第18話 ウェディングドレスでケンカ
「重い……」
豪華できらびやかに輝く純白のウェディングドレスに身を包んだリーシャは、素直な感想を思わず呟いた。
人生で初めてこんな重いものを身に纏った。
これまでに重量のある服を一度も来たことがない。
「ウェディングドレスって、こんなに重いものなの?」
手作りの綺麗なレースが上半身の部分の生地やスカートの部分に施され、さらにパールやダイヤモンドの宝石が、たくさん散りばめられているウェディングドレスは、見た目以上にかなりの重量となっていたのだ。
「歩けるの?」
裾やベールも想像以上に長く、後ろに引っ張られる状態に少々うんざり気味になって、今すぐに脱ぎたい衝動に駆り立てられていた。
「見るのと着るのじゃ、随分と違うのね」
初めて純白のウェディングドレスを見た時は、あまりの綺麗さに見惚れて早く着てみたいと思っていたが、実際に着てみると、見た目以上の重さに二度と着たくないと言う思いの方が強かった。
「いつまで、こんな格好しているの?」
リーシャは身体にぴったりと纏っている純白のウェディングドレスを見下ろす。
鏡に映っている自分の姿を食い入るように眺めた。
今まさに映っている姿は自分じゃないと言う不可思議な感覚を味わう。
(妙に合っている。どうしてなのかしら?)
細かくサイズ合わせをしたように、寸分の狂いもなしに身体に合っていたからだ。
宮殿に来てから一度もサイズを測った記憶がなかった。
なぜと言う疑問符だけが残る。
「いつ? でも最近よね……、だってこんなに合っているんだから。じゃ、いつ測られたの? 気味が悪すぎる」
不可思議な出来事に身を震わせる。
「下がれ。二人だけで話がしたい」
アレスの声に気づき、扉の方へ視線を傾ける。
すでに婚礼用の礼服に着替え終えていた無表情のアレスが、開いている扉の所に立っていた。
その美しさに思わず格好いいと思ってしまう。
(いけない、私は何を考えている。こんなやつ、格好いい何て……。……黙っていれば、ホント格好いいのに)
王太子アレスの言葉に従って、次々とリーシャの周りにいた侍女たちが下がっていった。
最後にいつも傍らにいたユマも下がっていく。
会うたびに皮肉しか言わないアレスに、訝しげな表情で迎えることがいつの間にか癖になっていた。
そんなリーシャを気にする様子もない。
無表情のままで、不機嫌なリーシャに近づいていった。
「ちょっと、着替え中よ」
「大体、終わっているだろう」
淡々と話す言葉通り、あらかた着替えるのは終わっていた。
後は脇のテーブルにある白百合のブーケを持つだけだ。
「何の用よ」
ムスッとした顔で尋ねる。
とてもこれから二人が挙式を挙げるカップルだと思えない態度を互いに取っていた。
「逃げ出したかと思って、見に来ただけだ。面白そうだからな」
「……逃げ出してないわよ」
少し赤面する。
不遜なアレスが自分が何度か逃げ出そうとしたことを知っていると知り、恥ずかしくなって、今すぐにでも、この場から立ち去りたい思いを押し殺した。
それに重い純白のウェディングドレスを着ている状況では、立ち去ることもままならなかったからと言う理由も一つあった。
「それより、凄くない?」
いやな話題を切り替え、綺麗で豪華な純白のウェディングドレスの話を持ち出した。
これ以上の弱みを見せたくなかったのが本音だ。
「別に」
「それだけなの?」
無表情なのに不遜なオーラを醸し出すアレスをきょとんとした顔で眺めた。
物凄くお金がかかっている純白のウェディングドレスを見て、リーシャは改めて凄いところに来たと驚かずにいられなかった。
それに乙女な年頃と言うこともあり、どこかで期待した言葉を夫となる目の前にいる男に不思議と求めたのだ。
肩透かしを食らって、脱力してしまう。
「他にないの?」
「ドレスに着せられているといった感じだな」
部屋の扉を開けて、目に飛び込んできた姿に、綺麗だと一瞬思った感想は言わない。
「最低」
「何がだ」
「普通は似合っているとか、綺麗だと言わない? それが着せられているですって。確かに私だって、そう思っているわよ。けど、気遣って綺麗とか、似合っているとか言うのが礼儀なのよ。デリカシーの欠片もないのね」
「気遣う? なぜ、僕が単細胞に気遣わないといけない? 必要ない」
「私にはリーシャと言う名前があるのよ! 捻くれている王太子様」
「……」
視線の攻防戦。
冷たい威圧する眼差しに、退きたかったが負けたくないと奮起する。
「捻くれている王太子、捻くれている王太子、捻くれている王太子」
少しだけアレスの頬が引きつる。
負けたくないと言う意地で、踏み止まっているリーシャは気づかない。
「殿下と呼べ」
「いやよ」
「呼べ」
命令口調に、リーシャがムカつきを憶える。
「私たち同級生でしょ? なぜ、殿下なのよ。それに今日からは夫婦となるんだから。立場は同等のはずよ。私のことはリーシャでいいわ。捻くれている王太子のア・レ・ス」
「……同等? 笑わせるな。王太子である僕が上だ。お前は王太子妃だ。王太子より王太子妃は下だ」
「細かい男ね。捻くれているだけじゃなく、こんなにも狭量がないなんて」
「事実を言っただけだ」
「私も、見て感じたことを、そのまま素直に言っているだけよ」
笑ってみせた。
「殿下だ。単細胞」
「単細胞って言ったら、絶対に返事なんかしませんから」
ふんと、そっぽを向く。
「しなければいい。僕には関係ない」
「もう一つ、言っておくわ。単細胞って言う限り、私は捻くれている王太子って言うから」
「勝手にすればいい」
「えぇ。勝手にするわ。捻くれている王太子様」
一瞬、どこを掴んでいいものかと躊躇し、ついている宝石を気遣いながらスカートを少し持ち上げた。
重いながらもドレスを引きずって、不機嫌なアレスの顔に近づき、口角を上げて最高の笑顔を作ってみせる。
互いに目は睨め合っていた。
そこへ、若い侍従の一人が挙式の始まる時刻を知らせてきた。
「……」
「何だ」
「そろそろ挙式の刻限となります。それと王太子殿下。軍の方が書類にサインがほしいと控えていますが、どういたしましょうか?」
若い侍従を見ることもなく、無表情のまま簡潔に答える。
「通せ」
「はい」
慣れたように若い侍従は、廊下に控えていた軍の人間一人を部屋に招き入れる。
入れ替わるように若い侍従は下がっていった。
座ることができないリーシャは、苦虫を潰したようにその様子を黙って窺う。
座りたくても、純白のウェディングドレスの長い裾とか、いろいろと座ると支障がありそうで、とても座れなかったからだ。
「もぉー」
その視線の先に優雅に座っているアレスの姿があった。
羨ましそうに見ていることしかできない。
「このような時に、申し訳ありません」
恐縮している軍の人間を、何もすることができないリーシャはただ眺める。
二十代後半と言ったような若い軍の男の人だった。
身体は目の前にいるアレスよりも、がっしりとしているが、何となく気のいい人という好感触を抱く。
「三分待て」
書類を受け取り、目を通し始める。
行き場所を失って、辺りをキョロキョロと視線が定まらない。
そんなリーシャに向かって、若い軍の男は向き直して一礼して謝った。
「申し訳ありません。このような時に参りまして」
その声は書類を読んでいるアレスに気遣い、限りなく小さな声だった。
アレスに向けていた表情とは違い、穏やかな表情をリーシャは浮かべていた。
「いいえ。私は大丈夫ですから」
「ありがとうございます」
「……どうですか? 似合っていますか?」
何となく気まずい沈黙を払拭させるために、目の前にいる若い軍の男に話が続くように話しかけた。
若い軍の男は一瞬戸惑ったように身体を固まらせる。
応えてもいいのだろうかと書類を読んでいるアレスを窺うと、何一つ変わらないアレスを見てから、何かを期待するような目で見ているリーシャの問いに答える。
「……はい。似合っております」
「ありがとう」
ピング色の頬が微かに上がる。
そんなリーシャと若い軍の男との会話を気づかれないように、こっそりと書類を読む手を休めずに窺っていた。
今までに自分の周りにはいなかったタイプに、少しだけリーシャに興味を憶え始める。
「……」
自分と話す時とは違い、楽しそうに二人の会話が続いていた。
(よくこんなやつと話ができるものだ。くだらない)
思考とは裏腹で、ずっと話をしている二人の様子を窺っていた。
何だか言い知れぬ感情が、心の奥底から吹き上がるのを感じる。
(面白くない)
「……」
最後にサインを書き込んだ。
「これで構わない」
若い軍の男は二人に一礼してから部屋から立ち去った。
その際にリーシャは手を振って見送りをしていたから、若い軍の男はどう対処していいものかと戸惑いが消えぬまま部屋を出て行ったのだ。
「ユマから聞かなかったのか? 下の者に手を振るなんて」
「うっ! そう言えば……」
「何を考えている」
落ち込んでいるリーシャを見て、溜飲を下げ、アレスは部屋から出て行った。
読んでいただき、ありがとうございます。