第184話
宮殿の中にある、王妃エレナの部屋。
一番、眺めがよく、暖かな陽だまりが、差し込んでいた。
王妃エレナの兄ラングワート伯爵と、その孫で、ガイが訪れていたのである。
部屋の隅には、数人の侍女たちが、控えていた。
勿論、王妃エレナたちに、邪魔にならないように、そして、会話は、聞き取れるか、取れないかの位置だ。
ラングワート伯爵にとり、妹エレナに会うのは、久しぶりのことだった。
ガイは、ことあるごとに、来訪していた。
けれど、ラングワート伯爵に至っては、一年ぶりだ。
王妃エレナは、四人兄弟の末っ子で、その上のラングワート伯爵とは、少し歳が離れていた。前伯爵の子供の上三人が、先妻の子たちで、末っ子の王妃エレナは、後妻の子だった。
兄弟の仲は悪くはない。
身体の弱い王妃エレナを、ずっと、兄弟たちは、気にかけていたのである。
そして、健在なのは、ラングワート伯爵と、王妃エレナだけとなっていたのだ。
他の二人は、すでに、故人となっていた。
「身体の調子は、どうなんだ? ガイからは、聞いているが?」
孫であるガイから、王妃エレナの身体の具合は、常に耳にしていたが、生まれた当初から、身体の弱い王妃エレナのことを、ずっと、心配していた。
だが、シュトラー王との確執もあり、王宮に、訪れることが少ない。
妹が、王宮に、嫁ぐことを最後まで反対し、王妃エレナが、家との縁を切ってでも、シュトラー王の元へ行くと言う、固い意志に根負けし、渋々ながらも、送り出した経緯があった。
そうしたこともあり、ラングワート家では、王家との繋がりを、極力、取らないスタンスを保ってきたのだ。
ただ、身体の弱い王妃エレナのことだけが気掛かりで、様子だけを窺いに、たまに顔を出していた。
ラングワート伯爵が訪れた際は、決して、王妃エレナの部屋に、シュトラー王が顔を見せることがない。
互いに、顔を合わせないようにしていた。
シュトラー王自身も、無理に、王妃エレナとの婚儀を進めたことに、多少なりの罪悪感を抱いていたのだ。
だから、兄妹のひと時を、邪魔しないようにしていた。
「大丈夫ですよ。このところは、調子が良く、そういう時は、お茶会を開いているんですよ。お兄様」
ニコニコ顔している、王妃エレナだ。
一年ぶりの兄の来訪。
少しばかり、はしゃいでいる。
「無茶はするな」
厳しい顔で、ラングワート伯爵が窘めていた。
何度も、調子がいいからと、動き回った後に、倒れた経緯があったからだ。
「もう、子供じゃないですから……」
王妃エレナが、眉を下げている。
おばちゃんと言う年齢になっても、兄であるラングワート伯爵は、子ども扱いすることに困っていた。
ラングワート伯爵も、厳しい表情を解かない。
「そう言うって、何度、倒れたんだ」
「……」
さらに、困ったような顔を、王妃エレナが覗かせている。
(お兄様……)
僅かに無茶をし、シュトラー王や兄ラングワート伯爵に、迷惑をかけたことが、走馬灯のように駆け巡っていたのだ。
若い頃は、頻繁に倒れ、何日も寝込むことがあったのだった。
「おじい様も、それぐらいで、王妃様が、困っていらっしゃいますよ」
これ以上ないぐらいに、眉尻が下がっている王妃エレナの姿。
ラングワート伯爵の双眸が捉えている。
「……すまいない」
「ありがとう、ガイ」
「いいえ。でも、無理は、しないでくださいね。おじい様が、心配なされますので」
念を押して、ガイも、無茶をしないように、釘を刺しておいた。
ガイ自身も、何度か、無茶をし、倒れたのを目撃していたからだった。
「わかったわ」
ラングワート伯爵が、気持ちを切り替えるため、息を吐いていた。
そして、妹王妃エレナに、もう一度、視線を巡らす。
「陛下は、何を考えているんだ?」
「何とは?」
首を傾げ、眉間にしわを寄せているラングワート伯爵を、王妃エレナが見つめていた。
シュトラー王とラングワート伯爵との間に、一切、やり取りがない。
ソーマやフェルサに会うことも、ラングワート伯爵が、渋るほどだった。
そのため、ラングワート伯爵の子供や孫が、二人の間を取り持っていた。
「クロスの孫を、アレス王太子殿下に、嫁がせたことだ」
顔を歪ませている、ラングワート伯爵だ。
だが、王妃エレナも、ガイも、それに対し、突っ込もうとしない。
知らぬ振りを、通している。
「そのことですか」
ラングワート家では、二人の婚儀に、静観する立場を取っていた。
だからと言って、二人の結婚に対して、納得している訳ではない。
そうしたラングワート伯爵の気持ちに気づきながらも、王妃エレナたちは、気づかぬ振りをしていたのだ。
「知っていたのか?」
「はい。勿論、知っていましたよ」
「……」
渋面している、ラングワート伯爵。
(……なぜ、知らせぬ)
何かあれば、シュトラー王たちを通さなくても、ラングワート家に話がいくようになっていたのである。
けれど、そうした経路があっても、アレスとリーシャの結婚に関しては、王妃エレナは、あえて、ラングワート家に知らせることをしなかった。
「……まだ、お姉様のことを、気にしておられるのですか?」
兄を食い入るように、見つめる王妃エレナ。
瞳が揺れている、ラングワート伯爵だった。
ふと、ラングワート伯爵の脳裏に、若くして、事故で亡くなった、姉ミラの姿が蘇っている。
姉ミラとは、意見やそりが合わず、言い争うことも、しばしばあった間柄でもあった。
(何で、姉上が……)
クシャリと、顔を歪めている。
そして、ラングワート伯爵が、唇を噛み締めていた。
そうしたラングワート伯爵に、王妃エレナも、ガイも、何も言えない。
上の三人は、末っ子の王妃エレナを、可愛がっていたが、上の三人の中は、良くも悪くもなかったのだった。
ただ、素直になれないだけで、少しだけ、距離を置いていたのである。
「……申し訳ありません。口にすることでは、なかったですね」
「……構わない。気にするな」
やや低い声音だ。
「あまり、いい噂が、流れていませんが、大丈夫なのですか? リーシャ妃殿下は?」
場の空気を変えようと、ガイが、リーシャのことを尋ねた。
王家から、距離をとっているとは言え、社交界には、貴族の役割として、ラングワート家でも、顔は出していたのである。
めったに、顔を見せることが、ないだけで。
社交界では、アレスとリーシャの夫婦仲が、悪いと流れ、ガイ自身も、リーシャが、他の令嬢たちから、いじめや、嫌味を言われたりしている現場を、何度か、目撃していたのだった。
悲しそうな表情を、王妃エレナが、滲ませている。
シュトラー王たちは、そうしたリーシャが、置かれている状況を、はっきりと口にしない。
だが、王妃エレナの独自の情報網から、そうした類の噂や、王太子となったリーシャが、置かれている状況を、それなりに耳にしていたからだ。
「厳しい世界ですから……」
「お前が、気にすることではない」
突き放したような、ラングワート伯爵だ。
僅かに、睨む王妃エレナ。
ばつが悪い顔を、浮かべていた。
「お兄様。お口が、悪くなっていますよ。リーシャは、私の孫に、なったのですから」
「……」
妹に窘められ、言い返すことができない。
「リーシャのことを、悪く言うことを、許しませんよ」
有無を言わせない顔だ。
思わず、ラングワート伯爵が、視線をそらした。
「聞いているのですか? お兄様」
シュトラー王や王妃エレナが、アレスの妻となったリーシャを、非常に、可愛がっている様子を、耳にしていたのだ。
因縁があるクロスの孫を、可愛がっていることを、僅かに、面白くないと抱いていた。
姉ミラの死に、関連しているシュトラー王やクロスのことを、未だに、許せずにいたのだった。
「……どこが、いいのだ?」
「とても、可愛らしいところが、好きですよ。それに、素直で、優しい子ですよ」
ニッコリとした顔で、王妃エレナが答えた。
「そうなのか」
ラングワート伯爵自身、リーシャを、見かけたのは、二度しかない。
(……無理に、笑っていたな。あれのどこが……)
リーシャの人となりを、全然、把握していなかった。
ラングワート伯爵の見た感想としては、ありきたりな子でしかない。
「はい」
「お前の趣味が、わからない」
(それに、姉上の趣味にもな。なぜ、クロスなんだ)
ラングワート伯爵にとり、自分たち兄弟の中でも、優秀な姉に対し、劣等感のようなものを抱いていた。それは、ミラが亡くなって、程なくして、亡くなった一番上の兄も、同じように抱いていることだった。
ミラが、男子でもなくても、跡継ぎにと、言われていたのだ。
けれど、ミラは、家のことなど、一切、興味がなかった。
興味があったのは、妹であるエレナと、ハーツの開発、クロスだけだった。
それ以外のことには、全然、興味を、示さなかった。
「私も、信じられません。お兄様が、リーシャのことを、理解できないなんて」
食い入るような、王妃エレナの眼差し。
平然と、構えているラングワート伯爵である。
「まぁ、クロスに、似ていないところが、よかった」
素直な感想を、吐露した。
心底、安堵している顔を、窺わせていたのだ。
「そうですか? リーシャは、クロス殿に、似ていると、思うのですが?」
「そうか?」
訝しげな顔をする、ラングワート伯爵。
姉ミラの死にかかわる、クロスの姿を、脳裏に掠めている。
その姿は、若かりし頃、姉の隣で、微笑んでいるクロスの姿だ。
若い頃は、姉ミラを通じて、シュトラー王やクロスと、それなりのかかわりを持っていたのである。
「……私は、似ていないと、思うが?」
「そうなのですか?」
二人の意見が合わない。
その様子に、ガイが、小さく笑っている。
「ところで、クロスは、この国にいないのだろう」
「はい」
「どこにいっている?」
少し怒っている、ラングワート伯爵だ。
「孫の婚儀にも、出ないで」
王家と、かかわりを持たないようにしていても、アレスとリーシャの結婚式には、きちんと出席し、挨拶は、済ませていたのだった。
数多い来賓の挨拶のせいで、リーシャの記憶の中に、入っていない。
「旅に、出ているそうです」
「旅?」
顰めっ面な顔を、ラングワート伯爵がしている。
「……陛下のためか」
短い王妃エレナの言葉だけで、クロスが、現在、何をしているのかと、容易に、読み取ることができたのだった。
(……いつまでたっても、変わらない)
「そうでしょうね」
何ともない顔を、王妃エレナが、滲ませている。
(バカな連中だ。いつまで、動くつもりだ? もう若いものに委ねても、いいものを……。それに、もっと、エレナのそばにいろ)
「いいのか?」
「必要なこと、なのですから」
「……確かに、国も、大切だが……」
納得できない顔をみせている。
「……幸せか?」
妹のことを案じる顔を、ラングワート伯爵が覗かせていた。
ニッコリと、王妃エレナが、笑っている。
「幸せですよ」
迷いがない顔を、漂わせていた。
「そうか。それならば、いい」
「はい」
取り留めない会話をし、王妃エレナが疲れないうちに、ラングワート伯爵と、孫のガイは帰っていった。
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