第31話 変わらない学校生活と変わりつつある学校生活
美術科で担任しているジークは、作品のテーマとなるキーワードを黒板に三つ書いていった。
神秘、輝き、音。
リーシャたち美術科の生徒は、文化祭に作品を出品することが義務づけられている。その文化祭に、出品する作品のテーマとなるキーワードを、数ヶ月前となる、この時期に発表したのだ。
最終リミットが、文化祭の当日だった。
それまでに作品ができ上がらなかった場合は、単位を一つ落とすことになっていたのである。それほど文化祭に作品を出品することが、美術科の生徒にとって重大なことだった。
書き終えて、生徒たちに身体を向ける。
生徒たちは難しいとか、抽象的だとか、早すぎるとか、ブーイングの声を上げていた。
生徒のブーイングに、呆れながら、ジークがざわめく教室内を見渡す。
大事な単位の一つが掛かっていることもあって、生徒たちはもっとわかりやすいキーワードにして貰おうと必死だ。
「お前たち、時間はあっという間だ。有効に時間を使え……」
ジークの言葉をすんなり受け取れるほど、生徒たちは大人ではない。
さらに大きなブーイングを上げる。
まだ、遊びたい時期なのである。
だから、無駄な抵抗と知りつつも、駄々をこねるのだ。
「いい加減にしろ」
一蹴させるために吐き捨てた。
面倒臭いと、櫛を入れていない無造作の髪をぐしゃりと掻いた。
「当面は学内コンクールだ。いいな、これの締め切りはもうすぐだぞ」
「伸ばして、締め切り」
「テストもあるし。先生、俺たちを殺す気かよ」
「優勝者は決まっているじゃん」
「何と言おうとも、締め切りは変わらんぞ」
生徒たちに残酷な一言である。
生徒たちの大半が頭を抱え込んだ。
「とにかく、頑張るように」
ジークの視線が、教室の後ろ側で止まる。
「リーシャ……、お前」
机に突っ伏し、規則正しい寝息を立てていた。
これまでのジークの話も聞かずに、お休みタイムに入っていたのである。
大事な話をしている時に、寝るなよと、ガックリと肩を落としてしまう。
他の生徒たちも一斉に、寝息を立てて気持ちよさそうに眠っているリーシャに、視線を注いだ。楽しい夢でも見ているのか、微かに眠っている口角が上がっている。
「変わらないな」
とても王太子妃になったとは思えないとか、俺たちテレビに騙されているんじゃないのかとか、様々な声が教室内で飛び交っていた。
不意にジークが笑った。
それにつられるように、他の生徒たちも笑い始める。
リーシャの隣の席であるナタリーが呆れ交じりの声で、熟睡中のリーシャを起こし始めていた。けれど、その表情は頬が上がり、さらに笑っていたのだ。
しまりのない顔に、ナタリーが嘆息を零した。
(ダメだ。完全に熟睡している……)
「リーシャ、リーシャったら……起きて」
段々と、起こす声が上がっていった。
何度も揺すられ、意識が徐々に覚醒し始める。
「ん……」
「リーシャ。起きて、授業中よ」
「……ナタリー? ……授業、終わったの?」
まだ、瞳を閉じたままだ。
担任の授業が始まった時点から、居眠りが始まっていたのである。
連日のパーティーの出席や、昨日のハーツのマニュアルを読んだりと、ゆっくりと休む暇がなく、心身ともにお疲れモードのピークに達していたのだ。
甘えやすい担任の授業を、最初から眠っていた。
隣にいるナタリーに起こされ、授業が終わったものかと勘違いしていたのである。
「まだだ」
上から低い声をかけられた。
起こすのに四苦八苦している間に、リーシャの席まで足を運んでいた。
「?……」
返答がナタリーの声と違っていた。
「誰?」
微かに呟いた。
完全に覚醒していない。
うっすらとしている意識の中でも、男女の違いぐらいは認識できた。
ゆっくりと頭を上げる。
目の前に仁王立ちしているジークの姿があった。
「忘れたか? 俺の顔」
「……おはようございます。先生」
「昼前だ」
怒りつつ、ジークの口角が無理に上がっている。
その不気味な微笑みに、ぎこちない笑みで返した。
この後どうしようかと、たじろぎながら、対策を急ピッチで巡らせていく。
結局、何事もなかった顔で、無難に返答することに決めた。
妙案が浮かばないからだ。
「そうですか」
「気持ちよさそうだったな」
「はい、とても。久しぶりによく眠れました」
ジークの口角がプルプルと引きつる。
入学して以来、担任の授業はお休みタイムとなっていたのである。
「毎度のことながら、よく俺の授業で寝るな」
ここぞとばかりに、ジークが腕組みをし、えへと笑って誤魔化そうとしているリーシャを見下ろしていた。
「先生だけの授業だけじゃありませんよ」
場違いな返答を返した。
他の授業でも居眠りすることがあったが、頻度を考えれば、ジークの授業の時の方が、一番多かったのである。
「バカ者。威張るな」
手にしていた出席簿で、頭を叩かれる。
「……」
怒っているジークの顔を、パッチリと目覚めた目で見張った。
久しぶりに味わう普通の感覚だった。
王太子妃扱いされずに、普通の叩かれたことに感動を憶えた。
敬われることに辟易していたのだ。
「痛くないようだな」
「……痛い」
その顔は、嬉しさをいっぱいに表現している。
叩かれて、顔を歪ませるのではなく、叩かれたことを喜ぶ姿に、叩くところを間違えたかと、ジークが訝しく気味悪く感じていた。
探るように、歓喜しているリーシャに尋ねる。
「そうは見えんが?」
「痛いよ」
「叩かれて、喜んでいるようにしか見えん」
「叩かれて喜んでいる人なんて、どこにいますか」
言っている言葉と違って、ニンマリと笑っている。
さらにジークが首を捻る。
他の生徒たちもだ。
打ちどころが悪かったかと、嬉しそうなリーシャの顔を食い入るように見てしまった。
何か思案しているジークから、その背後にある黒板に目が留まる。
「何です? あれ」
黒板を指差した。
促された指の先に、視線を送る。
ジークに成り代わり、文化祭に出品する作品のテーマだと、いつもの状況に慣れ親しんでいるナタリーが簡潔に説明した。入学早々に、そんな話をしていたなと記憶が呼び戻ってくる。ジークは文化祭に作品を必ず出品することや、それが単位の一つとなる旨を入学早々のリーシャたちに話していたのだ。
「随分と変なテーマ、もっとわかりやすい方がいいな」
ボソッと、本音を漏らした。
ジークの拳が、怒りでプルプルと震えている。
「リーシャ」
言葉にできないジークを気にしながら、ため息交じりにナタリーが、そっと肩に手を置いた。
気づく雰囲気がない。
「そう思うでしょ? ナタリーだって」
寝ていたところのくだりよと、突っ込みを入れようかと思っているところに、ジークの様子に気づくこともなく話を畳み掛ける。
「例えば、人と猫がじゃれ合うとか、はっきりとしたテーマがいいな。そうしようよ、先生。その方がラクだし、わかりやすいよ」
ただ単に、人と猫がじゃれ合うモチーフを描きたいなと思っていたのだ。
授業中、居眠りしていた事実も、頭から抜け落ち、のん気にジークに話しかけた。
天然ボケのリーシャに、怒る気力も失い、嘆息を零すだけだった。
教室内は静まっていたが、天然ボケな発言をくり返す姿に、教室内は生徒たちの笑い声でいっぱいになっていた。
「えっ? 何々。……何で笑うの?」
何で、みんなが笑っているのか訳がわからない。
リーシャだけ、きょとんとしていたが、笑っている声に誘われるように笑い始める。
結婚前の雰囲気と、まったく変わらないので、嬉しさが込み上がっていく。
午前中の授業も終わる。
昼食を済ませると、午後から特進科に向かうリーシャは、ナタリーたちに別れを告げた。
ナタリーたちが次の教室へと向かう。
ラルムだけが、リーシャの元に残っていた。
何?と問いかけるよりも早く、ラルムの方が口を開く。
「大丈夫?」
優しげな声で、初めてハーツの訓練するリーシャを労わる。
不安で、押し潰されそうな心が、ほんわかと温かくなった。
心配する顔を見ていたら、余計な心配をかけられないと笑ってみせる。
「大丈夫よ。私一人じゃないし、ハーツに慣れているアレスと一緒だから」
「……そうだね」
何不自由もなく、宮殿内で育ってきたアレスが、ハーツに不慣れなリーシャの介添えをするとは到底思えなかったのである。余計なことを言って、不安がらせたくなかったから、それ以上深く、その話題をするのをやめた。
ラルムの心は、リーシャ一人だけ行かせて大丈夫なのかと胸を締め付けられている。
「アレスとは仲良く?」
「ケンカばかりよ。何を考えているのか、よくわからない」
「アレスは、自分を出すタイプじゃないから」
「そうなの? 誰に対しても、あんななの?」
(よくあんな性格で、やってこれたわね。周りの人が大変)
「そうだね」
「ラルムにも?」
「どうだろう? でも、そうなのかな」
「ラルムとは正反対。私とラルムは、どこか価値観が似ているところがあるからかな、何となく、こうなんじゃないのかな?って、わかるところがあるんだけど。アレスは全然ダメ、何考えているのかよくわからない」
素直に気持ちを吐露した。
アレスを知ろうと、努力すればするほど、わからなくなっていくのが今のリーシャだった。
「僕もだよ。リーシャのことだったら、何となくわかるよ。やっぱり似ているんだね。今、甘いもの食べたいって思っているでしょ」
「さすがラルム。正解。じゃ、私の番、そうだな……次の授業でイルたちに、ノート見せてとせびられそうで、困っているでしょ?」
冷めたアレスとは違い、ラルムとはスムーズに会話が弾んでいった。
「当たり。でも、それはリーシャも同じじゃないの?」
口を尖らせ、剥れる。
二人は同時に笑い始める。
「似た者同士ね。私たち」
「そうだね」
「じゃ、そろそろ行くね」
「気をつけて」
「うん」
ラルムに背を向けて、ホワイトヴィレッジへ向かった。
美術科がある校舎から離れた位置に、地下に広がる規模の大きい訓練場があった。入口の場所に立っている警備員の人に、詳しい場所を聞き、専用のエレベーターに乗って地下へと降りていった。
専用のエレベーターは、王族が使用する専用のエレベーターで、身分がある貴族でも使用することができない。一般の生徒や教官、研究員のエレベーターとは別れていたのである。
専用のエレベーターを降りると、規模の大きさや豪華さに驚かされた。
それに動く通路に、目を丸くする。
目の前のセンサーで、反応して動く通路。
「何なの? これは」
動く通路に集中し、さらに続く、動く通路の先に視線を馳せた。
規則正しく、一定の速度で通路が動いている。
その奇妙さに、視線が剥がせない。
「便利なんだか、無駄なんだか……。ちょっと長いけど、歩けない距離じゃないのに」
王室の無駄なお金の使い道に呆れる。
毎日贈られてきたプレゼントなどを思い起こし、やっぱりどこか自分たちとは価値観が違うと巡らせた。毎日贈られてきたことに、戸惑っていたが、よくよく考えてみると、自分たちと王室の人たちとはあまりにも違いすぎるなと思い知ったのだ。
「でも、ラクか」
思わず、顔がにやける。
王室云々と言う話は、どこかへ飛んでしまい、楽しそうな動く通路に興味が注がれていたのである。
「楽しそう。常に動いているのかな?」
興味津々で、動く通路を観察する。
頭の中には、アレスとの訓練のことなんて、どこかに消えてしまっていた。
目の前の動く通路に、キラキラと瞳を輝かせる。
「どんな仕組みで動いているんだろう?」
腰をかがめて、注意深く注視していると、センサーを感知するような器具を見つける。
好奇心旺盛な表情を浮かべた。
発見した器具に、手をかざしたりして遊び始める。
面白さが増し、時間がどんどん過ぎていった。
ピンクの腕時計で時間を確かめると、急いで着替えてアレスが待つ場所へ行くギリギリの時間帯になっていたのである。
「ヤバい! アレスのことだから、絶対に遅刻したら嫌味を言うな。急がなくっちゃ」
動く通路に飛び乗ったが、時間がほしさから立ち止まることもなく、動く通路の上を走って、自分専用の部屋があると言う部屋に急いだ。
息も絶え絶えに、言われた自分専用の部屋にどうにか辿り着く。
何度か、道を間違えた経緯もあったが、とにかく無事に目的の部屋まで着いたのである。
以前に貰っていたカードキーを差し込む。
昔、漫画で見たようなハイテクなドアが開く。
「開いた! 本当に凄い」
何度目かの驚きに目が見張る。
初めて入るハーツの訓練場に、驚かされてばかりだ。
部屋も王族専用で、それ以外の人間が立ち入ることがない。
貴族や他の一般の者たちは、別な場所に数人ごとの相部屋を持っていた。王族の人間のみが、個人部屋を使用しているのである。
「何から何まで、私には理解不能だな」
庶民の目から見ても、信じられないほどの贅沢だった。
一歩足を踏み入れると、ホテルのスイートルームのような部屋に驚愕させられる。
「着替えるだけの更衣室でしょ? これじゃ、まるでここで暮らせるじゃない……。それに私の部屋よりも広い」
元住んでいた自分の部屋と、この部屋を意味なく比較してしまう。
部屋に天蓋付きのベッド、大きめのソファ、テーブル、ドレッサー、それにクローゼットがあった。さらに足を踏み入れると、シャワー室も完備して、至れり尽くせりの状況に言葉を失ってしまったのである。
想像を超える王室の暮らしぶりに、開いた口が塞がらない。
「お姫様になったみたい」
今まで両親と、弟と暮らしていた部屋よりも、豪華な更衣室に、新たに王族の一人になったことも忘れて、素朴な感想を漏らしたのだ。
「段々と思考がおかしくなっていく気がする」
頭を振り払った。
ゆったりと、クローゼットに近づき、両開きとなっているドアを開ける。
そこに五着のパイロットスーツが掛かっていた。
一着のパイロットスーツを取り出し、自分の身体に合わせてみる。
「サイズ合っているのかな?」
鏡の前に立つ。
パイロットスーツと、自分の身体が合っているかは見た目では判断つかない。
「……とにかく着よう」
着ようと思うが、身体の動きがピタリと止まってしまった。
「これ、どうやって着るの?」
パイロットスーツの着かたを知らなかった。
操作のマニュアルばかりが先行し、パイロットスーツの着かたを聞くのを忘れていたのだ。
「どうしよう……」
困惑するリーシャ。
鏡に映る制服姿の自分と、着かたを知らないパイロットスーツを交互に視線を傾ける。
アレスも、着かたまで知らないとは思ってもみなかったのだ。
「このまま行くしかないよね」
鏡に映る自分に問いかけた。
「だって知らないだもん」
持っていたパイロットスーツを、ソファの上に投げ置き、制服のまま、部屋を後にした。
アレスが待つと言うS―Ⅱ訓練場へ行って、着かたを聞いてから着替えようとしていたのである。
読んでいただき、ありがとうございます。




