第32話 二人だけのハーツ訓練初日
リーシャが不在の教室では歴史の授業が行われていた。
流暢な声音で、歴史教師がテキストを読んでいく。
教室内の半分の生徒しか、耳を傾けてはいない。
残りの生徒は小声で、前後、隣同士で授業とは無縁なおしゃべりしたり、ある者は髪をいじったり、次の課題の勉強をしたりしていたのだ。
その中で珍しくラルムの気持ちが上の空で、時計を何度も窺っていた。
授業が始まって、五分も経っていない。
テキストとノートだけは、辛うじて開いている。
「始まっただろうか……」
「リーシャのこと?」
ルカがラルムの微かな囁きに声をかけた。
囁き声が耳に入るまで、ルカは自分の髪をいじって授業をサボっていたのだ。
促されるように、少し強張っている顔を軽くルカの方へ向ける。
対照的に、ルカの表情はのほほんとしていた。
「うん。初日で、上手くいっているかなって」
「ふーん。確かに朝から随分と緊張していたよね」
「気がついてた?」
「当たり前よ」
いつものん気なルカの後ろに座っているイルが、二人の会話に加わった。
「でも、授業中寝てたけどね」
ふと、ルカがジークに怒られているリーシャの姿を思い出して頬を緩めた。
「何でラルムも一緒じゃないの? リーシャと同じようにハーツパイロット候補生になったんでしょ?」
授業に耳を澄ませながら、ナタリーが歴史教師に気づかれないように囁いた。
心配げなラルムの視線が下がる。
授業が始まる前から同じように、ナタリーも不慣れなリーシャ一人だけで大丈夫なのだろうかと、気になっていたのである。それにハーツの練習が、今日から始まると聞いた時は、ラルムと一緒に受けるものと思っていたから、余計に心配度が増していたのだ。
授業中、横に反れることがあまりないナタリーが、話しかけてきたと言うことで、みんなそれぞれに気に掛けているんだとラルムは思い知る。
「教官ではなく、直接アレスが教えるからだよ」
「殿下から、直々に?」
「ハーツに関しては、リーシャはまったくの初心者だからね。いきなり授業に出ても、無理だと周りが判断したんだろう。だから、パートナーであるアレスが、とりあえず一通りにことを教えることになったんだ」
淡々と話をしながら、心は別な思考に走っていた。
その件の話を聞いた時、ラルムは自分が教えた方がいいと立候補したものの、あっさりと申し出の提案は却下されてしまう。それはパートナーとなったアレスと、さらに信頼度を上げるためにも、必要と言う意見が大半だった。それに最も決まった理由として、高かったのが、シュトラー王がアレスを指名したからだった。
教官たちの中には、ラルムの方がいいかもしれないと言う少数意見もあった。
悔しさが込み上げてきた。
立場の違いを痛感させられる。
教えるのが不慣れなアレスよりも、温和でさらにリーシャのクラスメートであるラルムの方が、ハーツに関して何事においても、不慣れなリーシャにとって、気楽でやりやすいだろうと言うことだった。けれど、それらの意見はシュトラー王の一言によって、払拭されてしまったのが現実だった。
「そうなの? で、ラルムは?」
好奇心旺盛なイルが尋ねた。
「一応、向こうでも訓練していたから、一通りはできる程度かな」
「へぇー、そうなんだ。知らなかった。ハーツの操作って、難しいの? テレビで戦っているところは見たことあるけど、あれって、二人で操作するのよね」
「うん、少し難しいかな。それに二人のシンクロが合わないとダメなんだ」
「シンクロ?」
聞きなれない言葉に、首を傾げる。
ハーツに縁遠い位置にいたイルたちは、漠然としたハーツのイメージしか、持っておらず、ハーツに関しては、リーシャ同様に皆無と言っていい程のレベルに、どう説明しようかと巡らせる。
「……ハーツの相性と二人の呼吸って言うのかな。それが同じじゃないとダメなんだ」
「相性と呼吸ね……」
ハーツの相性を示すハーツの適合率と、二人の呼吸を示すシンクロ率が重なり合うことによって、ガーディアンナイトの力が発揮する。
その二つが重要で、不可欠なのである。
ラルムの説明を聞いても、いまいちピンとこないイル。
ハーツに関しては、秘密事項のことばかりで、詳しく説明することが難しかった。だから、ラルムもどう説明したものかと、困ってしまったのである。
「それがリーシャがよかった訳だ。相性と呼吸だっけ?」
「うん」
「リーシャがね……。何か信じられないって感じ。……私はどうなのかな?」
何気ないイルのこの問いに、どう答えていいものかと目が泳いだ。
ラルムが戸惑っている中、いきなりナタリーが話しかける。
イルとの会話が止まってしまった。
「大丈夫なの? いきなりハーツパイロット候補生になって」
徐々に眉を潜めていったナタリーが、二人の話を聞いていくうちに不安になっていた。自分たち同様の知識しかない人間に勤まるのだろうかと、だからハーツに精通しているラルムに聞いたのだ。
「厳しいかもしれない」
「やっぱり」
「どうするんだろう」
納得するナタリー。
心配するイルとルカ。
四人の中で、不安が渦を巻いていた。
唐突に、ナタリーが手を挙げて、歴史教師に声をかける。
「先生。ラルムが調子悪いみたいです」
ナタリーの思惑を、瞬時に読み取った二人が、それに賛同する。
「保健室に行った方がいいんじゃないですか」
「休んだ方がいいと、私も思います」
どこも悪くないラルムは戸惑うばかり。
一連の流れを傍観しているのに過ぎない。
ナタリーが小声で、困惑するラルムに話しかける。
「私たちじゃ、入れないでしょ? だから、お願い」
二人は言葉の代わりに、いたずらを思いついた子供のように笑っていたのである。
「大丈夫?」
心配そうに、歴史教師が尋ねてきた。
「すいません。保健室に行ってもいいですか」
「えぇ。一人で行けますか」
「大丈夫です」
サッと机の上を片づけて、瞬く間に教室を出て行った。
保健室には向かわずに、S―Ⅱ訓練場へ迷うことなく足を進める。
ラルムは二人の訓練を見守るために、上の階にある司令管制室へ入っていった。
二人で訓練するために、司令管制室には誰もいないことを知っていた。
そこから二人の様子を見下ろし、様子を窺おうとしたのだ。
パイロットスーツを身に纏い、リーシャとの待ち合わせの場所であるS―Ⅱ訓練場に、ちょうどの時間に到着する。
S―Ⅱ訓練場の中は、誰もおらず、静寂に包まれていた。
広い訓練場に、種類が違う数機のハーツが設置されている。
それ以外は、長椅子がいくつかあるだけで殺風景だ。
この数機のハーツは練習用で、本物のハーツと構造は大して変わらない。
訓練場の中ほどまで歩みを進める。
その顔は、険しさそのものだ。
「何してる。あれは」
念のために、周囲に神経を行き届かせる。
けれど、人の気配が感じられない。
長い息を吐く。
隠れる場所もない。
ただ、練習用のハーツしかない。
「忘れているのか」
あり得そうな事実に、頭を痛めた。
スマホを取り出し、連絡しようかとする。
番号にカーソルを合わせただけで、指の動きが止まってしまった。
自ら連絡することに、高いプライドが許さなかった。
「なぜ、僕が……」
どうするか、思案していると訓練場のドアが開く。
リーシャが来たかと思い、身体を向けた。
「何して……」
最後まで言葉にならない。
目に入ってきた姿は、リーシャではなく、前にパートナーだったステラがいたからだ。
才色兼備なステラは、あまり人に見せることのない微笑みを浮かべる。
すぐさまに二の句が出てこなかった。
来るはずがないステラの姿に戸惑うアレス。
自分たちの立場を踏まえ、むやみに訪ねるような真似をしなかった。
いつ、リーシャが姿を現わしてもいい状況下で、まずいことが起こるだろうと脳裏をよぎる。
今までのステラだったら、自分の前に姿を現わすことがなかった。
ステラの意味不明な行動が理解できない。
眉をしかめる。
ステラとは長い間パートナー関係だったが、新たにリーシャがパートナーと決まった時点で、あっさりとパートナーを解消してしまっていたのである。
颯爽とステラが無表情の中にも、何か機嫌が悪いアレスに近づく。
そのたびに肩に掛かるほど伸びたブラウンの髪が揺れた。
見つめることが息苦しくなったアレスは、不意にステラから視線を外す。
(何で、来たんだ)
ステラがクラージュアカデミーに入学したばかりの頃は、クールビューティーと学校中に騒がれていたのである。未だに騒がれているところもあるが、今学校中の話題は結婚したばかりのアレスとリーシャで持ち切りだった。
アレスとステラの間には、パートナーとは別に、淡い好意を互いに持っていた。そんな好意をあっさり捨てて、突然現れたリーシャとシュトラー王が命じるがまま結婚してしまったのだ。
そんなクールビューティーの顔を凝視する。
自分の目の前で、立ち止まったステラに話しかける。
「何だ」
冷たく言い放った。
元パートナーとは思えないほどだ。
自分でも驚くほど、冷ややかな態度だった。
人を寄せつかせないオーラも忘れない。
そんな驚きを表情に出さず、いつもの無表情のままだった。
「冷たいのね」
顔色変えずに、ステラが答えた。
その内心では変貌ぶりに、ショックが大きかった。アレス同様に、プライドを重んじるステラは、気丈にスレスレのところで不安な感情と戦っていた。
「そうか」
「そうよ」
「僕の質問は?」
「アレスと、話をしたかったの」
「リーシャと訓練する」
ズシリとリーシャと呼んだだけで、暗い鉛が心に圧し掛かる。
でも、表情はクールなままだ。
「知ってる。でも、来ていないわよ」
早くここから出ろと、言わんばかりのオーラに、怯むことなく淡々と答えていった。
「もうじき来るだろう」
「じゃ、それまで話を」
「ステラ。どういうことだ」
少し強めの口調に、視線を上げ、無表情なアレスの顔を見上げる。
「以前の君は聞き分けがよかった。こんなに聞き分けがないなんて、今まで知らなかった」
淡々とした口調の中に、言い訳するなと込められていることも承知していた。けれど、素知らぬ顔で押し通す。
「ただ、話がしたいだけじゃない。それもいけないことなの? 今までアレスと私は最高のパートナーだったはずよ。そうでしょ? アレス」
「でも、今は違う。そうだろう? 僕は既婚者だ。既婚者の僕と誰もいない部屋にいるのはまずいだろう。以前の君は、こんなことをするような子じゃなかったはずだ」
「そうね」
落ち着いた口調で、ステラが答えた。
ステラ自身も、自分が取った行動に戸惑っていたのである。
クラスの仲間といたステラは隙を見計らって、勝手に動く足に従ってここまで来てしまったのだ。アレスに会いたくって、そして話をしたかったために、危険を犯して訪ねてきたのだった。
アレスが口を開こうとする前に、さらに話を続ける。
「大丈夫よ。みんなハーツの適合率を測っている最中だから、誰も気づかれないわ」
何を言っても無駄だと悟り、この場から自分が立ち去ろうとする。
ステラがアレスの右腕を掴んで止めさせた。
クールな顔と掴まれた手を交互に、威圧する視線で見比べる。
食い下がらない。
「どうして、パートナーを外されたのか、納得できない。私たちは最高のパートナーだったはずよ。それなのに、なぜ?」
クールビューティーな表情の中に、少しだけ焦りのような感情が見え隠れする。
気づいたはずのアレスは、何もそれについて口にするような真似をしない。
「どうして、私は外されたの? 私たちのような最高なパートナーはいなかったはずよ」
「……」
「教えて、アレス」
「……」
「同じだったはず。それなのに……」
詰め寄ってくるステラから視線を外し、ステラが言った『同じだったはず』と言う言葉を心の中で呟いていたのである。
「私にはハーツに乗ることしか……」
「……ステラ。君よりもリーシャの方が、僕とのシンクロ率がいいからだ。適合率も君よりも遥かに上だ」
アレスの腕を掴む手に、少しだけ力が入る。
素人の人間の方が上だと信じられないことだった。
「嘘じゃない」
ゆっくりと視線を上げる。
「そのうち、あいつも授業に加われば証明されるはずだ」
アレスから話を聞いても、困惑しているステラは納得いった顔をしていなかった。
(誰でもそう思うだろう……。でも、あれを見れば……)
「正確な情報は話せない。これは機密情報だからな」
淡々と話しているのみだ。
重みのある言葉に、考え耽っていたステラが口を開く。
「ダイヤモンドハーツ?」
「ああ。でも、他のハーツに関してもだ」
さらに腕を掴む手に力が入る。
「……僕と君との稼働率は半分にも満たない。けれど、僕とあいつの稼働率は……、実際に試した訳ではなく、計算上の話だが、70~80と考えられる」
腕を掴んでいた手が緩み、アレスの腕からいつの間にか離れていた。
アレスが嘘をつくはずがないと思っているが、どうしても信じられない数値に信じたくはなかった。
アレスが口にした数値は、とても考えられない数値だったからだ。
何度も、これは研究員たちの算定ミスじゃないかと頭の中でくり返す。
優秀な研究員が揃っている中で、そんな算定ミスが起こるのだろうかと、冷静な部分もあり、複雑に絡み合って混乱していた。
登校してきた時の楽しげに、笑いはしゃいでいたリーシャの姿が鮮明に蘇る。
とても自分よりも、優秀な成績を取るなんて思えなかった。
そんなリーシャに、自分は負けたかと思うと、同じ世代の女子に負けたことのないステラは、今まで感じたことがない嫉妬の炎が燃え盛るのだ。
(何もかも、あの子が奪っていくの?)
「だから、結婚したの?」
「……違うだろう」
「数値がよかったからじゃなく、別な理由で?」
テレビ放送では、許嫁と決められていたとしか流れていなかった。
社交界やパーティーで聞いた話では、シュトラー王の知り合いの孫娘で、その関係上で、二人が結婚することになったと噂が飛び交っていた。
「国王陛下の知り合いの孫娘って、本当の話?」
「ああ。国王曰く、親友の孫娘で、あいつが生まれた時点で、決まっていた話らしい」
「親友って言う理由だけで?」
「それだけの理由だけだ」
他人事のように、自分の結婚のいきさつを話した。
「……」
自分の祖父が同じようにシュトラー王と親友だったら、自分にもその権利があったのかなどと考えてしまう。そして、それだけの理由だけで、何もせずに暖かく幸せにヌクヌクと育ってきたような女に負けて、大切にしてきたものを、すべて奪われてしまうのかと抱くだけで、やりきれない気持ちを、これ以上ないぐらいに味わっていた。
「貴族として育ってきた訳ではないんでしょ?」
「そのようだ。自分の祖父が貴族だったことも知らなかったぐらいだからな」
「王族の一員として、やっていけるの?」
「さぁな。侍女たちが面倒見るだろう」
「アレスは?」
「関係ない話だ」
無意識にアレスに抱きついた。
驚きを隠し切れない。
今までステラは、そんな真似をしたことがない。
背中にはしっかりとステラの腕が回されている。
ステラの背中に、腕を回すことはしなかった。
ただ、自分に抱きつくステラを見下ろしているだけだ。
「!」
迷子になって、目的地であるS―Ⅱ訓練場に到着したリーシャは、何も語らず抱き合っている二人の姿を目撃してしまったのである。
食い入るように、抱き合っている二人を視線に捉えている。
衝撃的なことに驚き、全身の力がフッと抜けてしまう。
(嘘でしょ? ……あの人、確か、美人と噂されている人だ)
呆然とリーシャが、アレスに抱きつくステラを凝視していた。
学校中で、クールビューティーと噂になっていたステラのことを、名前と顔ぐらいは認識していたのである。
激しく動揺し、その場から動けない。
けれど、これ以上見ているのも限界だった。
二人に気づかれないように、後ろに下がっていく。
翡翠の瞳から、二人の姿がなかなか外れなかった。
(私と結婚しておきながら、もう浮気? 信じられない!)
心は鷲掴みされたように、ギュッと押し潰されている。
逃げるように訓練場から、一目散に立ち去ってしまった。
別なところでは二人の様子を、一部始終見ている人間がいた。
司令管制室にいるラルムだ。
アレスとリーシャの様子を窺おうとしたら、偶然にも二人の一部始終を見てしまい、二人を見て、驚き逃げるように立ち去ったリーシャの姿も見てしまう。
読んでいただき、ありがとうございます。




