第190話
身を正して、身構えているルシード。
重苦しい空気を感じているのは、ルシードだけだった。
「ですが、何かと、クラーツ殿が、助けて貰っています」
「あれは、ソーマ同様に、面倒見がいいからな」
「はい」
「後、エレナのところに来てくれて、助かっている」
部屋に閉じこもったままで、不憫に、感じていたからだ。
シュトラー王が、自ら王妃エレナを連れ出したくっても、なかなか、王妃エレナの体調と、自分の時間が合わず、今に至っていたのである。
何かと、王妃エレナのところへ来て、話してくれるルシードの存在には、感謝していたのだった。
時間が空き、会いに行くと、いつもルシードの話を、王妃エレナが聞かせてくれていたのである。
「いいえ。失礼かと、思われるかも、しれませんが、王妃エレナ様のことを、母にように、思っておりますので」
本心から、ルシードは、そう思っていた。
幼くして、母親を失い、何かと、気遣ってくれる王妃エレナのことは、母のような思いを、抱いていたのだった。
「それでいい。長男を亡くし、次男は、ほとんど、エレナの前に、顔を出さないからな」
「……」
どう返していいのか、微妙な表情を、滲ませている。
だが、シュトラー王は、何も気にしない。
「それと、リーシャとも、親しくしているそうだな」
「……はい」
僅かに、瞳が揺れてしまっていた。
シュトラー王自身、気づいていたが、そのことは、何も言わない。
「リーシャは、王宮に来て、間もない。ま、私が、そうさせてしまったのだが。何かと、不慣れで、戸惑うこともあろう。助けて貰うと、ありがたい」
「私で、お役に立てるのならば」
平静な表情で、シュトラー王の感情を、読み取ることができない。
ルシードの方も、できるだけ、表情を変える真似は、していなかった。
ただ、手や足、背中などに、汗を流していたのだ。
シュトラー王を前にして、大きな緊張で、押し潰されそうになっていた。
自分の父、フィーロの前でも、同じような圧を感じることがあるが、シュトラー王は、さらに、上をいっていたのである。
降り注がれるプレッシャー。
懸命に、耐えているルシードだ。
「リーシャが、息子のテネルと、仲がいいと、聞く」
「……はい。とても可愛がって、貰っております」
やや視線が、伏せ目だった。
そうしたルシードの仕草を、捉えていても、何も口にしない。
ただ、見据えていたのである。
「そうか。リーシャには、弟がいることもあり、年下の面倒が、わかるのだろう」
「そうですか」
(一体、陛下は、何をしたいんだ……)
「アレスのことは、どう思っておる?」
「王太子として、頑張っておられると、思います」
「まだまだと、私は、思うのだが?」
先ほどよりも、シュトラー王の目が、細くなっている。
相手を、射抜くようにだ。
まともに、垣間見なくっても、シュトラー王の圧から、ヒシヒシと、そのことが伝わってきていた。
「まだ、若く、経験が、浅いからでは、ないでしょうか」
「私が、アレスの時は、バリバリと、動いていたがな」
(噂では、聞いています)
「時代が、違うからかも、しれません」
「そうか」
「はい」
一度も、視線をそらさない、シュトラー王。
食い入るように、ルシードを、眺めていたのである。
「アレスとリーシャのことは、どう思う? 噂は、聞いているだろう?」
(もう、勘弁して貰いたい……)
「……突然、結婚したこともあり、お二人とも、戸惑いがあるのかも、しれません。ですが、時よりですが、王太子殿下は、お優しい表情で、リーシャ妃殿下を、見られることがあります」
「そうか。それは、知らなかった」
初めて、驚きの顔を、シュトラー王が、覗かせていた。
(あれが? 優しい顔でか? 信じられないが……)
「はい。これまで、住む世界が、違ったお二人です。周りが、とやかく言うのではなく、私としては、温かく見守ってあげる方が、よろしいかと思います」
「そうか」
「はい」
「そうだ。ルシードは、どうなんだ? 再婚とか、考えていないのか? テネルも、幼いだろう。まだ、母親が、必要なのでは、ないのか?」
微かに、眉間のしわが寄っていた。
(……公爵様、陛下の前で、変なことを、言っていないでしょうね……)
「……そうなのかも、しれませんが、私は、再婚する意思が、ありません。妻は、ただ一人です」
きっぱりとした声だ。
「そうか」
「はい」
まっすぐに、シュトラー王を捉えている。
「フィーロも、同じ考えか」
若干、ルシードの瞳が揺れていた。
「……さぁ、どうでしょうか。一度は、勧められましたが、私は、きっぱりと、断りましたので……」
「そうか」
「はい」
「誰か、近づいた者が、いるか?」
「陛下が、知っている通りかと」
フィーロにも、その家族にも、勿論、ルシードにも、信頼の置ける部下をつけさせていたのである。
そして、そのことは、フィーロも、ルシードも把握していた。
「それ以外で、誰か、近づく者が、いなかったか?」
「私に、近づいても、いいことは、ないかと」
「……そうか」
そっけない返事を、シュトラー王が返していた。
(もう、そろそろ、帰らしてほしい……)
表情に出ていないが、精神的に、ボロボロだった。
短い時間ではあるが。
「はい」
「フィーロは、何を考えている?」
「……」
ここに来て、黙り込むルシード。
シュトラー王の表情は、崩れない。
読むことができない眼光を、戸惑うルシードに、注いでいた。
「フィーロは、何を考えている? 息子として、何か、思うところは、ないか?」
僅かに、逡巡し、揺るぎない眼差しを、シュトラー王に注いでいる。
「……私には、公爵様のことは、理解できません。これまで、一度も、理解したことはありません。ただ、言えるとしたら、王位には、決して、興味を持っておられません」
「……それは、知っている。だから、あれは、ここにいる」
若かりし頃のフィーロの姿を、思い返している。
何度も、シュトラー王に突っかかりはしても、王位に興味の色を示したことが、一度もなかったのだった。
常に、王位には、距離をとっていた。
ただ、フィーロの母親だけは、違っていたのである。
彼女は、王位に興味を持ち、自分の血を分けた息子を、つけたいと、抱いていたのだ。
フィーロは、ずっと、母親を押さえ込んでいたのだった。
(一度も、王位に対し、興味を持たなかった。……嫌っていたな、あれは)
「……」
「昔から、王位には、一度も、興味を見せたことがない。興味を持ったものと言えば、クロスやルシードの母親ぐらいだろうな」
(……母さんに?)
ルシードの母親のことを、口にした途端、表情を容易く変えたルシード。
小さく、シュトラー王の口角が、上がっていた。
(甘いな)
「知っていたか?」
「いいえ」
「そうか」
「……クロス殿ことは、そうかと、思いましたが、母のことは、知りませんでした」
「エレナからも、聞いていなかったのか?」
「……それらしい話は、してくれましたが、あまり、信じておりませんでした」
(母さんに……興味が……)
「それは、可哀想だぞ」
「……」
本妻や、その子である異母兄弟よりも、多少は、興味を持たれているとは思っていた。
だが、まさか、クロスと同等に、自分の母親のことを、興味を持っていたとは、思っても、みなかったのだった。
愕然としている、ルシードだ。
シュトラー王の口の端が、上がっていた。
目の前にいるシュトラー王の存在が、あまりの衝撃的なことに、薄くなっていたのである。
「後、忘れていた。ルシードとテネルには、しっかりと、興味持っているから。それは、信じてやれ」
「……はい」
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