第37話 彫刻室(1)
彫刻専攻の生徒が、使用する彫刻室に拉致されたリーシャ。戸惑いながら、その場に立ち尽くしている。
彫刻室は一般の校舎や作業場のある校舎から、人里離れた位置にあり、木々に隠れた薄暗いところに、ポツンと彫刻棟の建物が建っていた。
気分を紛らわすために散歩していたリーシャは、拉致されて、すぐさまにこの辺鄙な場所にある彫刻室に連れて込まれたのである。
彫刻室は彫刻専攻以外の生徒が入ることはめったにない。
普段でも人の出入りが少ない場所なのだ。
室内に校内コンクールに出品するために、まだ途中の作品が、いくつも無造作に散らばっていたのである。その作品途中の彫刻が、暗い室内をより一層重苦しい雰囲気を醸し出していた。
ヒヤッとする冷気に、異様な雰囲気にリーシャの顔が引きつっている。
不気味さに、視線の先を変える。
目の前に土下座している二人の男子生徒。
この二人こそ、拉致した犯人だった。
「あの……」
声をかけても、返事がない。
何が何だか状況が掴めない。
ここに連れられてきた途端、二人は土下座してしまったのだ。
(私、何でここに連れ込まれたんだろう?)
首を傾げたまま、二人の男子生徒に視線を注ぐ。
見たことのない男子生徒で、学年が違うのかと脳裏を掠めた。
(沈黙、いやだな……。それに何で? いきなり土下座なの?)
意味不明な行動に、この後どうしたらいいのかと思いを巡らす。
土下座されたまま、沈黙が続く。
(誰か、何とかして!)
結局、なぜ自分が彫刻室に連れてこられたのかわからないままだ。
どうすることもできずに、嘆息を零した。
一般の教室三つ分はある広さの彫刻室を見渡す。
以前、見た光景と同じはずなのに、前に遊びに来た時とは感じが違うなと、大きな違和感を抱いた。
(こんな寂しい感じじゃなかったのに……)
クラージュアカデミーに入学して早々、ラルムやナタリーたちと校舎内を探検した際に、この彫刻室にも足を運び、室内で遊んだ記憶があった。その時は気の知れた友達がいて、この彫刻室を不気味とは思わなかったのである。
身震いして、両腕で自分の身体を思わず抱きしめる。
土下座したままの二人の男子生徒たちを見下ろす。
リーシャと二人の男子生徒たちの間に、ある程度の距離があった。
いきなり男子生徒が飛び込んで来られても、逃げられる程度の距離だ。
「何で、私ここに?」
恐る恐るゆっくりと、目の前で土下座している男子生徒に尋ねた。
この二つの位置の間で、沈黙が流れていたのだ。
「聞こえましたか? 何で、私が?」
なぜ自分がここに連れ込まれたのか、理由がわからなかったのである。だから、連れ込んで土下座してしまった男子生徒たちに、その理由を問いかけたのだ。
男子生徒たちが頭を上げる。
唐突に上がった顔に驚き、反射的に一歩退いてしまった。
「すいません。こんなことをして」
「はぁ……?」
何て答えればいいのかわからず、曖昧に返事をした。
「俺、美術科三年で、彫刻専攻しているエタ・コンロイと言います」
「同じく俺は美術科三年、彫刻専攻ピロス・キルマーと言います」
「私はリー……」
「「リーシャ王太子妃殿下にお願いがあります」」
二人は噛まずに、綺麗に揃っていた。
自分の名前を名乗ろうとしたリーシャの声が、二人に圧倒されて止まってしまったのである。
「……」
王太子妃殿下と言われ、背筋を伸ばすが、どこか居心地の悪さを憶える。
どう見ても、自分より上級生である二人に、敬われる状況に変な気がする上、まだこういう扱いを受けることに慣れていなかったからだ。
普通の女子高生の時だったら、こんなシチュエーション自体起こらなかった。
「お願いがあります」
つくづく自分が変わったことを、強く認識し、寂しさが込み上がって、心の中で人知れずに嘆息を零した。
別なところへ飛んでいた意識を、目の前の二人に戻す。
「お願い?」
「はい。そうです」
真剣な眼差しで、エタが顔を強張らせているリーシャを直視している。
あまりの真剣さに、さらに一歩退いた。
エタとピロスに燃え立つ熱気を感じる。
その勢いに飲み込まれた。
「な、何ですか、それは?」
「はい。申し上げます」
「……すいません。敬語はいいです。私は私ですから、普通に話してください」
二人は目をパチパチさせる。
「慣れないので……」
「……ありがとう」
真摯にピロスが礼を言った。
そして、拉致したいきさつを話し始める。
「俺たち、キオラ・バートンに勝ちたいんだ」
「へぇ?」
きょとんとしてしまう。
(それと、私、関係ある? キオラ……?)
「知っているだろう? 同じ学年だから」
しばらく考えてから、キオラのことを思い起こした。
「……ああ。キオラ、確か彫刻専攻の……」
「その通り。そのキオラに勝ちたいんだ」
「勝ちたい? どうしてですか」
素直に言葉が漏れた。
「今度、校内コンクールがあるだろう。だから、その校内コンクールで、キオラに勝ちたいんだ。どうしても俺たち」
キオラは美術界では、すでに名の知れた新人の彫刻家の一人だった。評論家の人たちは物凄く高く評価を下しており、数年後にはキオラの名は、世界に広がるだろうと評していたのである。それに美術展に出品する作品は、名だたる賞を何度も総なめにしてきたのである。専攻が違うリーシャでも、名と顔、それと何度か話したことがあった。
「優勝はキオラと噂が流れてますよ」
「そうだ。それを覆して、俺たちが優勝したいんだ」
意気込みがヒシヒシと伝わってくる。
二人の瞳に闘志が漲っていた。
その意気込みに、圧倒されて尻込みしてしまった。
(どこから、そんな熱気が出てくるの……)
「ゆ、優勝ですか?」
「そうだ、優勝だ! 俺たちはキオラに勝つ!」
鼻息も荒く、目がギラギラとしている。
「どうして、そんなに勝ちにこだわるんですか? キオラに勝てる人間なんて、この学校にはいないと思いますよ。だって、彼って天才ですから」
刺すような鋭い視線を感じる。
のん気に自分がキオラに抱いている、そのままの感想を述べた。
エタとピロスは険のある視線を、リーシャに傾けていたのだ。
余計なことを言ったと固まってしまう。
自分たちが熱くなり過ぎたと、エタが咳払いをした。
それに続き、ピロスが続きを語る。
「確かに、その通りだ。キオラが優勝と誰も決めつけている。それを覆したいんだ。俺たちはいつもキオラがいるせいで、にが水を飲まされてきた。だから、どうしても、転載キオラより、いい作品を作って優勝したいんだ」
熱のこもった語りが終わり、最後にピロスが拳を握り締めた。
(熱い人たちだな)
「……」
キオラに勝てる生徒がいないと脳裏に思い浮かぶ。
天才と言う言葉が、似合う作品をキオラがいくつも作っていたのである。
その作品を、次々に頭の中で蘇っていく。
どれもこれも凄いものばかりだった。
(あの作品に勝てる人なんているのだろうか)
目を細め、自分を見ているピロスの視線に気づく。
ハハハとぎこちない笑いをして、その場を誤魔化した。
「勝てないと思っているんだろう」
ムッとしているピロス。
完璧にリーシャの思考を読まれていた。
自分の思考を読まれて驚きつつも、首を何度も横に振って、そんなことはないと否定した。
疑っている視線に、小刻みに振り続ける。
「もうよせ。ピロス」
うな垂れているエタの一言で、ピロスの鋭い視線が外される。
呪縛が解けたので、ホッと胸を撫で下ろした。
ピロスに成り代わって、エタが話し始める。
「キオラは天才と言われているし、難しいのも知っている。でも、俺たちは勝ちたいんだ。このまま負け続けていたら、一生勝てない気がして。だから、諦めたくないんだ」
「……」
凄いなと、羨望の眼差しで二人を見入る。
諦めずに、無謀な挑戦をする二人に感心した。
「リーシャ王太子妃……」
「リーシャで結構です」
「そういう訳にもいかないよ。……じゃ、リーシャ様と呼ばせて貰うよ」
「はい」
拉致されてから、初めて見るエタの笑みに、穏やかな笑みで返した。
ピロスも、いつの間にか笑みを浮かべている。
拉致した側と拉致された側の関係は、どこか消えていた。
厳しい表情が溶けたエタが、ニコニコしているリーシャに問いかける。
「リーシャ様だって、コンクールに出品して、優勝したいって思わないのかい?」
「私ですか?」
「そう。同じ美術科で、学年も一緒だし……」
「んー。そうですね……」
自分の気持ちはどうなんだろうと逡巡した。
「……確かにいつか優勝はしてみたいです。でも、私の作品を気に入って貰えれば、今のところいいかなって思います」
自分の思いを吐露した。
「欲がないな」
「欲ですか。欲だったら、いろいろ私にだって、ありますよ。……イルたちが言っていたサンドを食べてみたいし、それに自由にお昼寝がしたいし、後は私の大好きなバラト様のサインと写真がほしいなって、それに……」
「「バラト?」」
二人は眉を潜める。
「ここ何年か、テレビに出ている、あのバラト?」
「はい。私の大好きな俳優です」
満面な笑みで答えた。
最近、テレビドラマで話題になっている俳優だと、エタたちが思い出す。
「リーシャ様って、面白いな」
「そうですか。普通ですよ」
面白いと言われ、きょとんとして、自分は面白いのだろうかと頭を捻って考えている姿に、エタたちがクスッと笑ってしまった。
「普通の子なんだ」
「私を、どう思っていたんですか」
口を尖らせるリーシャ。
今度は二人が笑って誤魔化した。
「ごめん」
「いいですけど。ところで、どうして私を連れてきたんですか?」
怒っている口調で尋ねた。
まだ、ここに連れてこられた理由を聞いていなかったからだ。
「そうだった。モデルを頼みたかったんだ」
拉致して連れてきたことを、すっかり忘れて、談笑していた自分たちに気づき、エタが本題となる話の核を話し出したのである。キオラたち他の生徒に、バレないように、エタたちは王族の一員となったリーシャに頼もうと、こっそりと人気のない場所に連れ込んだのだ。
「えっ! 私がモデル!」
頬を赤らめ、照れ始める。
「モデルだなんて、どうしよう」
「ち、違う! リーシャ様じゃない」
「えっ?」
「違うんだ。君じゃない」
「私じゃないんですか。だったら、何で私がここに?」
普通なリーシャの姿に、段々と二人の口調も砕けていった。
赤く染めた頬は、一瞬のうちに引く。
エタは制服の内ポケットから、記事の切れ端を取り出す。
その記事を広げ、自分がモデルではないのかと落ち込んでいるリーシャに見せる。
記事には自分たちの写真と、コメントが掲載されていた。
写真は結婚式の日のもので、どこかへ移動する際に撮られたものだ。
(いつの間に撮られたの? それにしても、記憶にないな。緊張してて、あんまり……。唯一、憶えているのは……、式の最中の口ケンカか……。そんな記憶しかないなんて、私たちって、どうなのよって感じよね)
「……私じゃないんだったら、アレスですか」
記事の写真に、写っているアレスを指差して尋ねた。
自分ではないとすれば、アレスしかいなかったからだ。
「違う。アレス王太子殿下でもない」
「じゃ、誰?」
「よく見て」
ピロスに促され、小さな写真を食い入るように凝視した。
写真全体を占めているのは自分とアレスだ。
「私、アレス……」
「リーシャ様の後ろに、小さく写っている人が見えるでしょ」
エタが写真を凝視しているリーシャを誘導させた。
自分が写っている後ろに、目をやると、そこには小さく写っている人影があった。
「……ユマ」
小さな声で呟く。
自分たち以外に、筆頭侍女ユマが自分たちよりも、小さく写っていたのである。
大きく写っている自分たちと、小さく写っているユマしか写っていなかった。
「ユマさんって言うのか」
「ユマが?」
顔を上げるリーシャ。
「彼女に、モデルを頼みたい」
「ユマに?」
「そうだ」
胸を張っている。
「彼女は天使だ」
「天使ですか、……ユマが」
「ああ」
はっきりと、ユマが写っている訳ではない。けれど、この小さく写っている姿を見つけた時、自分たちが描く彫刻のモデルはこの人しかいないと確信したのだった。それ以来、どうやって名前を知らないユマに、接触して頼もうかと考えていた。その結果、出た答えが、王太子妃になった、同じ美術科の後輩であるリーシャに、頼み込むことだったのである。
「だったら……」
呆れ気味のリーシャの思考を読み、ピロスが先に疑問への回答を口に出す。
「名前を知らなかった俺たちが、王室にかかわっている人に頼める訳ないだろう。それにアレス王太子殿下にも頼めづらい」
憎たらしいアレスの顔が浮かぶ。
その表情は憎々しいほど、優雅に微笑んでいる姿だった。
「確かに、あの気難しい、何を考えているのかわからない、我がままで自分勝手でプライドの高いアレスには無理ですね」
辛辣に言う姿に、二人が呆れる。
「よく、そこまで言えるね」
「もっと言えますよ」
「いいよ。それ以上は」
「そうですか。見た目に騙されないでくださいね」
ずけずけと王太子アレスをけなす言葉がスラスラと出てくるなと、二人は感心する。
首を傾げるリーシャ。
「王太子殿下だぞ。次の国王陛下になろうとする人に向かって……」
「そうですけど……?」
「凄いな」
「だって、そう思いませんか?」
「俺たちに、それについて同意を求めないでくれ。俺たちはまだ生きていたいから」
一応、理解できなかったが、ピロスの言葉に頷く。
「ユマさんに、モデルの件を頼んでほしいんだ。頼む、リーシャ様」
懇願するようにエタに手を握られる。
「でも……。無理のような」
「どうして?」
真剣な眼差しで、ピロスがたじろぐリーシャに詰め寄った。
「……だって」
「美人で清楚で、俺たちのイメージにピッタリなんだ。だから、何としても頼む」
熱意がヒシヒシとぶつかってくる。
「うんって、言ってくれ」
より一層二人に距離を詰められて、完全に逃げ場を失う。
脳裏に厳しいユマの姿がありありと浮かんでいる。
真面目でノリも通じない人に、モデルなんて頼むこと自体、無謀だよと、想像を超えるユマの怖い視線が降りかかるだろうと身震いするのだった。
「美人ですけど、凄く怖いですよ」
「「そんなはずはない」」
二人ははっきりと断言する。
(どこからそんな自信が湧いてくるの? ユマのこと知らないで)
「でも……」
「頼む」
「頼むよ」
「……」
三人の視線が交差する中、リーシャのお腹がキューと鳴った。
「……」
「何だ、この音は?」
「ああ」
エタとピロスが顔を見合わす。
「すいません。私のお腹の音です」
恥ずかしそうに、消え入りそうな声で答えた。
「……」
「お腹、減ったの?」
「はい」
「お菓子、食べる?」
何気なくエタが尋ねた。
「えっ! あるんですか」
飛び上がるほど喜ぶ。
お菓子一つで、喜ぶ王太子妃に目を丸くする。
その反応にエタが驚きつつも、よく表情がコロコロ変わる面白い子だなと好印象を抱く。
「うん。製作中にお腹が減ることもあるから、常にここにはお菓子の類がいろいろと置いてあるんだ。だから、食べたかったら、どうぞ」
「食べます。私、食べます」
はしゃぐリーシャを眺めながら、エタがピロスにジュースを買ってくるように頼む。
「わかった。リーシャ様、何かリクエストある? あれば、何でも買ってくるよ」
「何でもいいです。私、あまり好き嫌いないですから」
「わかった。他にも見繕ってくるよ」
「ああ。頼むよ」
「楽しみにしています」
ピロスが買い出しするために、彫刻室を後にした。
読んでいただき、ありがとうございます。




