第60話 カーラ
助けてくれた女性の案内で、一軒の小さな家に、二人が入り込む。
歩く道すがら、女性はカーラと名乗り、裏街で娼婦を生業していると話した。
娼婦と耳にし、当初リーシャは驚いたものの、優しく、それに気軽に話すカーラの姿勢に、普通に接し始めていたのである。
家に、数人の男女がいたのだ。
その数人の男女が、一緒に暮らしている様子がない。
広いワンルームのような造りの部屋に、ベッドが一つしか置いておらず、一緒に暮らしているとは思えなかったのだ。
その男女に、軽い指示を送ると、二人の女性を残し、すーと家の外へ消えていった。
「ここに、朝までいれば、大丈夫。私はちょっと出てくるけど、心配はいらない」
緊張し、強張っているリーシャに、優しい微笑みを覗かせる。
カーラと歩いていても、どこか落ち着かなかった。
けれど、家の中へ入って、僅かに緊張の糸が解けたのである。
「ありがとう」
「……」
微笑みを残し、カーラが家の外へ出て行った。
窓から、三人の男を引き連れ、歩く姿を二人が見送っていたのである。
憮然とした表情で、アレスは何も答えない。
自分たちを、面白がるカーラを洞察していたのだった。
ここに来る間に、なぜ自分たちを助けたのかと投げかけた。すると、カーラが面白い男女が入り込んで、カジノの男たちに、追い回されていると耳に挟んだから、ただ見にいって、面白そうだから、助けただけと答えたのだ。
だから、ずっと憮然とした表情でいたのである。
テーブルもなく、フカフカのマットが敷かれている場所に、直に座った。
それも、憮然としている要因の一つだ。
王族の人間として、育ったアレスが、直に座ったことがなかった。
部屋は、殺風景で一つのベッド、一つのソファ、最低限の家電の一式、明かりの弱いランプが置かれているサイドテーブルがあり、小さなキッチンと浴室、トイレなどがあるシンプルな家だった。
露骨な視線で、狭い家を巡らせている。
どう逃げ道を作って、どこから出ようかと、逡巡していたのだ。
あくまでも、一時しのぎに過ぎないと、考えていたのである。
どこか、安心しきっているリーシャとは違い、油断することなく、次の次まで思考を巡らしていた。
ずっと、そんな視線を巡らしているアレスを、気にすることなく、若い女性の二人が、飲み物を用意し始め、それぞれに動いていたのだ。
「どうぞ」
残った若い女性が、二人の前に飲み物を置いた。
直に置かれる飲み物に、鋭い眼光を投げかける。
濃度が高いオレンジジュースだ。
「ありがとう」
直に置かれたのも気にせず、それに何も疑うこともしないで、飲む姿に呆れる。
(客を、もてなす態度か、これが)
カジノでも、飲み物が飲めず、その上走って、逃げ回っていたせいもあり、リーシャの喉はカラカラに渇き、ずっと飲み物を欲していたのである。
ゴクゴクと、一気にオレンジジュースを飲み干した。
(よく飲めるな。こんなところに置いたものを。それに何が入っているか、わからないのに……。教育係のユマは、何を教育していたのか)
呆れ顔で、飲む様子を眺めていたのである。
慎重なアレスは、カジノでも、ここでも信用していない。
グラスに何か仕込まれている可能性も、拭えない以上、何も口にする真似が、できなかった。
若い女性も、そんなアレスの思考を把握しても、口角が上がっているだけで、怒ることも、機嫌を損ねることも、しなかったのである。
ただ、意味ありげに、笑っているだけだ。
疑う視線を収めようとしない。
ずっと、至るところに、神経を張り巡らせていた。
「お酒の方が、よかったかしら?」
「結構」
からかいが含まれていると気づくが、素知らぬ顔でやり過ごす。
相手の出方を、見定めるためだ。
「お酒も、あるの?」
どこか、無邪気にお酒を探している。
「いろいろと、あるわよ。飲んでみる?」
目を輝かせ、好奇心が疼く。
「……いいの?」
「ダメだ」
鋭い視線と共に、口にした。
威圧する視線に、怖くなって俯いてしまう。
いつもにまして、鋭さが増していたのだ。
さすがに、口答えもできない。
この仕草に逆らえるものなんて、早々いないと掠めるリーシャだった。
「……やっぱり、いいです」
「そう。お代わりは、いかが? ジュースの」
憮然なアレスから、足りなさそうなリーシャに、視線を傾けていた。
「いただきます」
ニコニコと、微笑んでいた。
無邪気な反応を楽しむように、おいしい?と尋ねながら、若い女性が、新たなオレンジジュースを注ぐ。
「焦らないでも、大丈夫よ。ここにいれば」
「……」
なぜ? そんなことが言えると言う顔つきで、若い女性を窺う。
「ここが、カーラさんの家だから」
「保障が、できない」
きっぱりとアレスが言い捨てた。
けれど、相手は機嫌を損ねる様子がない。
逆に突っぱねる姿に、小さく笑っているほどだ。
「頭が固いし、ここに来たのは、今日が初めてでしょ?」
「答える必要がない」
「そうね」
「ちょ、ちょっと……」
親切にしてくれる人に対しての、態度じゃないと、隣に座っているアレスの袖を、思いっきり引っ張った。
ここを追い出されたら、大変と肝を冷やしていたのだ。
「大丈夫。カーラさんが追い出さないうちは、私たちは、追い出さないから。何を言われてもね」
アレスの性格を見据えた発言が、飛び出した。
「よかった……。ところで、カーラさんって?」
「この裏街で、誰でも顔を知っている存在かしら。人望も厚く、ここを牛耳っているやつらでも、簡単には、手を出せない。カーラさんが黒と言ったら、黒となるかな」
「……一番偉いってこと?」
「ちょっと、違うかな」
素直なリーシャの捉え方に、笑っていた。
背後からの声に、リーシャが振り向く。
用事を済ませたカーラが、壁に寄りかかっていたのだ。
落ち着きを取り戻したリーシャが、カーラが身体の線が出る服を着ていることに気づく。
(綺麗な身体……)
くっきりと浮かぶ身体の線に、思わず頬が赤く染まる。
その上、一つ、一つの仕草も美しかった。
目のやり場に困り、視線が定まらない。
「後は、いいわ」
短い言葉で、すべてを理解したように、残っていた二人の女性が散ってしまった。
家に残されたのは、カーラとリーシャ、アレスの三人だけとなる。
「随分と、カジノを賑わしたようね」
「調べたのか」
胡乱げな視線を滲ませている。
「えぇ。状況を把握しておかないと、匿えないでしょ?」
(喰えない女だ)
「まだ、お礼がまだでした。助けていただき、ありがとうございます」
真摯に、リーシャがお礼の言葉を伝えた。
屈託のない行動に、カーラは目を見張る。
一番偉いと答えた姿に、単純な子と抱き、面白いと感じさせたが、娼婦の自分に対しても、礼儀を忘れない仕草に驚かされ、ますます気に入るのだった。
一人で逃げろと言われたのに、いやだとごねた姿に、興味を感じ、それにアレスの強さにも惹かれたので、匿うことにしたのだ。
「さっきも私、言ったけど娼婦よ。娼婦相手に、そんなに、かしこまらないでよ」
「関係ありません。助けてくれたんだもん」
純粋な笑みに、逆にカーラの口角が上がっている。
「んっ?」
何で、笑っているのかわからない。
(つくづくバカだ、お前は。幼い子供だって、警戒するぞ、こういう場合。それをこんなに信じきって。どうしたら、お前は、警戒心が養えるのか)
首を傾げているリーシャ。
それを横目で、チラッとアレスが窺っていた。
僅かに、苛立ちを露わにしている。
「ところで二人は、恋人? 初々しいわね、仲がよくって」
話しながら、カーラがソファには座らずに、同様に直に腰を下ろした。
「違……」
「違います! 友達です」
二人は同時に口にし、アレスが途中で止まってしまった。
否定するリーシャの姿に、圧倒されたからだ。
冷静に、二人の立場を話そうとしたアレスとは違い、身を乗り出して否定したリーシャ。
思いっきり、眉を潜め、アレスが見上げている。
(友達だと……。僕たちは夫婦だ!)
否定し続けている姿に、無言で噛み付いていた。
人の前で、取り乱してはいけないと教え込まれていたのだ。
思考が飛んでいる間も、リーシャは口角で笑っているカーラに、恋人ではなく、友達と必死に説明していたのである。
その必死さに、訳のわからない感情が、吹き上がっていたのだ。
「どこをどう見ても、友達です。アレスとは、恋人な訳ないじゃないですか」
「そう? 可愛らしい恋人同士に、見えたけど?」
「絶対に、違います。ただの友達です」
顔を真っ赤にしているリーシャを楽しんだ後、優雅な微笑みのまま、さらに憮然とした顔をしているアレスに視線を巡らせた。
哀れみが混じっていた顔を覗かせていたのだ。
ムッとし、口を閉じているアレス。
「そうなの? 恋人ではない?」
「ほら、そうでしょ、カーラさん」
同じ意見と勘違いし、二人の関係に、興味ありげなカーラに後押しを加えたのだ。
「でも、納得していないみたいよ」
「へぇ?」
隣にいるアレスに、視線を傾ける。
両膝で立っているリーシャを、見上げていた。
友達だと、取り繕うことに必死で、アレスの顔を見ていなかったのだ。
見たことのないほどの不機嫌さで、睨んでいる。
「夫……」
「あー」
叫び声を上げ、アレスの声を掻き消す。
「気にしないでください。私たち、ただの友達です」
満面の笑みを作って、場を濁した。
アレスの腕を取って、目の前にいるカーラに、聞こえないように背中を傾ける。
互いに顔をつき合わせ、話し始めた。
それも小声で、いつもの口ケンカを始めたのである。
「ちょっと、何考えているのよ」
「それは、こっちのセリフだ」
機嫌が悪いアレスを窺う。
怯みたかったが、無事に帰りたい思いで踏み止まった。
「僕たちは夫婦だ。その脳みそは、もう忘れているのか」
「……忘れてないわよ」
「それは、よかった」
言葉とは違い、納得も、機嫌も、よくない。
理解して貰うと、リーシャも、必死だ。
「変じゃない? 私たちが結婚してるなんて。十五だし、普通あり得ないでしょ? 凄くまれだよ。怪しまれて、ここを追い出されたら、どうするのよ」
(大体、僕たちが十五だって、見た目だけじゃ、はっきりわからないだろうが)
「でも、事実だ。改正されて結婚できるようになった。結婚していても、おかしくないだろう。れっきとした夫婦だ」
「おかしいって。とりあえず、ここでは友達。変なこと言わないでね。追い出されたら、困るのは、私たちなんだからね」
ぐだぐだ言いそうなアレスを、無理やりに言い含めた。
「……」
口を閉じたアレスを見て、体勢を元に戻す。
何もわかってないと顔が言っていたが、無視を決め込むことにした。
「失礼しました」
コソコソとするやり取りを、楽しげに窺っていたカーラ。
二人の言動が、新鮮だった。
「終わったようね。で、友達でいいのかしら?」
「はい」
満面な笑みだ。
友達ではないと抱くが、カーラはそれ以上の追求をしない。
ただ、単に純真無垢なリーシャのことを、気に入ったからだ。
「そう。名前は?」
「リーシャです」
即決だった。
(怪しまれる以前の問題だろう。名前を隠さないなんて!)
頭を抱え込みたい衝動を抑える。
「で、あなたは?」
「名乗る必要がない」
「そう。では、リーシャちゃんのお友達さんって、ことで」
眉を潜め、茶化すカーラを睨む。
「名乗らないのは、あなたよ」
「好きにすればいい」
やけくそだった。
「私、リーシャちゃんのこと、凄く気に入っちゃった」
自分を受け入れてくれるカーラに、無条件で微笑んだ。
「……」
二人の和やかな話が、しばらくの間続いたのである。
話を耳にしながら、警戒心を解かないアレスが、カーラと言う人物を探ろうとしていた。
いい顔を装って、近づいてくる人間を、幼い頃より見てきたからだ。
「朝まで、まだ時間があるわね。少しベッドで、仮眠を取るといいわ、リーシャちゃん」
自分のベッドを促した。
つられるように、ベッドに視線を巡らせる。
キングサイズのベッドが置かれていた。
(ここで、ことがなされている?)
「……いいです」
「いや? 私のベッド」
「へ、あの……、さすがに……」
「まだなの?」
ズバリな発言に驚嘆し、身体がフリーズしてしまう。
(さすがに、これは理解できたのか)
まっすぐに優雅な微笑みを、強張っている姿に傾けたままだ。
「キスは?」
反応を示さない。
「可愛い。無垢のままなのね」
「……」
言葉も、言えない有様だ。
隣にいるアレスが、呆れていた。
(だろうな。これまでの言動を、推察すると)
出逢ってからの言動を、思い起こしていたのである。
「好きなところで、眠るといいわ」
「……ありがとうございます」
「で、リーシャちゃんのお友達さんは?」
「ベッドを使う。床で眠れるか」
「じゃ、使って。一人がいやなら、二人で一緒に寝る?」
頭を何度も振って、強く否定した。
アレスに向き直って、話しかける。
「一人で、使ってね」
これまでのカーラの言動に呆れ、何も言えない。
ただ、カーラの言動一つで、萎縮しているのに、どうしてカーラに対し、警戒心が芽生えないのか?と、余裕を取り戻した思考で、リーシャを眺めている。
膝を抱え込んで、壁に身体を預ける体勢で眠り込んだ。
緊張や走って逃げたこともあり、瞬時に眠りに落ちていったのである。
まだ眠っていないアレスは、直に座ったままだった。
そのまま寝るリーシャに、掛けるものを用意していたカーラが、すぐに眠りに落ちた姿に驚きつつも、毛布を掛けてから、ソファに座って、一人でお酒を楽しんでいたのである。
「まだ、寝ないの? 襲ったりしないわよ」
胡乱げな視線を投げるだけだ。
悪びれる仕草を見せないで、淡々と話を続けている。
「男に、不自由していないわよ」
「負けは、しない」
「そのようね。それに、リーシャちゃんが悲しむ顔見たくないし」
逃げる際に、乱闘した件も、カーラが見ていたと把握する。
リーシャたちを家に案内した後に、何をして、こうなったのか、詳細を調べていたのだ。
油断ができないと、さらに警戒を深めていく。
「……何もない」
「そのようね」
「何で、わかる」
「商売柄かしら」
「……」
露出の多い格好でいるカーラの商売を、思い出していた。
「あなたは、どうする?」
「ここに、いるわよ」
ニッコリと、カーラが微笑んだ。
「いいのか? 仕事をしなくても?」
何となく、アレスも気にはしていたのである。
出て行った際、仕事か?と巡らせていたのだった。
「私は気に入った男しか、寝ないの。だから、平気よ」
「そういうものか」
「人、それぞれよ。お金がなくって、えり好みしないでする子もいるし、様々ね。言っておくけど、私は高いわよ」
妖しげな視線に、惑うこともない。
(こういう目で、男をつるのか)
「興味ない」
ただ、カーラが品よく笑うだけだ。
「陽の当たる場所にも、こんな純粋無垢な女の子、いないんじゃないの?」
「疑うことを、知らないようだ」
「大事にしないと」
「関係ない」
不貞腐れ気味に、突っぱねた。
「そうね。でも、私はリーシャちゃんが、好きなの。だから、いじめちゃダメよ」
「……言ったはずだ。お前には、関係ないと。僕の好きにする」
ふふふと笑うだけ。
つかみ所がないカーラ。
子供扱いされるアレスは、ずっと癇が触っていたのだ。
「自分が強い、自分にはできないことなんてないって、思っているでしょ? そういうの、傲慢って言うのよ、知ってる? それに、所有物扱いする男って、嫌われるから、気をつけなさい」
露骨に、いやな顔を滲ませている。
表情が乏しいアレスにとって、珍しいことだ。
感情を表すことなんて、めったにしてこなかった。
王太子として、立場を考えなさいと、教え込まれていたからだ。
表情豊かなリーシャと出逢って、自分の感情を出すようになったことに、当の本人はまだ気づいてない。
「面白いわね。リーシャちゃんも、そしてリーシャちゃんのお友達も」
海千山千のカーラと、渡り歩くのは無理だと巡らせた。
これ以上、からかわれるのも腹立たしいと、無言のまま、カーラのベッドへ潜り込んだ。
ベッドに向かう途中で、チラッと丸まって眠っている様子を窺う。
近寄って確かめれば、何を言われるか、わからないと思ったからだ。
ぐっすりと眠っているようで、安堵する。
何があっても対応できるように、アレスは浅い眠りについたのだ。
読んでいただき、ありがとうございます。




