第40話 三人でのお茶会
慣れない場所で、リーシャの緊張の針が飛び上がっている。
到着して、まもない部屋の雰囲気に、居た堪れなさを味わっていたのだ。
鮮やかな新緑色した瞳が左右に彷徨う。
振り切れそうな針を、ギリギリのところで踏み止まっていた。
失態ができる場所ではない。
誰にも気づかれないように、唾をごくりと飲み込む。
この部屋の持ち主は、ヨーロッパにあるアメスタリア国の王妃エレナの部屋だからだ。
アメスタリア国の王都キーデアの中心にあるスティリア宮殿の一角。
スティリア宮殿は、現国王シュトラー王と、その妻、王妃エレナの居住専用の宮殿で、セルリアン王宮に建っていたのである。そして、セルリアン王宮とは、直系王族の住居の宮殿や、国王が政務を行う宮殿がある敷地内のことを言う。
室内に王妃エレナ、セリシア妃、王太子妃となって、日が浅いリーシャの三人しかいない。
王族とは無縁で、普通に暮らしていた女子高生に過ぎない、若干十五歳のリーシャは、王妃エレナの孫で、セリシア妃を母に持つ、同級生でもある王太子アレスと政略結婚をしたばかりだった。
国を挙げての盛大な結婚式も終わり、慣れない新婚生活を送っている。
戸惑いの中、立ち尽くすリーシャ。
表情が読めず、背筋を伸びているセリシア。
対照的な二人を、陽だまりのような微笑みで、王妃エレナが見上げる。
今までの庶民の暮らしでは、あり得なかった状況だ。
高貴な二人を目の前にし、萎縮していた。
結婚式を挙げる前から、王妃エレナは三人で楽しくお茶会を催すことを心待ちにし、ようやく念願が叶って、この場を設けることができたのだった。
病弱な王妃エレナと、王太子妃リーシャが顔を合わせるのは、指で数えるほど少ない。
それに王妃エレナの代理を務めることが多いセリシアも多忙なのである。
薔薇の模様が描かれたテーブルを挟んで、王妃エレナが腰掛けていた。
二人は椅子に座らず、立ったまま姿勢だ。
「どうしたのですか?」
のんびりした口調で、立ち尽くしている二人に問いかけた。
その首は、やや傾げている。
「え……」
チラッと、隣に立っているセリシアに視線を巡らした。
開きかけた口が、言葉が出てこずに閉じてしまう。
セリシアの方は、微動だに動かない。
冷静に立ち尽くしているだけだ。
全然、腰掛ける気配がない。
ますます返答に困惑するばかりだ。
すでに椅子に腰掛け、王妃エレナは二人が腰掛けるのを待っている。
王妃エレナの計らいで、初めて三人でお茶をすることになったのだ。
三者三様のスケジュールが合わず、リーシャの講義の時間を急遽移動させ、作った時間だった。
呼ばれて、よくわからないまま、この場に立っていた。
専属となった筆頭侍女ユマに、目上の人から順に椅子に腰掛けると教え込まれた経緯もあり、義母となったセリシアが腰掛けるのを待っている状態が続いていたのである。
いっこうに座ろうとはしないセリシア。
焦りを滲ませ、王妃エレナとセリシアの間で、板ばさみ状態になっていた。
助けを求めるユマもいなかった。
王妃エレナが三人だけでお茶をしたいと言う希望で、この部屋に入室しなかったのである。ユマたち侍女は、別室で待機し、廊下にボディーガード数名が控えているだけだった。
綺麗に着飾っているドレスの下で、冷や汗が流れている。
(どうして? どうして座らないの? 私、何かした?)
何か粗相したのかと巡らす。
だが、記憶に思い当たるところがない。
不安だけが広がっていく。
(何かしたのなら、教えて! 私、わからないよ)
どうしたらいいのかと戸惑い、顔面蒼白な顔を下げてしまう。
狼狽する中でできる、これが精いっぱいだ。
三人の中で涼やかな表情でいる王妃エレナが、毅然として少しだけ目を伏しているセリシアに尋ねる。
「どうしたのですか? セリシア」
問いかけに、貝のようにしっかりと閉じていた口が開く。
「王太子妃殿下が、まだですので、私が腰掛ける訳にはいけません」
「……」
軽く眩暈を起こしかけているリーシャは、俯いたままだ。
(私、いないことになっているの? もしかして、これが噂に聞く、嫁と姑の関係?)
戸惑いと困惑が隠せない。
ただ、セリシアの言葉を履き違えていた。
セリシアの言葉で、王妃エレナは合点がいく。
「そういうこと」
「はい」
毅然としているセリシアから、気落ちしているリーシャに視線を移した。
その表情は、柔和で心穏やかといった感じである。
「リーシャ、顔を上げなさい」
促され、恐る恐る顔を上げた。
優しい王妃エレナと、視線が合う。
「リーシャから、座りなさい」
「でも……」
チラッと、厳しいセリシアを垣間見る。
十五歳の息子がいるとは思えない美しさがあるセリシアは、状況を把握できないリーシャに人知れず嘆息を零すのだ。
自分の粗相のせいで、機嫌が悪いと思い込み、素直に王妃エレナの言葉を受け入れられない。
声だけ元気に言い切ってしまう。
「大丈夫です」
「……」
厳しく指導しているユマに、常々順番を間違わないようにと言われ続けていたのだ。
それが仇となっていたのだった。
王族の一員として日が浅く、右も左もわからずに、いつも付き添ってくれるユマの言葉に素直に従っているだけなのである。
「困りましたね」
「……」
言葉どおりに困っている王妃エレナ。
申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
(どうして、こうなったんだろう……)
何よりも順番を重んじると、教え込まれていたので必死なのである。
とにかく、先に座って貰おうと、開きかけた口が閉じてしまった。
セリシアのことを、何と言っていいのかわからなくなったのだ。
困惑に満ちた顔が引きつっている。
気づいた王妃エレナが、微かに口角が上がっていた。
けれど、笑われていることに気づかない。
思考は自分の強張った表情よりも、別なことに重点を置いていたのである。
(何て呼んでいいのか、ユマに聞くの、忘れちゃった……。えっ、どうしよう……、セリシア妃様でOK? でも、セリシア妃殿下の方がいいのかな、それに結婚したんだから、お義母さんなのよね……ってことは、お義母様と呼ぶべきかな……。もお、どっちよ! 何でこんなに呼び名があるの? 頭がおかしくなりそう……、一つに固定してって感じ)
「……お義母様。私、何か粗相なことしましたか?」
恐る恐る相手の顔色を窺いながら、か細い声を漏らした。
嘆息を吐き、セリシアが口を開く。
曇りがちな嘆息に、リーシャの心に重くのしかかった。
「……いいえ、違います。王太子妃殿下」
恭しい態度に、やっぱり何かしたのかと顔を強張らせる。
キラッと、セリシアの瞳が光ったように思えた。
二人のやり取りを窺い、クスッと王妃エレナが笑ってしまう。
「王太子妃殿下が、先です」
「でも……お義母様ですし……」
焦るリーシャの瞳が泳いでいる。
言葉を選びながら、話す口調が震えていた。
「母親は……、上かと……」
「王太子妃と、なられたのです」
動じない凛とした態度に、身が引き締まる。
思わず、気圧され、背筋が伸びていた。
「はい」
勿論、気迫に怖気づいてしまい、意味を理解していない。
「ここでは、王妃様に次いで、位が上なのは、王太子妃殿下なのです」
「……はい。でも、結婚して、お義母様となられま……した……から……」
声のトーンが、徐々に小さくなっていった。
頭の中では幾重にも糸が絡まって、何がなんだがわからなくなっている。
リーシャの立場は、微妙な位置に立っていたのだ。
確かに位としては、王妃エレナに次いで二番目にいた。
けれど、王太子アレスの母親で、義理の母親となったセリシアは目上の人であり、義理とは言え、母親となった人より、先に腰掛けていいものかと悩んでいたのである。
品格などを重んじる厳しい世界で、果たしてセリシアより先でいいのかと気に病んでいたのだ。
リーシャとセリシアの立場は、微妙だった。
そんなことに、今まで能天気娘と揶揄されていたので、気づきもしなかったが、ユマから指導を受けるうちに、段々とどっちが先なんだろうと悩み始めていた。
少しずつ、二人の微妙な関係性に気づき始めたのである。
息苦しさを感じ、部屋に帰りたい気分になっていく。
開放されたいと思っていたところに、二人の対照的な顔を王妃エレナが眺めていた。
「見上げているのに、少々首が疲れました」
「申し訳ございません。王妃様」
隣のセリシアに習って、頭を何度も下げる。
何度も頭を下げる仕草に、またしてもセリシアが嘆息を吐いた。
「どちらの話にも、確かに理はありますね。……ここは私たち三人しかいない、ただのお茶の時間に過ぎません。セリシア、どうでしょうか? あなたが先に座ったら? ここは公式の場ではありませんから」
ニコッと、微笑む王妃エレナ。
「……」
「けれど、リーシャ」
まっすぐにリーシャを見据える。
「はい」
いきなり名を呼ばれ、背筋を張った。
「公式の場では、あなたからです。肝に銘じて置くように、いいですね?」
「……はい、王妃殿下」
厳しい表情から、口角が上がる。
「では、この話は終わりです」
ようやく、セリシアが腰を下ろした。
次いで、リーシャも疲れていた足を休ませることができたのである。
腰掛ける順序が解決したが、まだこれから似たようなことがあるのに変わりなかった。
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