第6話 ラルム登場
リーシャ、アレスが通うクラージュアカデミー。広大な敷地に校舎は建っていた。他の学校より、群を抜いて広大な敷地面積で、自然と調和するように、いくつもの棟やグランドなどの施設があった。
国でも一番と言えるほどの近代化した設備が整っている。
リーシャのクラス美術科一年A組の教室では、ほとんどの生徒が登校して一限目の授業が始まるのを友達と談笑したり、ある生徒たちは描き途中のイラストや水彩画を描きながら待っていた。
その騒がしさは他のクラスよりも群を抜いて騒々しかった。
一年A組の教室に入る男子生徒。
教室を出ようとする男子生徒とすれ違いざまに軽く挨拶を交わす。
「「おはよう」」
教室に入ってきた男子生徒はリーシャと同じ専攻を取っているラルムだ。
物腰が柔らかな印象を与える。
穏やかな笑みと共に彼はリーシャの姿を捜す。
「……」
いつものように友達と楽し気に話している姿が教室の中にない。
微かに落ち込むラルムはリーシャと入学式の朝に出逢い、それ以後一緒に行動を共にするほど親しくなっていった。
教室の中ほどへ足を進めて行き、小、中学からリーシャと一緒で一番仲がいいナタリー、イル、ルカに所在を確かめる。
「リーシャは?」
朝一番で伝えたいことがあった。
「まだ、来てない」
しっかり者でこの中でお姉さん的な存在であるナタリーが答えた。
ナタリーは光の具合ではピンクにも見えるようなサラサラの長い金髪を邪魔と言う理由だけで軽めに二つに分けて結っていた。対照的にナタリーのノートを必死に写しているイル、ルカの二人は目立つようにいろいろと髪飾りや小物をつけて着飾って派手だ。
課題の宿題を写す方が忙しい様子で、リーシャを気にするラルムに愛想を振りまき、すぐさまに今日提出の宿題に意識を傾けた。
「大変そうだね」
「自業自得ね」
手厳しいナタリーの一言に苦笑する。
宿題を写す二人に視線を傾けるものの、会いたい人の姿がないことに言い知れぬ一抹の不安を憶えた。
ナタリーの言葉で現実に引き戻される。
「早く来て、写したいと言っていたのに」
「そうなんだ……」
イル、ルカ同様にリーシャも、ナタリーのノートを当てにしていたのである。けれど、まだ姿を見せない。
天然なリーシャの良き理解者の一人であるナタリーも少し気に掛けていた。
「スマホに電話してもダメ出し……。どうしたんだろう」
「スマホもダメ?」
心配の色を濃くしたラルムの問いかけに、同じように心配するナタリーがコクリと頷く。
「スマホも通じない……」
悶々とする渦が広がる。
教室に現れる前から、ラルムは何度もメールや電話をかけていた。いつもだったら、メールか電話の連絡があるはずなのに、それすらないことにいつも冷静な彼女も普段とは違う様子に心配せずにはいられなかった。
「いつもはこんなことはないんだけど……」
「そう……」
抑揚のない返事をした。
募ってゆく不安に思わず内ポケットの辺りに手を置く。
そこには今日リーシャを誘って出掛けるはずだったアート展覧会のチケットが2枚入っていた。そのアート展覧会は彼女が気に入っているアーティストが出品していて、以前から一度見てみたいと言っていたのだ。
願いを叶えようとして、そのチケットを入手して誘おうとしていた。
「寝坊じゃないの?」
心配する二人を尻目に何気なくイルが答えた。
「それ、言える。リーシャ、眠り姫だからね」
あっけらかんとルカが構って貰えず少し?れ気味なイルの言葉に続いた。
リーシャはよく寝坊して、学校にギリギリに駆け込むことが何度もあり、授業中だろうが何だろうがどこでも眠ってしまうこともしばしばあり、周囲からは眠り姫と揶揄されるぐらいだった。
「課題は?」
イルがまだ心配しているラルムに尋ねた。
「終わっている」
「「さすが」」
イルとルカは声を揃えて、心配しすぎなラルムにおどけてみせた。
「そっちは大丈夫?」
「何とかね」
「どうにかなるでしょ」
気楽な二人に、ラルムは小さく笑う。
クラージュアカデミーは創立して、まだ十数年しか経っていない新しい学校だ。優れた芸術家たちやスポーツ選手、それにデステニーバトルのハーツパイロットを何人も輩出していた。各分野に分かれて、専門の授業を受け、更なる高度な知識を高めていっている専門高校である。その中でも別格なのは、デステニーバトルのハーツパイロットを養成している特進科である。特進科の生徒は別棟で普段の授業を受けて、デステニーバトルの訓練を地下にある大きな専用施設ホワイトヴィレッジで受けていた。
クラージュアカデミーにあるデステニーバトルの専用施設ホワイトヴィレッジは、軍にある専用施設と同等に優れているものが整備されている。ホワイトヴィレッジには一般の生徒の入出を禁じ、専用のパスを持っている人間しか入ることは許されていなかった。
「最近静かでいいわね」
窓の外に視線を注ぎ、ナタリーがポツリと呟いた。
「王子様がこのところ来ていないからね」
落ち着いた視線を上げて、能天気娘の一人ルカが口にした。
王太子アレスは公務が続き、学校に顔を見せていなかった。
学校でもアイドル並みに生徒たちからアレスは騒がれている。
「……」
校舎に隠れて見えないがラルムは窓の外、ホワイトヴィレッジの地下入口を眺める。
「この静けさ、続いて貰いたいわね。何で、特進なんかあるのかしら。特進だけで、学校を作るべきよ。私たちとは違うんだから」
アレスの人気もあり、遠方からも生徒が集まっていたのである。
「いいじゃない。間近で生の王子様に会えるのよ。こんな特権ないよ」
イルの脳裏に凛々しいアレスの姿が浮かび上がって、ノートを写すのも忘れてうっかりと妄想に慕っていた。
「呆れる」
眉間にはしわが寄っている。
ナタリーの呟きは、妄想に入り込んでいるイルに届いていない。
困ったようにラルムは苦笑するばかりだ。
「その特権を活かして、玉の輿できないかな。そうしたら優雅な生活が待ってて……」
「それいい。玉の輿結婚したいな」
「いいでしょ? したいよね。アレス王子と」
「王子じゃなくっても、玉の輿はいいかも」
「くだらない。私たちには関係ないのよ。森を散策しているだけで、警備員に職質かけられていやになっちゃう」
「それぐらいは大目に見ないと」
ホワイトヴィレッジは周囲に厳重な警備が敷かれていた。
ようやく三分の一までノートを写すことができたルカが、王太子が身近である学校にいること事態に否定的なナタリーに突っ込んだ。
「いやよ。私は静かな学校ライフが送りたいの」
嫌悪を表すナタリー。
「毎日来ることなんて、ないのに」
ナタリーは穏やかな学校生活が邪魔されると言って、王太子と同じ学校に通っていることを煙たがっていた。イルとルカはミーハーな今時の女の子で王太子アレスに熱を上げている状態だった。それをナタリーは冷ややかな視線で、一歩引いたところから眺めている女の子だ。そんな三人とは違い、リーシャは映画やドラマで大人気の俳優バラトに熱を上げていた。
無邪気な妄想に慕っていたイルは一人蚊帳の外にいたラルムに気づく。
「大丈夫よ。ねぇ、ルカ」
「うん。そのうち、ひょっこり顔出して、寝坊しちゃったって出てくるよ」
「そうかも」
自分を心配して言ってくれたイルとルカに笑ってみせた。
「早くしてよ。そろそろ返して貰うわよ」
「わかった」
「はい、はい」
二人はノートに視線を戻す。
その日、リーシャは学校に姿を見せることはなかった。
ずっと心配していたラルムは連絡し続けていたが、電源が入ってないせいで繋がらなかった。電源が入っていないことも不安要素の一因でもあった。
授業が終わると、一目散にリーシャの自宅を訪ねていった。
呼び鈴を押しても、誰も出ない。
「……」
寂しく呼び鈴が鳴るだけだ。
「……おかしい」
もう一度、呼び鈴を押す。けれど、結果は同じだった。
「なぜ?」
考えに耽っている思考を現実に引き戻したのは、隣のおばさんが外出する音だ。
鍵を閉め、道路に出てきたおばさんを引き止める。
「すいません。隣、誰もいないみたいなんですけど?」
おばさんは誰もいない家を見て、そして、見知らぬラルムを上から下まで眺める。
この近辺に不審者が出回っていると聞き、おばさんは警戒していた。
「……」
隣の娘が通う学校と同じ制服だと見届けると、彼女の知り合いだと把握し軽快に口は滑らかになった。
「ああ。それなら、朝方に黒い車? たぶん高級車ね、あれは。その車に乗って出て行ったきり、帰ってこないわよ。何か、急用でもあったようで、いそいそと乗ったと思ったら、物凄いスピードで行っちゃったわよ。あっという間のことに、どうしたの?って聞けなかったんだから。それに身なりもよかったし」
おばさんは息も吐かぬ速さでまくし立てた。
「リーシャも?」
「そう言えば、乗っていなかったわね。リーシャちゃんも、ユークちゃんも」
「二人は乗っていなかった……」
おばさんの声がラルムの耳に入っていない。
「どういう関係なのかしら。あんな高級車に乗っている人と」
おばさんの目がキラリと光る。
「黒い車……」
「帰ったら、聞かないと」
自信に満ちた表情と興奮に満ちた表情がおばさんの面に浮かび上がり、好奇心と言う衝動が抑えきれないといった感じを身体全体で醸し出していたのである。
「ねぇ。私の話、聞いているの?」
ラルムの顔を覗き込むように視線を傾ける。
話に夢中になっていたおばさんはラルムが格好いい男だと見定めると、リーシャとの関係に興味が湧き始め、二人の関係を尋ねようと口を開きかけた。
「ありがとうございました」
「……そう。それじゃ」
丁寧にお礼の挨拶をして、残念そうなおばさんと別れた。
おばさんの姿が消えてから、自らのスマホを取り出す。
「……僕だ。至急調べてほしいことがある。おじい様のことだ。今日、何らかの動きを見せたはずだ、それを至急調べてほしい」
スマホの相手である男に用件のみだけを伝えた。
「……そうだ。すべて。わかったら、すぐに連絡を」
スマホを切り、もう一度リーシャの自宅を見上げる。
「静かだ」
学校以上の不安が大きな波となって、胸の中にユラユラと漂っていた。
「リーシャ……」
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