第188話
とある国のカフェテラス。
新聞を片手に、クロスが、コーヒーを飲んでいた。
通りを歩いている、誰一人として、その光景に馴染んでいる、好々爺のクロスの姿に、視線を巡らせることがない。
それほどの違和感なく、周囲に、溶け込んでいたのである。
周りに客たちも、お喋りを楽しんだり、読書したりと、各々の時間を過ごしていたのだ。
クロスがいる場所。
観光地の一つとして、多くの人々に愛され、人を受け入れていたのである。
そのため、多くの人が、溢れていたのだ。
だから、そのうちの一人としか、見えないクロスに、足を止める者などいない。
飲んだカップを、ソーサーに置く。
すると、同じように、街に溶け込んでいるソーマが、クロスの前に腰掛けた。
「待たせたな」
「さほどでも、ないよ」
ニコッと、微笑んでいるクロス。
すでに、待っていたクロスは、ソーマが来る一時間以上も前から、ここに来て、ゆっくりとした時間を、過ごしていたのだった。
カフェテラスに、長い時間滞在していても、この国では、そうした時間を過ごすことが、当たり前なので、クロスの行動は、おかしくない。
周りにいる客たちも、似たような時間を過ごしていたのだ。
「そうか」
遅れて来たソーマ。
隣国に、仕事として訪れ、いくつかの仕事を、すでに、こなしていたのである。
勿論、仕事は、多く残っていた。
それでも、残っている仕事よりも、クロスと会うことを、優先したのだ。
独特の雰囲気を、醸し出しているソーマのことは、幾人かの人が、目線を傾けるだけで、それ以上、窺っている人がいない。
立て込んでいる仕事のせいもあり、刺すような圧を消すことが、完全に難しかったのだった。
「身体の方は、元気にしていたか?」
「ああ。元気にしていたよ。ソーマの方は、いろいろと、疲れているんじゃないのか?」
気遣う眼差しを注ぐ、クロスだ。
手に取るように、シュトラー王に命じられるまま、激務に、励んでいるソーマやフェルサの姿が、目に浮かんでいたのである。
優秀である二人だった。
そうしたシュトラー王のわがままに、応えていった。
「疲労困憊だ。後から、後から、仕事が、湧いて出てくる」
これまで、仕事がストップすることなんて、一度もない。
二人が、裏方の仕事に、ついてからは。
「ソーマのことだから、息抜きはしていると、思うけど、フェルサや、他の人は、違うから、気遣ってあげてくれ」
「わかっている。その点は、任せておけ」
自信満々な顔を、ソーマが、覗かせている。
フェルサや部下たちを、上手い具合に、息抜きさせていたのだった。
勿論、そうした光景も、クロスは見えていた景色でもあったが、あえて、口に出していたのだ。
「ありがとう。ソーマがいてくれて、助かっているよ」
「クロスの方こそ、どうなんだ? 上手く、いっているのか?」
ここに来て、ようやく、クロスが、困った顔を滲ませていた。
自分以上に、大変な仕事を、担っていると、ソーマが抱いていたからだ。
見つめている、ソーマの眼光。
さらに、クシャッとした顔を、クロスがしている。
観光を装いつつ、他国の諜報活動していた。
そして、大きな危険も、伴っていたのである。
クロスの腕前を、疑っている訳ではない。
純粋に、心配していたのだった。
若かりし頃のように、無茶しないかと。
「相手があることだからね。なかなか、難しいね」
「そうか」
「でも、心配しないでくれ」
「本当か?」
少し、疑っている眼光を、傾けていた。
誰よりも、無茶をするクロスの姿を、過去に、何度も見てきたからだ。
だから、心配する気持ちで、クロスのことを、ソーマなりに、探っていたのだった。
もし仮に、無茶をしているならば、今度こそ、止めると、強い決意が、ソーマの形相に出ていたのである。
シュトラー王に、命じられた訳ではない。
ソーマ自身の思いからだ。
さらに、首を竦め、困ったような顔を、クロスが窺わせていた。
「大丈夫だよ。そんなに、怖い顔をしないでほしいな」
首を傾げ、ソーマのことを、捉えていた。
「……なら、いいけど。無理はするな。本当ならば、俺たちがしないと、いけない仕事なんだからな」
「わかっているって」
「そうか」
「のんびりと、やらせて、貰っているよ」
周りにいる客たちは、クロスたちの話に、耳を傾けている者なんていない。
だが、周囲の様子に、クロスも、ソーマも、気を配っていた。
自分たちを、窺っている者たちがいると、確信して。
常に、慢心することなく、警戒を行っていたのである。
「なら、いいけど」
「ホント。シュトラーも、ソーマも、みんな、心配性なんだから」
困っているが、嬉しそうな顔をしているクロスだった。
「心配かける方が、悪い。限界まで、クロスは、頑張るからな」
僅かに、ソーマが、ジト目になっている。
「……それを、言われると」
クロスの眉が、下げている。
過去に、限界まで頑張って、壊れかかったことがあった。
そのことを、持ち出すソーマに、弱り果ててしまう。
「悪い。いい出来事じゃ、なかったな」
「大丈夫だよ。ちゃんと、けじめは、つけているから」
ちゃんと、けじめをつけたからこそ、リーシャたちがいるのである。
「……そうか」
大丈夫と、クロスが言っていても、ソーマの中では、きっと、消化されていないだろうと、巡らせていたのだった。
けれど、あえて、そのことに、触れようとはしない。
誰にとっても、いい出来事では、なかったからである。
とても、とても、苦い思い出と、なっていたのだ。
「リーシャのことは、任せてくれ。絶対に、危害が、加わらないように、守るから」
強い意志が、ソーマの眼光に、宿っていた。
「守ってくれるのは、嬉しいけど、あまり、可愛がり過ぎないようにね。ちゃんと、自分自身で、処理できないと、今後、大変な思いをするのは、リーシャだから」
「……わかっている。でも、孫娘に、随分と、厳しいな」
渋面になっているソーマ。
「厳しいところだからね。あそこは」
遠い場所にいる、リーシャに、思いを馳せているクロスだ。
長年、会うことがなくっても、常に、シュトラー王たちが、写真などで、リーシャたちの近況を、知らせてくれていたので、いろいろと、リーシャたちのことは、把握していたのである。
「そうだな」
「だから、厳しくするところは、厳しくして、おかないと」
「ホント、あの世界は、いやだな」
ソーマが、顔を顰めている。
「ソーマは、そこで、生きているんだよ」
「そうだけどさ。うんざりする時も、あるさ」
誰よりも、身に沁みている一人であるクロスが、苦笑している。
「……クロス。早く、戻ってきてくれよ」
真摯な眼差しを、ソーマが注いでいた。
「そのうちにね。それよりも……」
その先のことを、クロスが促した。
「余談だったな。じゃ、仕事に移るか?」
「情勢としては、あまり、変わらないな。なかなか、奥に入り込む隙間が、ないからね。でも、確実に、何か、企んでいることは、確かだね」
「クロスの勘か?」
「曖昧で、悪いけど」
「いいさ。その勘は、当たるからな」
「そう言って貰えると、嬉しいよ」
「あまり、いい報告じゃないな。気が重くなる」
「頑張って、シュトラーに、報告してね」
「わかっているさ」
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