第65話 距離が近づいていく
午後になると、リーシャがラルムと一緒に体力造りのため、ホワイトヴィレッジに降りていく。
本格的な訓練を、まだリーシャは受けていない。
初心者で、ずぶの素人なので、まず体力造りから始めることになったのだ。
海外にいても、訓練を受けていたラルム。
体力造りをすることはなかったが、彼自身の希望により、同じメニューをこなすことになったのである。
着慣れないパイロットスーツを装着し、着替えがすでに終えているラルムが待つ、休憩室に到着した。
休憩室にラルム一人しかいない。
他の生徒たちは、それぞれの場所で、すでに訓練を始めていたのだ。
そのせいもあって、他の生徒と顔を合わしていなかった。
王族専用の個人ルームが与えられ、そこで着替えたのである。
「大丈夫? 着替えられた?」
しっくりしていないようで、何度も自分のいでたちをリーシャが確かめている。
慣れているラルムは、さっさと着替えを済ませ、待ち合わせをした休憩室で待っていた。
不安げに、装着の仕方を聞いてきた顔が思い出される。
「うん……」
身体に見事にフィットし、逆に着心地が悪い気がしていたのだ。
自分の腕などを上げ、慣れないパイロットスーツの感触を確認している。
そんな姿を眺めていたラルムが、小さく笑った。
他愛もない素直な仕草だ。
飽きずに、笑みを誘っていたのだった。
「凄いね。言われた通りに着たら、ぴったりサイズ合ってるの。着た時は、ブカブカだったのに。どういう仕組みに、なっているんだろう」
興味津々に窺っている姿が、愛らしかった。
「面白い?」
「うん。面白い」
無邪気な感想を吐露した。
個人ルームに入る前に、装着の仕方を知らなかったので、慣れているラルムに教わったのだ。
装着した後に、腕にあるスイッチを押せば、エアーが抜け、ぴったりと身体に合う仕掛けになっていたのである。
それを以前来た時は知らず、あたふたとして戸惑ってしまったのだった。
ニッコリと、パイロットスーツを着た姿を見て、微笑む。
つられるように、リーシャも笑顔が零れた。
「似合ってる。どこからどう見ても、パイロットだよ」
「ホント?」
感激し、頬を染める。
もう一度、自分のパイロットスーツ姿を、自分の翡翠の瞳で捉えていた。
違和感が、完全に拭えた訳ではない。
似合っていると言う一言に、ホッと安心感が芽生えたのだ。
大丈夫、自分は頑張れる気がすると思えた。
「ホントだよ。どこからどう見ても、格好はパイロット」
「一言、余計よ。ラルム」
ちょっと拗ねた仕草を覗かせた。
暖かく包むような微笑みを、ラルムが携えている。
不意に、あまりに身体にフィットしているせいで、身体に何も身にまとっていない感覚に襲われていたのだった。
着ている感覚が、ほとんどないのである。
(何か、裸で歩いているみたい。変な感じ。……それに近くに誰かいると、裸を見られているような気がするな……)
急に狼狽え始めるリーシャ。
「どこか、変なところでもあった?」
「何でもない」
違和感を一つも抱かないラルム。
(ラルムは、変に感じないんだ)
「じゃ、体力造り始めようか」
「うん」
特進科の生徒とは別で、専任のコーチたちと一緒に体力造りを行った。
授業を終え、真っ先に向かったのは、アレスが待つ迎えの車である。
先に授業を終えていたアレスの方が、先に迎えの車に乗り込んでいたのだった。
「早かったのね」
海外新聞を読んでいたアレス。
返事をせず、新聞を読んでいるだけだ。
一緒に登校し、ここで別れてからの久しぶりの再会だと言うのに、愛想の一つもない。
深夜から明け方まで一緒にいたのに、つれない態度に、ブスッと不服な顔を滲ませる。
(可愛げがない。……最初から、なかったか)
「返事ぐらいしたら?」
二人を乗せた車が、すでに走り出していた。
乗り込んだ一分後に、出発していたのである。
ふと、海外新聞に、目を止めた。
唯一、わかるのは写真ぐらいだ。
「……どこが面白いのよ。読めない文字ばっかり」
「読めないのは、お前だけで、僕には読める」
身も蓋もない言い方に、ムッとしている。
アレスの方は、新聞に視線を傾けたままだ。
いっこうに自分の方を見ない態度が許せない。
(話す時は、相手を見なさいよね!)
「話せるのね。口が聞けないのかと思った」
ひねくれた言葉しか出なかった。
本当はもっと楽しい話をしたいのに。
「……。訓練が終わったと、報告があったのに、なぜすぐに来なかった? 時間が掛かり過ぎだ。一体、王太子の僕を、何分待たせる気だ」
ホワイトヴィレッジにいた際に、リーシャの訓練が終わったと、報告を受けていたのである。
それなのに、いくら時間が過ぎても、迎えの車に姿を見せなかったのだ。
「えっ……、あ、ごめん。パイロットスーツが面白くなっちゃって、着たり脱いだりして遊んじゃった」
自分に非があると知って、すかさず謝った。
好奇心が疼いて、訓練が終わった後、個人ルームでパイロットスーツを脱いだり、着たりし、時間を忘れて一人で遊んでいたのだった。
「……」
バカにするような視線を注いでいる。
想定外の行動に、呆れるしかない。
「何よ、いいじゃない。だって、面白かったんだから」
「どこが面白い? お前の思考が、面白いんじゃないのか」
パイロットスーツのどこが面白いと逡巡するが、面白がる思考がわからない。
呆れ交じりの嘆息を、首を竦めながら漏らした。
ありありと、自分をバカにしていると察する。
満杯になるまで、頬を膨らませた。
「太ったのか」
冷めた口調で、見たままを口にした。
「どうして、いちいち私のこと、バカにするのよ」
「別に」
「別にとは、何よ。みんなが憧れる王太子って、どこにいるのかしら? ここにいるのは……」
凍てつくような冷たい視線を、リーシャにぶつけた。
その痛い視線で、最後まで言葉が紡げない。
「くだらない論争だ」
「ちょ、ちょっと……」
海外新聞に戻ってしまった。
放出するオーラが、くだらない話はするなと言っていたのである。
「信じられない」
剥れた顔を、正面に傾けた。
前方にいる二人のボディーガードたち。
ミラー越しに、二人のやり取りを眺めていたが、リーシャが正面に傾けた瞬間、ミラーから視線を剥がしたのである。
アレスは気づいていたのだ。
ボディーガードたちが、自分たちをミラー越しから傍観していたことに。
だから、論争をやめ、海外新聞に視線を戻したのだった。
そうとは知らず、ブツブツと文句を零している。
(なぜ、体面と言うものを気にしない。少しは、王太子妃と言う体面を気にしてほしいものだ)
世界の社会情勢を読みながら、その反面ずっとこのままリーシャの方が面白くって、飽きないと思う気持ちが、見え隠れしていたのだった。
しばらくの間、車が二人の住まい、仮宮殿があるセルリアン王宮に向かって走っていると、急に翡翠の瞳を輝かせ、アレスの腕を掴む姿があった。
「昨日、楽しかったね」
「……」
余計なことは言うなと、顔を顰める。
でも、リーシャは気づかない。
「アレスって、チェス得意なんだね。難しいけど、またやりたいな」
キラキラと懇願する瞳を注いでいる。
何を言いたいのか、察しがついていた。
「……ダメだ。弱過ぎる」
「やりたい。今度は言うこと、ちゃんと聞くからね。ねぇ、アレス。お願い」
子犬のような目で、懇願するが首を縦に振らない。
「ダメだ」
僅かに口を尖らせるリーシャ。
「ダメ、ダメ、ダメばっかり。ダメしか言えないの?」
「面倒だ」
「面倒とは何よ。元々は、アレスが言い出したことじゃない」
声のトーンが落ちていった。
最後の方は、呟きにしか聞こえないほどだ。
さすがに、昨日の出来事を口にできないのはわかっていた。
ここまで言っても、ダメなアレスを説得できる自信がない。
短い二人の生活の中で、把握しつつあることだった。
ブツブツと、また呟き始める。
「……」
無表情でいるアレスが足を組んだまま、動こうとしない。
すると、しゅんと落ち込んでいるリーシャのスマホが鳴り響く。
気になって開くと、メールが届いていた。
「へっ?」
その相手が、隣に座っているアレスだった。
何度も、瞬きを繰り返し、送り主の相手の名前を確かめる。
けれど、隣にいるアレスからで間違いがない。
正面を向いたままのアレスを窺う。
だが、いっこうに隣にいるのに、自分の方を見ようとしなかった。
(話があれば、口で言えばいいのに? 何でメール? それに、いつ打ったの?)
訳のわからない行動に、首を傾げるしかない。
スマホを取り出した素振りなんて、なかったのである。
届いたばかりのメールを読む。
そこに、二日後だと短い言葉が書かれていた。
見る見るうちに、リーシャの顔が綻んでいく。
スマホを持って、はしゃぐ姿を、ジト目でアレスが睨んでいた。
(バカ。バレるだろうが)
前にいるボディーガードたちが、ミラー越しに眺め、訝しげるばかりである。
最初アレスは、あの場所に行く気がなかった。
不意に、秘密の通路を使って、リーシャが一人で出かける懸念が浮上し、熟慮した結果、再びあの場所へ行くことを決めたのだった。
(あんな場所に、一人で行こうとする思考がわからない。大体、危機管理ができな過ぎだ。とにかくだ、一人で行く可能性があるのなら、連れて行った方が懸命だ。あんな想いは、二度としたくないからな)
異様なはしゃぎぶりに、呆れてしまう。
「静かにしろ」
アレスの一言で、真面目な表情になって、正面に傾く。
「はい。王太子様」
「……」
変わり身の早さに、呆れるしかない。
お后教育の講義が残っている仮宮殿へと車は走っていった。
その二日後の深夜に、仮宮殿を抜け出し、二人はカーラが住んでいる裏街に訪れる。
その際、リーシャの手にお礼のクッキーが入った袋が握られていた。
再び姿を見せた二人に、カーラが喜びを覗かせたのは言うまでもない。
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