第67話 不機嫌なアレス
仕事の一つである会議を終え、アレスは自分の部屋に戻ろうと、筆頭秘書官ウィリアムと、ボディーガードを引き連れ、廊下を歩いている。
頭脳明晰で、容姿端麗なアレス。
ヨーロッパにある王制君主であるアメスタリア国の、国王シュトラー王の孫で、次期国王であり、国民にとってはアイドル的でもあった。
それが表の顔だった。
実際は、無言の圧力で周囲を黙られ、不機嫌さを振りまいていた。
飄々と歩く姿に、疲れた表情が出ていない。
大の男でも、音を上げるほどの、ハードスケジュールである。
心身に疲れは、溜まっていたのだった。
連日のパーティーや、公務の出席など、いろいろな行事が重なり、分タイムで動き回り、疲労が蓄積していたのである。
冷静沈着の切れ者と称され、感情を表に出さない、どこか冷たい印象を、凭れることが多かったのだった。
だから、そんな状態に陥っても、誰にも気づかれない。
自分の部屋に近づくにつれ、仰々しく歩くことに辟易していた。
毎日のこととは言え、相当な疲れが、蓄積されていたのだ。
そのせいもあり、ほとほと誰かを連れ添って歩くことから、解放されたかった。
先頭を歩いているアレスが、突如、立ち止まる。
「もういい、下がれ」
「ですが……」
「いいと、言っている」
部屋まで着いていこうとするウィリアムたち。
言葉と、態度で制した。
そして、苛立ちを、振りまいてだ。
「……わかりました。では、失礼します」
さすがに長年仕えていることもあり、アレスの性格を把握していた。
どこへ行こうと、ついてくるウィリアムと、ボディーガードが下がっていく。
下がったことも確かめず、歩みを進めた。
宮殿では、たくさんの人がいて、監視カメラが設置されていたので、一人っきりになると言うことが難しいのである。
誰に見られているとも限らないので、表情はそのままで、心の中で一人になったかと、溜息を零した。
視界の斜め上に、しっかりと監視カメラが作動していたのだ。
幼少の頃より、周囲に誰かしらついていることに、うんざりしていた。
けれど、王太子としての立場で、許される訳がなかったのだ。
自分の部屋の前に辿り着き、ゆっくりと扉を開く。
僅かに、瞠目し、その場に踏み止まってしまう。
「おかえり」
のん気な声で、アレスに声をかけた。
妻となったリーシャが、無断でアレスの部屋でくつろぎ、帰ってきたアレスを出迎えたからだった。
夫婦とは言え、互いに高校生の学生でもあるので、部屋が別々にあった。
勝手に、部屋に入り込んでいたのだ。
部屋はリーシャ一人だけで、専属の侍女の姿が見えない。
冷たい眼差しを、ソファに佇む姿に降り注ぐ。
そんな態度を気にする様子もなく、自分のペースで話し始める。
「随分遅かったね。よくわからないけど、会議って、大変なんでしょ?」
「……」
ムッとした顔を崩さない。
「朝も、昼も、いなかったけど、食事は取ったの?」
「……」
新婚の二人に、甘い雰囲気がない。
二人が通う、クラージュアカデミーは休みで、アレスは朝から、執務や会議などの仕事をこなし、美術科を専攻しているリーシャは、課題の絵を描いたり、王太子妃としての教育を受けていて、朝から顔を合わせていなかったのだ。
二人のスケジュールが合わず、顔を合わせない日が、これまでたびたびあった。
時間を見計らい、アレスの部屋を訪ねたのである。
朝も、昼も、一人で取る食事が味気なく、少しでも顔を見たかった。
そして、話をしたかったのが、本音だった。
無邪気に話しかける姿が、徐々に消えていく。
「?」
いつもに増して、様子がおかしかったからだ。
それどころか、表情が不機嫌になっていった。
語りかけようとするリーシャに、近づいていく。
「出て行け」
冷たい一言だけ、放った。
開きかけていた口が、静かに閉じられ、渋面を滲ませていた。
冷たい眼差しは、いつものことだったが、いきなり出て行けに、ムカついたのだ。
抱きかかえていたクッションに、力が入り込む。
そんな仕草を、憮然とアレスが見据えていた。
出て行こうとはしない態度に、さらに言い募る。
「さっさと、出て行け」
目の前にいる顔を、見たくなかった。
朝の食事に用事を作り、食事の席につかなかったのである。
わざと、顔を合わせないように、仕組んでいたのだった。
昨日のある出来事を目にしてから、苛立ちが止まらなかったせいだ。
その張本人とも言えるリーシャと、会いたくなかった。
その出来事とは、学校にいる際に、リーシャといとこのラルムが、楽しげに一緒にいる現場を目撃したことである。
実際に、二人だけでいた訳ではない。
友人のナタリーたちも、傍で語らっていた。
けれど、アレスの視界に、二人だけしか映っていなかったのだ。
これまでに、そういう場面に何度も遭遇し、そのたびに理由もわからず、不機嫌になっていった。
だからこそ、避けていたのだった。
脳裏に、微笑むラルムの姿があった。
理不尽な不機嫌さに、怒りたい気持ちを我慢し、リーシャが深呼吸する。
眉間のしわを、無理やりに戻していった。
引きつる口を、一生懸命に押さえ、何気ないように装う。
「今日ね……」
言葉を遮り、冷ややかにかぶせる。
「出て行け」
「……」
(もう、無理。絶対に無理。何で、出て行けしか言わないのよ。それ以外に、言葉を知らないの? コミュニケーションを取る気がない訳? 私は、取りたいのに。私はアレスを知ろうとしているのに、なぜアレスは、私を知ろうとはしないの? 私の顔は、見たくなかったの? 私は見たかったのに。信じられない!)
悶々とした怒りが、込み上がっていく。
同時に、哀しみも、襲っていたのである。
少しずつだが、距離が縮まり、仲良くなれたような気がしていたのだ。
秘密の約束を通じて。
けれど、非常な一言で、ひびが入ったような気がした。
時間が過ぎれば、仲良くなれると抱いていたが、こんな状況では、とても仲良くなれるとは思えなかった。
時間が解決してくれるから、大丈夫と言う両親の言葉が、脆くなりかけている心を必死に支えていた。
湧き上がる気持ちをぶつけようとした。
だが、これではいつもの口ケンカと変わらないと、思い直したのである。
アレスの部屋に来る前に、今日こそは、口ケンカをしないで話すと決め、ここに訪れたのだった。
ふと、机に飾ってあるクリスタルの置物に、視線が止まる。
机に、透明のクリスタルの置物が、いくつも飾られていたのだ。
イルカや白鳥、天使など、様々な形が、綺麗に並べられていたのである。
呼ばれるように、クリスタルの置物に吸い寄せられていった。
「可愛い。それに凄く綺麗、透明で、よく見える……」
翡翠の瞳を近づけ、クリスタルの置物越しに、部屋をぐるりと見渡す。
怒っていたことも忘れ、許可なしに、クリスタルの置物に触れていた。
アレスが美術系に興味がないと、思っていたので、意外だったのだ。
そして、同じ共通項を見つけ、その心は人知れず、はしゃいでいた。
突如として、はしゃぎだした光景を、疑問に抱きながらも、表面上に出さず、イライラしながら眺めている。
(出て行くのではなかったのか? 呆れたものだ)
他の者たちだったら、すぐさまに退散していた。
不穏なものを感じ取れば、誰もアレスから離れていった。
これまでの誰とも、似ていなかったのである。
初めて経験することで、戸惑いが拭えない。
「これ、どうしたの?」
視線の先は、持っているイルカの造形したクリスタルの置物だ。
不純物がない、透き通っているクリスタルに、キラキラと輝かせる翡翠の瞳を注ぎ込む。
他のものは、入らないようだった。
そんな姿に、自分を無視されたような感覚を憶える。
そして、それは自分のものだと、感情が湧き上がった。
無言で、見入っているリーシャに近づく。
持っているイルカの置物を、乱暴に奪い取った。
瞬く間な出来事に、目を見張り、呆然とアレスの顔を見上げる。
「僕のものだ。勝手に触るな」
「ごめん。でも、触るぐらい……」
「ダメだ」
はっきりと、吐き捨てた。
頑ななアレスの態度に、拒絶されたような錯覚を憶える。
これまでのリーシャだったら、すぐさまに反論したが、勝手に触った自覚があったので、何も言えなくなってしまう。
それに、目の前に立っている姿が、とても怖い雰囲気で、口を噤んでしまった。
「じゃ、それ、どうしたの? 買ったの? それとも貰ったの?」
「ウィリアムが、飾った」
「ウィリアムが? アレスの趣味じゃないの?」
「趣味か、趣味じゃないかは、関係ないだろう」
答えるのが、面倒だと言う態度を匂わす。
「関係あるじゃない。趣味なら……」
「関係ない!」
はっきりと言う物言いに、二の句が出てこない。
辛うじて頑張っていた欠片が、一つ落ちてしまった。
「ウィリアムが飾ったものだが、ここに置いた時点で、僕のものだ。だから、勝手に触ることを許さない。二度と触れるな」
「……」
鋭い視線で、フリーズしているリーシャを見据えている。
何度か、開きかけようとした唇が、硬く閉じられてしまった。
二人の間に、長い沈黙が流れた。
伏せられていた顔が、上げられる。
「もう、二度と触らないわよ! アレスのバカ!」
勢いよく、リーシャが部屋を飛び出した。
気持ちが乱れているアレスが、後を追うような真似をしない。
ただ、後ろ姿を眺めていただけに過ぎない。
(何が、バカだ)
姿が消えても、しばらくドアを眺めていたアレス。
奪い取ったクリスタルの置物を、元の位置に戻す。
ずれてしまった、他の置物の位置も直した。
いつの間にか、沈んでしまった心が晴れない。
それどころか、どんどんと雲って、雨が降り始めてしまったのだ。
一人っきりの部屋で、嘆息を吐いた。
(やり過ぎたか……)
原因が、わからない。
少しだけ、自分に非があるのかもしれないと抱く。
出て行った際に、涙を堪えている顔を巡らせ、気持ちがズシンと沈んでいった。
からかって、怒らせて楽しむことをしても、泣かせようとは思っていない。
ただ、いつもは気持ちのコントロールができるのに、最近はそれができないことが多くなっていた。
涙を出させるまで、咎めるつもりがなかったのだ。
けれど、現実に、そこまで追い込んでしまった。
不意に、古い箱の存在が脳裏に浮かぶ。
それは、ラルムから、三人は出会っていたと、話を聞いた時に思い出し、その後、こっそりと、思い出の品を仕舞い込んだ箱を、見つけ出していたのである。
その古い箱を、他の誰にも知られないように、机の引き出しに入れていた。
引き出しから、古い箱を取り出す。
箱自体は、大きくはない。
元々、白かった箱が黄ばんでいた。
箱には、三人で撮った写真の他に、ラルムが持っていない透明な包みに、包まったキャンデーが、一粒入っていたのである。
古い写真は、ラルムが持っている写真と、同じものだ。
当時、写真にも、キャンデーにも、興味がなかったが、捨てることができず、なんとなく、箱に仕舞い込んでいたのである。
それを、ラルムに写真や話を聞き、忘れていた遠い昔の過去が、すっかり蘇っていた。
「元気が出るキャンデーか……」
光に翳して、一粒のキャンデーを見つめる。
色褪せることなく、キラキラと輝いていた。
読んでいただき、ありがとうございます。




