第86話 国王夫妻の語らい
「今頃は、楽しいひと時を過ごしているだろう」
今日一日、同じセリフをシュトラー王が呟き、また漏れた。
周囲が、呆れるほどだ。
落胆しているシュトラー王とは違い、明るい顔で王妃エレナが、傍らに寄り添っている。
楽しげに笑っているリーシャの姿に、思いを馳せ、その情景を目にできず、そのたびに悔しがっていた。
できることなら、その現場に立ち会って、一緒に穏やかで、和やかな時間を分かち過ごしたかったのである。
「混じりたいの……」
親友の孫娘を、自分の孫と、政略結婚させ、誰の目から見ても、わかるような溺愛っぷりを、周囲に見せつけていた。
誰もが、引くぐらいにだ。
「いいな、アレスのやつ」
悲しげな嘆息を、零すのであった。
執務室にこもっていたシュトラー王。
だが、必要な承認の書類に、印を押しただけで、無理やりに仕事を終わらせたことにし、残りの仕事を重臣の二人と、秘書官たちに押し付けたのだった。
そして、早々に、王妃エレナの部屋に逃げ込んだ。
外の世界の夫婦と、変わりない光景が、そこにあった。
あり触れた何気ない時間を、過ごしていたのである。
病弱な王妃エレナは、一日の大半を部屋で過ごし、公務や王室の行事、パーティーには参加することがない。
そんな王妃エレナの身体を気遣い、スティリア宮殿の中でも、最もいい場所に、王妃エレナの部屋があり、シュトラー王の部屋よりも、過ごしやすく、広い造りとなっていた。
「そっとしておいて、くださいね」
軽装の部屋着に身を包んだ王妃エレナが釘を刺した。
そうしなけば、密かにセルリアン王宮を抜け出し、アレス夫妻が滞在しているメイ=アシュランス子爵邸に、行く恐れがあったためだ。
憮然としたままで、黙っている。
チラッと、小さく笑っている王妃エレナを窺った。
長年、連れ添った間柄である。
何を企んでいるのか、手に取るように、お見通しだった。
これまでの実績も、しっかりと残っていたのだ。
「何度も、言うな」
何度も、聞いた忠告に、うんざり顔を滲ませている。
「では、行きませんね」
「ああ」
ソーマやフェルサからも、同じ忠告を受けていたのである。
執務室にこもっている間も、ソーマに口がすっぱくなるほど、言われていた。
逃げ込むために入った部屋でも、王妃エレナからの第一声が、行かないでくださいねだった。
「言わないと、わからない人ですから」
ニッコリと、有無を言わせない笑顔を覗かせている。
「私は、いかない」
「私は……ですか?」
首を僅かに傾げ、問いかけた。
意味ありげな視線に、居た堪れなくなる。
「……それぐらいは、いいだろう」
ムッとしている仕草に、可愛いと抱く。
顔色もよく、最近は庭園を散歩し、楽しむほどだ。
良好な具合に、シュトラー王初めとして、誰も喜んでいる。
「せっかくの時間を、台無しにさせないでくださいね」
「わかっている」
「本当ですか?」
くどいように、何度も、確認を取った。
「だから、絶対に知られるなと、厳重注意をしておいた」
目の前にいる、少し拗ね気味の姿に、困った人ですねと言う顔を覗かせている。
子供じみた仕草が、王妃エレナは、心配であり、好きだった。
限られた身近な人しか、見ることができない、国王の数少ない素の姿。
これだけ念を押しとけば、大丈夫ねと、胸を撫で下ろす。
「ところで、また二人に、迷惑をかけたそうですね」
「……別に、迷惑はかけてないぞ」
微かに、目が泳ぐ。
ほんの僅か前に、迷惑をかけたばかりだった。
「私のところまで、陛下が執務室にこもったままで、仕事をしないと、伝わってきましたよ」
追い討ちをかけるように、逃げ場を失った。
先ほどの件が、こんなに早く伝わっているとは、思ってもみなかったのだ。
「いけませんよ。忙しい二人を、困らせては」
秘書官たちには、しっかりと、口止めをしたはずだった。
しまったと言う顔から、瞬時に、烈火のように怒り出す。
微笑ましい姿で、王妃エレナが小さく笑っているだけだ。
あまりの形相に、秘書官辺りが見たら、怯え出すかもしれない。
「誰だ! エレナに話すとは」
バラした人間に腹を立て、勢いよく、撒くし立てた。
鬼気迫る迫力に、ただでは済まなさを滲ませている。
「捕まえて、潰してやる!」
かっかしているシュトラー王。
「誰も、話してませんよ」
「んっ?」
勢いあまって、立ち上がっていたシュトラー王が、視線を降ろした。
「独りでに、舞い込んできただけです」
「……」
本当か?と、疑り深い視線を投げかける。
そんな視線にも、臆しない。
飄々とする表情を、匂わせていた。
思案するシュトラー王が、判断を決め兼ねている。
「私の周囲の人間を調べさせたら、許しませんよ」
「……わかった」
普段、静かな王妃エレナだけに、怒らせると怖いのは、実証済みだ。
柔らかく、穏やかな声音ほど、恐ろしいことがない。
「出かけられないからと言って、それをソーマやフェルサ、秘書官たちに、当たるのもやめてくださいね。勿論、他の人もですよ。忙しいにもかかわらず、ワガママな陛下の分の仕事をなさっているのですから」
「……当たってない。ただ、気分が乗らなかっただけだ」
完全否定しないものの、多少の反論を口にした。
すべてを認めるのは、男の矜持が許さなかったのだ。
だから、僅かな抵抗を示した。
「それに、アレスばかりに、仕事を押し付けないでください」
「いずれは、国王となる人間だ。これくらい、どうってことはない」
正面を向いて、これについては、反論したのである。
いずれ後を継ぐアレスが、困らないように仕事を任せていた。
けれど、涼しさを増す王妃エレナの顔に、胸騒ぎを憶える。
「ですからと言って、アレスはまだ若いですし、新婚なのですよ」
「だから、私だって……」
「せっかくの新婚の時間を、削るのは、どうかと、私は存じ上げます」
有無を言わせない王妃エレナの態度。
思い至ることが、頭を掠めていたのである。
王太子の仕事以外に、シュトラー王の仕事の多くを任せていた。
いずれ後を継ぐためでもあったが、大半の理由は、面倒を押し付けていたのだ。
空いている時間を使って、昔の写真を眺めたり、クロスの行方を捜している者たちから、クロスのことを聞いていたりと、王としての仕事以外のことに、時間を費やしていたのである。
ちゃんと王妃エレナは、そんなシュトラー王の思考を見据えていた。
「……エレナ」
物静かな二人の攻防。
部屋に、侍女たちの姿がない。
二人だけの会話を、楽しむために、下がらせたのだ。
下がらしてしまったことを、後悔の念が襲っていた。
(逃げるべきか……)
頭の中に、扉が浮かび上がる。
「陛下。話は、終わっていませんよ」
「わかっている」
腰を浮かせようとした瞬間を、見逃さない。
座る位置を、直そうとしただけだと装う。
「アレスに、やきもちを焼いて、どうするのですか? リーシャは、アレスの妻なのですよ。常に一緒にいるのが、当たり前なのです」
「わかっている、そんなことは。次期国王としての勉強は、大切だ」
苦しげな、言い訳しか出てこない。
「自分が、一緒にいられないからと言って、仕事を放棄して、アレスに任せないでください」
「うっ……それは……」
策を練ろうとするが、妙案が浮かばい。
今回の攻防は、圧勝で王妃エレナが治めた。
「アレスは、アレス自身の仕事を、ちゃんとしていますよ」
「……」
「余計な負担は、掛けさせないでください」
恨めしげな視線を、平然としている王妃エレナに注ぐ。
「アレスは、私たちの孫なのですよ」
「わかっている、それぐらい」
「そうでしょうか? 孫が先に倒れる姿は、見たくありません」
「丈夫だ、あれは」
「陛下」
軽んじ気味なシュトラー王を、窘めた。
若く、健康体の身体でも、心配だった。
「……エレナだって、リーシャを呼び出して、お茶会など開いているそうじゃないか」
思わず、王妃エレナの口元が緩む。
(いくつになっても、子供みたいな人なんだから)
「えぇ。当たり前です。だって、あなたはクロス殿や、小さなリーシャに会いに、よく王宮を抜け出して、会っていらっしゃいました」
「それはだな……」
「それも頻繁に。私は、いつもあなたの話や、写真ばかり。せっかく、待ち望んでいたリーシャが、近くに来たのですから、楽しい時間を過ごしたいのは、当然です。いけませんか? 陛下」
何も言い返せず、渋面しているシュトラー王。
それに対し、王妃エレナは余裕の顔を窺わせる。
病弱なために、外に出られず、外の世界へ、飛び出してしまったクロスと、会えなくなってしまった。
いつも話を聞くばかりで、常々会いたいと願いを馳せていたのだ。
そして、クロスの孫が生まれると、その孫をひと目会いたいと、思いを膨らませていたのである。
「私が、時々、呼び出しているのですから、陛下は控えてくださいね。陛下まで、呼び出しをなさっては、リーシャに負担をかけてしまいますから。学校、公務、連日のパーティーや、レセプション、お后教育に、ハーツパイロットとしての訓練まであるのですから、これ以上の時間を与えては、可哀想です。わかってくださいますか? 陛下」
大量のスケジュールが、若き王太子夫妻に、組み込まれていたのだ。
二人だけの甘い生活なんて、丸々一日も過ごしたことがない。
それに、二人の周囲に、侍従や侍女、ボディーガードが、常に控えている。
そんな状況下で、新婚の蜜月なんて、過ごせなかった。
「わかっている。だから、こうして一緒に食事するのを、我慢したり、むやみに会いに行ったりは、していないだろうが」
ギリギリのところを、我慢しているのを、王妃エレナはすでに察していたのである。
ある程度、我慢させないと、何かと理由をつけ、むやみに会いに行くと、察していたので、ソーマたちと打ち合わせて、できるだけ会わせないように仕向けていた。
我慢させていることに対し、ご褒美も必要ねと、小さく微笑む。
「でしたら、時間が合いましたら、陛下も、お茶会に誘いましょう」
「本当か」
花が咲き誇ったように、喜ぶ。
親友クロスが消え去った後、その役目は、王妃エレナだけになってしまった。
「えぇ。ですから、皆に迷惑をかけないように」
「かけていないぞ」
無邪気な姿に、王妃エレナも、和むのであった。
「陛下の行動一つで、皆が、右往左往するのです。それを、気をつけてくださいと言っているのです。陛下だって、できるだけ早く、クロス殿に会いたいのでしょう?」
願いを汲み取り、上手い具合に、王妃エレナが導いていく。
「……勿論だ」
「でしたら、迷惑をかけないように」
「……行動には、気をつけるとしよう」
さっきまでの表情とは違い、威厳のある国王らしい素振りへと、変貌していた。
「ところで、クロス殿は、今どこに、いられるのですか?」
「ロスにいると、掴んでいたが、別なところへ、移動してしまっただろう」
世界各地に、潜らせている諜報員たちに、世界を飛び回っているクロスの行方も、常に探らせていたのである。
情報を元に、会いたい時に、密かに国を抜け出し、世界各地を、自由に飛び回るクロスに、会いに出かけていたのだ。
「ロスですか」
「ああ。また一から、行方を捜さなければ」
「頑張ってください」
「ああ。たぶん、ヨーロッパ辺りにくるだろうと、見込んでいる。イギリスとフランスに、新しい動きが入ったと、聞いたからな」
「では、どちらかに?」
「だろうな。向こうにも、動きがあったが、入り込むのは厄介だからな。それに、入り込まれたら、こっちが厄介になる。さすがに、お忍びで入り込むのが、難しいからな、あそこは」
「ですね」
「どちらかにいてくれれば、よいのだが」
情報が不確かで、確証がなかったのだ。
会いに行って、空振りの時も、あったほどである。
それほど、着の身着のままな旅行を、クロスがしていた。
「持っていくリーシャの写真は、お選びになったのですか?」
「勿論だ。まったく抜かりがない」
自信満々に、不備がないと自慢顔だ。
「あちらの、ご家族のは?」
「大丈夫だ。息子夫妻に、ユークの写真もある」
「それはよかった。これで、クロス殿も、安心できますね」
気にかけていたことが解消し、ホッとしている王妃エレナである。
「でも、あいつは怒る」
納得していない顔を覗かせていた。
「変な写真でも、入っていたのではないですか?」
きょとんとした顔を滲ませている。
「違う。一枚か、二枚で、十分だって言うんだ」
さらに、それはへんですねと、王妃エレナが首を傾げた。
「まぁ。でも、いろいろな表情も、ありますし……」
「だろう? だから、たくさん持っていくのに」
「困りましたね、陛下」
会いに行くたびに、リーシャや、その家族の写真を、数百枚、時に数千枚を携え、訪れていたのである。
その写真は、クロスに渡す分で、自分用の写真は、しっかりと保存されている。
気ままな一人旅に、不便な量は必要なかったのである。
それに気づかないまま、毎回シュトラー王は、クロスのために、大量の写真を持っていっていたのだ。
そして、毎回叱られる羽目となっていた。
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