第26話 アレス、ラルムの視線の先には
セリシアの部屋から戻ってきて、いざメールを打とうとするが、家族にも友達にも送ることができない。
楽しいことを、打つ自信が持てなかったからだ。
ただ、家族や友達のメールを読み返していた。
それだけで、あっという間に時間が過ぎていく。
すでに準備が終え、アレスはテラスでリーシャの準備が終わるのを待っていた。挙式が終わっても、リーシャ同様に連日のパーティーなどで、学校に行く時間がなかったのである。
クリームイエローのドレスのいでたちで、アレスが待っていると言うテラスへ行く。
思いつめたような表情で、テラスの外の風景を眺めていた。
ふと、気になり、何かあったのかなと思う。
しばらくの間、なぜそんな顔をするのか、見入っていたのだ。
「お待たせ」
明るい声をかけた。
ようやく、リーシャに気づく。
不機嫌な表情へと変わっていった。
そんな変貌ぶりに、何で私が声をかけると、不機嫌になるのよと口を尖らせ憤慨する。
口を開こうとするより、冷ややかなアレスの方が先に言葉を出す。
「遅い、行くぞ」
「……」
待たせてしまった以上、それ以上何も言えない。
つんけんする姿に、未だに慣れず、高いハイヒールでついていった。
アレスはブツブツと何か言うリーシャを無視した。
傍らにいる慣れないドレスに悪戦苦闘している妻の歩幅を考えずに、いつものように颯爽と行ってしまう。
その歩調は幾分早いが、リーシャは深く考えようとはせずに、自分たちを待っている車へと足を運ぶ。
十分以上も遅れて、パーティー会場へ到着した。
遅れたことを気に止めているのに対し、アレスはまったく気にする様子もなく、何もなかったかのように振舞っていた。そんな姿に呆れつつも、一生懸命についていったのである。
挨拶も終わり、王太子アレスと王太子妃リーシャを祝うために集まった人たちと、それぞれに別れて軽く談笑する。
誰も彼も華やかな王族の人間と話がしたいのだ。
貴族数人と談笑するアレスの目に、物腰が柔らかいと貴族たちの中で評判になっているラルムの姿が飛び込んでくる。
(また、来ているのか……)
よく顔が自然と視界に入ってくるラルムに、最近苛立つことが多い。
談笑している貴族たちに気づかれないように、離れた位置で、別な貴族たちと談笑しているラルムに視線を馳せていた。
観察していると、同じように談笑している貴族たちに気づかれないように、視線が別な方向へ傾けていたのである。
ラルムの視線の先に、貴族の夫人たちと、不安げに談笑しているリーシャの姿があった。
ぎこちなく貴族の夫人と話す姿は、ラルムの存在に気づいた様子もなく、愛想笑いを浮かべ、貴族の夫人たちに話を合わせていた。
(もっと優雅にできないものか……)
戸惑っているリーシャから、そつなく優雅に話しているラルムに視線を移した。
(パーティーは苦手だと言っていたのに……。なぜだ……)
数年ぶりに外国から戻ってきたラルム。
パーティーや催し物に、一切出ていなかったのである。
それが最近、よく顔を出すようになっていたのだ。
それもリーシャが出席するパーティーや公務などの催し物に、必ず顔を出していたのだ。
(随分と友達思いなんだな。知らなかったよ、ラルム)
そのたびに不機嫌の度合いが増していく。
なぜ、落ち着きがなく、明るいだけが取り柄だけの自分の妻を気に掛けるのか、理解できなかったのである。
そんなことを考えているだけで、苛立ちが募っていく。
とにかく、アレスは面白くない気分を味わう。
生演奏が始まろうとしていた。
それはダンスの時間を指し示していたのである。
当然のようにアレスがリーシャの手を取り、ダンスを踊るために、中央のフロアーに歩みを始めた。
貴族たちが二人のために道を明け渡す。
握るリーシャの手は強張っている。
すでに何回も、踊っているのだから、慣れていいだろうと前を見据えながら過ってしまった。
慣れないリーシャが少し気になる。けれど、そのままダンスを始めてしまう。
あちらこちらから、注目の視線を浴び続けている。
幼い頃から浴びている視線が気にならない。
対照的にリーシャは気になるようで、ダンスを踊るたびに周囲の様子を気に掛けていた。
もっとダンスに集中しろ、だからステップを間違えるんだと、心の中で突っ込みを入れる。
思っても、それを口に出さない。
後でユマが指導するからだ。
「ごめん」
「いつになったら、ちゃんと踊れるようになる? ちゃんとダンスの講義を受けているんだろう?」
できるだけ小声で話しかけた。
叱咤する声とは裏腹に、その表情は外向け用の笑顔だ。
見習うように愛想笑いを浮かべながら、嫌味な質問に答えていく。
(さすがアレス。笑顔でいられるなんて)
人が周りにいる時は、常にアレスは笑顔を作っていた。それをこのところ感心していたのである。
「……受けているわよ。足踏まないだけましでしょ?」
「踏んだら、ただじゃ置かない」
含みのある笑みと言葉が気になる。
にわかに眉間が寄ってしまう。
「何するの?」
「四倍」
「はぁ?」
「練習時間を、今の四倍」
「嘘でしょ?」
「嘘じゃない」
「信じられない。それじゃ、寝る時間ないじゃない」
アレスの表情が突然に変わった。
その脳裏に、廊下で眠っているリーシャを発見した時のことを蘇らせている。
とてつもなく、不機嫌になっていた。
(な、な、何で、いきなり機嫌が悪くなるの?)
「いやなら、ちゃんと踊れ」
乱暴に吐き捨てた。
急に変貌した態度に、どうして?と戸惑うばかりだ。
瞬きして、不機嫌なアレスを見上げる。
アレスの視界に、リーシャを見ているラルムの姿が入っていたのである。
外向きの笑顔でも、その瞳が笑っていない。
「わかったわよ」
「……」
足を踏むこともなく、難しかったダンスをどうにか終わらせる。
その後も大きな失敗もなく、パーティーを済ませて仮宮殿へ帰っていった。
車内でも、仮宮殿に帰ってきても、ずっと機嫌が直らなかった。
何度声をかけても、アレスは無視を決め込むだけだ。
様子が気になりながらも、連日のパーティーや講義で疲れ切っていたリーシャはベッドの中へ潜り込んだ。
何で不機嫌なのかを考える暇なく、すでに眠りについてしまう。
朝食の席でも、不機嫌なままだった。
いつまで続ける気よと心の中で吐き捨てた。
「……おはよう」
不穏な空気の中で、朝食が始まった。
雰囲気の悪い朝食の空気を打破しようと、いつもに増して明るく話しかける。
「お義父様って、何しているの? パーティーにも参加してないようだし。いつもお義母様お一人よね」
アレスの食事の手が、一瞬だけ止まる。
話すのに夢中で、気づく様子もない。
侍従も侍女も顔が凍りつく。
「たぶん、二、三回しか会っていないような気がする。そうじゃない? それともアレスは会っているの?」
無邪気に指を折って数えてみる。
「三回か……。後は見かけていないと思うんだけど……」
四本目の指が折れるかどうか考え込んだ。
「ダメだ。三回だけだ」
公式のパーティーでは夫婦同伴が当たり前で、いつもセリシアの姿しかなかったのである。だから、病気なのかしら?と見かける回数が少ないヴォルテを気にとめていた。
病気だったらお見舞いに行かないと思っていると、朝食の席ではいつも一人舞台のはずが、珍しく不機嫌なアレスの口が開く。
「……会っていない」
「そう。それじゃ何で?」
いい機会だと思い、間をおかずに尋ねた。
「知らない」
「体調でも悪いの?」
「悪くない」
「何しているの?」
「離れの宮殿で、古文書の研究に没頭しているんだろう」
「離れの宮殿? 古文書?」
ヴォルテたち夫婦は、シュトラー王たちが住まうスティリア宮殿に住んでいるものかと思っていたのである。注意を受けに行った際のセリシアの部屋が、スティリア宮殿にあったからだ。
そのことを話すと、リーシャを一度も見ることもなく淡々とした口調で話していく。
「二人の住まいは離れの宮殿だ。王妃様の代理を務めることが多いために、母上はあちらの宮殿にも部屋を持っているのに過ぎない」
「そうなんだ……」
朝食の席で会話が成り立ったのは結婚して以来、初めての出来事で、アレスと話せたことがリーシャにとって嬉しかった。
顔を綻ばせ、落ち気味だった食欲が湧く。
「おいしいね」
「……どこがだ」
顔を上げると、満足の笑みを零して食べるリーシャに腹が立つ。
冷たい視線を傾けた。
そんな視線に気づく。
「何でそんなに機嫌が悪いの? 昨日からずっとじゃない」
ただ何も答えず、嬉しそうにしていたリーシャを冷ややかに眺める。
「……」
リーシャは嘆息を吐いた。
「理由を聞いているのに、何も答えないつもり? 言ってくれないとわからない」
開きかけた口がきつく結ぶ。
「ねぇ、アレス」
ナプキンを置いて、食事途中にもかかわらず、席を立ち去ってしまった。
誰もいなくなった席を見つめる。
先程まであった食欲も失せてしまう。
オレンジジュースを飲んで立ち上がった。
皿の上に、二人のために用意された料理がたくさん残っていた。
一人で食べる元気がなかった。
「ごちそうさま」
二人のやり取りを困惑気味に静かに聞いていたユマたちに声をかけ、気落ちしているリーシャは学校へ行くために部屋に戻ってしまった。
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