第64話 変貌していくアレスに気づくステラ
一年生の特進科のクラスでは、一般教科の授業が教室で行われていた。
一般教科の授業は、基本的に午前中に行われ、午後や午前の一部の授業時間に、クラージュアカデミーの敷地内にある訓練施設ホワイトヴィレッジで、デステニーバトルの訓練が行われているのである。
騒がしい美術科の教室とは違い、黙々と、授業を聞く姿勢を示す生徒の方が多い。
美術科のあからさまな態度よりも、特進科の生徒の方が、教師に知られないように、授業を聞く振りをし、ハーツのマニュアルを読み込んだり、雑誌を読んだりしていたのだ。
睡眠をとっていないアレス。
疲れた顔もみせなかった。
伏せ目で、テキストに視線を落としているようにしている。
でも、実際にテキストに意識がなく、ずっとリーシャと過ごした、昨日の深夜から今日の朝までの出来事を、思い返していたのだった。
(とんだ迷惑を、こうむった)
中年の教師が、黒板に文字を書きながら、化学式の説明をしていった。
教師の声と、ノートに書く音だけが、教室中に響き渡る。
アレスの友達たちは、授業を聞く気がない。
最新式のポータブルで、DVDを鑑賞しているフランク。
それも、まだ放映されていない、最新の映画だ。
車の雑誌に、熱い視線を傾けているのがディオである。
また、親に新しい車を買って貰おうとしていた。
そして、メンズの雑誌に目を通しているがゼイン。
クラブに通っていることもあって、最新の洋服が欠かせないのだ。
彼らは、裕福な貴族や大富豪の孫でセレブだ。
(大体、リーシャは何なんだ! チェスが弱いくせに)
カジノのルーレットで、的中させた情景を巡らす。
次々に、外すことなく、当てていったのだ。
そのせいで、カジノの店の男たちに、目を付けられてしまった。
(挙句、変な男たちに捕まって!)
カジノを飛び出した後、裏街を逃げ惑っていた。
だが、これでは埒が明かないと抱き、とにかく非力なリーシャを先に逃げそうとした。
リーシャが一人になった途端、変な男たちに捕まり、大切なことを言い忘れ、戻ってきたアレスによって、助け出されたのだった。
アレスが捜さなければ、どうなっていたのかわからない。
あの時の出来事を思い出すだけで、心なしか、身震いを憶えるほどだ。
それほど、何も力を持たないリーシャが、危険に晒されていたのである。
捜して、正解だったと思うアレスであった。
思考の海が、別な思考の海へ飛んでいく。
(カーラと名乗るあの女は、何なんだ! 人を見透かしたような、もの言いは何だ!)
この先、どうするか悩んでいた時だった。
裏街で娼婦をしているカーラに助けられたのは。
危険な嵐が過ぎる朝まで、彼女の家に匿って貰ったのだ。
けれど、冷静沈着なアレスは、警戒を完全に解かなかった。
妖艶に微笑むカーラと名乗る女性が、信用できなかったからである。
誰に対しても、心を許したことがなかったのだ。
半眼し、テキストを睨んでいる。
(身分を隠すのはいい! けれど、夫婦なのに、友達とは何だ!)
二人を助けたカーラは、アレスたちの関係を初々しい恋人と勘違いし、それを必死な形相で、友達だとリーシャが否定したのだ。
その光景を、寸分も狂いなしに思い出す。
いつもの日常に戻った今でも、胸がムカムカして納得できない。
政略結婚とは言え、結婚したと言う自覚があった。
自覚がないリーシャに、心が穏やかになれなかった。
むしろ、時間が経てば経つほど、胸中で暗澹と渦巻く感情が吹き荒れている。
その感情が、表に出ることがない。
クールな無表情のままだ。
ただ、近くにいた人間だけが、機嫌が悪いと察している程度だった。
何が原因で、機嫌が悪くなったのか、知る由もなかったのである。
誰もが離れていく状況下で、気づかない無頓着なリーシャ一人だけが、朝からアレスにくっついて話しかけていたのだった。
(法律で決められた夫婦なのに、何が友達だ! いつ、友達になった。友達になった憶えがない。……何一つ、僕の言いつけを守らないし、勝手なことばかりする。あれの思考回路は、一体どうなっている? 妻だったら、従順に僕に従うものだろうが!)
いっこうに夫の言いつけを守らず、勝手な行動やことを起こす妻リーシャ。
楽しげな顔が脳裏を掠めた。
不意に、変な男たちを倒した後に、怒鳴りつけた時の顔が吹き込む。
寂しそうな表情を覗かせていた。
窘めたはずなのに、自分の方が悪い気がしたのである。
自分は悪くないと、正当化するように軽く頭を振った。
(連れ出して、何かあったら、僕の責任だから、無事に戻っていいことだ)
カーラの家で、過ごした短い時間を思い出す。
ずっと追いかけ回され、強張っていたリーシャの顔が解け、緊張の糸が和らいだ時間でもあった。
楽しげに笑っているリーシャだった。
その一方で、アレスはずっと緊張の糸を張り巡らしていたのだ。
疑いもせずに話す姿に、内心呆れ、底抜けの人のよさに、どうしたら、こう形成されるのかと考え込んでいたのである。
あどけない寝顔が、脳裏に飛び込んできた。
使うように促されたカーラのベッドを使わず、壁に寄りかかり、丸くなって、眠ってしまった情景が湧き上がる。
安心しきった顔だった。
気持ちよく、寝息をたてて、時々無邪気な笑顔を滲ませていた。
ピクリとも身体を動かさず、眠っていたのだ。
陽だまりのような寝顔。
ようやくアレス自身が、ホッとした瞬間でもあった。
アレス本人が気づかぬうちに、口の端が笑っていたのである。
一年生の特進科で紅一点であり、デステニーバトルのアレスの元パートナーだったステラが、後ろの席にいるアレスへ視線を移していた。
学校の中でも、クールビューティーと言われるほどの美しさを持っている。
なんとなく気になったステラが、振り向いた形となった。
現在のパートナーであるリーシャと、結婚するまでは、長い間パートナーをステラが務めて親しくしていたのである。
だが、突然のシュトラー王の一声で、これまで一切馴染みがなく、操縦も握ったこともない、素人のリーシャが、デステニーバトルのパイロットとなって、アレスのパートナーになり、そして、王太子アレスの妻となったのだった。
教師は気づかず、淡々と授業を進めていく。
教師として、自分の務めを果たすだけだ。
「アレス……?」
掠れた声で呟いた。
誰もステラの囁きを、気づかない。
「笑っているの?」
ステラが破顔していたのだ。
めったに感情を出さないアレスが、微かに何を思ってか、笑っていたのである。
作り物ではない、自然な笑みだった。
それも、人がいる前でだ。
誰も、アレスを見ている訳ではない。
けれど、そういう場で、口の端とは言え、笑っていたのだ。
衝撃の事実だった。
アレス同様に、ステラも感情を表に出さない。
ずっと一緒にいて、親しくしていた自分の前でも、めったに笑ったことなんてなかった。
咄嗟に笑ったのは、アレスだったのだろうかと、疑ってしまうほどだ。
現実は時として、とても残酷である。
また、アレスが笑っていた。
とても、優しい顔で。
愕然として、教師の声も入らない。
見て入られなくなり、傾けていた視線を前に戻した。
(誰を思って、笑っているの?)
グッと、言葉を飲み込むしかない。
掠める映像があるが、言いたくはなかった。
貝のように、口を閉ざす。
(パートナーも奪われて、私は……)
遥か遠い存在になったアレス。
大きな寂寥感を抱かずにはいられない。
授業は何事もなかったかのように、チャイムが鳴るまで続いていったのである。
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