第47話 煎じ薬
いつの間にか、秘密の部屋でアレスが眠っていた。
連日のパーティーや公務の行事、会議や執務とスケジュールが、ぎっしりで身体が疲弊していたのである。
詰まった日程に、ハーツのトレーニングも入っていて、休む暇などなかったのだ。
姿を突然に消したのは、言葉なき抵抗とも言える。
眠っている身体が、もぞもぞと動く。
部屋から、リーシャを退室させた後、呆然と窓から外を眺めていて、そのまま眠りに落ちてしまったのだ。
閉じている目蓋が、微かに上下する。
貴重な休息が、終わりを告げた。
目を醒まし、腕時計を見る。
すると、五十分ほど眠ってしまっていたのだ。
「戻るか……」
椅子に預けていた身体を起こした。
やることは、まだ山積みのように溜まったままだった。
次から次と、処理しなければ溜まる一方だ。
時々、小さな反乱を起こすものの、やるべき仕事をきちんとしていたのである。
本来やるべき人間がしないせいで、そのつけを十五歳のアレスがこなしていたのだ。
ふと、自分の身体に毛布がかけられているのに気づく。
「誰が? ……」
脳裏に首から頭を出してきたリーシャの顔が掠める。
ここを知るべき人間は、自分以外で一人しかいない。
軽い嘆息を吐いた。
「あいつか」
つい先ごろ、この秘密の部屋を知られたばかりだった。
「……眠っている時に、来たのか」
寝顔を見られたことに、嫌悪感を抱く。
誰に対しても、隙を見せないようと、日ごろから気にかけていることもあり、無防備な寝顔を見られたことは、耐え難い恥ずかしさがあったのだ。
がっくりと首が折れ、額に手を当てる。
「不覚。まさか戻ってくるとは……」
あの怒った様子で、もう一度戻ってくるとは思ってもみなかった。
予想を超える行動に、手を焼く。
予測の範疇をいつも超えるリーシャに、憤りを感じつつ、面白いと抱いてしまう。
「意味不明な行動は、何なんだ」
顔を上げるのをやめてしまう。
窓際のヘリに、銀製のボードに緑色した液体が入ったグラスが置かれていた。
眉を潜めるアレス。
緑色した液体が不気味さを醸し出している。
「何だ、これは?」
次元を超えたリーシャの行動を、予測も理解もできない。
毛布と、緑色した液体を交互に凝視した。
「?」
眠っている間に、リーシャが毛布と得体の知れない飲み物を置いていった流れを、とりあえず飲み込む。
けれど、何で毛布と得体の知れない飲み物があるのか、疑問が拭えない。
考え込んでいると、腹痛と言って、サボった事実を思い出した。
「! あいつにも、そんなこと言ったな」
奇妙な飲み物を、もう一度凝視する。
グラスに入っていることで、何となく飲み物であると認識できた。
「飲み物って、ことだな……、煎じ薬ってことか? それにしても……」
得体の知れない、不気味な代物だと言うことが拭えない。
禍々しい色が、強調されているのである。
(腹痛だと、信じていたのか。どこまでお人よしのバカなんだ)
侍従や侍女ですら、腹痛ではなく、ただのサボりだって気づいているのに、素直に受け取る思考が、どうなっているんだと密かに嘆息してしまう。
「僕の知っている人間には、いないタイプだ。よく生きてこられたな、あれで」
嘘や見栄が蔓延る王室で、そのまま受け取っていては生きていけない。
疑うことを知らない、純粋無垢なリーシャに、ある意味で感心していた。
アレスの周囲に如何わしい者や、一癖や二癖がある人たちばかりだったからだ。
バカみたいに、人の言葉を信じ込む人間は、これまでアレスの周囲にはいなかったのである。何か腹の中に隠している人間とのつながりが多いせいで、人を信じられずに、自分の殻に閉じこもって孤立していった。
グラスの隣に、メモが置かれている。
手に取って、メモを読んだ。
そこに腹痛に効く、煎じ薬ですと、見てわかるように女文字で書かれていた。
そして、最後に追伸が補足されている。
「全部飲むこと、腹痛がよくなるんだから。愛らしく優しいリーシャより……。普通、自分で愛らしいなんて書くか」
読む口元が緩んでいた。
名前の隣に、似顔絵も添えられている。
似顔絵の周囲に、星が書かれていた。
「美化し過ぎだろう」
グラスを、手に取ってみる。
得体の知れない、飲み物の臭いを嗅いでみた。
「何だ。この青臭いのは……」
ツーとする臭いに、顔を歪めた。
グラスを少しだけ掲げ、揺らす。
ドロッとした緑色の液体が、左右前後に揺れた。
「……飲めるのか、こんなものが?」
眉間のしわを寄せ、グラスと睨めっこする。
禍々しさに、より一層飲む気が失せた。
鼻に吸い付くような、いやな臭いが流れ込む。
「全部これを飲むのか……」
グラスに注がれている飲み物を、口にするか、どうか悩んでいる頃、煎じ薬を作った張本人は、自分の部屋のベッドで、悶々として眠れずにいたのである。
「アレス、大丈夫かな」
寝返りを打つ。
気になって、寝付かれない。
「風邪、引かないかな」
また、寝返りを打った。
「起こせば、よかったかな」
煎じ薬を持って訪ねていくと、アレスが椅子に座って、心地良さそうに眠っていた。
具合が悪い時に、こんなところで眠ると悪くなると巡らせ、揺り起こそうとするが、身体に手が触れる前に、止まってしまったのである。
寝顔が見たことがないほど、穏やかな顔をしていたからだ。
溜息が漏れた。
「綺麗な顔していたな。でも、性格、悪すぎ」
ベッドで、丸くなって呟いた。
三人でゆうに眠れそうな広いベッドで、身を縮め、身体を丸く曲げていたのである。
広いベッドに憧れていた。
だが、実際に使用していると、慣れずに居心地の悪さを抱いていたのだ。
そのため、広々と眠れるベッドの端で、身体を丸くしている。
「よくなれば、いいな……」
瞳は、ウトウトとし、閉じたり、開いたりを繰り返している。
何度か、繰り返しているうちに、閉じた目蓋が開かなくなっていた。
リーシャが泥だらけで仮宮殿に戻ってきたことは、ユマに知られずにすんだ。
出かけていたユマが戻る前に、バネッサが元通りに戻し、全身泥だらけのリーシャがシャワーを浴びている間に、仮宮殿に戻ってきたからである。
それに戻る前に、バネッサがクララとヘレナの口を封じ込めていたので、打ち合わせに出かけていたユマが、怪しむこともなかったのだ。
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