第185話
王宮に、静かな帳が、堕ちている頃。
多くの者が寝静まり、警備をする者しか、起きていない。
華やかな日中とは違い、閑散とした空気が、王宮に流れていた。
王宮の中では、秘密の通路を使い、誰にも気づかれずに、アレスとリーシャが王宮の外へ、出てきていたのである。
手馴れている二人だった。
「行くぞ」
「うん」
二人は、以前、知り合ったカーラの元へ行くため、二人揃って、王宮を抜け出したのだ。
楽しげな顔をみせるリーシャ。
気づかれないように、アレスが窺っている。
告げていないが、初めて、ダイヤモンドハーツでの訓練をする前に、気晴らしをさせようと思う、アレスの心遣いだった。
はしゃいでいる、リーシャの姿。
アレスの頬が、微かに、緩んでいる。
隣を歩くリーシャを、何度も、捉えていた。
その足は、軽やかで、羽が生えているかのようだ。
「久しぶりだね」
「そうだな」
そっけない、アレスの態度だ。
そうした仕草も、リーシャは気にならない。
浮き足立っていたのである。
暗い道を、リーシャが投げかけ、アレスが短く返していた。
裏街に行き、いつものように、カーラの元にいる人間に案内して貰い、質素なカーラの家に辿り着く。
何度も、訪れていることもあり、躊躇なく、入り込んだ。
無数の視線があるにもかかわらず、気にする様子もない。
それに続き、アレスも、入っていった。
勿論、周囲に対し、神経を尖らせている。
カーラの客人と言っても、気が抜ける場所ではない。
ここ裏街は、とても危険な場所だからだ。
家には、カーラ以外に、複数の女たちがいた。
仕事に行かず、リーシャたちを、出迎えていたのである。
女たちが、用意していたお菓子を食べながら、リーシャたちは、お喋りに、花を咲かせていたのだ。
無邪気に話している光景。
宮殿内で、ユマや他の侍女たちと、お喋りしていた時とは、違っていた。
食い入るように、アレスが眺めている。
時々、塞ぎ込んだり、顔を曇らせていることが気になり、できるだけ、以前のような明るさを、取り戻してほしかったので、ここに来る計画を、立てていたのだった。
(来て、正解だったな)
表情に出ていないが、ホッと、胸を撫で下ろしていた。
「よかったわね。笑顔が戻って」
「……」
背後から、声を掛けられた。
背中に、緊張が走っていた。
すっかり、意識が、リーシャだけに向けられ、周囲の警戒を怠っていたのだ。
(何を、やっていたんだ、俺は……)
「どうかした?」
首を傾げ、カーラが、微笑みを覗かせている。
やや顔を顰めているアレスを、捉えていたのだ。
「リラックスしていた自分が、許せないのかしら?」
見透かしたような、カーラの眼差し。
気に入らないアレス。
だた、黙り込んだままだ。
そして、平然と、口に出していたカーラを、半眼していた。
「当っていたかしら?」
「……急に来て、申し訳ない」
「いいわよ」
話題をすり替えても、何も、カーラは言わない。
素直に、応じたのだ。
(この、余裕ある態度が……)
カーラの眼光が、女たちと、喋っているリーシャに傾けられる。
ハイテンションで、リーシャが、女たちと騒いでいた。
いつもよりも、騒がしいことにも、気づいていない様子だった。
そうした様子にも、アレスも、カーラも、注意しようとはしない。
静かに、見守っていたのである。
「ネットやテレビで、見ていたけど、近頃、リーシャちゃんの様子が、変な気がしていたら、よかったわ。ここに来て、気持ちが、少しでも、ラクになって貰えると、嬉しいわ」
リーシャの様子を、画面を通じ、おかしいことに、気づいていたのである。
だから、ここに来てくれて、心の底から、喜んでいたのだった。
心の安寧が、今のリーシャには、必要だと、抱いたからだ。
それは、アレスも、同じ考えだった。
「出ていたか?」
心配げな表情を、滲ませていた。
「気づく人は、いるでしょうね。特に、リーシャちゃんを、知っている人は」
「……」
不意に、アレスの脳裏に、ラルムの姿が掠めている。
思わず、唇を噛み締めていた。
(……もう、近づかせない)
公務や行事が、忙しいことを利用し、できるだけ、ラルムには、合わせないようにしていたのだ。
わざと、公務などを組んでいたのだった。
「リーシャちゃんは、心配掛けないように、随分と、無理して、笑顔を見せていたけど、やっぱり、どこか、おかしかったわよ」
「そうか」
「何か、あったの? それとも、何か、あるのかしら?」
いつの間にか、カーラの双眸が、眉間にしわを寄せているアレスに注がれていた。
(……勘がいいな)
「話せないことなら、いいけど」
深入りしない、カーラだ。
瞳を彷徨わせ、考えた末、アレスは、優しく微笑むカーラに、視線を巡らせている。
「……デステニーバトルの、本格的な訓練に入る」
思案し、決めたことだった。
だが、微かに、心の隅に、迷いも生じさせていた。
本当に、これで、よかったのかと。
けれど、ラルムのことを踏まえると、このままでは、ダメなような気がし、進むことに決めたのである。
「そう」
「……」
あっさりとした返答。
アレスの表情が、渋面になっている。
意を唱えられるのかと、抱いていた。
(……いいのか? 本当に?)
ウィリアムやユマは、ダイヤモンドハーツの訓練に、入ることに、消極的だった。
それを押し切って、訓練をすることにしたのだ。
「リーシャちゃんは、随分と、優秀らしいわね」
「そっちの耳にも、届いていたか」
どこか、呆れた顔を、アレスが、覗かせている。
デステニーバトルに関する情報を、徹底的に、伏せているはずなのに、王宮の外にいるカーラの耳に、届いていることに、大きな衝撃が起こらなかった。
心のどこかで、ある程度、知られているだろうなと言う予測が、成り立っていたからだ。
「でも、詳しいことは、私にも、入っていないわよ」
ニコッと、微笑んでいるカーラ。
ジト目で、アレスが、窺っている。
(……本当だろうか?)
「情報源は?って、聞いても、教えてくれないんだろうな」
「勿論よ」
強張っていた肩の力が、瞬く間に、抜けていく。
追究しても、情報を得ることは、無理だと、判断していた。
それよりも、リーシャの精神を、少しでも、安定させようと、巡らせていたのだ。
「どういう訳か、日に日に、顔を、暗くすることが多い」
友人のナタリーたちを、仮宮殿に呼ぶことも、考えたりしていた。
けれど、それに乗じて、ラルムも来る可能性を見出し、その計画は、諦めるしかなかったのだった。
そして、次に考えたのは、リーシャの家族だ。
でも、何となく、それも、やめてしまったのである。
ふと、アレスは、心の中で、嘆息を吐いていた。
(……一体、どうすれば、いい?)
「不安なんじゃない? 今まで、訓練なんて、したことが、なかったんでしょ?」
「ああ。だから、一応、器具を見せたりしたんだが、余計に、顔色を悪くしてしまった」
「見たことで、さらに、不安が、募ったのかしら?」
話し込んでいるリーシャを、カーラが捉えていた。
「わからない。でも、そういう感じじゃなかった」
(一体、何が、リーシャを不安がらせる?……)
ダイヤモンドハーツの訓練を前に、少しでも、緊張しているだろうと抱き、器具などを見せていたのである。
だが、見せた途端、どういう訳が、リーシャの体調は、著しく悪くなり、本人は大丈夫だと言っていたが、誰の目からしても、体調の悪さが、浮き彫りになっていたのだ。
(……リーシャの中で、何があったんだ)
本来は、もう少し早く、カーラの元へ、訪れようとしていた。
体調がよくない、リーシャを踏まえ、今日に至ったのだ。
体調の悪さが出ていたので、健康診断をさせたが、異常が見られなかった。
ただ、肉体的な疲労と、精神的なダメージが、見られるだけだった。
だからと言って、アレスの中で、ダイヤモンドハーツの訓練を、取りやめにする意志がない。
もう、これ以上、ラルムと一緒に、訓練をさせたくなかったのだ。
そのため、強行に、訓練の日付を決めていた。
そして、少しでも、リーシャの気持ちが、戻るように、ここに来たのだった。
「リーシャちゃんは、何も言わないの?」
「ああ」
「そう」
逡巡しているカーラ。
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