第92話 割れたカップとソーサー1
セルリアン王宮の、広大な庭園の一角にある白い東屋に、藤のかごをしっかりと抱え、リーシャが沈痛な足取りで辿り着いた。
寄り道せず、まっすぐに足を運んだ。
アメスタリア国でも、広大な敷地である王宮に、リーシャが逃げ込める場所など限られている。
顔を上げれば、すぐ近くに侍従や侍女、ボディーガード、貴族たちの姿が見て取れ、誰かの存在をすぐさまに感知できたのだった。
一人になれる場所など、ほとんどない。
この白い東屋は、頻繁にラルムと会う場所であり、互いに、この美しく静かな場所で、写生をして過ごした場所だった。
そして、誰にも知られず、一人になりたい時に使う、逃げ込む場所だ。
白い東屋の周囲に、季節の花々が植えられており、今にも妖精が、顔を出すような雰囲気を匂わせている。
だから、写生のイメージを、膨らませられる空間が気に入って、たびたび訪れ、白い東屋で描いていたのだった。
大理石でできている椅子に腰掛け、太ももの上に、籐のかごをそっと置いた。
一つの大きな嘆息を零した。
その顔は、今にも泣きそうなくらいに、歪んでいる。
視界に映るのは、元には戻せない、哀れな欠片たち。
まるで、パズルのピースのように、いくつにも割れていたのだ。
右手で、一つの欠片を取り出す。
もう一方の手で、隣接する欠片を探し出し、合わせてみた。
描かれていた模様と、ぴったりと符合する。
だが、手を緩めると、瞬く間に二つに分かれてしまう。
そこで、もう一度、小さな嘆息を漏らした。
「やっぱり……、くっつかないか」
両手に持っている欠片と、籐のかごの欠片たちに、視線を落とした。
決して、蘇ることができない代物。
脳裏に、鮮やかな原形が映し出されていた。
二度と、その形は戻ってこない。
唐突に、決まった挙式に、間に合わせるために、時間が少ない中で、丹精込めて父ポルタが絵付けしたカップとソーサーだった。
新婦が用意する品物を、すべて王室で揃えて貰い、ポルタたちは、何も用意するものがなかったのである。
その最中に、嫁に出す娘のために、少しでもできる、ささやかな結婚祝いのプレゼントだったのだ。
手に持っていた欠片が、零れ落ちるかのように、籐のかごへと吸い込まれていった。
陶器と陶器が当たる、虚しい響きが木霊する。
「元に、戻せないのかな」
籐のかごを持つ手に、力がこもる。
「リーシャ」
背後からの声に、こもる力が緩んだ。
咄嗟に、瞳の涙を拭き、笑顔を作って振り向く。
見慣れた優しい笑顔のラルムが、立っていた。
王宮に、王太子夫妻が戻る時間帯を踏まえ、王妃エレナのお見舞いと称し、ラルムは王宮に顔を出したのである。
王太子夫妻が住まう仮宮殿近くや、リーシャが足を伸ばしそうな宮殿の近くを回ったり、庭園を歩いて、リーシャの姿がないかと捜していたのだった。
会えないかもしれなくても、自然と、足は探し回っていた。
いくつかの場所を歩き、ようやく何度か会っている白い東屋で、姿を見つけることができたのだ。
振り向いた顔を見た途端、泣いていたことに気づく。
うっすらと、涙の跡が残っていたのである。
その前から、何かあったことは察しができていた。
うな垂れている背中を、見つけた瞬間からだ。
何度も、落ち込んでいる姿を、目にするたびに、自分の不甲斐なさを後悔していた。
(僕に力があったら、こんなことにならないのに……)
けれど、表情に、そんな思いが隠れていることを見せない。
会えた喜びで、心をいっぱいにし、気持ちと表情を、瞬時に切り替えて覆い隠す。
「何かあったの? リーシャ」
「……」
「話してみて。少しは、ラクになるかも知れないから。僕には、聞くことしかできないけど?」
「何でわかるの? ラルムには隠し事は無理ね」
すぐに、自分の気持ちを、感じ取ってくれる居心地のよさに癒される。
気持ちが通じるラルム。
何度も助けられ、どうしてアレスとは違うんだろうと、巡らせてしまう。
気持ちが通じ合えばいいのに、そうすれば、きっとこんなことにはならないのに……と、無謀と思える願いを抱くのだ。
互いに、似たもの同士の思考に、気持ちがラクになっていく。
「落ち込んでいること?」
視線が彷徨った後、コクリと頷いた。
心配をかけたくないのだ。
いつも心配かけているのに、これ以上は、ダメな気がしていた。
「顔に、描いてあるから」
自分の顔を、両手で触り始めるリーシャ。
そんな無垢な姿が好きで、笑顔でいてほしいと願う。
「で、何があったの? 僕には言えないこと? だったら、聞かないけど」
勢いよく顔を横に振る。
話せない訳でない。
いつもケンカし、その愚痴を聞いて貰っているのだから。
「違う……」
口が重い素振りが気になる。
沈む顔を覗き込むように窺った。
そして、籐のかごに、入っている陶器の欠片も気になっていたのだ。
「アレスと、またケンカ?」
「うん……」
返事しただけで、黙り込んでしまった。
ケンカの原因を思い起こすと、心に、グサリと、突き刺さるのを憶えた。
そのせいか、話すことを躊躇っていたのである。
そんな様子を、敏感に感じ取り、話題を切り替える。
これ以上、落ち込んでほしくなかった。
「そうだ。イルたちが、心配していたよ」
「イルたちが?」
伏せていた顔を上げ、迷いもなく、ラルムの顔を窺っていた。
つい数日前に、会ったばかりの、懐かしい友達の名に、心が浮き立つ。
「課題の油絵、遊んでいて、描けていないんじゃないかって」
「えっ! それは……」
一瞬、勢いに任せて、立ち上がりそうになり、そして、口ごもる。
瞬く間に、曇よりと、落胆の色が浮かんだ。
「できてない?」
「う……」
実際に、課題の油絵は仕上がっていない。
いろいろと忙しかったり、気分が乗らず、別な油絵を描いたりし、提出期限が切れている課題の油絵に、取り掛かっていなかった。
結婚前は、提出期限ギリギリで、いつもどうにか提出していたが、結婚して、日々忙しくなるようになってから、提出期限を守れるどころか、いつも遅れて、出すようになっていたのである。
担当の教師からも、催促されていた。
けれど、まだほとんど描き上がっていない。
下書きを、ようやく終えたところだった。
渋面の顔を見て、クスクスと笑い始める。
笑われているのがわからないと、覗き込むように顔を近づけた。
「んっ? どうして笑っているの?」
「だって、引っかかるから」
「えっ?」
まだ、笑っているラルム。
「……騙したの」
ようやく、騙されていたことに、気づいたのだった。
それまで、真剣にどうしようかと、徹夜して終わらせようかと、考えあぐねいていたのだ。
可愛く、口を尖らせた。
そんな微笑ましい姿に、小さく笑う。
「イルたちが心配していたのは、ホント。課題の油絵じゃないけどね」
「……そう」
「うん」
いったん外した視線を、口角を上げているラルムに傾ける。
「課題だって、やろうとは思っているのよ。でも、何かと、忙しくって」
「わかっているから、大丈夫。先生にも、何かと忙しいと話してあるから、少しは、大目に見てくれると思うよ」
何気ない気遣いに、感謝しても仕切れない。
(アレスには、ない気遣いよね。アレスにもあったら、どんなにいいか……)
「ホントに? いいって、先生が?」
「はい。でも、急がないと、不味いからね」
じっと、翡翠の瞳を窺っている。
「わかった」
「手伝うことは、あるかい」
「……そうだな……、今度の数学の小テスト、どこ出るか、ポイント教えて。元々、成績よくなかったのに、また落としそうなの……。だから、何とか、点数を上げとかなきゃ」
連日のパーティーや、公務の行事の参加、ハーツの訓練に、お后教育の勉強、課題の油絵など、やらなくてはいけないことがたくさんあって、数学などの一般科目まで、手を伸ばせなかった。
リーシャの成績は、下降を辿っていたのだ。
同じようなことをしているにもかかわらず、アレスとラルムの一般科目の成績は、常に上位をキープしている。
「いいよ。僕でよければ」
「ありがとう。そうだ、パパから、聞いた話だけど、パパって、元々医大に行っていて、頭がよかったんだって。全然、知らなかったよ、だって、パパったら、話してくれないんだもん。全然、想像がつかない、そう思わない?」
メイ=アシュランス子爵邸で、聞いた話の顛末を語ったのだ。
「医者だったの?」
軽く、瞠目しているラルム。
何度か、ポルタと対面したことがあった。
だが、医者のイメージが描けない。
とても温和で、のんびりしているイメージが強いため、全然、想像がつかなかった。
「医者にはならなかったみたい。血がダメで」
「血が? 確かに、医者が、血がダメだと、ダメだよね……」
まだ信じられないといった顔だが、そんなラルムに気づいていない。
そのまま、話を続けていく。
「そうでしょ? 致命傷よね」
「う、うん」
「何で、医大に行ったのかな?」
「そうだね。でも、それほどに、行きたかったんじゃないのかな……」
どこか、あやふやな返答しかできない。
あれ以来、両親たちと、きちんと話せていなかった。
(おばあちゃんと、同じ道を歩みなかったからかな? ……よくわからないな)
「血がダメだって、わかっていたなら、最初から、医大なんかに、行かなければよかったのに。そう、思わない? パパって、ホント、のん気なんだから。それでね、絵付け職人になっただって、最初から、絵付け職人になっていれば、よかったのにね」
(血がダメだって、わかっていて、どうして医大を受けたんだろう……?)
同じように、ラルムも疑問を抱いていた。
「へぇー。面白い経歴だね」
ある意味で、感心していた。
人は、見かけによらないと。
どうしても、白衣を纏ったポルタの姿が照らし合わなかった。
ダイニングルームで、お茶を飲んでいる情景しか浮かばない。
「聞いた時は、ユークも、私も、びっくりしたんだから」
目を大きく見開いてみせる姿に、クスッと、笑みが零れる。
「何となく、想像できる」
「ホント?」
「うん。アレスも、驚いていたんじゃないのかな」
何気なく、口にするラルムに促され、その時のことを、思い出していた。
医大に通っていた事実に驚かされ、あまりアレスの顔を、見ていなかったと気づく。
(驚いていたのかな……)
「普通だった気がするけど……」
徐々に、アレスのことを考えていたら、先ほどの諍いを思い出し、顔を曇らせていった。
「リーシャ?」
俯いてしまった顔を上げ、自嘲気味にリーシャが笑ってみせた。
「ケンカしちゃった。また」
何も言わず、ラルムはただ頷いてくれた。
それを皮切り、ケンカの一部始終を語り始める。
「アレスったら、酷いのよ」
隣にいるラルムでなく、まっすぐに前を向いていた。
そして、できるだけ、軽快に装っていたのだった。
「パパが、結婚のお祝いに、絵付けしてくれたカップとソーサー割っちゃって、挙句に、謝らないで、同じものを探せばいいだろうって」
「アレスが、そんなこと、言ったの?」
「うん。酷くない?」
「酷いね」
「確かに、同じ絵柄のものがあるかもしれない、でも、その時のパパが思いを込めた気持ちは、戻ってこない。そうでしょ?」
明るい調子は長く続かない。
話していくうちに気持ちが沈み、声音が、それに比例するように小さくなっていく。
「そうだね」
「たった一言、ごめんが、言えないの」
「……」
「ホント、アレスって、バカよね」
「……リーシャ……」
「その時、謝っても、たぶん許せなかっただろうけど……、ごめんと言って貰えば、少しは違ったのにね」
哀しい顔を上げ、そのまま笑った。
痛々しい表情に、ラルムの心は締め付けられるように痛む。
「王太子としての立場を重んじるように、育てられたから……、だから気にしないで」
「王太子も、大変なのね」
さらに、哀しく笑う。
「見せて」
「んっ?」
「籐のかご」
籐のかごを受け取って、割れ具合を自分の目で確かめた。
見事と言っていいほどに、綺麗にかごの中で、散乱している。
「どうするの? このままかごに、入れておくの?」
この後のことを尋ねた。
上手くいくかわからないけど、ラルムには秘策があった。
「どうしようかって、思っている」
捨てろと言われたが、どうしても、捨てることなんてできない。
けれど、このままにしておくにも、無理があるような気がして。
そこで、思考が止まっていた。
「だったら、少しの間、貸してくれる?」
「いいけど、どうするの?」
「ちょっとね」
割れた欠片が入ったかごを、ラルムに預けたのだった。
読んでいただき、ありがとうございます。




