第43話 報告
寝不足のまま、ソーマは報告する書類と共に、シュトラー王がいる執務室の前に立ち止まってノックをした。
部下に任せずに、直接、報告するのが日課となっていたのだ。
一睡もせずに、仕事についていたのである。
その表情に、疲れが微塵も感じられなかった。
執務室へ入ると、室内にシュトラー王一人しかいない。
シュトラー王が使っている執務室に、きちんと整理されたファイルや書類が置かれ、大きな窓の前に大きな机と椅子がある。
後は、書棚に古い本があるだけだ。
私物が多くある瑠璃の間とは違い、私物が執務室に置かれていない。
「一人か? うるさい秘書官どもは、どうした?」
「追い出した。そろそろ来る頃だと思ってな」
誰もいないと知って、引き締まっていた表情が多少緩む。
ソーマの軽口に対し、シュトラー王も軽口だ。
慣れ親しんだ者がいる時の口調だった。
シュトラー王の秘書官や侍従、貴族たちがいる時には使わない。
仕草まで、ラフになっている。
二人の表情が、いつになく柔らかかった。
「そうか」
「いつもより、遅いな。何かあったか?」
姿を現したソーマは、シュトラー王との約束の時間より遅かった。
それはリーシャが訓練場で一晩明かした件で、部下たちを厳しく指導していたからである。
侍従たちが、訓練場で眠っているリーシャを発見して数分後に、仕事をしていたソーマの元に報告が上がり、そして、風邪を少し引いたようだと聞かされたからだ。
シュトラー王の視察先の警備の打ち合わせは、朝まで続き、そのまま日常の仕事へ就いてしまった。
このところ徹夜の仕事が多く、自分の屋敷にも帰ることができない。
その上、部下の不祥事に不機嫌が増し、そのまま、部下を叱咤したのである。
(気づかれないように、外で警護しろと命じたが……。確かに訓練場で眠ってしまうとは、誰も思わないか。だが、何時間も出てこなかったら、確かめるものだろうが。あいつらは何をやっている、一から訓練のやり直しだな、あいつら全員)
叱咤したものの、虫の居所の悪さが続いている。
感情を引きずらないソーマとしては、珍しいことだった。
訝しげに見つめられる視線に、悟られないように嘆息を零した。
「何でもない。朝まで打ち合わせが続いて、疲れただけだ」
「歳だな。お前」
少しだけ心配して損したと、毒舌を撒いた。
ピクッと、眉が動いている。
「年上のお前に、言われたくない」
ぶっきらぼうに吐き捨てた。
「ふん。大して変わらんだろうが」
「大きいぞ」
指で、二の数字を表す。
二人の歳は、二つしか違わない。
「大きくない」
訓練場で、リーシャが一晩明かした件は、シュトラー王に伏せた。
自分たち以上に、親友クロスを大切にし、その孫娘であるリーシャを溺愛していたからだ。それは誰の目からしても、言えるほど明らかだった。
しごきだけでは、すまないと判断したからだ。
厳しく言うものの、手塩にかけて育てた部下が可愛かったのである。
「で、報告は? 自分たちの歳を再確認しに来た訳ではなかろう」
ゆったりと腰掛けているシュトラー王が、立っているソーマを見上げる。
持っていた書類を、少々乱暴に渡した。
「当たり前だ」
その書類は、部下に命じてソーマが作らせたものだ。
「分厚いな……」
「これに、まとめてある」
文字を追っていくシュトラー王の雲行きが、徐々に妖しくなってくる。
最後まで行かずに、眉間に深いしわが刻まれていた。
事前に目を通していたソーマも、同じように曇らせていたのだ。
「酷いな」
露骨に不服そうな表情で、ポツリと呟いた。
それに対し、ソーマがコクリと頷く。
「クロスのこと、知らん癖に、よくここまで言えたものだな」
「ああ。事実無根の話ばかりだ。たぶん、流れていた噂話を、そのまま父や祖父が話したのだろう」
持ってきた書類に、リーシャが結婚してから貴族たちと会った際に、言われたことが詳細に記載されていたのである。
公式な場やパーティーなどに出席していたリーシャの周囲に、ソーマの息が掛かった部下たちが配備されていた。
だが、より近くまで近づけずに、蔑む言葉を言われた事実を、記載するに至ってない。
パーティーや貴族が集まる行事に、言われた言葉が記載されているよりも、何倍もの量があったのである。
考え込む仕草に、昔を思い出し、一抹の不安が掠めた。
現在は、のらりくらりとした一面を垣間見せているが、実は短気なことを把握していたのである。
「わかっていると思うが、手出しするなよ。お前は限度を知らないからな」
「……限度。いくらかは憶えもしたが、これほど酷いとな……」
「おい、シュトラー」
怪訝な表情で、良からぬことを企みそうなシュトラー王を窘めた。
こうと思ったことは、どんな手段を講じても貫いていたからだ。
ずっと、傍で見てきたソーマたちは、幾度も巻き込まれて大変な目にあってきたのである。
胸騒ぎが収まらない。
段々と、増す一方だ。
ギラギラと、研ぎ澄ましたようなシュトラー王の視線に。
無茶ばかりしていた頃の眼差しだったのだ。
「おとなし……」
窘める言葉を、最後まで言わせずに遮った。
「わかっている。エレナにも、口出ししないようにと、言われているからな。これに関しては」
シュトラー王の顔が、納得してないことが気になる。
何か、口にする前に先手を打つ。
「リーシャ自身が、乗り越える試練の一つだからな」
「ああ。けれど、……クロスのことに関しては、何も言われていない」
「まさか……」
不敵に笑うシュトラー王。
いやな予感が拭えない。
「クロスを侮辱した者を許すつもりはない。軽く仕置きだ」
その口調が明るい。
過去を振り返り、ソーマが頭を抱え込んだ。
「時代が……」
「だから、言っただろう? 軽く仕置きだと」
「お前の場合、軽くじゃ、すまないんだよ」
前へ乗り出し、説得を試みる。
シュトラー王の表情が、ビクとも揺るがない。
不敵に笑ったままだ。
「それは、人の取りようだ。私的には軽くだ。昔だったら、痛い目に会っていただろうな」
ほくそ笑む姿に、頭痛を感じずにはいられない。
痛い目に合わせると言って、かなり無茶なことを何度もしてきた過去がある。
その何度も起こった行為を、鮮明に蘇らせる。
(死者を出すなよ。時代が違うんだからな)
「確かに。昔のお前だったら、痛い目どころか、生き地獄を見せていたな、あれは」
「生き地獄か……。いい表現だ」
美味い表現に、ニンマリしている。
「お前な。少しは周りのことも考えろ」
のん気にしているシュトラー王を睨んだ。
大切なものは、どんな手段を使っても大事にしてきたが、それ以外の者に関しては、どうでもいいといったスタンスで見向きもしなかった。そして、誰かが、その大切なものを傷づけようとすれば、徹底的にその誰かを許さなかった。
冷徹に意図も簡単に切り捨て、その何十倍もあるだろう苦しみと痛みを与えたのである。
「私は、あれから歳をとった。昔のようにはせん。だから……」
最後まで言わせずに、口をつく。
「安心しろとっても、無駄だ。安心にならないのは、よく知っているからな」
「若くは、ないんだぞ?」
「それも知っている。だからだ」
諭すソーマの語気が、荒くなっていった。
左から右と、小言を聞き流している。
それでも、小言を諦めない。
「最近していなかったから、度を越して、はしゃぐんじゃないのか?」
それを危惧していたのである。
久しぶりに動こうとするシュトラー王が、加減を忘れる可能性があったのだ。
「信用がないの……」
「当たり前だ。何度、その言葉に、騙されてきたか」
「今度は、大丈夫だ」
「信用できん」
はっきりと吐き捨てた。
「……もう、うるさい。とにかく、ネタを調べろ! 国王命令だ」
「……」
削除するべきだったと、後悔の念が消えなかった。
命令と言われれば、動かざるおえない。
二人の視線がぶつかり合う。
先に折れたのは、ソーマの方だった。
「わかりました。国王陛下」
恭しく頭を垂れた。
「では、総司令官頼んだぞ」
先程までの氷のような表情が消え、優しい表情へと戻っていた。
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