第29話 積み上げられたハーツのマニュアル
夕食を終え、リーシャは夕食の時の出来事を、一人で反省会を部屋でしていたのである。無反応なアレスに、一人舞台のようなおしゃべりは、懲りずに続けていたのだ。
自分とコミュニケーションを取らない相手に、どうやって会話に参加させようかと、毎日のように模索し、反省会を一人で開いていた。
ソファに座り、クッションを抱き込んでいる腕に力が入る。
根競べだと毎日意気込んでいた。
「うーん。今日の話は面白くなかったかな」
夕食の時に話していた内容は、両親ポルタとカーニャの夫婦ケンカした際のことだった。
身振り手振りで話すリーシャを気にする様子もなく、無表情のままで、淡々と食事をとって、さっさと食事の席から離れてしまったのだ。
こんなことが、毎食の席で続いているのである。
そのたびに、侍従や侍女たちは不穏な空気にならないかとハラハラと見守っていた。
「面白いと思ったんだけど……」
なぜ、アレスに受けないのかと、腕組みをして考えあぐねる。
「ナタリーたちに受けていたのに」
信じられないと首をすくめる。
ポルタが内緒で購入した高い食器の存在を知った時、カーニャの怒りは爆発して手当たり次第、近くにあった物を、怒りに任せて、ポルタ目掛けて投げつけていった。
ポルタの趣味である高い食器を内緒で購入してばれた事件は、これが初めてではない。
すでに何度も高い食器を内緒で購入しては、ばれて、それでも懲りずに、コツコツと高い食器を集めていったのである。購入したと言う事実を知るたびに、カーニャは怒っていたが、口を数日聞かないと言う程度のことだった。それがこの時ばかりは、堪忍袋の緒がプツリと切れてしまい、リーシャやユークを巻き込んで、大立ち回りをくり広げたのだった。
記憶が蘇り、眉を潜める。
「今思えば、面白いけど、あの時は大変だったな……。ママったら、何でも投げちゃんだもん。ユークと二人で止めるの、必死だったな……」
クッションや雑誌、茶器や購入したばかりの高い食器まで、手当たり次第割れてしまうことも忘れて投げつけていったのだ。
その時の苦労を思い出し、眉を潜めていたものが、いつの間にか消えてしまっていた。
口角がゆっくりと上がって、楽しげに微笑んでいたのである。
「二人して、ママの後ろに廻って押さえ込んで……」
数年前の記憶が、昨日出来事のように鮮明に蘇る。
ここに来て以来、家族との日々を思い出すのが日課となっていた。
すっかり夕食の時の気落ちした気分が消えていた。
「ソファの周りを、何であんなに廻っていたんだろう」
クスッと笑う。
ソファを軸として、その周りをポルタが逃げ惑っていた。そして、その後ろには捕まえようとするカーニャ、それを止めようとしたリーシャとユークが追いかけていったのだ。
(きっと、ここでは逃げるのも、捕まえるのも、広いから大変ね)
静寂な広い部屋を見渡した。
そこに自分以外の人が誰もいない。
家族と一緒にいた頃とは違い、豪華な部屋。
ここがリーシャの新たな部屋だ。
結婚前まで小さな部屋にあったインテリアを、次々と眺めていく。
数は少ないが、懐かしいものばかりだった。
フレームの中の家族が笑っている。
「静かだな、ここは」
家族と一緒にいた頃は、いつも賑やかで、家の中で声が絶えることがなかった。それが王宮に来てからは、こうした静かな時間を過ごすことが多くなっていた。
ユマたちは付きっきりで、リーシャの傍らに控えている訳ではない。
夜はたいてい一人で、広い部屋で過ごしている。
「ホントに静か……」
意味もなく、立ち上がろうと思った瞬間、扉が突然に開く。
視線を止めていると、夕食の時に別れたアレスが訪れてきたのだった。
(珍しい。ここに来るなんて……)
「何?」
黙っているアレスに尋ねた。
部屋の中を見渡すだけで、何も話そうとはしなかった。
無表情のアレスは気になったものを勝手に手に取り、丹念にそれらのものを見入っていたのである。
「聞いているの? 何しに来たのよ」
言葉を無視し、部屋の外に待機していた侍従に指示する。
部屋に入っても、リーシャと言葉を交わそうとしない。
「何なの!」
憤慨するリーシャをよそにし、次々に侍従が部屋の中へ入ってきたのである。
憤慨と困惑の目の前に、本のタワーがいくつも積み上がっていく。
それをただ不思議そうに眺めていた。
目の前にいくつもの本のタワーが積み重ねられた。
侍従たちはその作業を終えると、さっさと部屋から退出していった。
「何? これ?」
訳がわからずに、でき上がった本のタワーから視線をアレスに移す。
無表情なアレスが簡潔に答える。
「ハーツのマニュアルだ」
「マニュアル?」
すぐにアレスの言葉が把握できずに首を傾げる。
理解していないリーシャを無視し、さらに話を続ける。
「明日の午後から訓練だ」
「はぁ?」
「それまでにだ」
横柄なアレスが言った。
結婚と同時に正式にアレスのデステニーバトルのパートナーにもなったのである。
本のタワーに視線を傾ける。
積み上がっているすべての本が、ハーツのマニュアルだった。
一冊の本はどれも分厚く、今まで読んだことがない未知の領域だ。
全身の力が抜けてしまい、呟く。
「読む、これを?」
「そうだ。勉強しておけ」
一番上にある本を一冊取った。そして、パラパラとめくる。
そこには細かい文字が、びっしりと詰まって書かれていた。
俗に言う頭がクラクラする状態だ。
見開いた翡翠の瞳で、横柄な言葉を、次々に言うアレスを見上げる。
「マジで、言っているの?」
アレスが微かに眉を潜める。
「何だ?」
「だから! マジでこれを読めって!」
当然だと言う顔つきで、困惑気味なリーシャを見下ろす。
見下ろしながら、なぜ困惑するのかわからない。
「当たり前だ。明日の午後から訓練だと言っているだろう。何を聞いている。そんな言葉も理解できないのか」
「それは理解している。それよりもこっちよ!」
無謀なことを言うアレスに、怒りを憶え、立ち上がって、分厚い本のタワーを指差した。
「だから、読めって言っている」
「読める訳ないでしょ! この量は何よ」
怒りを滲ませるリーシャの言葉に促されるように、分厚い本のタワーに視線を注ぐ。
「妥当な量だが」
「妥当ですって、笑わせないでよ。どこをどう見て、妥当な量だと言えるの?」
「これでも量は減らした。初心者用にな」
平然としているアレス。
「減らしたって。これでも減らしたって言う訳? 冗談言わないでよね」
「冗談を言う訳ないだろう」
実際に、この五倍の量があったのだ。
それをアレス自身が、セレクトしたのだった。
「信じられない。一晩で、これだけの量、読める訳ないでしょうが」
「誰も一晩で、読めとは言っていない。せめてこの二列は読むんだ」
アレスは分厚い本のタワー二つを指し示す。それはリーシャが手にして持っている分厚い本の列を指し示していたのである。
思わず、頭を抱え込む。
「……」
「とにかく、読め」
「……読めない」
憮然とした視線をリーシャに注ぐ。
「この一冊だって、無理よ」
手持ちの分厚い本を掲げる。
「嘆く暇があるんだったら、少しでも読んだら、どうだ?」
今度はリーシャが憮然となる番だ。
(いきなり訪ねてきたと思ったら、明日まで何か読める訳ないでしょ)
「私、こんな厚い本読んだことない。それに文字ばっかりのも」
分厚い本のタワーと時計を見て、自分に読むことができるか、一応考えてみたのである。けれど、どう考えても、明日までに今まで読んだことのない本を読めと言われても、無理な話だった。それにユマから講義を受けているテキストだって、こんなに分厚くはなかったのだ。
それでも頑張って講義を受けているのに、アレスのいやな態度と、あまりの分厚さに素直にわかった、頑張ってみると言う言葉が出てこなかったのである。
うんざりして泣きそうな姿に、不敵な笑みを浮かべた。
「挑戦だ。せいぜい頑張ることだ」
「……面白がっているでしょ」
「当たり前だ」
「酷い」
剥れて、拗ねてみせる。
「それぐらいの楽しみがないと、お前と結婚した意味がないだろう」
思わぬアレスの発言に、口をあんぐりと開ける。
「バカな顔しているぞ」
楽しげな表情で、アレスが部屋から出て行った。
ワナワナと震えているリーシャは、ソファにあったクッションを、アレスが出て行った扉目掛けて投げつける。
扉に当たって、閉まっている扉の所に無残に落ちた。
「信じられない!」
クッションを投げつけても、怒りが収まることはない。
むしろ、怒りが募る一方だ。
「あの顔は何? 何が優しい王太子よ! ただの意地悪男じゃない。みんなあの容姿に騙されてんじゃないわよ」
クラスメートが主催してくれたパーティーで、もてはやされていたことを思い出していた。クラスメートから散々格好いい王太子と結婚できて、羨ましがられていたのである。けれど、リーシャもアレスの容姿は洗礼されて、格好いいと思うところがあるが、性格があまりにも歪んでいて、とても羨ましい結婚だとは自身には思えなかった。
ソファに勢い良く座る。
大きめなクッションをアレスの顔に見立てて、殴り始める。
クッションには、不敵に笑うアレスの顔が映っていた。
「バカ。バカ。バカアレス」
ボコボコに、何度も拳を叩きつける。
「意地悪、最低男!」
読んでいただき、ありがとうございます。




