第8話 それぞれ動き出す
翌日、アレスはクラージュアカデミーに久しぶりに登校していた。昨日の出来事はなかったかのように、いつもと変わることなく学校生活を送っている。
ホワイトヴィレッジで訓練を終え、誰もいない部屋にいた。
訓練用の二機のハーツを見つめる。
二機のハーツはにぶい光を放っていた。
「こんなもののために、また……」
ゆっくりと瞳を閉じた。
ハーツに誰しもが乗れるものではない。
ハーツの適合率が40%以上でなければ、ハーツを起動させられなかった。誰しもハーツに乗ろうと適性検査を受けるが、年2回行われる適性検査に合格する者は年々少なかった。
その適性検査を受ける者の多くは一般市民が主で、今の自分たちの生活を楽にさせたいと言う者や、今以上の栄光を手にしたいと言う者が多く集まっていたのである。
花形のパイロットに憧れる者は多く、ハーツの適合率が高くなければ、乗ることは叶わず、栄華を極めることは容易ではなかった。
選び抜かれたパイロットには、尊敬と憧れの眼差しが集められていた。
「……」
閉ざしていた瞳を開ける。
そこへ、同級生で紅一点のステラが、一人でいるアレスの元へ姿を現わした。
「おはよう」
特進科の一年生は十名しかおらず、特進科一年の半数の人間は貴族や大富豪の子息令嬢が多かった。その中で女子生徒はステラただ一人だった。そして、特進科は学年ごとによって生徒の顔ぶれや生徒の人数が決まっていなかったのである。
段々とステラはアレスに近づく。
表情が読めないアレスの前で、微かに微笑みながら立ち止まった。
ハーツの適合率の訓練を受けていたステラのブラウンの髪は、先程までまとめ上げられていたが訓練を終えた今は解かれていた。
ステラはデステニーバトルでのアレスの現パートナーだった。
微笑むステラは美しかった。
入学式にはステラのクールな姿に、科や学年を超えて大多数の男子生徒たちの視線が釘付けになっていたぐらいだ。
「随分と忙しそうね」
「ああ。さらに忙しくなりそうだ」
「じゃ、短い時間で訓練しないと」
久しぶりに二人で乗れると嬉しそうなステラ。
「訓練どころじゃない」
「どういうこと?」
「数日のうちに発表となるだろうが、結婚することになった」
淡々と結婚が決まった話を語った。
まるで他人のことを話しているようだ。
「えっ? 結婚って……」
「許婚がいた。それで結婚だ」
短い言葉に、ステラは何度も瞬きを繰り返す。
「……社交界やパーティーでも、そんな話は」
ステラは貴族の娘で、ブバルディア男爵の令嬢だった。男爵の爵位は貴族社会では一番低い爵位だ。こんなに近くで男爵令嬢のステラと王太子アレスが話すことは珍しいことだった。けれど、デステニーバトルのパイロットで、現パートナーと言うことで親しく話すことができたのである。
微かに自嘲気味にアレスは笑うだけだ。
「ホントに?」
「ああ。結婚する」
「……おめでとうと言うべきかしら?」
「好きにしてくれ」
中学の時からパートナーを組んでいた。互いに淡い気持ちは抱いていたが、それを口に出すことはなかった。
二人の関係は友達以上恋人未満だ。
「相手は?」
毅然とした態度を崩さない。
ステラのプライドが取り乱すことを許さなかった。
心の中は嵐のように吹き荒れていたが、その表情は平静そのものだ。
「この学校の生徒だ。美術科の一年で、リーシャ・ソフィーズだったか……」
「初めて聞く名前。どこの令嬢なの?」
「貴族じゃない」
ステラは眉を潜める。
「正確に言うと、元貴族の孫だ。後、僕のパートナーもその子に代わる」
「代わるって!」
「新しいパートナー、見つけてくれ」
「どういうことなの! アレス。私、納得できない。パートナーは、私……」
「これは決定事項らしい。それだけだ」
自分に降り落ちた出来事のはずなのに、アレスは他人事のように冷めた言葉を淡々と語っているだけだった。
近づきがたい雰囲気を時々出していた。
そんなアレスの姿を呆然とステラは見上げている。
「宮殿に帰る。当分、来れそうもない」
「パー……」
「決定事項だ」
「そう……」
立ちすくむステラを残して、部屋から出て行ってしまった。
その場に立ちすくむステラを一度もみようとしなかった。
アレスは宮殿での執務が残っているため、学校を早く切り上げた。
着替えを済ませて、地下から地上に上がっていく。
地下の入口から出ると、そこには珍しい人物が立っていた。
「ラルム」
自分に近づいてくるアレスに自らも近づいていった。
「珍しいな。お前が学校で、僕に会いに来るなんて」
「久しぶりだね」
「いつぶりだろうな……。何かあるのか?」
アレスとラルムはいとこ同士だった。
ラルムの父親ターゲスはシュトラー王の長男だったが、ラルムが九歳の時に病死してしまう。ラルム自身、王族の一人だったが、今は母方の旧姓を名乗っている。王室と距離を取っているので、ラルムは自分の正体を知られたくなかった。決して学校ではアレスと会わなかった。偶然に合ったとしても、自ら声をかける真似は決してなかった。
そんなラルムの行動を理解し、アレスもあえて声をかける真似はしなかった。
「ちょっと、話をしたいことがあって」
「何だ」
「リーシャは?」
「知り合いか? ……そうか同じ美術科か」
「彼女の様子は?」
「さぁな」
心配するリーシャの様子を聞けず、少しばかり落胆する。
他人を思いやれないアレスの性格を考えれば、仕方がないと思ってしまった。
気を取り直して、視線をアレスに傾ける。
「様子を知りたいと言うことは、親しいのか?」
今度は逆にラルムに質問した。
「……うん。クラス一緒なんだ」
「そうか。友人か」
ラルムは遥か遠くに思いを馳せる。
その遥か先に王族が住む宮殿があった。そして、今まさに身近にいたリーシャは宮殿の一室にいた。一昨日まで一緒にいたはずの存在が、突如として自分の手の届かないところへ行ってしまったと言う寂しい感情が否めない。
「……会いたければ、手を回そうか」
アレスの一つの提案に首を横に振った。
「会いたいんだろう? 僕と一緒なら会えるだろう」
「無理だ。おじい様が許すとも思わない」
「……そうだな」
部屋から出ることを許されないリーシャに会うのは厳しいだろうと思う。そして、会えるとしたら、それは何らかの答えを出した時だろうと思いを巡らしていた。
「まさか、ラルム。お前の知り合いと結婚するとは」
「……」
「どんな巡り合わせだ」
アレスを訪ねる前に、ラルムはすでにシュトラー王と会っていた。それを何度も面会を申し出たのに、ようやく話ができたのは今日の朝だった。
時間も短く、たった十五分程度だったが、会って話した時の光景を思い出していた。
淡々とした表情でアレスは話を続けた。
「陛下の親友の孫だそうだ」
「知っている」
「そうか。ま、そういうことだ」
口に出さなくても、自分に会いに来た時点でラルムが事前に調べさせただろうと見込んでいた。
「アレス……」
何か言いかけて、口を閉ざしてしまった。
「何だ? いいのか」
「うん。いい」
「宮殿に帰る」
「そうか。またな」
「ああ」
ラルムをその場に残して、立ち去ってしまった。
その場に立ち尽くしているラルムの両拳はギュッと握り締められていた。
「違えてしまった歯車……」
ラルムは振り向き、堂々と歩くアレスの後ろ姿を強い目で追った。
段々と小さくなっていく後ろ姿を見据えている。
その日の深夜。シュトラー王はすべての政務を終えて、王妃エレナの部屋を訪れた。ほとんどの仕事を若き王太子に押し付けていたが、リーシャとアレスの挙式に関することは真面目に仕事をしていたのだった。
テーブルを挟んで向かい合う形で二人は座り、侍女が紅茶とお菓子を置き終わるのを静かに待っていた。
侍女が部屋から出て行ったのを見届けると、シュトラー王は口を開き始める。
「どうだ? 身体の具合は?」
「調子がいいです」
心配している夫に安堵して貰おうと王妃エレナは思っていたからだ。結婚当初から王妃エレナは病弱で、表の舞台に立つことは少なかった。
そのせいかテレビなどの露出も少なく、王妃エレナの印象が民衆には薄かった。
実際に王妃エレナの身体の調子は良かったが、それは部屋の中と言う限定付きのものだ。
王妃エレナはめったに宮殿の外に出たことはない。若い頃はそんな王妃エレナの身体について問題になったこともあったが、それを一蹴させたのはシュトラー王の強固な態度だった。側室を娶るようにと言う声を吐き捨て、障害の妻は王妃エレナだけと定めた。
「そうか。あまり無理せぬようにな。これから忙しくなるのだから」
「そうですね。でも、大丈夫ですか?」
「反対か。エレナ」
「いいえ。反対はいたしません。私はいつでも陛下の味方です。ただ、二人とも幼いゆえに、少し心配するところがあります」
「そうか」
王妃エレナが何を懸念しているのかすぐに想像ができた。
法律を変えてまで結婚させようとする点が、王妃エレナは危惧しているところだった。婚約と言う形では?と言う意見を当初に提案したが、その意見にシュトラー王は首を横に振って否定した。
それ以降は何も言わずにただわかりましたと答え、夫についていっただけだ。夫の隠密行動を温かく見守り、そして、時には影ながら手伝っていた。
リーシャを宮殿に連れてくる件を知っていたのは、ただ一人王妃エレナだけだった。
重臣であるソーマやフェルサにも伏せて、シュトラー王一人だけでことを進めていた。唯一、妻である王妃エレナだけには理由を言わずに、何も知らないリーシャを宮殿に連れてくることを早めた旨だけを密かに伝えていたのである。
「大丈夫だ。クロスの孫だ」
「私も早く、会いたいです」
「ああ。その日も近い」
「似ておられますか? クロス殿に」
「似ておる。いい子だ」
「楽しみです。早くその日にならないかと、指折り数えています」
「私も久しぶりに会って、それは嬉しかった。まったく変わっていなかった、それどころか美しく成長していた」
嬉しそうに語る姿に、同じように嬉しい微笑みを浮かべる。
久しぶりに過ごす夫婦としての和やかな時間。
「羨ましかったですわ。リーシャ会いたさで、宮殿を抜け出して」
「が、クロスに叱られ、当分会うなと釘を刺された。その当分がどれだけ長かったか。……本当に小さい時だ、会えたのは。もっと会って話がしたかったのに、リーシャが気づくと言って、会わせてくれなくなったからな。クロスは」
昔を思い出して拗ねてしまう。
クスッと王妃エレナは笑って受け流した。
会いたがっていたシュトラー王に、クロスは小さかったリーシャを家から連れ出して、時々宮殿を抜け出してくるシュトラー王に会わせていた。けれど、徐々にリーシャが成長していく過程で、シュトラー王が国王だと認識ができるようになってからは会うことを拒否した。リーシャには無邪気なままでいてほしいと言う祖父としてのクロスの思いがあったからだ。
「それでも私は羨ましかったです。会っていたのですから。私はいつも写真だけ。ホント、つまらなかったです。でも、会えるのですね。やっと」
「ああ。楽しみにするがいい」
「はい。お待ちしております」
高鳴る気持ちを抑えるように、王妃エレナはゆっくりと返事をした。
長年会いたいと思っていたリーシャに会えると思うだけで、琥珀色の瞳はキラキラと輝いている。思いを馳せている妻の姿に、つられるように表情も普段の怖い表情とは違い穏やかな表情になっていた。
ふと、昔を思い返す。
「すまない」
真剣な面持ちに気づく。
「そんな言葉で片付くとは思っていないが……」
顔をしかめて苦痛な顔に、王妃エレナは優しい微笑みを返した。
何を言いたいのか、そして何を思って苦しんでいるのか、シュトラー王の胸の内にあるすべてがわかっていたからだ。
「そんな顔しないでください。折角の楽しいことが台無しですよ。さぁ、陛下。いつもの強気な態度、どうしたのですか」
王妃エレナの優しさに触れて、さっきまでの苦痛さは消えていた。
「そうだな。私らしくないな。……けど、大きな問題がある」
王妃エレナは首を傾げる。
「リーシャのことだ。何をどう話したら、いいものかとな」
「気持ち、そのままにお話しされればよろしいかと」
「そのまま?」
「はい。胸にある気持ちを素直にお話になれば、クロス殿の孫ですよ。きっと、理解を示してくれるのではないですか」
穏やかに微笑む妻を凝視する。
「私の知るクロス殿は、そういう方でした。私以上に陛下の方が、ご存じではないのでしょうか」
「確かに。エレナの言う通りだ」
「何を迷います。話せば、きっとリーシャも理解できると私は信じております。自信家の陛下らしくありません」
「私はそんなに自信家か?」
「はい。こうと決めたら、その道を貫くお方です。そんな陛下だから、私はついていったのです」
王妃エレナの笑みや言葉で悩みは軽減された。
「そうか、そうだな。では、すべてを話そう」
「はい。そうなさいませ」
話に夢中になっていた二人は、侍女が注いでくれた紅茶やお菓子に手付かずだったことに気づく。
「新しいものを用意させるか」
「はい」
シュトラー王は侍女を呼び、新しい紅茶にするように命じた。
「リーシャはどのようなものが好きかのう。いろいろと揃えねば」
「そうですわ。新しいドレスや服も用意しなくては。これで堂々と用意ができ、楽しみですわ。あっ、それと合わせてアクセサリーも用意しないと。どういったものが好きなのかしら」
「そうだ。忙しくなる、エレナも頼むぞ」
「お任せください」
「私の方でも用意させよう。リーシャの喜ぶ顔が楽しみだ」
「はい」
リーシャの話題で二人の話に花が咲く。
二人の話は遅くまで続いた。
読んでいただき、ありがとうございます。