第59話 カジノ4
裏街の中を歩き回り、人に紛れて、リーシャが入口を探していた。
裏街を一人彷徨っていたのである。
走っていると目立ち、視線が集まっているような感覚を味わっていたからだ。
周りに、溶け込もうとしている。
アレスの危険を知らせないといけないと、はやる気持ちを抑え、できるだけ周りの色に溶け込むように、入口を探し、必死に歩いていた。
(どの辺なのかな……)
周辺をキョロキョロしながら、見知っているものを探そうと、懸命に目を凝らす。
でも、初めて来た場所に、見知った場所など一つもない。
打ちひしがれようとも、頑張るしかないのだ。
アレスの危機が迫っていたから。
立ち止まらずに、視線を四方八方に巡らす。
探すことに懸命で、気づいてなったのである。
落ち着きなく、視線を巡らせている行為が、すでに自分が、ここの住人ではないと、周囲に知らせていることに。
一刻も早く、暗闇の迷路を抜け出し、自分を逃がすために、身代わりになったアレスの危険を知らせることばかりに、気がそれていたのである。
急に、肩を叩かれる。
「!」
びくっと、肩を震わせた。
人の気配が、すぐ背後まで迫っていたことに気づいていない。
肩を叩かれ、思わず立ち竦んでしまう。
頬が引きつる顔を、ゆっくりと背後に傾けた。
そこに、紙幣をちらつかせる男と、目がとろんとした男が、いかにも妖しそうに、目の前に立っていたのだ。
服装も乱れ、前がはだけている。
「……何か?」
「これ」
紙幣を、さらに目の前に近づけた。
振りようによっては、瞳に入り込みそうだ。
(こんなに近くに、持ってこなくても、見えるのに……。それに、何でお金をちらつかせるの? お金いっぱい持っていると、見せびらかせたいのかな?)
「……」
状況を飲み込めていない。
紙幣をちらつかせる男が舌打ちを打ち、さらに数枚の紙幣を、目がとろんとした男に促したのである。
言われるがままに、とろんとした男が、ポケットから無造作に入っていたクチャクチャの紙幣を取り出して渡した。
男たちの仕草を黙って、眺めているだけだ。
危機を知らせる思考回路が、異質な男二人に声をかけられた時点で、止まっていたのである。
「これで、どうだ」
「……」
紙幣の数が増え、差し出された金額が高くなっていた。
男たちと、紙幣を交互に見比べる。
(増えている。……何で増えるの?)
男たちの視線が、嘗めるように立ち尽くしているリーシャの全身を捉えていたのだ。
いやな視線に、ゾクリと悪寒が走り抜けていく。
男たちが立っている、その先に視線を傾けた。
すると、男女が何か交渉している光景が飛び込んでくる。
呆然と、そのありようを眺めていると、交渉がまとまったようで、男が女に金を渡して、どこかへと消えてしまったのだ。
ようやく男たちの意図を読み取った。
「ち、ちが、違います! 私は、そんなじゃないです」
「まだ、足りないのか」
「面倒だな」
舌打ちをし、好き勝手なことを言う男たち。
出していた紙幣を戻したのだった。
「だから、違うって、言っているでしょ!」
裏街を一人で歩いているリーシャを、客を探している娼婦と、間違えていたのである。
どう見ても、様子がおかしい男たちに、説明しても、ダメだと脳裏を掠めた。
二人の目が、正気な目をしていないせいだ。
この男たちから、逃げようと思った瞬間、男たちによって、両腕をがっしりと取られてしまった。
「ちょ、ちょっと……。違うって、言っているでしょ!」
否定するが、聞く耳を持たない。
娼婦か、娼婦じゃないかは、すでに関係なかった。
遊べれば、よかったのだ。
互いに顔を見合わせ、さらに暗がりのところへ、連れ込もうとしている。
必死に、逃げもがいた。
誰もが、見て見ぬ振りをしている。
「や、やめて! 誰か……」
止めどない恐怖が、押し寄せ、大声も叫べない。
ただ、抵抗するが、両腕をしっかり取られ、逃げるに逃げられない状況だ。
圧倒的に、男たちの方が、力が強かった。
「助けて……、いや……」
突如、暴れる腕を触っていた感触が消える。
もがき暴れていたせいで、押さえつけられていた力がなくなり、身体がよろめく。
押し寄せる恐怖が拭えず、無我夢中で目を瞑っていたのだ。
感触ないと、呆然と巡らせている。
突然に、呻き声と共に、何かが倒れる音が聞こえた。
謎の呻き声に、思わず身体が強張る。
(何、何? それに、あの声は何?)
恐る恐る閉じていた目を開ける。
「……アレス……?」
連れ込もうとした男たちを殴り終わっている、アレスが立っていたのである。
二人の男たちは、すでにノックされた状態で、路上の上だ。
瞬きを繰り返しながら、伸びている男たちから、不機嫌そうなアレスに視線を移す。
鋭く睨めつけられても、怒ることもせず、ホッと胸を撫で下ろした。
へなへなと腰が砕け、その場に座り込む。
何で睨むのよなんて、言い返さない。
ただ、心の底から、目の前にいるアレスの存在に、救われていたのだ。
自然と、表情が和んでいる。
恐怖から、ストンと安堵した気持ちに、変化したとは知らず、憮然とした顔のままで、座り込んでいる場所まで近づく。
その表情のまま、見下ろしている。
座り込んだリーシャを。
まだ、開放された感を噛み締めていたのだ。
「僕としては、ミスを犯した。だから、戻ってきた」
「ミス?」
アレスの言った意味がわからずに、コテンと首を傾げる。
「お前に、帰る道は憶えているか?と、聞くことだ」
「……」
冷ややかな眼差しに、開いた口が塞がらない。
襲われていた相手に対し、口にする言葉ではなかったからだ。
「お前を捜して正解だった。お前、何している?」
「何って……。見てわからない? 変な男たちに、襲われていたのよ」
「だから、どうして、そうなったかと聞いている?」
少しだけ声を荒げた。
置かれている状況が把握できても、追及しなければ、気持ちが収まらなかったからである。
座り込んでいる姿に、訳のわからない苛立ちが浮上し、そのままぶつけたのだった。
八つ当たりだと思われても、言わずにいられなかったのだ。
「知る訳ないでしょ! そんなこと。私の方こそ、聞きたいわよ!」
「何か、したんじゃないのか?」
「何を! 何をするって言うの」
翡翠に瞳に、いつものような闘志が漲っていた。
「知るか」
ぶっきらぼうに、吐き捨てた。
聞く気にも、なれないと言うオーラを出している。
冷たい態度に、下唇を噛み締めた。
「……凄く怖かったんだからね」
先ほどまでの強い口調とは違い、か細い声で、一人で行ったことを咎めるように訴えた。
一人残され、ずっと心細かったのである。
そんな心情で、男たちに捕まって、助けてくれたと感謝していたら、そのアレスから、心配する言葉よりも、咎める言葉が出てきて、さらに心を寂しくさせていたのだった。
「……」
翡翠に溜まる涙を、黙って、見下ろしていた。
自分は悪くないはずなのに、自分の方が悪いと、思わずにはいられない。
(何だ! これは!)
「……でも、戻ってきてくれて……、ありがとう」
声を振り絞って、感謝を伝えた。
戻ってきて、助けてくれたことが嬉しかったからだ。
「……」
アレスの気持ちが、揺れていた。
秘密の通路の時や、宮殿での迷子騒動ことが急に蘇り、一人で行かせたことに、不安を憶え、危険を承知の上で、捜していたのである。
襲われているリーシャを発見した時、何も考えずに、身体が自然とリーシャのもとへ駆け出していた。
自分の置かれている立場も考えずに。
考えてから、行動する身体が、なぜか、この時ばかりは、自然と動いていたのである。
これまでの生きてきた中で、自分の立場を、一度も忘れたことなかったのだ。
それが、この時だけは違っていたのである。
(リーシャのせいなのか……。この僕が王太子の立場を忘れるなんて)
まだ、涙ぐんでいるリーシャの前に、手を差し出す。
「行くぞ」
「……う、うん」
目を見張りながら、ぶっきらぼうな態度のアレスの手を掴んだ。
そして、座り込んでいたリーシャを、引き起こした。
「歩けるな」
「うん。大丈夫」
二人が歩き始めようとしたら、二人の近くに、新たな男たちが、近寄り始めていた。
口論している間も、カジノの男たちが、二人の行方を捜していたのである。
「……」
表情に出さないが、さっさとリーシャをつれて逃げればよかったと、悔やんでいるアレス。
強張るリーシャを庇うように、前へ立ちはだかった。
微かに震える手で、背中にしがみつくリーシャ。
「……ごめん、アレス」
「もう、遅い」
「……う……」
何も、言えない。
自分のせいで、危険に晒してしまったと思うと。
勝ち誇った顔を覗かせる男たちを、アレスが見据える。
目の前にいる三人の男は、どう見ても、自分たちを血眼になって、捜していたと推測が立つ。
人数が少ないのは、分散し、捜していたと目測も立った。
さらに、ここで時間を費やせば、いずれ分散していた男たちが、集まってくるだろうと予測も窺えたのである。
「走って、逃げる?」
「うるさい。黙っていろ」
「ごめんなさい」
視線が、三人の男たちに傾いたままだ。
ボスからの咎めも、これでないと、ほくそ笑んでいる。
更なる応援部隊がこないかと、警戒を怠らず、すっかり忘れていた周辺の様子を窺う。
その前に、倒した男たちの時に、周辺を窺わず、飛び込んでいたからだ。
同じ鉄は、二度と踏まないと、意気込んでいる様子が、手に取るようにわかる。
カジノの男たちとは関係ない人が、ちらほらといるが、かかわろうとはしない。
ケンカに巻き込まれるのは、面倒だと退散しようとする人までいる状況だった。
(早く、この三人を、どうにかしないと……。ここにいるのが、別部隊に知られるな)
男たちが、簡単に打ち合わせをしている。
極々小さい声で、強張って、しがみついているリーシャに話しかける。
「おい、リーシャ」
アレスに、顔を傾けようとする。
だが、そのままでいろと、怒られてしまう。
「そのままで聞け。別部隊に知られるのも、時間の問題だ」
「別部隊って……、まさか……」
「そのまさかだ。まだ複数の部隊が、いるはずだ。騒ぎで知らされる前に、この三人をどうにか、するしかない。その方が、逃げられる可能性が高くなる」
「……うん」
「だから、近くで隠れていろ。決して自分で動くな」
「えっ」
「身に染みて、知っているだろう」
「うっ、それは……」
反論できない。
「お前を逃がしても、ダメ。近くにいても、足手まとい。だから、近くで、見つからないように、姿を隠していろ」
「ダメダメって、そんなに言わなくっても」
ダメ出しされて、拗ねるリーシャ。
「ダメだろうが」
容赦なく、何度も、ダメと連呼した。
「私にも、手伝うことがあるかも……?」
「ない」
きっぱりと否定した。
「……」
「見つからないように、隠れていることだ」
「……わかった」
か細い声で、返事するしかない。
正解だと、これまでの流れで、実証したからだ。
「いけ!」
合図の声と共に、リーシャが駆け出していた。
突然の声と、走り出す光景に、一瞬だけ男たちの動きが鈍くなる。
それは、僅かな時間で、乱闘に慣れたように、それぞれに息のあった動きを窺わせていた。
日常茶飯事に行われているケンカの絶えない場所で、突然の声に、驚かされたものの、男たちの動きに、隙が感じられない。
細い路地に、逃げ込もうとしているリーシャ。
捕まえようとする男を、ついさっき倒した男たち同様に、無駄の動きをせずに、相手の腕を捕らえ、背中に腕を持っていき、廻し上げる。
痛みで顔が歪み、動きをいったん止めた。
「そうは、行くかっ」
捕まった腕を、引き抜こうと暴れようとする。
さらに、アレスが男の腕を突き上げた。
「うっ」
呻き声が漏れた。
自分に向かってくる男を、男の腕を突き上げたまま、足で相手の胸を投げ飛ばす。
「嘗めた真似しあがって!」
男の腕を、突き上げたままでいる状態で、最後の男が、アレスに襲い掛かってきた。
腕を突き上げていた男を、突き放し、ナイフで切り掛かろうとする男の攻撃を、素早く受け流し、自分の身体を横にずらしたのである。
「くそっ」
突き放された男が、片ひざを立て、まだ痛みで顔を歪めたままだ。
応戦しようと、痛みを堪え、立ち上がる。
チラッと、突き放した男に、視線を送った。
自分に向かってくるナイフを受け流し、力を込めた拳を、腹部に打ち込んだ。
男たち以上に、一人で戦っているアレスは、無駄な動きをしていない。
攻撃に、逆らわずに、流れるような仕草で、受け流していたのである。
一瞬の隙を狙って、襲ってくる男たちに、ダメージを与えていたのだ。
次に、背後から来る男に、体勢を正面に直した。
痛みのせいで、体勢が悪い男からの攻撃を流した直後に、アレスは背後から両手を合わせ、男の首と肩の間に振り落としたのだった。
あっという間の出来事に、呆然と逃げ込んだ場所から、リーシャが傍観している。
(ドラマ? 映画? ……嘘でしょ、強いし、メチャクチャ格好いい)
賞賛と驚嘆している間に、襲ってくる男たちを倒していたのだ。
自分についた汚れを払い落とした後、呆然と目を見開いているリーシャに、視線を巡らしたのである。
「何している、お前はいつまで、そこにいるつもりだ」
「ご、ごめん……」
見開いている目のまま、何事もなかったように、涼しい表情のアレスの元へ戻っていった。
常に、ボディーガードに守られていたから、強いと想像できなかったのだ。
「ねぇ」
「何だ」
「ボクシング、やっているの?」
ヌクヌクと育っている人間が、国の中でも、治安の悪いところにいる男たちを、瞬く間に倒せるものかと、信じられないと言う顔を滲ませていた。
しれっとしているアレス。
「……いや。でも、体術は学んだ。何があるか、わからないからな」
「何かって?」
「お前って……。……そのうちわかる」
呆れた顔を覗かしたが、すぐに、いつもの無表情に戻っていく。
「バカにしたでしょ、今は」
「どっちでもいい。グズグズするな。お前にだって、声が聞こえるだろう」
遠くの方で、自分たちを捜している声が、僅かに漏れ聞こえていたのだ。
「う、うん。で、……どうするの?」
「とにかく、逃げる」
同じ失敗はしないと、意気込む。
リーシャの手首を掴んだ瞬間、二人に声をかけてくる者がいる。
「こっちよ」
艶やかな女性の声に、二人が同時に視線を移した。
三十代、二十代、どちらでも見えるような綺麗な女性が、アレスたちに、色っぽい視線を投げかけていたのだ。
美しい女性に声をかけられ、二人とも瞬時に動けない。
「……」
「さらに、人数を増やしたみたいよ」
更なる危機が、迫っていたのである。
「私に、ついてきて」
「……信用できない」
無表情で、アレスが答えた。
「メンツ気にして、躍起よ、あちらさんは」
遠くで、声が聞こえる方へ、視線を流した。
徐々に、声が近づいてくるのが把握できる。
不意に、隣を窺った。
目の前の華に、ぽっとなっているリーシャ。
同姓からも見ても、目の前にいる女性が綺麗だった。
カールが軽く施してあるブラウンの髪に、下唇がプックリと膨らみがあり、クリッとした少し大きめな瞳が、とても印象的だ。
「……」
「……あなた一人なら、大丈夫そうだけど。彼女も一緒なら、この中を知り尽くしている男たちから、逃げるのは大変よ」
いっこうに、女性の口調に変化がない。
優雅に、のんびりとしているのだ。
二人の顔を交互に窺い、不安な顔で、アレスの袖を引っ張った。
「……わかった」
「じゃ、私の後についてきてね」
読んでいただき、ありがとうございます。




