第41話 お茶会が終わっても休めない
三人だけのお茶会は一時間と言う短い時間で終わる。
身体の弱い王妃エレナの体調を考慮してだ。
病弱な王妃エレナは、ここ何年か公式の場も内輪の場にも、ほとんど顔を出していない。
どうしても、王妃エレナが出席しなければならない行事には、代理で王太子アレスの母親で、アメスタリア国の国王シュトラー王の次男ヴォルテの妻セリシアが務めてきたのである。
国民にとって、王妃エレナの顔の印象が薄かった。
そして、少し前までのリーシャも、そのうちの一人だった。
真新しい自分の豪華過ぎる部屋に、精神的に疲れた身体で戻ってきた。
シュトラー王と王妃エレナの居住専用の宮殿とは、別な宮殿だ。
新婚である王太子アレスとリーシャに、二人だけで住んでいる仮宮殿がある。
二人の結婚が急なこともあり、住む宮殿はまだ内装工事が終わっていない状況だった。
宮殿はどれも、セルリアン王宮の敷地内にあり、基本的に長い回廊で繋がっていたのである。
高貴な二人に挟まれ、緊張する一時間は体感時間としては長かった。
ただの楽しいお茶会を過ごしたのは、主催者である王妃エレナだけだ。
「疲れた……」
部屋の中に、誰もいない。
いると思っていた人が、いないことで拍子抜けした。
だから、本音を吐露してしまった。
別な気を張る必要がなかったのである。
部屋に専属の侍女たちが大抵いるからだ。
このことも普通の家庭で育ったため、慣れないことだった。
専属の侍女が増えてからは、部屋に誰もいないと言うことがなかった。
戻ってくると、誰かは待っていたのである。
「いないのね……」
囁くような呟きに、答えが帰ってこない。
虚しく響くだけだ。
専属の侍女たちは、リーシャが不在の間に細々とした仕事をしていて、席を空けているに過ぎない。
まさか、こんなに早く戻ってくるとは思ってもいなかったのである。
「一人か……」
(いいようで、寂しいな……)
大きな溜息と共に、ソファにどっかりと座り込んだ。
すると、筆頭侍女ユマが姿を現わした。
王妃エレナの侍女から、お茶会が終わって、帰ったと告げられたのである。
「リーシャ様。申し訳ありません、気がつきませんでした」
「いいよ。何か、飲み物ある?」
お茶会に飲み物も用意されていたが、高貴な二人を前にして、飲んだ気が起こらなかった。
喉を潤す感じを、全然得られなかったのだ。
それほど緊張の糸を張り巡らせていたのである。
「かしこ参りました」
頭を下げたユマが、まだ残っている講義の話をする。
「リーシャ様。三十分の休憩後、歴史とマナーの講義の時間が始まります」
「えっ? 中止じゃなかったの?」
背凭れにくっついていた背中が、がばっと外れる。
お茶会で予定していた勉強は、どれも中止となっていた。
鉄仮面のような厳しい面のユマを眺めている。
筆頭侍女のユマは、宮殿に無理やりに連れてこられた日から、リーシャの身の回りの世話をしてきた。
宮殿に住むようになって、右も左もわからないでいる状況下で、一番頼りにしている侍女でもある。
不慣れなリーシャに専任の教師もいるが、ほとんどの講義をユマが担当していた。
アメスタリア国の歴史、マナー、宮殿内のしきたりなどもだ。
王妃エレナや、セリシア妃にも、人望が厚く、優秀以上に優秀なユマだった。
「お茶会が、予定より早く終了しましたので。それに、どちらの講義も予定より、遅れ気味となっております。ですので、急ではありますが、講義を行いたいと思います。よろしいでしょうか?」
口調は穏やかだが、有無を言わせない表情だ。
この有無を言わせない表情が、何よりも怖かった。
「……はい」
了承の返事をするのみだ。
逆らえる余地がない。
「では。そのように用意いたします」
しばらくして、侍女としては日の浅いクララとヘレナの二人が、頼んだ飲み物と講義する前に目を通して置くためのテキストを携えてきた。
二人に手伝って貰い、気安い服装に着替える。
髪型も綺麗にアップしてあった髪を下ろし、簡単にざっくりと編んだ二つの三つ編みに変えた。
「休憩時間も、勉強をしろと……」
脱力した呟きが、自然と漏れた。
部屋に一人だけだ。
クララとヘレナは、勉強室を整えるために飲み物とテキストを置いたら、そのまま部屋から退出してしまったのである。
へとへとに疲れている身体。
神経が擦り切れるような講義はやめてほしい。
しかし、ダメなままでは、いけないと言う思いも存在していたのだ。
「勉強ばかり。学校でも、こんなにしたことないのに」
勉強する前に、予習が辛い。
浮かない視線で、テキストに注ぐ。
連日のパーティーでの失敗に、マナーの不出来が実証済みだった。
それにパーティーに出席する貴族たちや、その夫人、子息や息女たちに、話を振られても、愛想笑顔を振りまくだけで、答えられないことが多かったのである。
会話を把握できなくとも、何となくバカにされていることだけは理解していた。
ただ、それを突っぱねる自信が持てなかったのである。
最近の芸能の話題や、人気のフードショップの話題だったら、お手の物だが、ブランドの話、ましてや政治的な話などわかるはずもない。
その上、歴代の王の話をされても、さっぱりだ。
もういやと、逃げ出したい気持ちを押し殺すのが精いっぱいだった。
「元気だそう! ……けど、予習はごめんなさい」
事前に、テキストに向かって謝った。
飲み終わったグラスを残し、重い身体を軽くするために立ち上がる。
休憩時間を予習に使わずに、気分転換する時間に変えてしまった。
部屋を出ると、同じように部屋を出た夫アレスと、タイミングよく出くわした。
「アレス……」
「……」
二つの視線が交錯した。
リーシャとは、同じ歳で高校の同級生でもある。
美術科のリーシャとは違い、アレスは世界的にも花形で、人気の高いハーツパイロットを養成する特進科に所属している。そして、ハーツパイロットの能力があるとして、結婚と同時に、リーシャは美術科に所属しながら、特進科まで所属すると言う二重の学生生活も送っているのだ。
所属だけして、特進科の授業はアクシデントが起こり、まだ受けていない。
二人の間に、やや距離が開いている。
「出かけるの?」
氷のように冷徹な表情をみせるアレスに、僅かな沈黙があった。
「……ああ」
認める以外、どこへ行くと言う話がない。
短い夫婦の会話が終わる。
リーシャの方から、話しかけないと会話が続かない。
高貴なオーラを出すアレスは、必要以外の話をしてこないし、かけてきても、いつも口ゲンカして、終わってしまうことの方が多かった。
夫婦となったが、一切アレスのことを何も知らない。
知ろうと思い話しかけても、話が続かずに終わってしまって、どうしたらいいものかと悩んでいたのである。
密かに、嘆息を零した。
(これが夫婦の会話なんだろうか)
いっこうに口を開く気配がない。
ただ、自分に訝しげな視線を投げかけているだけだ。
(パパやママはいろいろと喋っていたけどな……。今日会ったこととか、面白いテレビ見たとか。話すことはいろいろあるのに、何でなんだろう? 何でこんなにも私たちは違うんだろうか? 寂しすぎるよ、もっと知って楽しく話したいのに……)
実の両親の何気ない日常風景を思い浮かべた。
天と地の差もある現実に、打ちひしがれる。
これが一生続くのかなと、考えるだけで憂鬱だった。
落としていた視線を上げると、不機嫌そうにアレスはまだ見ている。
(私、何かした?)
視線を落としていくと、よそいきの服装をしていた。
(友達と会うの?)
段々と、言い知れぬ憤りが湧き上がってくる。
(自分ばかりで、ずるい!)
自分は大変な勉強だと言うのに、のん気に友達と楽しいひと時を過ごすのかと抱くと、憤る気持ちが湧き起こる。
八つ当たりだとわかっていた。
だが、優しい言葉も、気遣いもないアレスにぶつけるしかなかったのだ。
「友達と、お出かけ?」
公務での出掛ける予定が、ないと知っていたからだ。
午後からは部屋で過ごすと、朝食が終わった後に、アレスの筆頭秘書官ウィリアムから聞いていたのである。
少しでも気難しいアレスと打ち解けようと、空いている時間が合えば、話をしようと尋ねたことだった。
そして、スケジュールが噛み合わずに、二人だけの会話を断念したのである。
よそいきの服装に、友達と出掛けると単純に連想した。
「何でだ」
「その服装よ。随分と、楽しそうだこと」
自分のいでたちを窺う。
表情一つ変えない。
「違う」
「どこが違うのよ。だって午後は……」
「王族の人間と、会食だ」
目をパチクリとさせた。
寝耳に水の話だ。
「私、聞いてない」
聞いていない話に、頬を膨らます。
王族との会食の話は、急遽決まったものだった。
その会食は国王シュトラー王が出席する予定だったが、会食が始まる二時間前にキャンセルとなり、急遽王太子夫妻で出ることになったのである。
「もっと早く言ってよね!」
「僕一人だ」
「へぇ? どういうこと?」
きょとんとしている姿から、視線を外した。
「マナーも、まともにできないやつといけるか」
「な、な、な……」
徐々に真っ赤になっていく。
「うるさいやつら、なんだぞ」
口をパクパクさせる。
「恥は、掻きたくないからな」
「……」
悔しげに、唇を噛み締める。
「そうですか。ご勝手に!」
あっさりと、アレスが背を向けた。
王太子夫妻でと言うことになっていたが、それを断って、自分一人だけ出席することにしたのはアレス本人だった。
リーシャの予定を確認したら、お茶会はすでに終わり、歴史とマナーの講義する予定になっていたのである。貴族たちよりも、二枚も三枚も上手な相手である王族の会食は、不慣れなリーシャにとって、これ以上にない気苦労が多いだろうと判断し、それよりかは講義の方が若干はラクだろうと言う思いからだ。
傲慢なアレスの態度に、腹の虫が収まらない。
イライラを解消しようと、颯爽と歩く背中に向かって、何度もパンチを繰り出す。
微かな殺気を憶え、アレスが振り向く。
すると、交互に腕を繰り出している仕草が、目に飛び込んできた。
一心不乱に奇妙な動きをするリーシャを眇める。
「何している?」
リーシャの動きが止まった。
絡み合う視線。
見られたことに、その顔が引きつっていたのだ。
「……べ、べ、別に」
ぎこちない仕草。
「前にもしていたな。確かクッションに」
(何で憶えているのよ、そんなこと)
「そ、そうだった?」
あさっての方向に、視線を巡らす。
動揺が隠せない。
「で。何だ、それは?」
首を傾げ、固まっているリーシャを凝視している。
「……ボクシングの練習。身体が訛っていたから」
苦し紛れの言い訳で、その場を無事に終わらせようとする。
まさか、エアでアレスを殴っていたのよとは、到底口に出せない。
目の前にいるのは夫であり、この国の王太子だった。
「ボクシング……?」
「そう、ボクシングよ。勉強ばかりで、身体動かしていないから」
「廊下でか?」
「いけない? 私の勝手でしょ?」
「そうか。そんなにボクシングが好きとは知らなかった」
不敵な笑みを零していた。
そんな態度が勘に障り、見たこともやったこともないボクシングの真似をしてみせる。
「えぇ。大好きなの」
「そうか」
淡白な答えを残し、立ち去ってしまった。
「いつか鼻を明かしてやるんだから」
読んでいただき、ありがとうございます。




