第3話 リーシャと誘拐犯人さん
真っ暗な視界から、ふと明るい光が段々と差し込む。
(私は……。……また、居眠りでもしていたかな)
まだ、重い目蓋を数回瞬き、視界が徐々に開けていく。
ようやく、自分が横になっていることに気づく。
ぼんやりと人の姿に焦点を合わせた。
目の前に一人の年老いた男の人が座っている。
「誰?……」
年老いた男は微かに笑みを零した。
「気づいたようだな」
ふいに気になり、周囲に目を向けると、その後ろには同じぐらいの二人の年老いた男が直立不動で物々しさを醸し出していた。そして、高そうな金色のソファ、高級品のように鎮座している大きな花瓶など、いろいろな調度品が部屋に飾られていた。
薄ぼんやりする中で、いかにもお金持ちの部屋だと翡翠の瞳には映っていた。
(ここ、どこ? 綺麗な部屋、見たこともないし……。私、何でここにいるのかな? ……私は……)
重い身体を起こした。
「何……」
身体が前後にふらつくのを感じる。
しばらくの間、呆然と眺めて、ようやく朝の出来事である高級そうな黒塗りの車に乗っていた黒ずくめの男たちに、自分が突然に拉致された映像が頭の中に飛び込んでくる。
(わ、わ、私……)
「きゃぁーーーーーーー」
あまりの大きな悲鳴に、思わず耳を塞ぐ者、顔をひそめる者、表情を変えない者、三者三様の表情をそれぞれ表した。
「どうした!」
年老いた男が大きな悲鳴に驚き、怯え始めるリーシャを心底心配している。
「助けて!」
「どうしたと言うのだ!」
「うちにはお金がありません! 私をクラージュに行かせるために使ってしまったから、だから私を誘拐しても身代金なんて……。だからって、私を売らないでください。私をパパやママ、ユークのところに返してください! 絶対に誘拐されたなんて、公言しませんから。お願いします。誘拐犯人さん」
一気に家族の現状をまくし立てた。
「……」
「お願いします。誘拐犯人さん」
この部屋にいる全員がぽかんとしている。
目を丸くする者、何を言っているのか理解できない者、それぞれに困惑と理解不能な表情で、必死に懇願する姿に視線を注いでいた。
「私を売らないで」
悲壮感たっぷりの翡翠色の瞳に涙の滴が溜まっている。
「お願いします。絶対に、絶対に言いませんから」
ただならぬ様子に年老いた男は背後に控えている人間に低い声で問い質す。
「ソーマ。何をした?」
「私は存じません。勝手に《コンドルの翼》を使ったのは、陛下だと思いますが?」
「直ちに呼べ」
命じられたソーマは外にいる者を呼び寄せた。
呼ばれた黒ずくめの男たちが中へ入ってくる。
その顔を見た瞬間、恐怖のあまりリーシャは小さく悲鳴を漏らしてしまう。
怯える姿に年老いた男の不機嫌さが増していった。
「何をした?」
問われた黒ずくめの男たちは身を怯ませる。
それほどのオーラを放出させていた。
黒ずくめの男たちにとって、年老いた男の形相は極寒のような冷凍室に閉じ込められたように一瞬のうちに身体を凍らせたのである。
「……」
すでに部屋の中で聞こえていた悲鳴を耳にした時点で、この状況がよくないものだと察知していた。それに部屋の中へ行った早々に威嚇するような鋭い視線、それにあちらこちらから降り注ぐ異質なものを見るような視線に彼らは行き場を失っていた。
「えー、あのー。……」
大量の汗が止まらない。
唇はカラカラに乾く。
「何をされた?」
「えっ?」
黒ずくめの男たちに向けた口調とは違い、優しく労わるようにリーシャに声をかけた。
身を縮めている男たちを見て、なぜだか可哀想に思い始める。
「あの……」
自分のことよりも叱責を受けている彼らが心配になって、大丈夫かな?と自分の安全より黒ずくめの男たちの安全を気にかける。
「大丈夫だ。何をされたか言ってみなさい」
優しく年老いた男が問いかけた。
「……別に」
「ゆっくりでいい、話してみなさい」
有無を許さず、答えを求めているような感じをリーシャはひしひしと感じる。
「安心しなさい。大丈夫だから」
年老いた男の口角が上がる。
ゆっくりと拉致を受けた状況を思い出し、言葉を紡いでいく。
「……ただ、声をかけられて、私が嫌がると、後ろから手が出てきて、……、ハンカチで口を塞がれ、……気づいたらここに……。でも、大丈夫です。ただ、驚いただけですから」
年老いた男は目を見開いて驚く。
「そんな手荒な真似をしたのか」
「驚いただけです」
殺気を匂わす雰囲気に、思わず関係ないリーシャも委縮する。
「いや。手荒な真似だ」
「陛下の命令だったのでは?」
大の男たちが涙目になって、哀れな状態になっている。切迫しているこの状況を打破できる唯一の人物であるソーマが動いた。
「連れてくるとはそういうことです。何も言わずに連れてくるように命じたのでは? これは無理を言った陛下が悪いと存じます。この者たちは純粋に陛下の命令に従っただけです」
「……」
「お前たち、下がっていいぞ」
ブスッとしている年老いた男の代わりにソーマが命じた。
自分たちの弁護をしてくれた上司に感謝しつつ、逃げるように男たちは部屋から出ていく。
「あのー」
まだ、この状況を把握できていないリーシャは、年老いた男に声をかけた。
この中で一番偉いのは、年老いた男の人だと直感したからだ。
「私を誘拐しても、両親には身代金なんて払えません。……それに私を売っても……」
まだ、誘拐されたと思い込んでいたのである。
「売るつもりもない、安心しなさい」
「本当ですか。よかった……」
緊張していた糸がフウッと消えた。
「見ての通り、私にはお金なんて不要なものだ」
年老いた男が言う通り、どう見ても自分たちよりもお金がありそうな部屋に、何で自分が誘拐されたのか皆目見当もつかない。
突然の拉致で、相手側が自分のことを知っていることにも気づいていなかった。
「それじゃ……何で? ……やっぱり身体が目的!」
リーシャ以外の誰もが面白い発想する娘だと思う。
「それも違う。私はリーシャと話がしたかっただけだ。久しぶりにゆっくりと会いたかった」
「話ですか……?」
「私と話をしてくれるか?」
「……それはいいですけど。私のこと、知っているの? おじいさん」
「勿論、知っている」
素直に応対するリーシャに、満足げに年老いた男が頷く。
誰?と思っていると、年老いた男は不敵な笑みを零す。
「私が誰か、わかるか?」
素直に首を横に振る。
年老いた男は、一瞬悲しそうな表情を垣間見せた。
「ごめんなさい」
「気にするな」
気を取り直して、明るい表情を浮かべる。
「ここは宮殿だ。私はこのアメスタリア国の国王シュトラーだ。テレビで見たことはあるだろう? リーシャ」
自分を国で一番偉い国王と豪語する男を食い入るように凝視した。
テレビで見たシュトラー王と目の前にいる男を重ね合わせる。
しっかりと合致した。
「……国王……、そうなんですか。だったら、お金なんて、必要ないですよ……ねって、えっ! 国王様! 嘘でしょう、何で、ここにいるのよ」
口を開けているリーシャを尻目に、冷静なシュトラー王が対応する。
「私の住まいだからだ」
「本物なの……?」
顔面蒼白なリーシャは、思わず後ろに退く。
ぴったりと背中とソファの背もたれがくっつく。
「私がシュトラー王だ」
思考の容量が限界を超えつつ、自分の国の国王を思わず指差してしまう。
「本物……」
指差されても、国王は怒る気配もない。
ただ嬉しそうに驚愕している姿を眺めているだけだ。
「何でいる? 私」
「呼んだからだ」
その声は楽しげで笑っていた。
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