第58話 カジノ3
裏街の中を、全力疾走で二人が走り抜けている。
走っているアレスの手は、しっかりとリーシャの手を掴んだままだ。
細い路地や路地裏、それに建物と建物との隙間をぬって、逃げ惑っている。
決して、追っ手の男たちは、追うことをやめようとはしない。
逃げれば、逃げるほど、追っ手の人数が増えていくばかりだ。
細々と、路地をぬって、駆けていったおかげで、追ってくるカジノの男たちを撒いたが、裏街の中を知り尽くしている男たちに、捕まるのは時間の問題だった。
建物と建物の隙間に、当惑しているリーシャを、無理やり押し込んでから、自ら入り込む。
隙間はギリギリで、一人が歩ける程度の幅しかない。
そこへ、逃げ込んだ二人。
互いに、向き合う形。
身体が抱き合うように、密着していたのである。
路地から隠れるように、姿をどうにかいったん消すことができた。
大きく、アレスが息を吐く。
そして、息が乱れているリーシャを見下ろした。
疲労は、自分よりも酷い様子で、肩で息をしている状態だ。
スマホを取り出し、掛けることも、しまうこともせずに、ただ凝視している。
(どうする? 連絡し、誰か来るのを待つか。……いや、ダメだ。それはできない)
使うか、使わないかと、思案している。
まだ肩で息をしている状態のリーシャに、スマホから視線を移した。
疲労困憊なリーシャを連れ、逃げるのは難しい。
自分一人なら逃げられるが、スタミナも切れている状態で、連れ回すことができなかったのだ。
いつになく、厳しい表情が滲んでいる。
(知られたくない。どうにか、切り抜けるしかないか……)
表の路地を窺う。
まだ、追っ手の男たちが来る様子がない。
けれど、遠くの方で、男たちの声が漏れ聞こえていたのである。
そう遠くない場所で、捜していることが推測できた。
ここを見つけられるのも、刻々と迫っていたのだ。
「ねぇ……、ど、どうして……逃げなきゃ……いけなかったの……?」
途切れ、途切れに、視線を見上げた。
アレスの身体と、密着している状態だ。
「!」
ようやく、二人は自分たちが密着している状態に気づく。
居心地悪い視線を外し、身体を掴んでいた両手を外す。
状況が状況のために、抗議できないリーシャ。
これ以上、離れられない状態に、無駄な抵抗せずに諦めた。
普段の語り口調で、アレスが話し始める。
「バカ。勝ち過ぎたんだ、お前が」
「へぇ?」
きょとんとした顔を覗かせている。
全然、状況を把握できていない。
「勝っちゃ……ダメなの?」
「ああ。資金源にしているからな、あーいう場所は。大体お前が高いチップを、賭け続けるから、ダメなんだ」
呆れ混じりに、吐き捨てた。
(高いチップだったの? 知らなかった……)
「お前は、単純に店側の理想の金額より、それも数倍も高い、金額を勝ち続けていた。店側としても、そんな金額を出してみろ、資金源にしていた黒字の金額が、一気に赤字に転落だ。上手く回していたのを、お前が全部ぶち壊したんだ」
声が響かないように密着し、怪訝そうにアレスが説明したのである。
その説明を理解しようと、アレスの言葉を呟きながら、噛み締めていた。
その顔に、朱が混じっている。
(客に負けさせて、儲けようとしていたのに、その客である私が勝っちゃって、儲けられなくなっちゃったって、ことだよね。……顔が近い。……でも、こんなに狭いし、最悪な状況な訳だから……我慢しないと。それにしても、無駄に綺麗な顔している……)
「何となくわかったけど。勝っちゃったんだから、しょうがないじゃない」
口を尖らせていた。
「当たり過ぎだろう」
(何で、当てて怒られなくっちゃいけないのよ)
お前が悪いと、責める口調が不満げだ。
「だって、パッと浮かぶんだもん」
「浮かぶって、お前な……」
胡乱げな眼差しを注いでいる。
(ただ、浮かんだ数字に、置いただけなのか。……この勝ち運は、何なんだ?)
「本当だよ」
「……」
まっすぐに、どこがおかしいの?と、首を傾げている顔をアレスが凝視していた。
「どうやって……」
「ん……、頭の中に、数字が浮かぶ……?」
その時の状況を説明しようとする。
けれど、自分自身のことなのに、明確な回答が出てこない。
ただ、何となく、これだと思ったり、脳裏に一瞬だけ、数字や物が見えたりすることが、幼い頃からあったのだ。
それは、毎回ある訳ではなかった。
意識しない時、どうしてもと強い思いを抱く時に、ふと起こる現象に過ぎなかったのである。
「よく、わかんない」
自分の強運も、わからないのかと嘆息を吐く。
「……ところで、最後にした勝負もか? それとも、いかさまを見破ったのか?」
「いかさま? えっ、いかさましていたの?」
アレスの言葉に、逆に目を見張っていた。
「気づかなかったのか……」
呆れた顔で、間近で目を丸くするリーシャを見下ろす。
近頃、よく見かける無垢な翡翠の瞳が印象的だ。
「うん。でも、どうやって、アレスはわかったの?」
「簡単だ。デーラーの男が何度も、視線をカウンターで、呑んでいた男に向けていた」
「それで? どうしてわかるの? たまたま向けていただけじゃないの?」
さらに、翡翠の瞳が、好奇心に動かされるままに聞いてきた。
危険に晒されている中でも、コロコロと表情を変えているのを、思いの外楽しいとアレスがほくそ笑んでいる。
面白みがない、これまでの人生が色づいていくようだった。
ますますリーシャに、興味が募っていったのだ。
様々に変化する表情を、もっと楽しみたいと、からかいたい衝動に駆り立てられる。
場所が場所だけに、からかう程度を抑制させた。
「どれだけ、能天気な頭をしている。勝ち過ぎている人間を、排除するか、どうかを、上の人間に助言を求める時、お前なら、どうする? 言っておくが、聞きにいくとか、休憩に行くとか、バカげた答えを出すなよ」
口にしようと思っていた答えを出され、眉を潜めていた。
何も浮かばず、お手上げ状態である。
「……わからない」
不貞腐れ気味だ。
「店内を、それとなく窺っているボスに、視線を送ればわかるだろう。そして、グラスの置き方、脇にあったつまみ、それにだ、仕草を合図代わりにしていたんだ」
(どこでも、同じようなものだ)
シュトラー王の代わりに出ている会議でも、同じような手口が使われていた。
下の者が、会議を牛耳ろうとする上の者に、視線を送って、意見を求めていたのである。
だから、すぐさまにいかさまの合図と、見破ったのだった。
日常的に、そういった類の仕草を見ていたのだ。
ただ、何を出すまでは、理解できなかったが。
「そうだったんだ」
合点が行った顔を覗かせる。
(どこまで、単純なんだ)
「最後のルーレットで、デーラーが珠を投入してから、賭けたよな? なぜ、もっと早くに置かなかった?」
「……ダメ?って、感じたの……。でね、急に、黒の18が浮かんだの。ただ、それだけ」
得意げに、微笑む姿に呆れる。
それが、男たちに追われる決定打になったからだ。
自分が引き起こした事態に、いっこうに気づいてない。
「お前といると……」
「えっ、何?」
急に、リーシャの口を塞ぐ。
追っ手の男たちが、すぐ傍まで来てしまったのだ。
まだ、見つかってはいない。
だが、見つかるのも、時間の問題なところまで来ていた。
恐怖に怯えるリーシャの両肩を掴む。
「……いいか、僕の話を黙っていけ」
状況を飲み込み、コクリと頷いた。
「僕が、追っ手の男たちを引き受ける。お前はその間に、ここを出る。一人で帰るんだ。寄り道は、一切するなよ、いいな」
首を強く振って、否定する。
口を噤む。
約束は守ったままだ。
(そんなことできない。だって、アレスに何かあったら、どうするのよ)
追っ手の男たちが、近くにいて、恐怖を憶えている。
けれど、瞳に溜まっている雫が、アレスを心配していた。
「行くんだ」
逃げるなら、一緒だと目で強く訴えている。
「ダメ! だって、アレスが一人になっちゃうもん。そんなのはダメ!」
「……王太子の命令だ」
「ダメ。そんなこと、関係ない!」
王太子としてではなく、アレス個人を言っていることに驚く。
誰もが、王太子としての存在でしか、見ていなかったからだ。
「一緒……」
身体が震えながらも、翡翠との瞳に、強い意志が込められていたのである。
軽く息を吐いた。
真摯な眼差しをアレスが注いだ。
「お前と一緒だと、邪魔だ。だから、僕が引き受けている間にいけ。僕は、一人でも平気だ」
首を、さらに強く振る。
言いたいことがわかっていても、アレスを一人残すことができない。
「二人で、逃げよう」
懇願するリーシャ。
「足手まといだ」
「……でも……」
「一人で、逃げろ」
その一言を残し、飛び出してしまった。
すぐその後に、見つけたぞと、追っ手の男たちの声が聞こえ、走って行く幾人もの、足音が響き渡っていたのだ。
一人残され、出るに出られずに、その場で狼狽している。
「アレス……、でも、アレスが作ってくれたチャンスを、無駄にしちゃ、ダメだ」
アレスが言った通りに、一人でとにかく出て、誰かに助けを求めようと、心に硬く決めて、幾人もの足音が小さくなってから、外へ出てきたのだった。
「アレス……、頑張ってね」
後ろ髪を惹かれる思いで、アレスが飛び出していった方向を見つめる。
とうに、姿など消えていた。
心配で、見ずにはいられない。
「早く、誰かに来て貰うからね」
心配で、追いかけたい気持ちを押し殺す。
自分がいたら、足手まといになるのが、確実だと抱いたからだ。
だったら、助けてくれたアレスの言葉を守って、先に裏街を出て、誰かに助けを求めた方がいいと、結論付けたのだった。
(アレス……)
心が痛くって、痛くってしょうがない。
裏街の入口に行こうと、小走りになったものの、辺りの光景に瞠目してしまう。
アレスに腕を引っ張られ、全然どこをどう逃げ惑っていたのか、わからなくなっていたのだ。
(ここ、どこ?)
懸命に、裏街の門を探す。
一分でも、一秒でも、早く助けを求めようとする思いからだ。
いっこうに、見た景色が見つからない。
焦る気持ちだけが溢れ出る。
街灯も、少ない薄暗いところを走っているせいもあり、リーシャ自身が自分の方向性が失われていることに、気づいていなかったのだ。
闇雲に走っているせいで、裏街の入口から、離れていっていることに気づいていなかった。
立ち止まって、明かりの少ない闇に、グルリと視線を巡らせる。
変な目つきの男や女たちがいる。
さすがに鈍感なリーシャでも、そういう人たちに、ものを聞いちゃダメと言う認識だけは残っていた。
「……どこ? 通ったのかな……」
リーシャが危機に晒されている頃……。
メリナと親交のある貴族たちと会食を終え、自分の部屋に戻っていたラルムが、着替えをせずに、スーツのままで、椅子に腰掛けていたのである。
ランプの明かりが一つだけで、室内の電気をつけないままだ。
手に持っているスマホを、視線に捉えていた。
二時間以上も前に、リーシャにメールを送ったが、返事のメールが返ってこなかったのだ。
メリナから学校を休むように言われてから、ラルムは登校せずに、メリナと一緒に行動して、親交のある貴族たちと会っていたのである。
だから、気になってメリナの目を盗んで、メールを送ったが、返事のメールがないことに、不安を抱え、もう一度メールを送るか、どうか悩んでいたのだった。
でも、深夜の時間帯もあって、メールを出すことに躊躇している。
真っ暗な天井を見上げた。
ゆっくりと目を瞑る。
その手に、しっかりとスマホが握られていた。
(もう、寝たのかもしれない……)
不安な気持ちを振り払い、握っていたスマホを置く。
嘆息を一つだけ漏らした。
読んでいただき、ありがとうございます。




