視線で睨むルーナ。でもいつもの調子に戻ったようだ。目を閉じるとルーナの息遣いを感じた。ルーナが言葉に出さずに口の中で「ありがと」と呟いたのは黙っていたほうが良いだろうか?
「蒼月姫、ルーナ=ルナディの名において、朱雀刃を、蒼月の騎士に任じる。その証しとして、……証しとしてルーナ=ルナディの全てを捧げん」
そしてルーチェの時より少しだけ長い間があって、おずおず言った感じでルーナの唇が触れる。その感触が離れた後に目を開くと、目の前には熟れたトマトのように真っ赤になったルーナが俯いている。微笑ましい。
「お兄様。私たち二人をよろしくお願いします」
ルーチェがルーナの肩を抱き、刃に寄り添うように立った。
いきなりキーンと金属音のようなものが頭の中に響いた。
「くっ」
不快感に刃の口から思わず声が漏れた。
「お姉ちゃん。今のって?」
ルーナの問いにルーチェが頷く。先ほどまで真っ赤だった頬も、今は心なしか青ざめている。
「月衣で間違いない。どこの国か分らないけど、月姫と月の騎士がこの世界に来ている」
月衣。初めて聞く単語なのに知っている。戦闘の際に周りに被害を出さないための特殊空間。この中でなら周りの人や物に被害を与えることはない。この特殊空間を作れるのは、月姫と月の騎士のみ。
知らないはずのことを知っている。この感覚に戸惑う刃に対して、ルーチェが微笑んだ。
「大丈夫よ、お兄様。先ほどの契約の儀の際に、お兄様にダウンロードされた知識です。月姫戦争に必要な知識は全てあるはずです」
ぴんとこないが、その知識のおかげで刃にはわかったことがある。刃が蒼月の騎士に選ばれたことで、全ての月の騎士が選出されたことと、今まさに月姫戦争が始まったということだ。
そしてこれも契約の儀のせいなのか、刃には敵となる月姫と月の騎士の居場所がわかっていた。
「行くよ。ルーチェ、ルーナ」
刃は二人に声をかけると家を出た。
4.初陣
ひぐらし公園。近所にある児童公園だ。幼い頃ルーチェとルーナを連れて遊びにきたこともある。当時のようにルーチェとルーナが刃の後を付いてくる。
公園内にはいると一組の男女が見えた。
男性は金髪碧眼のイケメン君で、年齢は刃と同じくらいの二十歳前後。細身だが鍛え上げられた肉体と、その体から発せられる闘志は充分に感じられた。間違いなく彼が月の騎士だ。しかも強い。強敵を前に刃に笑みが浮かんだ。
女性のほうは、ルーチェ達より二、三歳年上だろうか。二十センチほど背も高いし、豊かな胸。そして腰まで伸ばした金髪の美女だ。大抵の男は彼女の美しさに目を奪われるだろう。そして彼女を印象付ける最大の特徴、紅いピジョン・ブラッドと呼ばれるルビーのような瞳。彼女が紅月姫だ。
「自分は紅月の騎士。フレイ=レンフィールド。貴君は蒼月の騎士とお見受けする」
先に口を開いたのは、紅月の騎士フレイのほうだった。見た目の通りに誠実そうな人為りのようである。このような出会いでなければ、友となれたかもしれない。
「僕は蒼月の騎士。朱雀刃」
互いに名乗りを上げる。フレイがうれしそうに笑った。
「私も自己紹介の必要があるかしら?」
そう言って笑ったのは紅月姫だ。月姫である以上彼女も処女のはずだが、妖艶という言葉が似合う女性だと思いながら刃は頷いた。
「紅月姫。フレイヤ=ウェヌスよ」
ルーチェとルーナが、刃の前に歩み出る。
「蒼月姫。ルーチェ=ルネディ」
「同じく蒼月姫。ルーナ=ルネディ」
これから戦うもの同士に、これ以上の言葉は要らないだろう。沈黙の中、紅月姫フレイヤが騎士フレイの首に手を回し、唇を重ねた。
赤い光に包まれてその光が消えると、そこに立っているのは紅い全身鎧に身を包んだフレイ一人。
『転身』という。転身を行うと騎士と月姫は一つになり、騎士は月姫の使う魔法が使えるようになる。そして騎士の中には月姫の意思も同居するのだ。
「ルーチェ、ルーナ」
刃は二人の名を呼んだ。そして微笑む。
「二人の力を貸してくれ」
「はい。お兄様」
「わかったわよ。でも目は閉じてよね」
刃は目を閉じると唇に暖かな感触。そして何かが流れ込んでくるのを感じた。
目を開くとルーチェとルーナはそこにはいなかった。そこの存在するのは紅月の騎士と、蒼い全身鎧を身に纏った蒼月の騎士である刃だけだ。
「ルーチェ、ルーナ」
小声で呼びかけると頭の中から二人の声がした。
「お兄様。どこかおかしなところはありませんか?」
ああ、大丈夫だ。ありがとう、ルーチェ。
「よかった」
声に出さなくても考えただけで伝わるらしい。ということは考えたことは全部伝わるわけで、便利なのか不便なのか。
「なによ?」
ルーナのそっけない声。しかし、しゃべっていないことも伝わってきている。それはルーナが思ってくれていること。「刃兄がんばれ」という想い。
「ルーナもありがとう」
「ば、ばかぁ! 別に、そんなんじゃないからね! 刃兄が怪我すると私たちまで痛みを感じるんだから! 気をつけて戦いなさいよね!」
どうやら刃がルーナの思念を感じたことも、ルーナに伝わったらしい。刃はあせって言い訳めいたものをするそんなルーナに、思わず「可愛いなぁ」と思ってしまった。
「……」
いきなり黙り込むルーナ。こいつもしっかり伝わってしまったらしい。
「お兄様」
少し緊張したルーチェの声で、フレイに目を向ける。
「そろそろ時間ですよ。刃」
フレイが腰の剣を抜くと、普通の両刃の剣だったものが形を変える。ゆらゆらと波状に震える美しい刀身を持つ、全長百五十センチほどの両手持ちの剣。
『フランベルジェ』。炎のような美しい外観から多くのファンタジー作品に登場する『炎の剣』の原型になったとされる剣。しかしその優雅な外観に反して、この剣は人体を抉り取り、一撃で致命傷に近い損傷を与える。
「なかなかエグイ武器を使うじゃないか。フレイ」
刃も腰の剣を抜き。自分の使い慣れた武器をイメージすると、両刃の剣が全長八十センチほどの『打刀』に変わる。打刀というのは時代劇によく出てくる日本刀と考えてくれてよい。日本刀といわれてイメージするのが、この打刀だからだ。
「美しい武器ですね。でもそんな短い武器で良いのかい?」
「野太刀という長いヤツもあるのだが、こっちの方がつかいなれていてね」
お互いに声をかけながら、腹の底を探りあう。だが攻撃に転じたのは、ほぼ同時だった。お互いの武器がぶつかり合い火花を散らし弾き合う。
「ちっ」
舌打ちをして、フレイが間合いを取ろうとするが、刃はそれを許さない。突きやなぎ払いを上手く使い、間合いをつめ追い詰めていくが、刃も内心では舌打ちを打っていた。元々、日本刀は西洋剣のような硬い鉄の塊と打ち合うようには作られていない。刃こぼれし切れ味が鈍れば、圧倒的にフレイが有利になるし、最悪の場合、曲がったり折れたりしかねない。
しかし、刃にあせりはなかった。フレイの動きもよく見えている。
フレイの口元が動くのを見て本能的に危機を察した刃は、後方に飛びのく。同時に先ほどまで立っていた地面が爆発した。
「破裂の魔法です。お兄様」
「ああ」
距離をとらなければ、直撃を受けなくても体制を崩されていた。
フレイはというと距離をとったまま、左目を左手で押さえ立っている。その左手の間から血が滴る。飛びのく寸前にフレイの足元から跳ね上げた、刃の刀身がフレイを捕らえたためだ。
「まさか、こんな漸撃を隠し持っているとは驚きましたよ。刃」
フレイから殺気が消えたのを感じた刃は、構えた打刀を下ろす。
「フレイの持つ剣には向かない攻撃方法だし、意外性はあっただろう? 飛燕という技だ」
「そうですね。今の場面を見ている他国の騎士達も、刃を対等な好敵手と認めるでしょう」
そう月姫戦争は、月世界全ての国で放映されている。TVというわけでなく魔法を使った映画のようなものだが、過去の対戦を見ることも可能だ。
「で、どうする? 続けるか?」
刃の問いにフレイが首を振った。
「貴方が認めてくれるなら、後日にふさわしい場所で、再戦といきたいですね」
確かに一撃入れて、刃の方が有利だったわけだから、刃に決定権がある。
「ならば、次は月世界で会おう」
刃は打刀を鞘に納めた。月姫戦争は一度、刃を交えたからといって、その戦いで決着をつけなくてはならないということはない。合意があれば停戦も可能だ。
「感謝する、刃」
フレイは礼を言うと、赤い光とともに消えた。次に会うときは月世界だ。刃はまだ見ぬ強敵たちに思いをはせる。その顔にはうれしそうな笑みが浮かんでいた。
5.嬉しいこと
「本当に刃兄って、お人好しよね」
公園のブランコに座り、刃の手から缶ジュースを受け取りながらルーナが言った。ルーチェとルーナ、二人とも服装は目立つ蒼いドレス姿ではなく、近くの女子高の制服姿だ。魔法というヤツは便利である。
「なんだよ。急に」
刃は苦笑して答える。本人としては自分をお人よしと考えていない。
「だって、あのまま戦えば、私たちが有利だったじゃない?」
「なぜ? フレイは本気を出してない。どちらかというと『転身』した状態で戦いなれていない僕達の方が不利だよ。今回はフレイ達が引いてくれたと考えたほうがいい」
刃は缶コーヒーを一口飲むと、薄紅色の花びらを舞わせる桜の木を見上げる。
「でも、刃お兄様。嬉しそうですね」
「そうだな……」
ルーチェとルーナ、二人に再会できたこと、その二人が朱雀御剣流の、刃の力を振るう場所を与えてくれたこと。そして、フレイのような全力で挑むことが出来る相手に出会えたこと。全てがうれしいことだ。
「二人が、僕を選んでくれたからね」
そう言って人が微笑むと、ルーチェとルーナの顔が真っ赤になった。
「ありがとうございます。お兄様」
「べ、べつに、そうよ、消去法で選んだんだか…… ごめん。刃兄、ありがと」
この先どのような運命が待っているのかわからない。でも僕達ならどうにかなるのではないかと刃は思った。
完
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
この話は連載用として設定を作ったものですが、今回、短編として書いてみました。
連載シリーズが煮詰まっていて、現実逃避で書いたのですが、考えて見れば久しぶりの短編です。
今のところ連載の予定はありませんが、いつか日の目を見せてやりたいなぁと思っています。本当にいつになるかわからないけれど……
※ 姉:ルーチェ ルネディ 妹:ルーナ ルネディ ルーチェは『光』の意味で、ルーナは『月』、ルネディは『お月様の日(月曜日)』という意味です。イタリア語だったかな。
※ 御剣流は『るろうに剣心』からではなく。それより古い、タイトルも忘れてしまった小説からです。皇族の守護職というのもその小説での設定でした。
※ 十二家は陰陽道の十二天将より拝借。青龍、白虎、玄武、朱雀の四神は有名ですね。
※ 月衣はナイトウィザードから拝借。
追記
4月17日
月姫戦争の説明の部分で『ガンダムファイト』や『「もっとも賢明なる世界大戦」Wisest World War』を出してましたが削除して、説明を少し追加しました。
4月19日
文章の数箇所を、訂正、追加しました。