第80話 メイ=アシュランス子爵邸に訪問1
玄関先に、当主ゲイリー・メイ=アシュランス子爵、養子となったユーク、子爵の姪で七歳になるシエロ、リーシャの両親ポルタとカーニャが、ソワソワと待っていたのである。
両親や弟以外、歓喜に満ちる翡翠の瞳に、入っていない。
家族とは、スマホで何度も話していたが、実際に会うのは、結婚式以来だった。
挨拶もしないで、飛び込んでいった娘リーシャを労わるように、両親は優しく、頭や背中を撫でてあげた。
時間が戻ったような三人。
ユークは顔を綻びながら、眺めていたのだ。
すっかり両親も、段取りを忘れたようで、久しぶりに顔を合わせることができて、いろいろと畳み掛けるように話しかけていた。
「パパ、ママ」
しっかりと、両親を抱きしめている。
温かな二人の間で、顔を埋めていた。
「元気だったかい?」
「うん。パパ」
「食事は食べている? 寝坊して、食事抜きはしてない?」
心配げに、娘の日常を気にするカーニャだった。
してあげられず、ずっと気にかけていた。
「大丈夫、ママ。ユマたちが起こしてくれるから。だから、寝坊はしていないよ」
「それは、よかった」
少しだけ、安心する両親。
埋めていた顔を上げ、穏やかな両親に顔を見せた。
「ママも、パパも、元気?」
「元気よ。毎日、パパを仕事に出すのが、大変」
「だって、ママ。二人暮しは、初めてだろう? 新婚の時は、父さんもいたし。何か二回目の新婚みたいで、ママと一緒にいたいのに」
変わらない甘々な二人の姿に、思わず顔が緩む。
「パパったら」
恥ずかしさを打ち消すように、無邪気なポルタを窘めた。
そんな反応も気にせず、ますます甘さが増していく。
「な、リーシャ。少しは、甘えさせてくれても、いいよな。大好きなんだから」
「あ、あなた。子供の前で……」
子供たちの前でも、平気で愛を囁く。
「パパも、ママも、相変わらずね」
「そうだよ、お姉ちゃん。俺やゲイリーさん、シエロがいるのに、イチャイチャするんだ、恥ずかしいよ。お姉ちゃんからも、言ってくれよ」
見慣れた光景とは言え、恥も外聞もなく、妻カーニャを愛してやまない姿に、呆れるしかない。
どこでも、いつでも、妻カーニャに、尽きることがないぐらいに、愛を囁くのである。
二人は、そんな境遇で育ち、すくすくと成長したのだった。
「パパ。ママに嫌われない程度に、しておかないと、ママ、キレるわよ」
「わかったよ。仕事には遅れないように、努力してみるよ」
「だって、ママ」
約束を取り付けてから、疑いの眼差しを傾けているカーニャに、視線を移した。
「どうだか。パパは口先のところが、あるから」
クスクスと、笑う子供たち。
こうした暖かな時間の流れが、結婚する前まで、毎日のようにあったのだ。
結婚と同時に、家族はバラバラに暮らすようになり、それぞれ口にしないけれど、何とも言えない寂しさを、お互いに募らせていたのである。
しばらくの間、ゲイリーからの王太子夫妻への挨拶が、遅れてしまう羽目となった。
現在の当主ゲイリー・メイ=アシュランス子爵は、リーシャの祖父クロスのいとこの息子に当たる人だった。
軍人家系でもあったが、ゲイリーは軍人ではない。
ゲイリーの母親の代から、会社経営を携わっている。
若きエリート軍人で、当主を務めていたクロスは、一人息子で、他に兄弟がいなかったために、多少の継承問題のいざこざが生じさせていた。
だが、シュトラー王とクロスの意向で、クロスのいとこで、年若いニクスと言うメイ=アシュランス子爵家の流れを組む、女性が継ぐことになったのだった。
現在は、ニクスの息子ゲイリーと、亡くなった妻側の姪シエロと、二人して屋敷で暮らしていた。
幼いシエロに、メイ=アシュランス子爵家の血は流れていない。
リーシャが王太子アレスと結婚し、弟ユークがゲイリーの養子となり、古くからある子爵家の継承が守られたのである。
アレス、リーシャ、両親や弟が、部屋に入り、ひと時の時間を過ごすことになった。
ゲイリーやシエロは遠慮し、家族で過ごせるように計らったのだ。
それぞれに近況を語りながら、部屋へ入っても、お喋りが続いていた。
長ソファにリーシャを挟んで、両親が腰掛け、弟のユークは、リーシャや両親の前に、直に腰を下ろし、聞き入っていたのである。
取り残された形となり、アレスはその中へ、入っていこうとしない。
食事する際に、絶え間なくお喋りをする姿と、照らし合わせ、納得するのであった。
大きな窓の近くに、一人用のソファがあり、それに腰掛けたのだった。
直に座るユークのような真似が、できなかったのである。
(品格と言うものがないな、あれたちには)
ふと、以前に、二人して夜中に宮殿を抜け出し、評判が悪いと称される裏街に、行ったことを思い出したのだ。
リーシャの勘のよさで、カジノの男たちに追われる羽目になり、裏街の中を逃げ惑っていた。
その最中に、カーラと言う裏街の中では、一目置かれる女性に助けられる。
その家で匿って貰った際に、腰掛けるところがなかったのだ。
何の躊躇もなく、リーシャが直に床に座ったことを、思い出していたのだった。
(姉弟揃って、よくあんなところに、座れるものだ)
視線の先を、両親や姉の話に、耳を傾けているユークから、アレスの存在を忘れているリーシャに移し変えた。
これまで見たことがないぐらいに、父親に抱きつき、甘えていたのだ。
その甘えきっている表情に、ポルタが蕩けそうな顔で、くだらないことを延々と語っている。
それに対し、嬉しげに相打ちを打ったりしていた。
家族とのかかわりが、薄いアレスにとって、想像を超える衝撃だった。
(あれが、父親なのか……)
威厳と言うものが、感じられない。
本当に、父親なのかと、疑ってしまうほどだ。
周りにいる人間を、照らし合わせても、ポルタのような人間がいない。
(威厳を撒き散らすか、無視しているか……じゃ、ないのか……)
子供に対し、甘い人間を見たことがなかったのである。
仮宮殿での食事の席で、両親の話題が、よく上がっていた。
随分と、甘い父親だと言う認識を持っていたが、実際に目の前にすると、予測の範疇を超える甘さぶりに、珍獣でも見るような双眸で見入ってしまった。
それと同時に、どうして自分の両親と、リーシャの両親は、こうも違うのだろうかと、頭の中で比べてしまう。
あまりに、違い過ぎるのだ。
両方の両親の対応の仕方が。
あれやこれやと耽っていると、今度は母親の方に、抱きついていった。
(あいつは、抱きつき魔か)
四人の会話が、尽きないらしい。
どうにか、嘆息を零したいのを抑える。
ふと、自分の娘しか、興味がないように思えたポルタと視線があった。
しまりのない顔で、軽く頭を下げてくる。
それに応じるように、アレスも軽く頷いた。
「王太子殿下も、こちらで、どうですか?」
(ごめんだ。何を話せばいいと言うのだ)
「いいのよ、パパ」
口を開くよりも早く、リーシャの口の方が動いた。
「……」
寡黙に黙っているアレス。
お前は喋り過ぎだと、突っ込みたいのを我慢している。
両親や、ユークの前だからだ。
さすがのアレスも、両親の前では悪態をつけない。
ばつが悪い顔で、カーニャがまだ抱きついているリーシャを、見下ろしていた。
「そうなの? リーシャ」
不思議そうに、ポルタが首を傾げている。
「うん。静かなのが、好きみたい。でも、アレス。こっちに来て、みんなと話す?」
(くだらない話に、付き合えるか!)
心の内で、噛み付いている。
ヘぇーと驚いているポルタやユーク。
場の空気が読めない娘に呆れつつ、威厳のある態度のアレスに、カーニャが萎縮していたのだ。
その性格は、父親ポルタ譲りだった。
どうするの?といった顔に、腹が立った。
だが、人がいる前で、口を開くことができない。
のほほんとした声音で、ポルタが誘う。
「どうぞ。お気にしないで、こちらに来てください」
「そうです。王太子殿下も」
気遣うように、ぎこちなくカーニャも誘ってきた。
けれど、その双眸は、どう話していいのかと、戸惑っているのがわかっていたのだ。
「いや、結構です」
「そう。楽しいのに」
(どこがだ!)
心の中で、突っ込んだ。
そんな突っ込みをされているとは知らず、家族四人はくだらないお喋りに、花を咲かせていた。
気づかれないように、そっと眺め、アレスは観察していたのである。
距離的に、さほど離れていない。
超えられない、境界線のようなものを、自分とリーシャたちの間に感じ、疎外感を抱かずにはいられなかった。
(別なご褒美にすれば、よかった……)
楽しく語らっている四人の姿から、視線を外し、窓に映る四人の楽しげな光景を眺め続けていた。
これまでにないぐらいに、嬉しそうなリーシャの顔を、凝視していたのである。
(その顔は、僕にだけ……見せればいい……)
語らっていると、突然、カーニャが立ち上がろうとした。
「どうしたの? ママ」
「食事の支度。せっかくだから、ママの料理を、リーシャに食べて貰おうと思って」
「本当に? 久しぶりに、ママの料理が食べられるの?」
久しぶりの手料理に歓喜し、はしゃいでいる。
いくらおいしいものを食べられるとは言え、馴染んだ味が恋しかった。
「ゲイリーさんに、お願いしたから」
「楽しみ」
「でも、宮殿で食べている料理とは、違うから、ちょっと心配」
常に、おいしいものを食べ、舌が肥えているだろうと、自信がなかったのだ。
予想に反し、大喜びをする姿に、ひとまず安堵するのだった。
どんなにおいしい料理でも、大好きな母親の手料理に、飢えていたのである。
自信が喪失かけていたカーニャを、胸を張って、ポルタが励ます。
「大丈夫だよ。ママの料理は、世界一美味しいから。パパが証明するよ」
朗らかな励ましに、小さく笑う。
「私も、ママの料理は、大好きだよ」
「ありがとう、リーシャ。でも、パパは当てになりません。何だって、美味しいしか、言わないんだから」
「だって、ママの作る料理、全部美味しいんだもん」
「「ご馳走様」」
小さなノックが鳴ったと思ったら、ゆっくりとドアが開かれた。
姿を現わしたのは、シエロだった。
しどろもどろしている姿に、穏やかな微笑みと共に、ユークが声をかける。
「シエロ、大丈夫。入っておいで」
手招きすると、嬉しそうにユークに駆け寄っていった。
玄関先での挨拶の時でも、ユークの傍らに、ピッタリと寄り添うように立っていたのだ。
とてもユークに懐いている様子だった。
「ゲイリーさんの姪の、シエロだ」
ユークの隣に同じように、直に座り込んだシエロに、アレスが眉を潜めた。
(あんなところに座るとは、仕込まれたのか)
じろりと、シエロのことを紹介しているユークを窺う。
「よろしくね、シエロ」
「王太子妃殿下……」
緊張した面持ちで、口にしているシエロに話しかける。
「お姉ちゃんでいいよ。シエロ」
ニッコリと、微笑むリーシャ。
「私は、そう呼んでほしいな。いや?」
(立場をわきまえろ、王太子妃殿下だ)
「言った通りだろう? シエロ。お姉ちゃんで、大丈夫だって」
「うん。ユーク」
無邪気に、シエロが笑っていた。
きょとんと立ち尽くしている小柄な身体を、自分の膝に乗せたのである。
突然のことで、びっくりしていた。
「きゃ、可愛い。柔らかくって、可愛いね、シエロは。妹ができたみたい」
まだ、驚きの顔が消えない。
柔らかい頬や、頭を撫でていく。
「可愛いだろう、お姉ちゃん。でも、シエロは、俺の妹分だ」
「何よ、いいじゃない。ユークの妹分なら、私にとっても、妹よ」
睨み合い、火花を散らし始める二人。
新しくできた妹を、姉と弟で取り合っていた。
「俺の妹分だ」
「私のよ」
「シエロ、こっちにこい」
「ダメよ。ここにいてね」
どちらの方に、従った方がいいのかと思案中だ。
「いい加減にしなさい」
「「だって、ママ」」
いつまで経っても、子供のままの二人を、呆れ顔で睨んでいる。
「まだ、小さいのよ。みんなで遊びなさい。怖がっているじゃないの」
小さい声で、大丈夫ですと気遣いもみせる。
さすがに、やり過ぎたと、反省する二人。
「「はぁーい。ママ」」
「はいは、短くよ、二人とも」
「「はい……」」
「ママは、料理を作りに行くけど、仲良くね」
「はい」
「パパも、お手伝いにいってくるよ」
優しげな眼差しで、事の成り行きを窺っていたポルタだった。
「ケンカせずに、二人共仲良くね」
「わかっているわね。リーシャ、ユーク」
最後に、もう一度だけカーニャが釘を刺した。
すぐに、言い合いをする二人が不安だったのだ。
「もうしないってば、ママ」
「そうだよ、信じてよ」
「わかったわ」
ポルタとカーニャが、部屋を出て行くと、三人は庭で遊ぶことを決めた。
傍観していたアレスを誘ったが、即座に断って、三人は瞬く間に、庭へ出てしまう。
そして、アレスが座っている位置から、庭で遊ぶ無邪気な三人の姿を捉えていた。
年齢も考えず、小さな子供のように遊ぶリーシャ。
呆れるしかない。
はしゃいで遊んでいる姿は、十五歳の姿と思えなかったのだ。
(歳を考えろ。大人としての自覚が、まったくない)
けれど、終始アレスの視線は、無邪気にはしゃぐ姿を追っていた。
読んでいただき、ありがとうございます。




