第63話 居眠り
リーシャの美術科のクラスでは、数学の授業を受けていた。
一限目から登校していたものの、机に突っ伏し、堂々とリーシャが居眠りを敢行している。
誰も起こそうとはせず、放置したままだ。
ユマが起こしにくる前に、部屋に戻ったが、自分のベッドで眠らなかった。
眠気覚ましのシャワーを浴び終え、ユマを出迎えたのだった。
宮殿に連れ込まれてから、初めての出来事だ。
起こしに来るまでベッドに入ったら、絶対に起きられないと巡らせ、気持ちを奮い立たせ、少しでも眠気が覚めるように、シャワーを浴び、リーシャなりに努力した結果である。
起きている光景に、ユマが咄嗟に次の行動が取れない。
表情が出ないユマが、目を丸くしていたのだ。
その光景が面白いと、朝からはしゃぎ通しだった。
目を丸くして驚いていたのは少しで、後は有無を言わせない鉄仮面の表情に戻っていく。
普段だったら、その鉄仮面に、しゅんとなっていた。
だが、ずっと奇妙なハイテンションな状態で、はしゃいでいたのである。
その傍らで仕えている内心では、どうかしたのだろうか?と訝しげに巡らせていた。
でも、それを表情に出さない。
ただ、淡々と仕えていたのだった。
王族となったリーシャに仕え、間もないが、初めて見る異様なハイテンションぶりだったからである。
朝のうちは、ハイテンションではしゃいでいたが、授業が心地よい眠りを誘い、瞬く間に意識を手放し、眠ってしまったのだった。
そして、現在に至るのである。
「一限から居眠り。堂々し過ぎじゃない?」
呆れながら、イルが起きる気配がない、一つ前の席を眺めていた。
「さすがに一限からは、眠れない」
授業が終わって、休み時間に入っても、起きようとはしない。
もうすでに、授業は三限目に突入している。
その間、ずっと眠り通しで、授業に来る教師が呆れながらも、何食わぬ顔でほっといて、自分たちの授業を続けていたのだった。
王族の一員になる前から、どこか教師の間でも、リーシャの居眠りが暗黙の了解のもとで、見過ごされていたのだ。
入学当初から、頻繁に居眠りをしていたのである。
「起こしても、起きないんだから、しょうがないじゃん」
ジュースを飲んだ後に、何気にルカが突っ込む。
背を丸くし、眠っているリーシャを捉えていた。
授業も聞かず、ジュース片手に、微かに垣間見える寝顔を傍観していたのだ。
数式を書いて、教師が説明しているが注意をしない。
授業を聞いているのが半分、聞かずにそれぞれの行動している生徒が半分だった。
教師たちも慣れたように、見ない振りを続行しているのである。
居眠りをしている隣の席で、ナタリーが知らぬ顔で、真剣に黒板と向き合っている状態だ。
さぼり気味なイルたちに加わらず、常に真面目に授業を受けていた。
学業がおろそかになってしまうと、母メリナを説得し、ようやくナタリーの背後に席があるラルムが、学校に登校し、朝から授業を受けている。
スヤスヤとしている寝顔。
見慣れた光景に、ラルムが癒やされていたのだ。
久しぶりにリーシャと会え、喜びを噛み締めていたのである。
不意に、ハイテンションな様子が、どこか気になっていた。
いつも以上に、明るく、元気な姿をみせていたのだ。
(アレスが関係しているのか?)
授業を聞いている振りをし、王太子夫妻の話を思い起こしていたのである。
慣れない王室に入ったことが気になって、王太子夫妻、特にリーシャの動向をラルムなりに、密かに調べていたのだ。
学校に行けない間でも、それとなく様子を耳にしていた。
その話によると、いつもと変わらない日常を、過ごしているとのことだった。
(いつもと、変わらないと聞いていたが……。楽しそうな顔をしていた。心の底から……。リーシャが心から、穏やかに過ごしているなら、それでいい)
動かず、ぐっすりと居眠りしている背中を見つめる。
こんなに近くにいるのに、何もできない自分がもどかしい。
と、同時に、ラルムが願うのは、リーシャの安らぎだ。
(その方がいいんだ。リーシャに悲しい思いをさせるのは、できるだけ避けたい。けど、……その手で喜ばせるのは……僕だけ……。そうしたいのに、それができないなんて、悔しい、……もどかしい。できる人間がいて、それをしないなんて……。……けれど)
やむことができない、出口のない逡巡に呆れ、自嘲してしまう。
(とにかく、僕が守るのは、笑顔でいられるようにするだけだ)
穏やかな優しい微笑みで、気持ちよく眠っている斜め前の席を捉えていた。
寝顔が、安らかに笑っていたのだ。
(この笑顔でいられるなら……。僕はどんな時でも、傍にいて守ってみせる)
ふと、背後の方から囁き声をかけられる。
「ラルム。どうしてたの? 学校に来ないで」
さすがに、露骨に話していると、教師から注意されるので、イルは教師が黒板に文字を書いている隙を狙ったのだった。
くだらない話題に費やし、聞きそびれてしまったからだ。
顔をイルの方に傾け、できるだけ小さな声で答える。
「母親と、連日食事だよ。僕だけ先にこっちに来て、離れ離れになっていただろう? だから、一緒に過ごしたいって言われて。いろいろと、連れ回されたよ」
「連日食事ねー。私だったら、ちょっと息苦しいな」
授業を聞く気がないルカが、のん気に漏らしていた。
「マザコン?」
「どうかな?」
冗談めいたイルの突っ込み。
それに対し、笑っているラルムだった。
(嘘は言っていない。でも、嘘つきかな。……二人だけの食事じゃないけどね。そんなこと言えないか。言ったら、どう思うかな? みんなは。……リーシャには知られたくないな、こんな僕の姿は……)
自虐めいた思考が渦巻く。
貴族や王族のいざこざに、巻き込みたくなかった。
特に、その渦中に入り込んでしまったリーシャには。
思考が、叫び声で途切れてしまう。
「24当たった!」
突然、眠っていたリーシャが立ち上がり、叫んだのだった。
一斉に、喜んでいる姿に、クラスメート全員がどよめく。
今まさに見ていた光景と、違う視界に、キョロキョロと教室の中を見渡していた。
「……、授……業? ……すいません」
ルーレットで、当てている夢を見ていたリーシャ。
夢を見ていたとは思わずに、飛び上がって喜んでしまう。
現実と夢の区別が、瞬時につかなかったのだ。
いきなり、飛び込んできた教師や黒板、勉強している生徒たちの視界で、ようやく自分が夢を見ていたことを、遅れて認識したのだった。
「当たったって、勘でテストを当てた夢でも、見ていたのか?」
生徒と混じって、突然の叫び声に驚き、寝惚けたリーシャに、視線を傾けた教師が呆れながら話しかけたのである。
熟睡までして、夢を見ていた状態に、ほとほと呆れてしまったのだった。
「あ……いや……そうです」
やっちゃったと言う顔に、生徒たちの笑いが飛ぶ。
さらに、リーシャがおどけて笑ってみせた。
カジノで、ルーレットをしている夢を見ていましたとは言えない。
「今度のテスト、正夢になればいいな」
「……はい」
えへへと、ぎこちない笑みを零した。
「授業を、進めてもいいか?」
「……はい」
教室中が笑いに包まれている。
恥ずかしそうに、腰を落とした。
教師は授業を始め、生徒たちも、それぞれに戻っていく。
「バカ」
隣の席のナタリーが囁いた。
「ごめん」
「目覚めの一口は、どう?」
他の生徒と混じって笑っていたルカ。
自分が飲んでいたジュースを、しゅんと落ち込んでいるリーシャに進める。
ずっと寝通りで、のどが渇いただろうと気遣ってだ。
「それとも、何か食べる?」
机に置いていたクッキーを一つ手にし、振り向いているリーシャに、イルが見えるようにクッキーを出す。
虚ろげな視線で、クッキーとジュースを見比べた。
ボソッと、呟く。
「ジュースがいい」
「はい」
飲んでいたジュースを渡した。
受け取ったリーシャが、ストローで啜っていく。
その表情が浮かない。
「いつもに増して、爆睡だったわね」
楽しげに、イルが痛いところを突っ込んだ。
「うん。ちょっとね」
「ちょっとって?」
興味を抱き、身体を乗り出すイル。
しまったと固まっているリーシャ。
ルカも、私も知りたいと言う視線で訴えている。
そして、バカねと呆れているナタリー。
(カジノにいって、朝帰りしたって言えない。だって、これは私とアレスの秘密だし……。せっかくの二人の秘密を話せない、どうしよう……)
「ねぇ、ちょっとって、何よ」
好奇心旺盛なイルが鋭く突っ込む。
その勢いにたじろぐ。
「なんか、王室であったの? それとも、リーシャがやらかしたの?」
ちょっとと言う言葉に、引っ掛かったのである。
王室ウォッチャーとしては、聞き逃せない。
王室の知識が乏しいリーシャが、結婚する前から、イルとルカは王室ウォッチャーだったのだ。
「教えなさいよ。黙ってないで、友達でしょ?」
嘆息を吐いた。
真相を聞き出すまで、やめないことを把握していたからだ。
「……お后教育の講義の予習をしていたの」
「予習? リーシャが?」
勉強嫌いな一面があるリーシャを知っているので、驚きが隠せない。
それは、ルカもナタリーも同じだった。
ただ、ラルムだけが違っていた。
その脳裏に、ユマの存在を浮かべていたのである。
「私だって、勉強をします! 怖い鉄仮面のユマに、嘆息を零されないように。怒らないけど、あの嘆息が、何より怖いの。一回されると、わかるわよ」
「そんなに怖いの? そうは見えないけど?」
呟くルカとナタリー。
以前に、会ったことがあるユマの顔を思い出している。
「相当、飽きられているのね。できの悪さに」
「そんなこと、言わないでよ、イル」
「だって、ホントのことでしょ?」
声にできない呻き声を漏らした。
止めの一撃に、撃沈している。
「……ごめん。少しだけ言い過ぎた」
がっくりとうな垂れている顔を上げた。
「……少しだけ?」
恨めしそうにリーシャが漏らした。
「はい、これ食べて」
ごめんと謝罪の意味を込め、クッキーを渡す。
「ユマさんだって、ちゃんと憶えていれば、嘆息なんて零さないわよ」
「ナタリー」
恨めしそうな顔で、隣のナタリーを見つめる。
(一番の理解者だと思っていたのに、薄情者!)
剥れているリーシャに、軽く息を吐くナタリーだった。
「一緒に憶えようか? 一人よりも、いいでしょ?」
瞬く間に、表情が明るくなっていく。
「ありがとう。でも、機密なところもあるから、一緒にできないの」
「そう。じゃ、リーシャが頑張らないと。でも、私たちがついているから、何かある時は、言いなさいよ。少しは、力になれるかもしれないから。いいわね、リーシャ」
「うん。ありがとう、ナタリー」
一人じゃないと思うだけで、萎んでいた心が開くのだった。
「話も、終わったことだし、さぁ、今まさに私たちがすることは、授業を聞くことよ。授業に遅れて、講義も悪い、授業も悪いでは、後が大変よ。それにイル、ルカ。テストで追試になっても私、知らないからね。自分たちで、何とかしなさい」
不敵な笑みを漏らし、授業を聞く気がない面々を軽く脅かした。
うっと、三人がフリーズする。
「「「……聞きます」」」
三人同時に答え、姿勢を正し、授業を聞き始めた。
鮮やかな手さばきに、内心拍手を送ってしまう。
「ラルムも、聞いたら?」
「そうだね」
三限目の数学の授業が終わり、四限目は空き時間となった。
少し早めのランチを取ることになり、廊下を五人で騒ぎながら歩いている。
追試を手伝って貰えそうもない雰囲気。
動揺を隠せないイルとルカ。
二人掛かりで、必死に成績がいいナタリーに頼み込んでいた。
ゆっくりめなリーシャの歩調に合わせ、ラルムと二人で、騒いでいる三人の後を歩いていたのだった。
三人のやり取りを、楽しげに窺っている。
徐々に、先を歩く三人との距離が、広がっていった。
突如、歩いていたリーシャの身体が、前後左右にぐらつく。
急に、目の前の視界が、蜃気楼のように揺らめいたのだ。
(な、な、何?)
「大丈夫?」
即座に気づいたラルム。
心配げに、身体を支える。
前を歩く三人は、気づかない。
騒ぎながら、さらに行ってしまう。
「うん。ごめん」
身体がカジノの騒ぎから、ずっと不調のままだった。
(何か、ずっと身体が、宙に浮いた感じなんだよね……)
「具合が悪いの? ずっと眠っていたし……」
食い入るようなラルムの眼差しに、笑顔をみせる。
「違うよ。実はね、予習してて、一睡も寝てないの。だから」
少しだけ、嘘つくことが心苦しかった。
アレスと約束した以上、カジノの話をできなかったのである。
「……でも、病気かもしれないし、王室専属の医師に、知らせる?」
「それは、絶対にダメ」
必死の懇願の姿に、クスッと笑ってしまった。
いつにない真剣な顔に、必死さが伝わっていたのだ。
しっかりと、制服の袖を掴んでいる。
「ナタリーたちから、聞いていたけど、本当に、病院とか医師が嫌いなんだね。それに保健室も、苦手だったよね」
「……うん。……なんか苦手って言うか、ダメなの。どうしても、いやなの」
縋るような目に、ラルムが負ける。
心配だったが、医師に診せる選択を捨てた。
懇願する翡翠の瞳に、無理強いができない。
「わかった、知らせないよ。でも、本当に大丈夫? 無理はダメだからね」
「……うん。本当は、ちょっときついかな」
素直に本音を吐露した。
「手を貸すよ。それに、空き教室で休む?」
「いい。自分で歩けるから」
「ホント?」
覗きこむように、心配する双眸を傾けた。
「うん」
支えていた身体から、ラルムがゆっくりと手を離した。
「ありがとう」
優しい心遣いに、感謝を言葉と笑顔で返した。
「さっきの話だけど。王室の機密事項、僕には話せるんじゃないのかな? 忘れているかもしれないけど、一応、僕も王族らしいし」
「……ホントだ。陛下の孫だもんね。こうしていると、ラルムも、私も、王族に見えないね。特になりたての私は。うーん……、落ち着きもあるし、どこか高貴な感じもするから、やっぱりラルムは、王室の人間に見えるか」
あどけなく笑っている。
「そんなことないよ、僕は僕だよ。リーシャは一生懸命、頑張っているじゃないか。ただ、無理をしないでね」
真剣な眼差しを注ぐ。
おどけていたリーシャが、段々と行き場を失ってしまった。
熱を帯びたような視線に、どう応えたものかわからない。
「……う、うん……」
前を歩く三人の姿が、すでになくなっていた。
「もう、三人行っちゃったね。僕たちも行こうか」
「……そ、そうだね」
二人が歩き出した。
またよろめいた時に支えるため、調子の悪いリーシャを気遣い、何気ない話をして、歩いていったのである。
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