第48話 いつもとは違う朝食風景
次の日、朝食の席に二人の顔が揃っていた。
普段通りの食事を終え、二人揃って、食後のデザートを食べている。
会話を成立させようとするリーシャ。
口数の少ないアレス。
チラリと、リーシャの様子を窺う。
(いつもと違う気がするが……)
喋ることに疲れ、一つ溜息を零していた。
話の端々に疲れたように、溜息を吐くことが何度かあったのだ。
フォークを皿に置き、リーシャがティーカップに添えられているスプーンで、ゆっくりとカップの中を掻き回す。
最近の食事の量が少ないと、報告を受けていたアレスは、気にも止めてはいなかった。
だが、いつもの食事のペースよりも、時間をかけていることを気に掛ける。
珍しいことに甘いデザートの時でさえ、砂糖を入れるのに、今日は入れずに砂糖のポットに視線を傾けるだけだった。
食事の終盤になって、多少の違和感を抱くが、表立って動くことを嫌うアレスは、そのままやり過ごしたのだ。
リーシャの動きが、いつもより少しぎこちないと抱いていたのである。
億尾にも、表情に出さない。
静かに、デザートを口に運ぶだけだ。
いつもより、口数が少ないのも気になっていた。
紅茶が苦いようで、眉間にしわを寄せている。
(そんなに苦いのなら、いつも通りに砂糖を入れて、甘くすればいいのに。何をやっている? 砂糖のポットを眺めているだけでは、甘くはならないぞ)
一生懸命に話をする姿に、知らん顔して、食事を取っていたが、周りにいないタイプに興味を抱き、それとなく観察していたのである。
リーシャも、ユマたちも、傍に仕えているウィリアムでさえ、そのことに気づいていない。
秘密の部屋から戻ったアレスは、ウィリアムから姿を消したことが、母セリシアに知られたと告げられ、王太子としての振舞いではないと、機嫌が悪いと聞かされていたのである。
気乗りしないまま、その足で呼ばれたアレスは、母が待つ部屋に訪ねていった。
さすがに、捨て置くことができなかったのだ。
母セリシアが祖父シュトラー王と父ヴォルテの間で、厳しい立場になっていること、夫ヴォルテが臨んでいなくても、息子アレスを立派な次期国王として育てる義務を担う役目を果たそうと、必死になっているのを感じ取っていたのである。
儀礼的な口調で問い詰められても、自分同様に感情的にセリシアが話すことはない。
ただ、王太子としての振舞いではないと、説き伏せる意味合いが込められているだけなのである。
とても腹を痛めて、生んだ子供に話している口調ではなかった。
冷めた言い方だ。
小さい頃のアレスは、そんな母の姿勢に、心を痛めている時期もあった。
けれど、心を痛める幼子ではない。
すでに大人である。
それに、その母親から生まれた息子だった。
表情一つ変えずに、庭を散策していただけと突っぱねただけだ。
それでも問い詰めようとするセリシアに、執務が残っていますと王太子として言って、さっさと部屋を出て行こうと歩みを進める。
まだ、何かを言いたい表情を覗かせたが、見て見ぬ振りをしてしまった。
儀礼的な親子関係に、意味なんてないと抱く。
残っている執務をこなし、夜遅くに戻ってきて就寝したのだ。
ロールケーキを小さく切って、冴えない表情でリーシャが口の中に放り込んだ。
少しだけ時間をかけ、普段より小さく切っている。
食べたいのに、食べたくない心境なのだった。
口の中に、チョコレートが広がる。
でも、心の中が満たされない。
昨日のデザートだったら、喜びはしゃいでいた。
とても好きな味を堪能したい気分ではなかったのだ。
それよりも、食堂からいち早く離れたかったのである。
(何でよりにもよって、今日なのよ)
心が小さく萎んでいく。
ロールケーキに視線を促した。
以前に、リーシャがチョコレート味のロールケーキが食べたいと要望したものだ。
生地にチョコレートが練り込んであって、クリームもチョコレートベースになっていたのである。
要望したにもかかわらず、淡々と食べていただけだった。
食べているリーシャの視線は、何事もなかったかのように、静かに食べているアレスに傾けたままだ。
(それにしても、よくシラッと、していられるわね)
食堂に何事もなかったかのように登場し、そのまま食事が、何事もなく始まったのである。
昨日の出来事が、なかったかのように。
その強靭的な精神に、朝から、とても真似ができないと感心していた。
安易な想像しているよりも、ことは大きくなっていたのである。
侍従や侍女たちの中で、アレスが姿を消した件が騒ぎになっていると把握していたが、それがセリシアのところまで届いて、呼び出しを受けたことも知らなかったのだ。
チラッと、視線を周囲にいる侍従や侍女たちを巡らす。
周囲に、侍従や侍女たちがいて、秘密の部屋のことが口に出せないから、いつものように、学校であった出来事や日常の何気ない疑問を、口に出していたのだった。
煎じ薬のことを、何も言わないことが気になっている。
「お腹、平気?」
「後はいい。下がれ」
心配するリーシャの当たり障りのない質問に答えない。
無表情なアレスは、侍従たちに視線を傾けることなく、周囲にいる侍従たちを下がらせた。
単純なリーシャの口から、うっかり漏れる恐れがあったからだ。
念には念を入れたのである。
シーンと静まる食堂。
食堂に、二人だけになった。
「ねぇ、大丈夫なの?」
「平気だから、ここで食事を取っている」
そっけない態度。
でも、いつものように剥れている気配がない。
容態がよくなったと聞き、ホッと安心した。
「よかった、煎じ薬が効いたのね。苦かったでしょ? 私、病院が嫌いだったから、おじいちゃんがよく作ってくれたの。でも、苦くって、飲めなかったの、私」
「……」
憮然としているアレスが、安堵しているリーシャを窺う。
見られていることにも気づかなかった。
安心しきった顔で、淡々と話を続ける。
「一度飲んだら、ウゲーって感じでしょ? 以前にね、一口飲んでダメだったの。それなのに、おじいちゃんたら、お腹痛くなるたびに作るんだもん。だから、いつも飲んだフリしていたの。でも、毎回作ってくれたおじいちゃんのおかげだね、作り方、憶えちゃった。えへ、よかったね、効いて」
「飲めないものを、作ったのか」
きょとんとした顔を傾げた。
「だって飲めたんでしょ? それにパパやママは飲んで、すぐに治ったよ」
得体の知れぬものを作った意識もなく、あっけらかんとしていた。
苦いが効能があると思っていたからである。
「……」
あんなものよく飲めたなと、結婚式の時に会ったリーシャの両親を思い浮かべ、感心する。
それ以降、リーシャの両親とは会っていない。
だが、何度となく語ってくる話で、どういった人物だかは、想像ができていたのである。
「私は飲めないけど。確か、パパが作って、ユークも二、三度飲んだことがあるし」
弟ユークの話まで出してきた。
親密そうな家族関係に、本当に仲がいいのだろうと追及したくなる。
「そんなもの、よく僕に飲ませようとしたな」
機嫌が悪くなるアレスが、いっこうにわからない。
「腹痛に効くと思って……」
「自分が飲めないものを、飲ませようとするな」
飲まないことが負ける気がし、一口だけ口にしただけだった。
後は、残して捨ててしまった。
それほど、苦かったのである。
「だって、おじいちゃんは薬草に精通していたのよ。近所の人たちが、おじいちゃんを頼って、聞きに来るくらいに。そのたびに丁寧に教えていたんだから。凄いでしょ、おじいちゃん」
誇らしげに語る姿に、呆れてしまう。
(そのおじいちゃんのせいで、こうなったことを何で自覚しない)
家族の話をする時のリーシャの表情が明るかった。
友達の話をする時よりも、明るかったのである。
ふと、外の騒がしい声が、食堂にいるアレスたちの元にまで届く。
騒々しいと思っていると、徐にリーシャが利き手ではない方の手を、庇う仕草に気づく。そして、利き手ではない左手を、長い袖で隠していたと脳裏を掠めた。
ようやく違和感の正体に、アレスが辿り着いたのだった。
疑問に思うまま、短く問う。
「何だ?」
「何が?」
唐突な問いに、趣旨がわからない。
「左手だ」
「……何でもない」
頬が引きつっていた。
無意識に、右手で左手を庇う仕草をみせる。
庇う仕草に、さらに確証を強めた。
「何でもないなら、前に出せ」
「どうして、出さないといけないの? 何でもないのに」
「うるさい」
「しつこいのは、アレスの方でしょ?」
「いいから、出せ」
語尾を強め、吐き捨てた。
頑なな姿勢で、左手を出すような仕草を示さない。
素直に従わない様子に、苛立ちを募らせる。
アレスが命じれば、侍従たちはすぐに従う。
けれど、妻となったリーシャは違った。
従わせようとすればするほど、頑として従わないのである。
そんな態度に、常に苛立ちと興味を抱かせる面白さがあった。
今まさに、抱く感情は苛立ちのみだ。
低い声音で問い詰める。
全面に、威圧するオーラを全開にしてだ。
それに対し、怯まないように、必死に睨み返す。
「命令だ。出せ」
「いや。理由もなく……」
「理由ならある。食事の際、ずっと左手を庇っていただろう」
言い当てられ、瞠目する。
(我慢していたのに、何で気づくのよ!)
鋭い双眸に危機感を憶え、瞬時に外した。
「ナイフを使う料理に、一切口をつけていない」
「……食欲が……」
狼狽えるリーシャが、話し終わる前に、言葉を覆いかぶせる。
「フォークで食べられるものしか、口につけていない」
「普通よ」
今度は、冷静にアレスが答える。
「どこがだ」
「目がおかしいんじゃない?」
苦しい言い逃れしか、できない。
問うアレスの指摘は、全部当たっていた。
言葉通りに、ナイフを使う料理に、手をつけていない。
食事の際、右手だけしか、使っていなかったのである。
最近の食欲のないことで、侍女たちは気づいていなかったのだ。
指摘した内容が、ズバリ当たっていた。
(今日に限って、変なところ見ているのよ!)
噛み付きたい衝動を、どうにか堪えている。
それよりも、いち早くこの場所から退散したかったのだった。
「紅茶に砂糖を入れてみろ。苦いんだろう」
「別に」
ティーカップに、視線を注ぐ。
数回口にしただけで、飲むのを諦めてしまっていた。
「苦くないのか? では飲んでみろ」
不敵な笑みを漏らしつつ、挙動不審なリーシャを追い詰める。
これまでの観察結果から、甘党と見抜いていたのだった。
「飲むか、飲まないかは、私の自由でしょ」
「飲め」
命令口調に、頑なな態度は強くなる一方だ。
「いや」
強情な態度に、追求するのをやめ、下がらした侍女を呼び戻す。
押し問答に、埒が明かないと踏んだからだ。
「ぬるい。新しいものを二人分だ。それと、もっと濃くだ」
「かしこ参りました」
命じられた侍女が、ティーカップを下げようとする。
「わ、わた、私はいい」
戸惑い焦るリーシャ。
口が上手く回らない。
「遠慮するな。二人分だ」
口角を上げ、優雅に微笑む。
「……」
いたずらめいたアレスの微笑みに、二の句も出てこない。
勝利を得たように、気鬱なリーシャを見て、楽しんでいるだけだ。
浮かんでいた腰が、脱力したように椅子に落ちた。
どうすることもできずに、もう唇を噛み締めるしかない。
無駄のない侍女の一連の片づける動作を、傍観していた。
侍女と入れ替わるように、ウィリアムが食堂へ戻ってくる。
「騒々しくして、申し訳ありません」
「何か、あったのか」
言い合いをしながら、外の騒々しさを気にかけていた。
それに対し、リーシャは気づきもせず、ウィリアムの言葉で初めて、その騒々しさを知る。言い合うことに夢中になっていて、食堂の外が騒がしくなって、慌ただしくなっている事態に気づいていなかったのである。
「それが……」
「はっきしろ」
言葉を濁すウィリアムを、冷ややかな眼差しで睨む。
「……はい。国王陛下が大事になされておりました、薬草園を荒らした者がいたようで。大変ご立腹されておりまして……。荒らした犯人を捕らえよと、命じなされたようです。それで何か知らないかと、こちらに国王陛下の侍従たちが、話を聞きにきました次第でございます」
ことの仔細を、ウィリアムが語った。
「くだらない」
短く吐き捨てた。
薬草園一つで、激怒する理由がわからないと抱く反面、あの国王陛下ならあり得る話かと巡らせ、納得するアレスがいたのだった。
変なところで激怒し、王室を撹乱していたのだ。
うんざり気味のアレスだった。
「申し訳ありません」
憮然としているアレスに謝った後に、リーシャの方にも謝った。
謝るウィリアムに、リーシャは対応できない。
呆然としているだけだ。
二人の会話を耳にしていくうちに、表情が顔面蒼白となっていた。
二人は、青ざめている様子に気づかない。
瞳が揺らいでいるリーシャは、薬草園に入って、薬草を摘んだ光景を思い起こしていた。
誰であろう、薬草園を荒らした犯人がリーシャだったのだ。
誰の薬草園とも、尋ねることも忘れ、無断で薬草園に足を踏み入れてしまったのである。
ただの薬草園だと思っていたものが、まさか国王が大事にしていた薬草園だったとは、考えもつかなかったのだった。
知った大きな事実に、驚愕するばかりだ。
(どうしよう。大事な薬草園に勝手に入って、薬草を摘んじゃった)
知れば知るほど、頭の中が真っ白になっていくばかりだ。
左手が赤く腫れ上がっているのも、忘れてしまうぐらいに。
隠していたのは、赤く腫れ上げっているのを、知られないようにするためだった。
ユマたちに起こされる前に、左手の痛みで目が覚めたのである。
痛みで目が覚め、左手を確かめると、赤く腫れ上げっていた。
その後は、ユマたちに知られないように、痛みを我慢して、指を丸め、袖を伸ばして、腫れている左手を隠して着替えたのだ。
そして、洋服を選ぶさえも、袖の長いものを選んだ。
腫れているのを知られれば、その原因となったことを話すしかなく、それに皆に心配をかけると抱き、一人で何とかしようと巡らせていたのだった。
だが、刻々と時間が経つにつれ、その腫れ上がっている左手は、腫れが増していったのである。
拙いリーシャが描いた計画は、食事をどうにか、そつなく終わらしてから、こっそりと薬草園にいって、腫れに効く薬草を見つけようとしていたのだった。
けれど、ウィリアムの話で、計画が破綻してしまう。
突然に、フリーズしていたリーシャが立ち上がった。
二人の視線が、立ち上がった姿を捉えている。
困惑するウィリアムに対し、謎が解明できてないアレス。
不意に、リーシャの左手に視線を移す。
その表情は、冷静さを崩さない。
左手は長い袖に隠れ、垣間見ることができなかった。
心の中で、見えない憤りを毒づく。
「食事は、終わっていない。座れ」
アレスの言葉が、届いてない。
口ケンカしている暇がなかった。
解決しなければならない問題で、頭がいっぱいだった。
「ご馳走様。ウィリアムさん、国王陛下は、どちらに?」
二人の現状を知らないウィリアムは、困惑するまま、問いに答える。
「天空の間におられます」
「天空の間って、スティリア宮殿にあるの?」
「いいえ。ヘルヴィン宮殿でございます」
応対していく中で、ウィリアムが冷静さを取り戻していった。
アレス同様に、これまで携わったことのないタイプのリーシャに、当惑しながらも、自分の仕事を忠実にこなしていったのである。
「ヘルヴィン宮殿って、確か国王陛下が国賓の人と会ったり、政務を執り行う宮殿よね」
「はい。その通りでございます」
勉強の成果が発揮でき、顔が柔らかく微笑む。
(ユマのおかげねって、そんなこと考えている場合じゃない。国王陛下のところへいって、謝らないと。それに侍従さんたちに、謝らないと、私のせいで、怒られたんだから。でも、どうやって謝ろう……)
時々、自分に見せないシュトラー王の怖い顔を思い返し、心が萎えた。
「ありがとう。ウィリアムさん」
憮然としているアレスを残し、用件だけ聞き、取るものも取らずに、食堂をあっと言う間に飛び出してしまったのである。
理解しがたい行動を、ただ眺めていることしかできなかった。
「……もういい。私も終わりにする」
新しい紅茶を持って、食堂に入ってきた侍女が、アレスの言動に立ち往生した。
紅茶を頼んだことを無視し、ナプキンをテーブルに置いて、憮然としたまま、立ち去ってしまう。
食堂に、ウィリアムと紅茶を運んだ侍女が当惑気味に残された。
先に出て行ってしまったリーシャの後を追うように、廊下を歩いていると、昨日の煎じ薬と朝の薬草園の件が、頭で一つに繋がっていく。
(煎じ薬の出どころは、薬草園だったのか……。随分と、大きな揉め事を起こすやつだ、さて国王殿下は、どう出るか。それにしても、左手は、なぜ隠す必要がある……)
不安と疑問が、心で渦巻いていた。
大事な薬草園を荒らされ、可愛がっているリーシャのことを、許すのか、どうか半信半疑のところがあったのである。
けれど、その表情は一切出ていない。
先を行くリーシャの目的地である天空の間に向かっていた。
読んでいただき、ありがとうございます。




