第33話 反抗と弁解
勢いよく、リーシャの部屋の扉を憮然としたアレスが開け放った。
自分の部屋に帰らず、その足で部屋を訪ねたのである。
ボディーガードや侍従たちの姿がなかった。
きっちりと制服を着たままだが、その周囲に重く刺々しい空気が立ち込めていた。
誰一人として、近づく者がいない。
部屋の主に断りもなく、乱暴に入る。
部屋の中ではソファの上にうつ伏せで、着替えもせずに帰宅したまま制服の格好で、うずくまって寝転んでいた。
瞬時に、アレスが部屋の周囲を見渡す。
部屋ではリーシャ一人しかいない。
帰ってくる早々、当惑するユマたちに、学校の課題をしたいからと、有無を言わせないで下がらせたのだ。そして、そのまま、ソファの上にうつ伏せになったのである。
それ以降、ピクリともしないでいた。
突然の訪問を予期していたのか、驚く顔を見せずに、ゆっくりとクッションに埋めていた顔を上げる。
絡み合う二人の視線。
どんよりとした沈黙が続く。
業を煮やし、口火を切ったのはアレスだった。
「訓練と、言ったはずだが?」
声が冷淡で低く、鋭い視線を浴びせた。
そんな視線に怯むことがない。
ただ、不機嫌そうにアレスを睨み返したのである。
「知ってる」
「だったら、なぜ帰った」
「……」
一度目はぶっきらぼうに答えたが、二度目の問いに何も答えない。
答えることができたが、なぜかその言葉を発したくなかったのだ。
脳裏に焼きついて離れない、訓練場で抱擁し合う二人の光景が、ありありと浮かび上がった。
さらに、訳のわからないムカムカ感が襲う。
訓練場で目撃して以来、ずっと頭の中から、あの時の光景が消えずに、訳のわからないムカつきに襲われていたのである。
起き上がって、ソファの上に座り込んだ。
答えようとしない態度に、訓練に来なかったイライラを募らせる。
冷静を保ちつつも、アレスの声が怒気を強めていく。
「聞こえなかったのか? お前の頭は、僕の言葉も理解できないほど、大バカ者なのか」
「聞こえているし、理解もしているわよ!」
挑むように吐き捨てた。
いつもとは違う態度に、不信感を抱く。
「だったら、答えろ」
「いや」
反抗する姿勢に、ムッとする。
「なぜ、来なかった。そして、帰ったのか。くだらない理由だったら、ただでは置かないからな」
威圧を浴びせて、横柄な態度を取り続けているアレスに、訳のわからないムカムカ感が通り超え、怒りが噴水のように、とめどなく湧き上がっていく。
これ以上、顔を見たくないと、そっぽを向いた。
顔を見ていると、鮮明に抱擁し合う二人を思い出し、胸が押し潰されたように、ギュッと苦しく痛んだからだ。
(何なのよ、何で頭の中から消えないのよ!)
頭の中から、あの光景を早く払拭させたいのに、張本人であるアレスがこのままいては、忘れられないじゃないと、硬く口を結んで、ただ一点だけを強く見つめていた。
それに口にも出したくなかった。
頑なになっていくリーシャ。
鋭い視線で、そっぽ向いたままの姿を凝視する。
我を張るリーシャと、後数センチのところまで距離をつめる。
「お前には、ほとほと呆れるな。僕の貴重な時間を割いたんだぞ」
硬く結んだままの口が開かない。
(どうすれば、口を開く?)
負のオーラ全開で、反抗的な態度を崩さない姿勢を射竦める。
どんなに威圧されても、負けずに硬く口を結んだ状態だ。
(自分が悪い癖に! どの口で、私にあんなこと言えって言うのよ。何なのよ、自分勝手なやつ、私がどれだけ傷ついたと思っているのよ!)
自分の思考に、疑問符が浮かぶ。
(……気づく、私が? どうして、私が傷つくんだろう……)
眉間のしわの数が増え、深い思考の森へと入り込んでいった。
(だって私たち、別に好きで結婚した訳じゃないんだもん……。だから、あんなところ、見たって平気のはず。なのに、なぜ……。何なの……、この感じは。……そうよ、そうなのよ、自分ばかり好き勝手やって、私だけ、できないなんて絶対おかしいのよ、それで、私こんなに傷ついているんだ。絶対に許せないんだからね。バカ、バカアレス!)
自分なりの解釈に至り、手に力が入る。
沈んでいた心が回復していった。
「お前のせいで、どれだけの人間が迷惑していると思っている」
「あなただけでしょ」
口を開けたら腹の立つことしか言わない態度に、アレスの怒りは増す一方だ。けれど、いつもとは違う様子に、冷静になっていき、状況を説明していく。
「違う。準備や、これからの予定が台無しだ。計画の変更も出てくるんだ。そのことを考えていなかったのか?」
「えっ?」
他の人に迷惑をかけたと知って、ここに来てようやく翡翠の瞳が揺れ動く。
アレスに対する怒りだけだった。
他の人間に、迷惑かけるとは思ってもみなかったのである。
しゅんと落ち込み、うな垂れてしまう。
ただ、そんな落ち込む姿を見下ろすアレス。
「どれくらいの人?」
か細い声で尋ねた。
自分に謝るところか、自分以外の者を気遣っていることに不快感を憶える。
おとなしくなった理由が、自分ではなく、他の者に対してだけだと思うだけで、氷のように硬く閉ざしていた心に、イラつきを募らせていくのだ。
(何なんだ、この女は)
これほど、自分の存在を無視されたことがない。
コワレモノを扱うみたいに、王太子であるアレスは大切にされてきたのだ。
(信じられない。……僕は王太子なんだ)
ずっと自分を無視してほしい、干渉されたくないと願い続けていたが、出逢ってから自分を夫としてみない上に、無視するような真似をするリーシャに、訳のわからないイラつきを感じずに入られなかったのである。
「知るか」
「それについては、ごめんなさい」
乱暴に吐き捨てたアレスに、素直に謝った。
それが、さらに苛立たせる。
微妙にイラついた様子に気づかない。
自分に対して謝ったのではなく、他の者に対して、謝る態度に負のオーラを、さらに放出する。
リーシャと出逢う前まで、これほど他者に追求することがなかった。今日が反れたとばかりに、無関心になっていたはずだ。けれど、王室に疎く、無邪気な反応を示すリーシャといるだけで、今までの調子が少しずつ崩れていったのである。
「なぜ、来なかった」
答えに詰まり、ギュッと唇を噛み締める。
「なぜだ!」
語気を強めた。
「……行ったわよ」
困惑した色の瞳で、俯いているリーシャを見下ろした。
「……だったら、なぜ帰った」
「……」
硬く閉じられた口が開くのを待った。
意を決して、アレスの方へ向き直る。
「お邪魔だったからよ!」
「お邪魔? ……お前、まさか」
脳裏に、ステラが抱きついてきた光景が浮かぶ。
僅かに動揺のある瞳で、憮然としているリーシャを捉える。
「二人のお邪魔をしたら、悪いと思ったからよ。熱い抱擁しちゃって」
「……お前には関係ない」
トーンダウンするアレス。
逆にリーシャがヒートアップする。
立場が瞬時に入れ替わった。
「関係ないですって! 関係あるじゃない。私と訓練することになっていたでしょ? どこが関係ないのよ。私が行くって知っていたのに、よくあんな真似できたわね。信じられない、アレスの神経を疑うわね」
口が滑らかに動いた。
「プライベートのことだ。だから、お前に話す義務はないと言っているんだ」
「義務がないって! それ、おかしくない?」
「なぜだ」
悪びれることもなく、威厳たっぷりに振舞う。
段々と、そんな態度に怒りが増していった。
「私たち結婚したのよ。それなのに……」
「政略結婚だ!」
「……」
間髪入れずに言った発言に、二人の間に沈黙が流れる。
まさに、その通りだ。
出逢って、数日で決めた結婚。
それぞれの事情で、ただ結婚を決めただけだった。
今は、その事実だけが重く乗りかかる。
(よりによって……何で見る。ステラのやつ、何であんな真似を……)
心の内では、苦虫を潰していたが、表情に一切出ていない。
「そうね、政略結婚よね。でも、だからって、あんなことしていい訳?」
「お前が思うようなことはない。ただ話をしていただけだ」
「話? 抱擁して、話をすることなんてある?」
「プライベートだ。それに僕に干渉するなと言ったはずだ」
「……そうね。だったら、私も好きなようにさせて貰うわ」
不穏な発言に、眉を潜める。
「変な想像しないで! 私はアレスとは違うの。どんな理由であれ、結婚したんです、変なことはしません」
「言ったはずだ。お前が想像するようなことは、一切ない。ただ話を聞いていただけだ」
関係ないや、否定するような発言をするたびに、リーシャのムカムカの霧が晴れることがなく、より深い霧となってしまったのである。
顔を見たくなかったので、アレスから視線を外した。
「何で、私と結婚なんかしたのよ。彼女と結婚すればよかったじゃない。ちゃんといたんだから」
なぜか、恋人と言う響きを口にしたくなかった。
段々と話していくうちに、心が虚しくなっていく。
(何で私がこんな気持ちにならないといけないのよ……)
そういう相手がちゃんといたのに、なぜ自分と結婚したのか、理解に苦しんでいたのだ。
そういう相手だと鮮明になってくると、段々と悲しくって、涙が出そうになるのを必死に堪えた。
負けを認めるようなものだと思うからだ。
勝手に思い込んでいる姿を、無視すればいいはずだったが、これ以上の面倒が起こるのはよした方がいいと判断した。
「ステラとは、お前が想像するような関係じゃないと、言ったはずだが?」
「抱擁するってことは、そう言う関係じゃないの?」
「違う。パートナーを組んでいた。ただ、それだけだ」
「パートナー?」
「お前の前のパートナーだ」
認めようとしない態度に、無性に腹を立てる。
言いがかりをつけるリーシャに、アレスの方も無性に腹を立てていた。
激しく視線をぶつかり合う。
二人には何もなかった。
あの時に、初めてステラが抱きついただけだった。
「どうして、認めようとしないのよ!」
「違うと、何度言わせればいい」
イラついているアレスが声を荒げた。
「認めなさいよ」
「違う」
互いに、睨め合う二人。
「言っておくが、仮にだ。仮にだからな。もしこの僕に、そのような者がいたとしても、『私が法律だ』と言う人間に、通じると思っているのか? あの陛下は、お前と結婚させたかったんだぞ」
アレスに負けじと、反発するリーシャ。
「好きだったら、通しなさいよ」
「お前に言えるのか」
「言えるわよ」
はっきりと答えた凛々しい態度に内心驚くが、言い返す。
「ふん。服やアクセサリーの件、言えなかっただろうが?」
「あ……、あれは……」
「その口で、どう言うつもりだったんだ」
勝ち誇った笑みを浮かべる。
その笑みに、不快感を露わにした。
「本当に好きだったら、できたはずよ。私だったら、絶対にそうする。自分の気持ちに嘘つきたくないから。私は自分の気持ちに正直にいたい!」
「……できるものか」
リーシャの言葉に、一瞬だけ動揺する。
凄いと感じさせ、こいつだったら、できるかもと抱かせる。
実際に転科の話が持ち上がった際に、自分の思いを通したのを見ていたからだ。
「する」
「できない」
「するもん」
「できない」
二人は一歩も引かない。
それぞれの意地を通そうとする。
これまでのアレスだったら、考えられない行動だ。
「何で結婚したのよ、私と。彼女と結婚していれば、私はアレスと結婚せずに、パパやママ、それにユークたちと一緒に暮らせたのよ。ちゃんと国王陛下に、自分に彼女がいますって、言えばよかったじゃないの!」
一気にまくし立てた。
「違う。さっきも言ったが、この政略結婚はお前が生まれた時から決まっていたものだ。覆すことなんて不可能だ」
負けじと応戦するアレス。
「不可能か、どうか何て、やってみないとわからないじゃない。何度、言わせるのよ! それに誠意を込めて話せば、国王陛下だって、わかってくださると思うわ。何であんたと何か、結婚したくなかったわよ」
最後の方は、吐き捨てるように言い放った。
「僕だって、何が悲しくって、お前と結婚するか」
「私だって。したくてした訳じゃない。みんなのことを考えて、好きでもない人と結婚しただけよ。バカ!」
「バカだと……」
語気が、徐々に弱まっていった。
翡翠の瞳に、涙が溜まっていくのを見てしまったからだ。
(なぜ、泣く?)
泣く理由がわからない。
ただ、今にも流れそうな涙を見つめている。
どうしたらいいのかわからない。
泣きそうな人を慰める仕方なんて、教えて貰ってないからだ。
涙が止まらない姿に、アレスに見られたくなかった。
居た堪れなくなり、目の前にいるアレスを押し退けて、部屋を飛び出してしまったのである。
部屋にアレス一人だけ取り残される。
涙ぐんでいたリーシャが飛び出していった扉を、なぜなんだと見つめていた。
二人が激しく言い争っている中、副司令官フェルサがシュトラー王の執務室を訪ねていた。
常に冷静で、表情が読めないフェルサが執務室に入ると、視線の動きだけで、傍に仕えていた秘書官二人が下がっていった。
フェルサが何を報告するのかわかっていたからだ。
「訓練は、どうだ?」
シュトラー王が二人の訓練の様子を尋ねた。
初日の訓練の様子を報告するように、以前から申しつけていた。パートナーとなった二人を、そう差し向けたことに気に掛けていたのだ。
「訓練は、行われませんでした」
上司であり、親友でもあるソーマとは対照的に、無駄のない言動で簡潔に答えた。
「どういうことだ?」
何か不祥事でも起きたのかと、眉を潜める。
「王太子妃殿下が、突然帰られたそうです」
受けた報告を、そのまま伝えた。
眉を潜め、渋い表情で考え込む。
「具合が悪いのか。朝は、そのような報告は受けていなかったが?」
「その辺のところはわかりません。ただ、一度は訓練場に足を運ばれたようです」
フェルサの話に、さらに眉を潜めるばかりだ。
表情を曇らせているのを、黙ったままフェルサが眺めている。
(行ったならば、なぜ訓練をしなかったのか?)
訓練日が決まって以来、何事においても、初めてのリーシャのことを気に掛けて、些細なことでも、報告を逐一報告させていたのである。
「入ってすぐにホワイトヴィレッジを飛び出し、宮殿の方へ帰ってきたようです」
「部屋におるのか」
「そのように聞いております」
「どのような様子だ」
まっすぐに、視線がフェルサに傾けられていた。
「侍女たちをすぐに下がらせて、一人で部屋にこもっているそうです」
「一人でか?」
「はい」
どうしたものかと考え込む。
何か、対策でも施す必要性があるのかどうかと。
「アレスは?」
「予定をキャンセルして、帰宅したと言うことです。ですから、今は宮殿にいらっしゃると思いますが?」
「そうか……」
「お呼びしますか」
「いや。いい」
「わかりました」
「様子を、しばらく見るか」
「はい」
読んでいただき、ありがとうございます。




